源氏物語便り

心揺するもの 日本の心 源氏物語語り

末摘花いびりをする作者の本意は  源氏物語たより687 

源氏物語

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     末摘花いびりする作者の本意は  源氏物語たより687

  光源氏は、新年の祝いにと女性方の部屋を回る。もちろん元日は六条院の女性方で、春の町の紫上、夏の町の花散里と玉鬘、そして最後は冬の町の明石君という具合で、結局この日は明石君方に泊まってしまう。北の町以外の女房たちはやっかみ半分に「やはり源氏さまの寵愛は明石君さまが一番深いのでしょうよ」とささめきあう。

  当然、二条院の東院にいる空蝉と末摘花のお二人は後回しになる。とにかく光源氏は太政大臣なのであるから、正月と言えば客が引きも切らない。
  『上達部・親王達など、例の残るなくまゐり給へり』
という有様で、それらの馬・車が罵り騒いでやって来るのだから、とても二条院などに廻っている余裕はない。ということで
  『さわがしき日ごろ過ぐしてわたり給』
うことになった。

  末摘花のところなどは、もう義務感から廻っているようなものである。会ったとたんに源氏の目は、彼女の髪に注がれる。末摘花と言えば、姿形はもちろん、教養・センス、何から何まで一つのとりえもない女性なのだが、髪だけは黒々と長くしかも豊かで、彼女の唯一のセルースポイントになっていた。ところが今、源氏が見ると
  『盛りと見えし御若髪も、としごろに衰へゆき、まして滝のよどみ恥づかしげなる』
有様になってしまった。それにしても「滝のよどみ恥づかしげ」とは何とも辛辣である。実は、古今集にこんな歌があるのである。
  『落ちたぎつ滝の水上年積もり 老いにけらしな黒き筋なし  壬生忠岑』
  「たぎつ」とは、水が激しく流れたり落ちたりする様で、この歌は、比叡山の瀧を見
て詠んだものと言うのだが、実際には激しく落ちてくる滝が真白であるところを擬人化して、歳をとって髪の毛がすっかり白くなってしまったことを嘆いた(自嘲的にか)歌なのである。
  末摘花の髪が今では黒いところが全くなくなってしまったことを、こう表現したのである。それも「たぎつ滝よりも白い」というのなら許せるが、「滝も恥ずかしくなってしまうほど白い」と言う。「黒き筋」など一筋もないから、滝の方で「わ、負けたわ」と敗北宣言してしまうほど白いと言うのだ。平安女性にとっては、髪は「我が命」なのである。したがって、一筋の黒髪もない女性は女性ではないと言っているのと同じで、人格否定も甚だしい。
  そのために、源氏は、末摘花を
  『まほにも向かひ給はず』
という侮蔑的扱いをする。まともに見ないということである。
 
  源氏の侮辱はまだまだ続く。
  『柳は、げにこそすさまじけれと見ゆるも、着なし給へる人からなるべし』
  今度は彼女が着ている衣装に源氏の目は行った。暮れに源氏は、それぞれの女性に似合うであろうと思われる衣装を贈っている。例えば、玉鬘などには山吹襲(かさね)の華やかなものである。末摘花には「柳襲」がいいだろうと判断して贈ったのである。柳襲は、表が白、裏が青という地味な衣である。自分で送ったにもかかわらず「やはり末摘花には似合わなかったか」と嘆くとはどういう神経なのだろう。
  そして救いようのない判定を下す。
  「もっとも衣装は着る人の人柄によるのであろう」
  柳襲だって着る人によって似合うもの、それさえ着こなせない末摘花は、人間失格に等しいと言っているようなものである。
さらに、古くなってごわごわと音のするような一襲の上に、柳襲を着ているから、いかにも寒々しく見える。そのために鼻のてっぺんの赤さばかりが
  「霞にも紛れず鮮やか」
に見えるので、源氏は完全に愛想を尽かしてしまい、
  『ことさらに御几帳引きつくろひ、隔て給ふ』
のである。「まほには見ない」どころでか、几帳で二人の間を隔ててしまって、末摘花の姿が見えないようにしてしまったのである。

  そして最後には源氏は心の中でこんな歌を呟く。
  『ふる里の春のこずゑを尋ね来て 世の常ならぬ花を見るかな』
  「ふる里」とは、今まで源氏はこの二条院に住んでいたから言ったもので、久しぶりに訪ねて来てみたら、「世の常ならぬ花」を見てしまったと言うのだ。お分かりと思うけれども、「花」は末摘花の「鼻」を掛けている。つまり「人間とは思えないような鼻の持ち主」と言っているのだ。彼女の鼻が赤いことは疾うに分かっているのだから、見たくないのならわざわざ義務的に会いにくる必要もなかろうに。

  ここまで末摘花をいびる理由は何なのだろう。この問題については今までも何度も取り上げてきたが、私には未だに見当もつかない。
  紫式部は、他人を批判することにかけては、天下一品で容赦がない。それは『紫式部日記』を見れば分かることである。でも清少納言批判の
  『清少納言こそ、したり顔にいみじゅうはべりける人・・さかしだつ人・・人に異ならむと思ひ好める人・・艶になりぬる人(の将来はろくなことがない)』
という批判などは当たっている気がする。『枕草子』を見れば、清少納言はいかにも「高慢ちきな感じがするし、利口ぶり人よりは特に優れようとしたり、いつも風流ぶっている」のが分かるからである。
  でも末摘花は、したり顔をするわけでもないし、利口ぶるわけでもない。人に異なろうと意識的に振る舞うこともないし、むしろ無風流一偏倒の女性である。それなのにここまで侮り、徹底してやり込める紫式部の本意はどこにあるのか、どうしても理解できない。
  あるいは末摘花を古生代(前世からの天敵に模しているのかもしれない。

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華麗・雅な六条院の春  源氏物語たより686 

源氏物語

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     華麗・雅な六条院の春   源氏物語たより686

  六条院完成後の初めての春が巡ってきた。周囲の景色までが六条院の春を寿(ことほ)いでいるようである。
  『年かへるあしたの空の景色、なごりなく曇らぬうららかげさ』
  『数ならぬ(低い身分の家の)垣根の内だに、雪間の草、若やかに色づき始め』
  『(春を待ちかねていた)霞に木の芽もうちけぶり』
というような晴朗、爽快な新年を迎えた。この光景に接すれば自ずから、
  『人の心ものびらかにぞ見ゆるかし』
となるというものである。最後の「かし」は、念を押して言う場合の終助詞で、伸びをしたくなるほどに心がのどかにほぐれるのも「当然でありますね」という意になる。

  それでなくても、正月一日というのは人々の心が華やぐもので、何か昨日までとは打って変わって開放的な気持ちに包まれる。私自身、子供の時もそうだったし、今になっても、元旦は何か目新しく感じられる。あの感覚は何なのだろう。お年玉をもらえるからだろうか。美味しい物がたくさん食べられるからだろうか。江戸の庶民などは、たった一晩の差で掛取りから逃れられるから、一層元旦の日の思いは強かったはずである。
  光源氏と、掛取りに追われる江戸の庶民を一緒にしてしまったのでは大変失礼というものかもしれないが、「玉も砂利も敷かれていない」家の者まで、身分や貧富や年齢に関わりなく浮かれ気分になるものである。

  まして、諸国の受領や高級貴族たちが、光源氏に媚びて、わずか一年で造り上げてしまった六条院である。その壮大華麗さは譬えるものとてない。玉を敷ける庭はもとより、建物、室内の装飾・調度などすべてが綺羅を尽くしていて、新装なった宇治の平等院を髣髴とさせるものであったろう。それに加えてさまざまな香の匂いが漂う「春のおとど(紫上のお住まい)」は、まるで
  『生ける仏の御国』
さながらだと言うのだから驚きである。「極楽浄土」と言うのでは平等院どころではなさそうである。

 そこで女房たちは、餅鏡(鏡餅のこと)を立てて「歯固めの祝い」をしていた。光源氏のこの一年の健康・安泰・繁栄を祝っていたのである。それはもちろん自分たちのためでもある。
  百人一首の「いまこむといひしばかりに・・」の作者・素性法師が、ある娘に代わって彼女の父親の四十賀の祝いを詠ったものにこんな歌がある。
  『万代(よろづよ)を松にぞ君を祝いつる 千歳のかげに住まむと思へば』
 常磐の「松」、寿命千年の「鶴」、同じく万年の「亀」の目出度い御三家を登場させるという誠に欲張りな賀歌である(さて「亀」は何処に隠れているだろうか)。
  この歌の下句・「千歳のかげに住まむと思へば」が、この娘の本意であり、紫上お付きの女房たちの願いなのである。絶対的な権力者である光源氏の庇護のもとに生きている彼女たちにとっては、心底、光源氏の御代・権威が千年も万年も続いてもらわないと困る。そこで光源氏の長寿・繁栄を願いながら、ちゃっかりと自分たちの安穏をも祝っていたのだ。
  彼女たちは鏡餅を前にして
  『そぼれあへる』
とある。それもむべなるかなである。「そぼる」は、「たわむれる、はしゃぐ」という意味で、元旦という心浮き立つ雰囲気も手伝って、自分たちの安穏な生活を祈って、「わあ、わあ」大はしゃぎしていたということである。

  ところで話は大分横に逸れるが、正月に鏡餅を飾る習慣は、現代にも受け継がれているのだが、鏡餅はどうして目出度いものの象徴になっているのであろうか。またどうして「鏡」と言うのだろうか。そういえば、餅はさまざまな目出度い場面に登場するが、「餅」には一体どういう意味があるのだろうか。 
  平安時代の貴族は、子供が誕生すると誠に手厚い祝いをした。誕生三日目、五日目、七日目、十日目にと立て続けにお祝いをした。特に五十日目を「いか」と言って大々的にお祝いをした。この時には小児に餅を食わせている。『日本歴史大事典』にこのことが詳しく載っている。
  「平安貴族社会の通過儀礼。小児誕生後、50日目の夜の申(さる)か戌(いぬ)の刻に行う、餅を小児に含ませる儀式。・・父または祖父が箸を取り、餅を含ませる役を務める。餅を切ってつぶし、だし汁を加え、柳の箸と匙で含ませる」
  これを「食い初めの儀」と言い、百日目にも餅を食わせている。
  誕生一年目には、小児に餅を背負わせたりもする(これは現在でもしている家族がある)。

 そういえば、『葵』の巻には、源氏と紫上が新枕を交わす時にも、実に滑稽な形で「三日夜の餅」が登場する。通常は結婚して三日目の夜に餅を食べるのだが、源氏と紫上は、一緒になってからすでに四年の歳月が経っているが、その間、二人の間に性の営みはなかった。つまりこの『葵』の巻の夜が、二人にとって正式な結婚に当たり、それで三日夜の餅がここに登場するのである。
  「亥の子餅」という儀式もある。十月の「亥の日」に餅を食べる習慣を言い、万病を払い子孫繁栄を祈ってする。 
  今でも「建前」だと言っては屋根から餅を撒いたり、正月には神社などでは相撲取りを集めて餅を撒いたりする。
なぜこんなに餅が持ち囃されるのだろうか。一体「餅」とは何なのか。

 「歯固めの祝い」をするからと言っても、鏡餅では、かちかちに乾燥しているからとても歯が立たないではない。あるいはあの固い餅に噛り付いて健康をアピールするとでも言うのだろうか。
  ちなみに「歯固め」の祝いの時には、お膳に、大根、芋、雉の肉、押し鮎などを付けたという。押し鮎を除けば、これは現在の雑煮の具と同じである。私の家でも、代々伝統的にこれらの具を雑煮に入れていた。ただ雉の肉はないから油揚げを代用していたが。要は、いろいろなものをごっちゃごっちゃに混ぜて栄養たっぷりにして、健康を計ったということだろうか。
  それにしてもなぜあの中に餅を入れるのだろう。
  小児の誕生一年目に餅を背負わすのも、歩き始めのよちよちに随分危険なことをさせるではないか。

  この点に関してスマホで調べてみたら、あの餅は「一升」の米で作るとあった。そして形もまん丸なのだそうだ。それは「一生(駄洒落)」食うに困らないように、また「円満(これも駄洒落)」に人生を送れるようにという意味があると言う。
  なるほど。そこで「餅」についても調べていたら、それはそれは本当のような嘘のようなことがいろいろ書かれていた。
  昔、豊後の国に白い鳥が飛んできて、その鳥が「餅」になったんだとさ。以来この国は豊作が続き豊かな国(これも洒落か)になったんだとさ。これは嘘であろう。
  鏡餅は、「鏡」のように丸く作った。なぜなら鏡は神代の時代から神聖なものとしてあがめられたからだと言う。しかも円は、小児の背負う餅と同じように、角のない円満な一年が送られますように、という願いからだとある。
  実に餅は神聖なものであり豊かさの象徴であり、艶福、円満な生活の象徴であったのだ。
  私の想像を付け加えれば、餅はあくまで白く純潔であり、どこまでもどこまでも延びに伸びるところが、寿命の延びるに通じる。さらに鏡のように丸いのは「澄む」ということにも関わりがあろう。混じり気のない純潔で澄んだ心で生きられることを暗示しているのかもしれない。

  このような意味があるとすれば紫上の女房たちがはしゃいでいたのもよく理解できる。しかも太政大臣・光源氏の家の鏡餅ともなれば、飛び切り大きなものであったはずである。大きく飛躍し、中秋の望月のような艶(円)福な一年を送ることが出来るとなれば、こんなに幸せなことはない。それを見ただけで彼女たちが「そぼれあへる」のも当然な仕儀と言わなければならない。

  さて、この日は「子の日」でもあった。
  当時は、毎日毎日に、「子・丑・寅・卯・辰・・」などの十二支と「甲・乙・丙・丁・戊・・」などの十干と「木(きの)・火(ひの)・土(つちの)・金(かの)・水(みずの)」の五行を組み合わせて、「きのえね」とか「ひのとうし」とか「つちのえとら」とかの名が付けられていた。
  この年は、一月の元旦がたまたま「子(ね」の日に当たっていたのである。子の日には小松を引くという行事をする。人々は、野山に出て「小松」を引き若菜を採るのである。童や下仕えの者たちが築山に登って小松を引いて遊んでいるのだ。その様子は
  『若き人々の心地ども、おきどころなく見ゆ』
ほどである。「おきどころなし」とは、浮かれてそわそわしている様である。

  「松」は、常緑で「いつも変わらない」から、餅と違って目出度い物であることはすぐ理解できる。現代でさえ門松を立てる。しかも「子の日」には、若い松を引くのだから、寿命は計り知れないということになる。ちなみに京都御所などでも、一番、目に付くのは松である(次に目に付くのはモッコクであることを御存じであろうか。これも照葉樹の常磐の木で、植木の中では高貴な邸などで珍重される。我が家にも一本ある。ただ目出度いとは誰も思わない)。
  松もいろいろのところに登場する。歌にもしばしば詠われるし、「羽衣の松」など物語にも出て来る。「高砂の松」はその代表で、結婚式などには今でも謡われる。松の樹形は確かに見事なもので、特に海岸の年経た松などは、風雪に耐えいかにも貫禄があり、目出度い物の代表になるのも、うべなるかなである

  六条院は、一辺260メートルという広さ(これは後楽園球場よりも広い)で、「春、夏、秋、冬」の邸の四つの区画からなっている。一つの区画だけでも一辺120メートル(小学校の敷地程度)もある。そこに池あり中島あり築山あり遣水あり、しかも寝殿や西、東の対の家もあるという壮大さである。池は岩手県平泉の毛越寺の池を想像すればいいかもしれない。
  したがって築山と言っても半端ではなく、「築」を取ってしまって「山」と言った方が当たっていよう。恐らく童たちは池の向こう側の松の林の山に登って、小松を引いているのであろう。転げまわって大騒ぎするのも無理はない。

  六条院は昨年の秋に出来たばかりである。その新装なったばかりの邸宅に二つの目出度い儀式が重なって、若い者から大人びたる女房までが、着飾りはしゃぎ戯れている様は、まさに王朝の雅を描いて余りあるものである。
  次の「胡蝶」の巻では、秋の邸の池から春の邸の池まで、龍頭鷁首(りょうとうげきす)の舟に着飾った大勢の女房を乗せて、漕ぎ廻わって来るという壮大な王朝絵巻の粋を描いた場面が登場する。

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睦まじい贈答歌の裏 源氏物語たより685 

源氏物語

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     睦まじき贈答歌の裏   源氏物語たより685

  年の改まった元日、光源氏は女性方に年始のあいさつ回りをする。紫上の部屋に行ってみると、女房たちが大騒ぎをして、飾餅(鏡餅のこと)を持ち出し歯固めの祝いをしている。「歯」は、「齢」に通じるということで、健康・長寿を祝うのである。
  例によって源氏は女房たちに冗談を言い言い、彼女たちのために祝い言をする。

  さて、今度は紫上に祝い言をする番である。源氏はこんな歌を詠む。
  『うす氷とけぬる池のかがみには世に類なき影ぞ並べる』
  源氏物語の中では、比較的素直で易しい歌である。この「かがみ」は、先ほどのめでたい鏡餅と関係させている。邸園の池の水面が鏡のように澄んでいるのを見て詠んだものである。「影」は、源氏と紫上の姿が水面に映っている様で、全体は
  「春になって薄氷もすっかり溶け、池の水面は鏡のように澄んでいます。その鏡にこの世には類ないほど幸せで理想的な私とあなたの姿が並んで映っているではありませんか」
という意味になる。

  この歌に対して、紫上はこんな歌で応じる。
  『くもりなき池の鏡によろづ世をすむべき影ぞしるく見えける』
  この歌も素直で易しい。「すむ」は、「住む」と「澄む」の掛詞で、
「一点の曇りもなく澄んだ鏡のような池の水面に、これから万年もご一緒に住むはずである二人の影がはっきり見えておりますわ」
という意味になる。

  二人が詠み交わした歌に対して、語り手はこう評価する。
  『末遠き御契りをあらまほしく聞こえかわし給ふ』
  「行く末長い二人の縁(えにし)を、誠に理想的に歌い交わしていらっしゃいます」
という意味だが、確かに語り手の言うとおり、二人の歌は誠に睦まじい限りで、相思相愛、琴瑟相和(きんしつあいわ)す申し分のない夫婦の贈答歌になっている。

  「でも・・」と、つい余計な心配が付き纏ってしまう。なぜなら紫上は本音を詠っているのだろうかという疑念が湧いてきてしまうからである。
  源氏が、紫上を類なく理想的な女性として心から尊敬し愛していることには間違いはない。したがって、彼が詠った歌に過ちなどあろうはずはないのである。
  しかし、紫上の歌を額面通り取っていいのだろうか。語り手が「あらまほしく聞こえかわし給ふ」と言っているのだから、「ふむ、ふむ、結構、結構、何とも幸せそう」と素直に取っておけばいいのだが、やはり疑念は残る。源氏の日ごろの素行を見れば、紫上にとってとても「末遠き御契り」などと油断はできないからである。

  改めて紫上の歌を見てみよう。どうも怪しいのは「すむべき」の「べき」である。これは「確信の推量」を表す助動詞「べし」の連体形である。したがって「・・にちがいない。きっと・・だろう」という意味を持つ。つまり「一点の曇りもなく澄んだ関係を保ちながら、万年をもあなたと住むはずである」ということになる。
  また、この「べし」は、「予想」や「予定」をも表す。こちらの意味で見て行くと大分怪しくなってくる。源氏を心から信じていないニュアンスが出て来てしまうからである。予定はあくまでも予定でしかない。もっとも「確信」の意味に取ったとしても、紫上が完璧に源氏を信じて万年の先を確信していることにはならない。これもあくまでも「推量」でしかない。

  もし彼女が源氏との万年の縁を疑いもしなかったとしたら、歌はどう詠えばよいのだろうか。とにかくこの「べき」を別の言葉に置き換えなければならないだろう。
  そこで、
  「くもりなき池の鏡によろづ世を住み着く影ぞしるく見えける」
などと直してみたが、どうだろうか。女性の中の女性、理想的な女性である紫上が「住み着く」などと下種な言葉を使って表現するはずはないが、とにかくこれであれば、源氏としても一安心ということになるのだが。

  紫上に寿ぎの歌を詠った源氏は、この後、明石姫君のところに行き、さらに花散里に渡って行き、玉鬘のところに回る。そして最後は、明石の御方のところに渡って行くのだが、もう暮れ方になっていた。
  そしてなんと源氏はここに泊まってしまうのである。なにしろ白い小袿に
  『けざやかなる髪の掛かりて、すこしさばらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひてなつかしければ』
とても帰る気もしなくなってしまったのである。「さばらかなるほどに薄らぎにける」とは、「こざっぱりして先細りしている(小学館より)」様である。また「なつかし」は心惹かれるという意味で、白い表着に黒髪がさっぱりとかかって、大層優艶で色気さえ湛えている明石君は源氏の心を惹きつけて離さない。帰る気がしなくなるのは当然のことである。

  紫上とすればたまらない。今日は年の初めの最初の晩ではないか。正妻のところに泊まるのが筋である。まさに泊まる「べき(義務の意味を持つ)」である。もちろん紫上は表面だって焼きもちを焼くような不見識なことはしない。でも源氏に初春の祝いをしてもらった女房たちが許さない。「なんと浅ましいこと、面白くない!」と紫上に変わって憤る。
 
  源氏もさぞかし紫上が気分を害しているであろうと思って、朝もまだ早いうちに紫上の所に帰ってきて、こんな嘘をつく。
  『あやしきうたた寝をして。若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかし給はで』
  (とんだうたた寝をしてしまって、年甲斐もなく大人げなく眠りこけてしまったのを、そういって起こしても下さらないものだから・・小学館)
  とんでもない嘘である。「うたた寝」どころか、彼は、昨夜は寝もやらずしっぽりと明石君と閨を共にしたに違いないのである。
  さすがにこの嘘には紫上は何も返事をしない。源氏はこと面倒と思って狸寝入りを装って日が高くなるまで寝てしまう。これがめでたかるべき二人の元旦の夜なのである。
  これではとてもとても「よろづ世」を契れるはずがない。やはり先の「べき」は彼女の希望的推量(あるいは希望的観測)に過ぎなかったようである。

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末摘花いびり極まる 源氏物語たより684 

源氏物語

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     末摘花虐め極まる   源氏物語たより684

  正月の晴れ着にと、光源氏は御方々にそれぞれ相応しいと思われる衣装を選ぶ。お付きの女房たちが源氏のお手伝いをして、相手の容貌や状況などに合わせながら衣装を次々決めていく。例えば紫上には
  『紅梅のいといたく紋浮たるに、えび染の御小袿、今様色の優れたる』
ものである。「紅梅・・小袿」とは、紅梅の模様がはっきりと浮き出たえび染めの小袿ということである。さらにそれに流行りの衣装を添えたのである。また玉鬘には
   『くもりなくあかき、山吹の花の細長』
で、鮮やかな赤の上着と、山吹の花の細長を贈るのである。「山吹」とは、表が赤みがかった黄色、裏が黄色の襲(かさね)のことで、いかにも華やかである。

  さて、末摘花にはどんな衣装を贈ろうとしたのであったろうか。それは
  『柳の織物に、よしある唐草を乱り織りたるも、いとなまめきたれば、(源氏は人知れずほほ笑まれ給ふ)』
という衣装であった。「柳」とは、やはり襲(かさね)のことで、表は白、裏が青である。女房たちは末摘花の人柄を想像して、「柳」がいいと判断したものであろう。これは我々が知っている地味で古風な末摘花に相応しいものである。
  ところが、その衣の模様がいけなかった。由緒ありげな唐草の乱れ模様なのである。あまりに「なまめかし」過ぎるから、不細工な末摘花には似つかわしくないと思ったのだ。「艶っぽい、婀娜っぽい、色っぽい美しさ」ということには無縁の彼女の衣装が選ばれたことに、思わず「にやり」としたのである。この「にやり」は苦笑いと言った方がよいであろう。

  源氏お付きの女房たちは、末摘花はもとより明石君も玉鬘も、実際には顔を見たことはない。しかし時には源氏が冗談交じりに彼女たちの話をし、末摘花についてはその地味さ古体さを語ることもあったであろう。それらを想像しながら、とにかく末摘花様には地味なもの、でも宮様のお子様でもいらっしゃるのだから、などとあれこれ勘案した結果、「柳襲のいとなまめきたる」衣装に決めたものと思われる。

  しかし、この辺りから物語上の矛盾が露呈しくる。なぜなら末摘花が源氏の邸・二条東院に来てから既に四年以上たっているのである。源氏と彼女が付き合い出してから数えれば、なんと十七年も経っているのだ。おそらく源氏は、毎年関係する女たちに正月の晴れ着を贈っていたはずである。したがって、女房たちは毎年、その衣装選びをしていたであろう。だから今までも末摘花にそぐわないものであれば、源氏が咎めていたに違いない。それにもかかわらず、今頃になって末摘花とおよそかけ離れた「いとなまめきたる」衣装を贈るはずはないではないか。
  紫式部は、末摘花のこととなると常軌を逸したように向きになる。何か意趣があるとしか思えない。このことに関しては、以前も特に「末摘花」の巻で取り上げたところであるが、この「玉鬘」の巻で一層その傾向が顕著に出てくる。

  それではさらにこの正月の衣装配りの顛末を見て行ってみよう。
  源氏から晴れ着が贈られた女性たちは、「さてその御礼はどうしょう」と苦労する。まずは源氏の命を受けてやって来た使いの者に洒落た禄を与えなければならない。六条院にいる女性方は心を尽くした禄(多くは衣装)を被ける。
  ところが、空蝉と末摘花は遠く離れた二条東院にいるのだから、あまり四角四面に格式ばって御礼をする必要もないのだが、末摘花は違う。とにかく
  『うるはしくものし給ふ人にて、あるべきことはたがへ給はず』
という人柄であるから、きちっとすべきことはしないと気が済まないのだ。「うるはし」とは「きちんとしている」とか「礼儀正しい、格式ばっている」という意味で、使いが来ればきちんと禄を与えないではいられないのである。
  しかし、肝心のその禄がいけなかった。
  『山吹の袿の、袖口いたうすすけたるをうつほにて(使いに)かづけ給へり』
という非常識だったのである。「山吹」は例の襲のことで、黄色っぽい衣の袖口が大層煤けた袿を与えたのだ。しかも、与えたのはそれだけで、下の衣などはかづけなかった。「うつほ」とは「洞」のことで、何もないという意味である。通常であれば上着に下着などを添えるのである。

  ところで、これを末摘花の非常識だけに帰してしまっていいのだろうか。というのは源氏と付き合い出してから十七年、須磨・明石の没交渉の期間はあったとしても、その後、二条東院に移ってからでも、源氏からさまざまな衣装が配られているはずではないか。今更「煤けた」袿などを着ているとは考えられない。
  一歩譲って、末摘花は、確かに古いものを大切にするという以前からの性格ではあった。古いものは彼女にとっては大切なものであるから、それを使いにかづけるのは、彼女にとっては最高のもてなしとなる、という弁解もできなくはない。
しかし、太政大臣・源氏の妻たる者が、今更「煤けた衣」を後生大事に持っているだろうか。あり得ないことを平気で書く。
  なぜここまで紫式部は彼女を虚仮にしなければならなかったのだろうか、それは分からない。紫式部に末摘花のような女性に対する前世からの怨念があったとしか考えられない。

  しかも、源氏に添えた手紙のひどさと言ったらない。「陸奥紙で少し年経て黄ばみたる」はまだ許せるが、その文面と添えた歌がこうなのである。
  『いでや、たまうたるは、なかなかにこそ
  着てみればうらみられけり唐衣返しやりてん袖を濡らして』
  「いでや・・なかなかにこそ」が難しいが、「あなた様から衣を頂きましたが、頂いたことがかえって・・」という意味で、「かえって」以降が歌の内容に書かれていることである。彼女が言いたいのは、おそらく「衣は届けていただきはしましたが、あなたのお出ではさっぱりないではありませんか」という不満であろう。
歌の意味は
  「着てみればかえって恨めしく思われてなりません。いっそのこと返してしまいたいほどです、涙で袖をぐっしょり濡らして」
ということになる。私たちの「源氏物語を読む会」では、私がほとんど解説もしないのに、一斉に「なんとひどい歌!」という感想が漏れた。また「でも源氏が悪いんでしょ」と言う声も漏れた。源氏が悪いのではない、ここまで徹底して末摘花をいびろうとしている作者が悪い。
  ところでこの歌には「縁語」が五か所と掛詞が一か所も使われている。着る、かえす(裏返す)、唐衣、うら(衣の裏)、袖は、みな衣の縁語。さらに「うら」が、衣の裏と怨むの掛詞。要は修辞のオンパレードで、これは紫式部が一番評価する点ではなかったのか。なぜなら玉鬘が歌の中に三か所も掛詞を使っていることをあれほど高く評価していたではないか。この点で末摘花も評価されよいはずである。しかしそんなことには素知らぬ顔をしている。

  それにしても、いくら源氏が二条東院に通ってこないからといっても、日ごろ生活上の世話は滞りなくしているのだし、生きていくに困ることなど一つもない。没落貴族の末摘花にとってこれほどありがたいことはない。そもそも源氏の情愛など疾うになくなっているのだし、それは彼女自身が一番知っていることである。それなのに通いがないからと言って
  「袖を涙で濡らして返してしまいたい!」
はないであろう。
 
  この後、紫上に向かって源氏の嫌味な末摘花いびりが混々と続く。まず
  『いと恥づかしき君なり』
で始まり、なんと二ページにわたるのである。しかも小難しい理論の展開で、聞いている紫上も相当尻がむずむずしてきて「いい加減にして!」と思いながら聞いていたのではないだろうか。
  もちろん源氏が語っているのではない。紫式部が自己の考えを源氏を通して開陳しているのである。
「末摘花」に関する話は確かに面白いかもしれない。しかし作者の勇み足で、何度も読んできた私には、暗く重い気持ちを強いるものでしかない。源氏物語の唯一の汚点は末摘花いびりにある。

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衣の裾をひき鳴らす 

源氏物語

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「衣の裾をひきならす」考   源氏物語たより680

 源氏物語には「衣の裾をひき(ならす)」という場面が何ケ所かに出て来る。そのうちの『乙女』の巻に出て来る「衣をひきならす」情況が極めて分りにくい。

雲居雁との関係がうまく進展しないことを嘆いた夕霧は、気晴らしにと、帝が舞姫をご覧になる前の予行練習が二条院で行われるというので、見に出かける。舞姫はみなにかしずかれながら、西の対の妻戸の所に屏風を立てて仮の休息所にし、そこに休んでいた。夕霧が、やおらそばに寄って行って覗いてみると、舞姫はものに寄り掛かって臥している。暗いのでよくは分からないものの、彼女の容態は雲居雁に勝ってさえ見える。この舞姫に心が移ったというわけではないが、じっとしていられなくなり
『衣の裾をひきならし給ふに、(舞姫は)何心もなくあやし』
と思ふのであった。
 
  この場面で二つの疑問が出てくる。一つは夕霧は何処にいるのかということ、もう一つはこの衣の裾とは誰の衣かということである。
  先ず前者について考えてみよう。夕霧のいる場所として考えられるのが二つある。一つは廂の間に上がっているということ、もう一つは簀子の下にいるということ。
  彼は、舞姫のそばに寄って屏風の中を覗いているのだから、前者と考えた方が妥当のような気もする。暗い中とはいえ舞姫の容姿まで確認しているわけであるから、遠い所にいたのではこれは不可能である。
  しかし、彼が廂の間に上がることなどできるのだろうか。なぜなら二条院の西の対は、光源氏と紫上の住まいなのである。源氏は、夕霧が紫上に近づかないよう万全の用心をしている。そんなに厳しい警戒をしている西の対の廂に、いくら舞姫の練習のためにごたごたしているとはいえ、夕霧が紫上に遭遇してしまうような危険な状況を源氏が作り出すはずはない。
  そもそも夕霧は、生涯でたった二度しか紫上を見ていないのである。一度目は野分の日に、西の対に野分(嵐)見舞いに行った時に、偶然紫上を垣間見たこと、二度目は、彼女の死顔である。それも紫上の死によって源氏が茫然自失していたから可能だったのである。源氏は自分の経験から、夕霧を紫上に近づけないよう最大の配慮をしていた。それほどに源氏は厳戒態勢を敷いていたのである。夕霧が廂に上がっているなど考えようがない。
  それでは彼は簀子の下、つまり庭に立っていたのだろうか。これもどうも考えにくい状況である。庭から、狭い妻戸の中にいる、しかも屏風で囲われた舞姫が見えるとは到底思えないからである。
  どちらも無理な場面設定と言わなければならい。あるいは当時の風俗習慣が分からない我々の責任なのかもしれない。

  それでは一旦この問題は置いておき、
  「衣の裾をひきならす」
問題に移ろう。
  さて、この衣の裾とは誰のものであろうか、これもまた難しい問題である。しかも「ならす」とは「鳴らす」なのか「馴らす」なのかの問題もある。一応ここでは「鳴らす」と解釈しておくが、岩波書店の「日本古典文学大系」では、こと面倒と見たのであろう、この「ならす」を「馴らす」としてしまっている。つまり「舞姫の衣の裾を引いて自分(夕霧)に馴れる様になさる」と言うのだ。「自分に強引に馴れ親しませる」というのだが、あまりに無理な解釈ではなかろうか。あるいは「自分に関心を向けさせる」という意味なのかもしれないが。

  もし舞姫の衣の裾を引き鳴らしたのだとすれば、彼は廂に上がっていなければならないことになる。しかしこれは先ほどのことから考えても、あり得ない行為と言えよう。それに屏風の中に手を入れて、みなにかしずかれている舞姫の衣を引っ張ることなどできるとは思えない。
  もう一つ考えられるのは夕霧自身の衣の裾ということである。この場合は廂でも簀子の下でも可能である。ただざわざわしている中で簀子の下で衣の裾を鳴らしても、廂にいる舞姫に聞こえるとは思えない。この点の捉え方は諸本によって異なっている。恐らく夕霧が廂に上がることが可能かの問題を考慮したために、それぞればらばらな解釈になってしまったのであろう。
  では彼はどのようにして衣の裾をひきならしたのであろうか。恐らく裾をぴんと引っ張って音を立てたということであろう。夕霧が着ている衣は当然絹であろう。木綿ならごわごわと大きな音を出すかもしれないが、絹では引っ張ったくらいではそんな音がでるとは思えない。この点でも疑問が出て来る。
  いずれにしても舞姫はその音に気付いて
  「あやし」
と思ったという。
  この後、夕霧は彼女に歌を詠み掛けている。それは
  「私はあなたがすっかり気に入ってしまっていて、既にあなたを「私の物」と決めてしまっているということを決して忘れることのないように」
という随分不躾な身勝手な内容である。さすがに彼女は、誰とも分からず変な男が歌を詠み掛けてきたと気味悪く思う。と、ちょうど介添えの人たちがやって来て、周囲がざわついてしまい、事はそのままで終わってしまう。

  それではここで他の場面の「衣の裾をひき(ならす)」を見てみよう。
  『賢木』の巻で、源氏は藤壺宮に突然迫って行って
  『やをら御几帳の内にかかづらひ入りて、御衣の端をひき鳴らし給ふ』
のである。この場合は「音がするか否か」は問題にならない。なぜなら宮の袖の端を直接引っ張ったのだから、音と関係なしに体で感じ取れるからである。
  もう一つは『藤袴』の巻である。ここにも夕霧が登場する。玉鬘に懸想した夕霧は、蘭の花を彼女に手渡そうと、御簾の間からその花をさし入れる。する、不用意に手を出した玉鬘のと
  『御袖をひき動かしたり』
という狼藉をする。これには「ならす」はないのだが、情況は同じようなものである。
 この二つの例はともに、男は女のごく近くにいる。したがって「音」とは関係なしの行為といえる。

  この二つの例から分かってくることは、「衣の裾を引き(ならす)」ためには、男と女の距離があまりあってはならないということである。とすれば、夕霧は、やはり廂の間に上がってしまっているということと考えざるを得ない。もしそうだとすれば、作者は、先の源氏の厳戒態勢を無視して物語を進めたとしか考えられない。
  ただ、「まめ人」という評判をとっている夕霧の人となりも、もう一度考え直さなければかもしれない。というのは、舞姫に不躾で身勝手な歌を詠み掛けたり、『藤袴』の巻で玉鬘へ狼藉をしたりするのを見ると、「まめ人」の評判も、随分疑わしいということになる。やはり彼は源氏の血を引いているのかもしれない。とすれば、予行演習のどさくさに紛れて、彼は廂の間にちゃっかり上り込んでいたと取ってもよくなってきそうである。
  文章が堂々巡りをしてしまって、明確な結論も出せないままで終わってしまったが、それも読者を悩まし疲れさせる夕霧(作者)のせいにしておこう。

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