源氏物語便り

心揺するもの 日本の心 源氏物語語り

宿曜の占いは  源氏物語たより660 

源氏物語

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     宿曜の占いは  源氏物語たより660

  光源氏が、明石から京に帰還したその翌年の二月、朱雀院は、母・大后の驚きや反対をも無視して譲位した。新しく帝位についたのが冷泉帝である。もちろん源氏と藤壺宮の間の秘密の子で、そのことを知る者は誰もいない。
  時をほぼ同じくして(同年五月)、明石君に女の子が生まれる。
  宿曜が、源氏に対してこんな予言をしていた。
  『御子三人。帝・后、必ず並びて生まれ給ふべし。中の劣りは太政大臣にて位をきはむべし』
  この予言がいつごろのものであるかは、物語上だけでははっきり掴めないが、随分以前のことであろう。宿曜とは、インドに発したもので、星の運行と人の運命を結び付けて吉凶を占うものである。
  いずれにしても、明石姫君の誕生によって、宿曜の予言のうち、「御子三人」と「帝の誕生」という二つの予言は的中したことになる。「中の劣り」とは、三人の中で最も貧乏くじを引いた子ということで、葵上と源氏との間の子である夕霧を指している。「劣りの子」でも「太政大臣として最高の位に就くだろう」というのだから随分贅沢な話である。
  しかし、考えてみれば、夕霧の場合は、父が一世源氏であるし、祖父が太政大臣であるのだから、宿曜の予言を待つまでもなく、相当の不出来な人物でない限り太政大臣になるのは元々敷設されていたコースのようなものである。
  また、冷泉帝も、表面的には故桐壷院と藤壺宮の子であるし、院からあれほどきつく朱雀帝に遺言されていたのだから、帝にならない方がむしろ不自然で、これも宿曜の予言とは関係なく帝位に就いてしかるべき筋の上に物語は展開してきている。

  問題は、明石姫君が「后」になれるかどうかである。これはいささか難しい。いくら父が一世源氏であっても、母(明石君)の身分が低すぎる。彼女の父入道は、もと受領であったにすぎず、しかも京にも戻らず明石に逼塞している。そんな偏屈な親の元で片田舎に育ったような娘や孫では、京の誰からも相手にされない。
  平安時代を築いた桓武天皇から、紫式部が生きたであろう後一条天皇までの十九代の天皇の生母を見てみても、ほとんど藤原氏に独占されていて、その大半が后(または皇太后か贈皇太后)である。明石姫君レベルの者は一人もいない。
  わずかに桓武天皇(生母 高野新笠)と仁明天皇(同 橘嘉智子)と宇多天皇(同 班子女王)だけである。桓武天皇の生母・高野新笠は渡来系で、
  「山辺王(桓武天皇のこと)に天皇の席が回ってくる公算はまずありえないと言ってよかろう。ところが隠されたシナリオには、まったく別の筋書きが用意されていたのである。 ~秋田書房『歴史と旅』~」
とある。つまり偶然の成り行きと陰謀というシナリオによって、天皇の位が転がり込んできたということである。仁明天皇の橘嘉智子の「橘」は、古代の名門であり、宇多天皇の班子は女王なのでいささかの問題もない。文徳天皇の生母だけが、藤原氏ではあるが女御の身分で終わっている。
  いずれにしても、明石姫君が后や皇太后になる可能性は極めて低い。いやありえないと言った方が当たっている。女御で終わるのが関の山であろう。
  したがって、読者は先に述べたように歴史に真実にしたがって、
  「受領の孫に過ぎない娘が、后になるなどということはあり得ないこと」
という批判を持ちながら、物語を読んで行ったはずである。

  作者にはそういう批判に応えなければならない責務が生まれた。
  その一つが、当時の人々の生活に深く浸透していた人知を超えた力の利用である。
  神霊や宿耀の占いなどを彼らは本気で信じていた。そのために神社などをしばしば詣で、占いなどを盛んに行った。夢占いをはじめ、辻占(四辻に立って、初めて通った人の言葉で吉凶を占う)や足占(あうら 歩きながら一歩一歩吉凶の言葉を唱え、ある地点に達した時の言葉で吉凶を占う)」などという、現代の我々からすれば噴飯ものの占いまで数多く出てくるが、彼らはそれを心から信じていたが故である。まして権威高い宿曜の占いなどはおろそかに考える者などいなかった。それらは古代人の生活に重要な位置を占めていたのだ。
  紫式部はこの習俗・習慣を活用し、読者を納得させようとした。この場面に住吉の神などが出てくるのもその一つである。彼らは
  「神霊や宿曜の占いでは、物語がそれに沿って展開していくのも当然のこと」
という思いで読んでいったのであろう。

  ただもちろんのこと、紫式部自身はそんなことは信じていない。とにかく尊い僧侶をも学識豊かな学者をも信じていない彼女のことである。時には彼らを愚弄さえするという人物なのだ。現実に即さないことや論理に反することは許さない冷めた人物であった。その点で、紫式部という女性は時代を超越していたと言える。
  先の場面に、源氏に、大勢の相人などが占ったことに対して、
  『年ごろは世のわずらはしさに、みなおぼし消ちつるを』
と言わせている。「自分が最高の位に就くなどということになれば世間がうるさいので、みな占いなどを否定していた」というのだが、これは裏返せば、占いなど本心からは信じていなかったということであり、それはまた作者の考え方に通じていく。
  ただ、「御子」が現実に即位したことで、
  『相人のこと、むなしからず(嘘ではなかった)』
と源氏に言わしめているが、作者は現実的であり冷静沈着である。
 
  読者の中には、宿曜の占いや神霊を素直に信じていた者がいる一方、紫式部のように論理を大切にする冷めた読者もいたはずである。作者にはその両者を納得させなければならない務めがある。不可能な「明石姫君立后」の実現のために、その母・明石君を必要以上に褒めあげたり、また明石君から姫君を取り上げて王孫である紫上の養女にしたりしたのも、みな明石姫君を「后」に値する女性であると読者に印象付けるための箔付け作業だったのである。
  一方で摩訶不思議な力を持ち出し、一方で現実事象を積み上げていく、という作者の必死の創作姿勢を、ここに垣間見ることができる。

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明石入道の狼狽ぶり  源氏物語たより659 

源氏物語

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     明石入道の狼狽ぶり   源氏物語たより659

  朱雀帝は、自分や母・大后の病気などが重なって、譲位のことを考え始める。ところが、譲位すべき春宮には、光源氏以外これといった後見人がいない。そこで、源氏を都に呼び戻すべく決意し、ついにその宣旨が七月二十日あまりに下される。明石に流れて来てから一年四カ月ほど、源氏二十八歳の時である。
  源氏にとっては待ちに待った帰還であるから、嬉しいはずなのだが、いざこの明石の浦を離れるとなると、一抹の嘆きも加わってくる。
  一方、明石入道も自分の娘婿が念願かなって帰京するのだから、大変な慶事で喜ばしい限りなのだが、源氏帰京の報に接するなり、
  『胸うちふたがりて』
しまう。
  いずれも明石君にかかわることでの嘆きである。源氏は、愛する明石君をここに残して行かなければならないことが気がかりでならないし、入道は入道で、源氏が果たして娘を迎えに来てくれるものかどうか、それを思うと居ても立ってもいられなくなるのだ。それでも気丈に
  『思いのごと、(源氏様が)栄え給はばこそ、我が思ひの叶ふにはあらめ』
と思い直しはする。
 
  しかも、そんな時も時、明石君に妊娠のきざしが見える。

  八月になり源氏は明石を去って行く。
  愛する人と別れなければならない明石君にとっての嘆きは一通りではない。
   『(源氏さまが自分を)うち捨て給へる恨みのやる方なきに、面影そひて、忘れがたきに、たけきこととは涙に沈めり』
という具合で、精一杯できることといえば涙に沈むくらいしかない。母もまた
   「どうしてあんなひね曲がった夫の言うことに従ってしまったのか」
と思うと不平を言わないではいられない。入道は、そういう妻と娘を叱りつける。
   『あなかまや。おぼし捨つまじきこともものし給ふめれば、さりともおぼすところあらむ。思ひ慰めて御湯などだにまゐれ。あなゆゆしや』
  少し難しい言葉があるので、細かに見ておこう。
  まず「あなかまや」とは、「うるさい、お黙りなさい」ということ。
  「おぼし捨つまじきこと」とは、娘が妊娠しているので源氏様が娘を捨てるようなことはあるまい、ということ。
  「さりとも」とは、古語によく出て来る言葉で「いくらなんでも」ということ。
  「おぼすところ」とは、源氏さまには好いお考があられよう、ということ。
  「御湯などまゐれ」とは、お前は妊娠中なのだから薬でも飲みなさい、ということ。
  妻と娘に対して大層ものの分かった賢明な説得である。
 
  ところが次がいけない。
  『いとど呆けられて、昼は日一日、寝(い)をのみ寝暮らして、夜はすくよかに起きゐて、「数珠の行方も知らずなりにけり」とて、手をおし摺りて(天を)仰ぎ居たり。弟子どもにあばめられて、月夜には出でて、行道するものは、遣水に倒れ入りにけり。よしある岩の片側(かたそば)に、腰もつきそこなひて、病み臥したるほどになむ、少しもの紛れける』
  娘や妻にはあんなに分かったように賢明な説得をしたというのに、自分の方が更に呆けてしまっていた。源氏の帰京が、妻と娘以上に彼にとってはショックだったのだろう。
  この場面は、林望氏(祥伝社『謹訳源氏物語』)が、入道の姿を生き生きと写し取り、見事に意訳しているので、そちらを拝借しておこう。
  「昼は日がな一日寝ていて、夜になるとすっくと起き上がっては、『数珠が行方知れずになった』などとたわけたことを言いながら、空に向かって手を合わせているというようなていたらくであった。これには弟子どもにさえ馬鹿にされる始末で、かくてはならじと一念発起して月夜に庭に出て念仏修行でもしようかと思ったとたんに、遣水のなかにひっくり返ってしまった。風流な庭石がそこらにあったので、あいにくとその岩角に腰をぶつけて怪我までしでかす始末、とうとう病み臥せてしまったが、こうなってはじめて、痛いやら苦しいやらで、心の悲しみも多少は紛れたという次第であった」
  僧だというのに、夜行をするのに数珠の行方が分からぬと言ったり、行道するのは殊勝なのだが、遣水に落ち込んでしまったり、しかも岩角に腰をぶっつけて病み込んでしまったりするとは、何ともあさましい限りの惨状である。

  ここにいくつかの皮肉な笑いが配されている。「岩」ですむところを「よしある岩」とわざわざ断っている。「よしある」とは、曰く因縁のある風流なという意味である。入道が財に任せて風情ある庭石を配していたのだろうが、その岩に腰をぶつけるというのだから、ご丁寧な皮肉である。
  ところが、その「よしある岩」にぶつけた腰の痛さゆえに、源氏が娘を置き去りにして行った嘆きや悲しみを忘れることができたというのだから、これまた随分な皮肉である。
  深刻な場面にさりげなく皮肉な笑いを配するのは、紫式部の得意である。入道が娘の将来に関して嘆き悲しんでいるというのに、それを外から見ていてくすりと笑っているのだから、人が悪い。でも末摘花にしたような嘲笑や悪意は、ここでは一切感じ取ることができない。むしろ入道を可哀そうと思いながらも、その狼狽ぶりを好意と少々の可笑しみをもって見ていられる。

  さて、三人三様の悲嘆や不安あるいは懐疑は理解するに余りあるものがある。源氏が果たして明石君を迎えに来てくれるかどうかは全く未知数なのだから。田舎の娘が、都からきた男にしばしば弄ばれ欺かれ、捨てられる例は多かったはずである。まして源氏は、天皇の子である。一介の受領に過ぎないその娘を捨てずに都に迎え入れるなど、考えてみればむしろ奇跡に近いことだ。
源氏という男は、一度関係した女を捨てることがないという殊勝な特性を知っているのは読者だけで、明石一族にとっては関知しないこと、捨てられるであろう不安はいや増すばかりであったろう。

  それにしても源氏はなぜ明石君を京に帯同しなかったのだろうか。彼女とのことは、紫上にはそれとなく知らせてあることだから、そちらの心配は薄い。それでは世間へのこだわりだろうか。流謫の身でいた者が「女ずれで・・」という非難を憚ったのだろうか。そしてそれらの非難・中傷が収まった頃に、都に呼び寄せようというさもしい魂胆でもあったのだろうか。
  その後、足掛け四年にわたって彼は明石君母子を明石に放っておく。彼女自身が上京を躊躇っていたことも事実のようではあるが、源氏にも本気で引き取る気はなかったこともまた事実と言わざるを得ない。明石君を
  「六条御息所に似ている」
  『たをやぎたるけはひ(しとやかな容姿)、親王たちといはむに足りぬべし』
とまで執拗なほどに明石君を褒めちぎってきたのは何のためだったか。将来生まれ出る姫君が「后がね」であることを計算していたからではなかったのか。将来の后ともあろう者の母親が、田舎生まれの田舎育ちでは問題にならない。ましてその姫君が母と同じ状況で育ったのでは、とても宮廷で交わっていくことはできない。
  だとすれば一刻も早く明石君母子を呼び寄せるのが、源氏としての最大にして絶対の責務ではなかったのだろうか。少なくとも姫君が一歳の時には引き取るべきであった。
  『思ひ捨てがたきすぢ(妊娠)もあめれば、いまいと疾く見直し給ひてむ。ただこの(明石の)住処こそ見捨てがたけれ』
と入道に言って出てきているのだから。「たとえ私が都に去ってしまったとしても、必ず母子を迎えるであろう。そのことはすぐに納得できるはずです、安心して下さい」ということだ。にもかかわらず、源氏が、明石君と姫に対面するまでには、四年もの年月を要することとなってしまった。
  入道の心配は現実になった。あの狼狽ぶりは杞憂からのものではなかったのだ。この四年間の入道一家の不安、焦燥、疑惑は想像するに余りある。もちろん源氏は手紙のやり取りは欠かすことなく、また姫の五十日(いか)の祝いなどは忘れることなく礼を尽くしてはいる。しかしだからと言って、それで安心できるというものではない。

  あの状況では、その後も、入道は何度も「よしある岩」に腰をぶつけたり、遣水に落ち込んだりしていたのではなかろうか。

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あいなきこだわり  源氏物語たより658 

源氏物語

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     あいなきこだわり   源氏物語たより658

  『御文、いと忍びてぞ今日はある。あいなき御心の鬼なりや』
  「御文」とは、光源氏から明石君へ当てた後朝の手紙のことである。実は昨夜は、二人の間で初めて契りが交わされた、いわゆる初夜であった。三月(十三日頃)に須磨から明石に移って来て、昨夜が八月十三日。明石入道が何とか源氏と娘を結び付けようと、あれほど必死になっていたにもかかわらず、これだけの期間を要したことになる。別の観点から言えば、この五カ月の間、源氏は女とは一切関係を持たずに過ごしてきたということで、これは「光源氏」とすればまことに珍しい現象である。
  いずれにしても、源氏にとっては久しぶりの女ということで嬉しい限りで、通常であれば堂々と手紙を出すはずなのだが、今回ばかりはそれができなかった。なぜなら、源氏にとって、明石君との交接は「あいなき心の鬼(良心の呵責)」に触れるからである。
  「あいなし」とは、「どうでもいい」とか「余計な」という意味で、「別にそんなに良心に咎めることもあるまいに」ということなのだが、源氏にとっては、とても「どうでもいい」ことでも「余計な」ことでもなかった。彼には、このことを公にできない理由があった。

  一つは、紫上への遠慮である。須磨への退去に際して、こんな歌を残している。
  『身はかくてさすらへぬとも 君が辺り去らぬ鏡の影は離れじ』
  「どんなに遠くさすらえようとも、あなたのそばを離れることなど絶対にありません」という意味で、言い換えれば「どんなことがあろうとも、他の女に心を移すようなことはありません」という固い誓いでもある。にもかかわらず、流謫先で、愛人ができてしまったでは済まされない。それが彼の「心に鬼」になっていて、初夜の翌朝の後朝の文だというのに、「いと忍びて」贈るしかなかったのだ。
二つ目は、世間への配慮である。特にこんなことが弘徽殿女御の耳にでも入ったら、大ごとになる。それでなくとも須磨にわび住まいしていた時ですら、
  「源氏の流謫生活は派手すぎるし豪奢すぎるではないか。公の咎めを受けた者のすることではない」
とひどく怒っていた。もし「愛人」まで作って、流謫先でのうのうと生活をしているという噂が入れば、彼女の怒髪は天を突くことであろう。
  したがって、彼が「忍びて」後朝の文を贈ったのは、決して杞憂からではなかったのである。

  ともあれ、これで入道の宿願がかなったのだから、彼としても大喜びであったはずだが、やはり源氏の思いは、入道としても斟酌しなければならない。そこで、源氏の後朝の手紙を届けて来た使者を歓待したい気持ちを抑え込まなければならず、
  『かかることいかで漏らさじとつつみて、御使いことごとしうも、もてなさぬを胸痛く思』
うしかなかった。源氏から娘に初めて手紙が贈られて来た時にさえ、彼は
 『御使い、いと眩きまで酔は(せ)』
ている。ところが、今回は、宿願どおりの娘の結婚であるにもかかわらず、「かかることいかで漏らさじと」内緒にしなければならなかったことは、いかに無念な思いであったか、推して知るべしである。
  特に彼は、三日夜の「所顕し(結婚式の披露宴のようなもの)」は盛大に行いたかったのではなかろうか。自分の娘が、今は罪びととはいえ、近衛中将であった貴族中の貴族・光源氏と結婚できたのであるし、これにより彼の長年の宿望が成就したのだから、いかに豪勢な披露宴を開こうが、満足できものではなかったはずだ。
 
  さて、源氏にとって初夜の明石君の印象は
  『伊勢の御息所にいとようおぼえたり』
であった。「伊勢の御息所」とは、もちろん六条御息所のことで、彼女は、故春宮の妃であった。家柄といい趣味・教養といい気品といい、当代随一の女性である。それに似ているというのだから、いかに明石君を高く評価したか推測するにやぶさかではない。しかもその夜を
  『常は(秋ということで)いとはしき夜の長さも、とく明けぬる心地すれば』
と感じている。彼の心は完璧に明石君に移ったのだ。
  ところが、彼の「あいなき心の鬼」は相変わらず消えない。それからというものは
  『忍びつつ、時々(明石君の所に)おはす』
程度になってしまったのである。「時々」とは、この場合は「ほんの時たま」ということになろう。恋しい気持ちをじっと我慢したのだ。これが明石君を嘆かせることになる。「やはり捨てられるのか」と。

  それも紫上がこの噂を聞くことを怖れたことが最大の理由である。彼は、噂が紫上の耳に入るのを怖れ、先手を打って訳のわからない弁解の手紙を紫上に送っている。
   『またあやしうものはかなき夢をこそ見はべりしか』
と、「夢」にしてしまった。これでは鈍い者には、彼が何を言いたいのかまた何事があったのか理解できない。しかし、鋭い紫上には、「また」という言葉だけで、ピンとくるのだ。「またあの人は悪い女癖が出て・・」。
  それにしてもよくここまでこと細かに源氏の心のひだひだを描写したものである。女性作家にしかできない芸当と言っていいかもしれない。

  いずれにしても、この源氏の「あいなき心の鬼」が細心の配慮を生み、それが後には彼に絶大な権勢と、明石一族には最高の家運をもたらすことになる。したがって、「心の鬼」は、決して「あいなき」ものではなく、重大な意味を持っていたということになるのである。

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歌で綴る淡路島  源氏物語たより657 

源氏物語

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     歌で綴る淡路島    源氏物語たより657

  「淡路島」と聞いただけで、既にそこには情趣纏綿(てんめん)たる響きが醸し出されてくる。それはこの島の置かれている地理的位置と「淡路島」という地名の持っている語感によっているものと思われる。  
  淡路島は、瀬戸内海最大の島であるということだけでなく、明石海峡を隔てて兵庫県と、紀淡海峡を隔てて和歌山県と、そして鳴門海峡を隔てて徳島県と、それぞれ指呼の間に位置する。当然のことながら、古来、交通の要衝の地になって来た。筑紫に行くにも土佐や伊予に行くにも、舟人はみなこの島を仰ぎ見ながら旅を重ねた。万葉集の柿本人麿の羈旅歌
  『天ざかる鄙(ひな)の長路(ながぢ)ゆ恋ひ来れば 明石の門(と)より大和(やまと)島見ゆ』
も、明石海峡を通って大和に向かう時のものである。 
  (都を離れた遠い果てからの長い道のりを恋しく思いながらやって来ると、明石の海峡から大和故郷が見えることだ。 桜井満訳注『万葉集』 旺文社文庫)
  この海峡は、都を去る者にとっても都に帰る者にとっても、思い万感の地であった。

  また、この島が、記紀に記されているように、日本の八つの島のうち最初に生まれたという神話も、我々に何か他の島とは違う印象を与える。イザナギ・イザナミに関わる島(おのごろ島)や、その島にある平清盛創建の絵島大明神、あるいは源義経と静御前の墓と言われる史跡など歴史にも富んだ島である。百人一首にある藤原定家の
  『来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身も焦れつつ』
の「松帆の浦」も、淡路島北端にある浦で歌枕にもなっている。松帆の浦で藻塩を焼くように、身も焦れる程に慕い続ける恋の焦燥を詠ったものである。

  さらに「淡路島」の「あわ」が、「淡い」あるいは「あはれ」に通じ、何か人の心を感傷的にする響きを持っているのも独特である。その意味を持った古歌も多く詠われている。同じく百人一首にもある源兼昌の歌
  『淡路島かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守』
  (海の彼方の淡路島から 千鳥は波の上を通ってくる 友を呼んで鳴き交わしつつ・・そのさびしい鳴き声に きみよ 須磨の関守のきみは 幾夜 眠りを覚まされて 物思いにしずんだことであろう  『田辺聖子の百人一首』 角川書店)
  歌の心は、須磨の関守のもの思いを詠ったものではない。作者が関守になりきって、淡路島と千鳥の鳴き声と須磨の寂しさ・侘しさを詠っているのである。後に述べることになるが、この歌は源氏物語の『須磨』『明石』の巻を念頭に置いて作られたものである。
  今でこそ、淡路島は
  「一年を通じて気候は温暖で、春は一月中旬の水仙郷の開花とともにやって来る。ビワ狩り、ミカン狩り、豊富な海の幸が楽しめ、夏は全島が海水浴場となって家族づれで大にぎわい。 『NEWブルーガイドブック』実業之日本社」
という情況なのだが、昔は、賑わいよりも侘しさを誘い人の心をしみじみと打つ島であった。

  まして不如意な情況のもとにあって、須磨や明石に仮寓を余儀なくされ、この島を眺める者にとっては、「淡路島」と聞いただけで肺腑をえぐられる思いがしたことであろう。
光源氏はまさにそういう感慨を持ってこの島を眺めた。
  過酷な須磨での一年間の生活から逃れて、明石にやって来た源氏は、目の前の瀬戸の海を見るにつけ、その景色が住みなれた京の庭に見間違えられる。と、都のことがこの上もなく恋しく思い出され
  『行くへなき心地し給ふ』
のである。「行く方も知らぬ旅の空にいる心地がして」という意味で、これからどうなるのかもしれず、将来への暗澹たる思いはいや増す。
  そんな感慨に浸っている時に、
  『目の前に見やらるるは、淡路島』
なのである。自然に凡河内躬恒の歌が思い起こされる。
  『淡路にて あはと遥かに見し月の 近き今宵は所がらかも』
  躬恒は、淡路の掾(じょう 律令制の三等官)として淡路の国にいた。その躬恒が、帰京し明るい月を仰いで見ると、淡路で遥かに見た月とは違って、京の月のなんと素晴らしく見えることか、やはり「京は良いところ」という思いがしみじみ実感できる、という感懐である。彼は、淡路の掾という役人として赴いていたのだから、四年すれば帰京できる。したがって、在任中もさしたる苦しさや侘しさはなかったはずなのだが、それでもやはり京に比べられるものはないと言う。

  源氏は、自ら退去したとはいえ、罪を得て須磨に流れてきたことに違いはない。そして、京からさらに離れた明石にたどり着いた。これから何年ここでわび住まいをしなければならないのか、いや帰京することさえ定かではない。
  そんな身にとっては、海上にどんなに澄み渡って照っていようとも、淡路の月は悲しみを催す月でしかない。彼は思わず歌を口ずさむ。
  『あはと見る淡路の島のあはれさへ 残るくまなく澄める夜の月』
  (あれは淡路島か、あわれと昔の人の眺めた島の風情まで、私の望郷の想いに重ねて残る隈なく照らしている澄み渡った今宵の月よ  瀬戸内寂聴訳『源氏物語』 講談社)
  「昔の人」とはもちろん躬恒のことである。しかし、躬恒があの歌を詠んだのは京の地である。それに比べて自分は、京からこんな遥かな地にいつまでいることになるのか。そんなやるせない我が姿を、今宵の月がすべて映し出している。
  先の源兼昌の歌にもう一度戻ってみよう。兼昌は、源氏の身になって、あの名歌を創作した。源氏はまさに須磨の関守なのである。あわあわとした海上の淡路島を眺め、寂しい千鳥の声を聞き、澄みきって照り輝く月を見ては、これから幾夜、寝覚めの床を味わうことになるのだろうか、そんな源氏の苦衷に兼昌は自分の思いを重ねた。

  最後に、万葉集の二つの歌と詠み人知らずの古今集の歌一首および狂歌一首。
  『淡路島 門(と)渡る船の楫(かじ)間にも 我は忘れず 家をしぞ思ふ』
  (淡路島の海峡を渡る船の楫を漕ぐ少しの絶え間も、私は忘れずに家のことを思っている。 桜井満訳注『万葉集』 旺文社文庫)
  『淡路の野島の崎の浜風に 妹が結びし紐吹きかへす』
  (淡路の野島の崎を吹く浜風に、妻が結んでくれた紐がひるがえっていることだ。なお、「紐」は 男女が互いに相手の衣の紐を結び、そこに魂を結び籠めて、再び会う日までは解かないという風習があった(ことから詠まれている。 以上、旺文社文庫)
  この万葉集の二首、いずれも京を離れた男の、家を思い妻を偲ぶ歌である。

  『ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく船をしぞ思ふ』
  (ほのぼのと明けてゆく明石の浦の朝霧のなか、島陰に姿を消してゆく船を見ていると、しみじみと旅の心が感じられる。 奥村恒哉校注『古今和歌集』 新潮社)
  恐らく明石の陸地から見た海峡の光景であろう、純粋な爽やかな叙景歌である。「ほのぼのと」という語感から受ける印象は明るい感じではあるが、まだ開け初めたばかりの明石の浦に懸かる霧はうっすらと棚引いていたはずである。その霧にぼんやり隠れる島、そこに一艘の船が自らの姿を隠すように消えていく、という光景は、やはり何か寂しくしみじみとした情感を内包する。

  『ゆきかへり友呼びかはしなき上戸 顔も明石の浦千鳥足』
  江戸時代にも、明石といえば千鳥が有名であった。その縁語として、千鳥足、顔もあかし、なき(鳴き)上戸を引き出している。また、友呼ぶ、なく、明石の浦もみな千鳥の縁語で構成してあり巧みである。
  源氏が、供人たちと須磨のわび住まいを嘆きあっていたその夜ふけ、なかなか眠れず一人涙していると、千鳥が大層あはれに鳴き交わしているのが聞こえてきた。彼は独り言のように歌を吟じる。
  『とも千鳥 もろごえに鳴くあかつきは ひとり寝ざめの床もたのもし』
  千鳥が群れて鳴いているのさえ頼もしく聞こえてくる、という絶望的な歌である。
  「ゆきかへり友呼びかへし」の狂歌師は、源氏のこの歌と、先の兼昌の「淡路島かよふ千鳥の鳴く声に」を下地にして作ったものであろう。しかし「友を呼びかわし酒を交わして、泣き上戸となり、顔は真っ赤で千鳥足」というのでは、源氏にも兼昌にもすまないし、どう弁解しようがあかしは立てられない。

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入道の必死と明石君の冷静 源氏物語たより656 

源氏物語

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     入道の必死と明石君の冷静   源氏物語たより656

  近衛の中将である光源氏が、京を退去したニュースは、世の中を騒がした大事件であったことだろう。歴史上有名な右大臣・菅原道真や左大臣・源高明の大宰府配流に匹敵する事件と言っていいかもしれない。都の人々はもとより、都以外の人々も強い関心を寄せたに違いない。
  まして、源氏が流れて行った須磨のすぐ隣・明石に住む明石入道にとっては人ごとではなかった。彼は早速妻にこう言い聞かせている。
  『桐壷更衣の御腹の源氏の光君こそ、おほやけの御かしこまり(咎め)にて、須磨の浦にものし給ふなれ。吾子の御宿世にて、おぼえぬことあるなり。いかでかかるついでに(吾子を)この君にたてまつらん』
  「おぼえぬこと」とは、「考えられもしないこと」ということで、源氏の須磨配流は娘の宿命に関わることと考えたのである。「吾子」とは明石君のことで、ずっと後に分かるのだが、入道は、明石君が生まれた時から、考えられもしないような壮大な野望を持っていた。
  入道の話を聞いた妻は、あまりに突飛な話ゆえ、呆れかえって腹を立ててしまう。彼女はこう言って入道の不見識をなじる。
  「そもそも源氏さまは、都に尊い女性方を大勢お持ちになっているのですよ。明石くんだりの山賤(やまがつ)娘など、相手になさるはずはないに決まっているでしょうに」
  しかしそんな妻の指摘はものともせず、妻を一喝する。彼はいつも内心ではこう思っていたのである。
  「娘は、心優しく、そして品もあり人柄も、いかに優れた人物であることか。それは都の高貴な女性方になんら劣るものではない。とにもかくにも娘の幸せを第一に考えなければならない」
  このような思いのもとに、彼は、毎年、春・秋の二度、娘を住吉に詣でさせている。

  望外な思いを持った入道は、源氏を明石に迎える機会をうかがっていた。そして、長期間にわたる雷雨が収まったあかつき方、夢のお告げに従って舟を装い、ついに源氏を明石に迎えることになったのである。
  ところが、源氏を目の前にするとなかなか本心を切り出すことができない。なにしろ気高く気恥ずかしいほどの源氏の雄姿である。彼のイライラは募るばかり。それとなく娘のことを源氏にほのめかたりするのだが、相手は興味を示すようではあるものの、本気にする気配はない。彼は焦り、
  『いかで、思ふ心をかなへんと、仏・神をいよいよ念じたてまつる』
のである。そんな膠着情況を妻とともに嘆き続けるしかない。

  こうして、源氏が須磨に渡って来てから半月あまり経ち、四月になってしまった。
  月が清らかに照らし出している淡路島を眺めながら、源氏が感傷的になって琴を取り出して爪弾いていたある夜、その音を聞きつけた入道は、仏道精進もそっちのけに源氏の所に飛んで行く。そして邸に琵琶と筝の琴を取りにやらせて、二人の合奏が始まる。
  入道にとっては、まさに絶好のチャンス到来であった。というのは、彼自身、醍醐帝相伝の筝の琴の名手であったのだが、娘もまた彼に劣らない琴の力量を持っていたからである。ここから彼の娘自慢が始まる。
  「私が琴を弾いておりますと、それを学ぶもの(明石君)がございまして、不思議なことには、娘の琴は自然に醍醐帝のお手に似通って弾くようになっていたのでございます。あるいは私のひが耳かも知れませんが。娘の弾奏を、ぜひ源氏様にお聞きいただきたく思っております」
  さすがにこの自慢には、源氏の心も動かされたようで、入道の歌に対してこう返す。
  『旅衣 うら悲しさにあかしわび 草の枕は夢も結ばず』
  縁語(衣と裏)や掛詞(うら悲しの「うら」と明石の「浦」、及び「明かす」と「明石」)が多用されているのは、源氏の照れからかもしれない。いずれにしても源氏は
  「この旅の悲しさのために、独り寝をするばかりで、なかなか眠ることもできない」と嘆いたのである。あからさまに言ってしまえば、「その娘と寝たいもの」と言うことである。
  これで入道の思いはまずは叶った。

  あくる日の昼、源氏は早速明石君に手紙を贈る。入道は「待ってました」とばかり、手紙を持って来た使者を
  『いとまばゆきまで酔は』
し、歓待する。

  ところが、明石君の方は、父・入道とは違っていて、いたって冷静である。この話を親から聞いた当初から、
  「都の身分の高い人が、自分のような田舎娘を本気で相手にするはずはない。そうかと言って、父は高望みをしているようだから、私程度の身分の男とは結婚するわけにもいかない。もし結婚もせずこのままの状態で長生きするようだったら、尼にでもなればいい」
と割り切っていた。
  ところが、その「都の身分高い人」から手紙が来てしまった。しかし、彼女は返事を書こうともしない。源氏の筆跡の素晴らしさに臆したこともあるのだが、手紙を見るにつけて改めて自分の身の程に思い至らざるを得ないからである。
  と、なんとしたことか、返事は入道が書く羽目となってしまった。
 
  追うようにして、再度源氏から手紙が来た。しかし彼女は相変わらず身分のこだわり
  『(源氏様とは)なずらひならむ身の程の、いみじう甲斐なければ、なかなか世にある者と(源氏が)たづね知り給ふに涙ぐまれ』
るしかない。
  「身分のあまりの隔たりを知るにつけ、たとえ手紙をもらったとしても何の甲斐もないこと。源氏様が自分のことをお知りなされたことで、かえって涙ぐまずにはおられません」
という意味である。そのためにとても返事を書く気などおきないのだ。父・入道が盛んにそそのかすので、仕方なしに書きはしたものの、源氏との結婚など思いもかけず、内心こう考えるのである。
  「親はなんと望外なことを考えるのだろう。今だからこそ私の将来に期待することもできるのであった、もし源氏様と結婚するようなことになれば、親だって心づくしのことが数多く出て来るはず。だから、源氏様が明石に滞在している間だけでも、手紙のやり取りができる程度で、それで十分」

  その後、源氏の京(紫上や世間)への遠慮による躊躇と、明石君の消極的な態度から、二人は逢うこともないまま時は過ぎてゆく。
  それから数カ月、秋になって二人の仲はやっと進展する。

  明石入道に比べれば、彼女の考えは冷静沈着であり、現実的である。いやしくも天皇の子であり、かつて近衛中将であった最高級貴族が、明石生まれ明石育ちの田舎娘を相手にすること自体、土台あり得ないことなのだから。
 
  それではどうして入道はこれほどまでに娘を源氏に娶せたがったのだろうか。
  まず、彼の過去の身分があげられるよう。実はかつて彼も、近衛中将だったのである。近衛中将と言えば、第一の出世頭であり、顕官の誰ものが憧れる地位だったのである。ところが、彼のひねくれ根性から周囲とうまくいかなかったのであろう、その地位を捨てて、自ら望んで播磨の守になってしまった。播磨は大国とはいえ、その守は従五位上(近衛中将は従四位下)に過ぎない。近衛中将でいれば、彼の父がそうだったように大臣の可能性も高いのに。僻んだ性格が、彼をして都から去らしめてしまった。

  あるいは、彼は、娘の将来のために、受領になって財を貯めることを考えていたのかもしれない。受領といえば民から財を絞り取るのが仕事のようなもので、一期務めれば一生困らなかったとも言われる。事実、彼は播磨守の任期中に莫大な財を残したのである。明石に広大な敷地を手に入れ、豪奢な邸宅を造っている。また、その風雅な生活も半端ではない。後に明石君は六条院の乾(冬)の邸に住むようになるのだが、源氏はそこに蔵町を造っている。その蔵には入道が残した財が数多く納められたはずである
  そもそも源氏の妻妾は、花散里を始めとして末摘花も、斜陽、没落の上級貴族や宮家で、素寒貧の家柄である。紫上はこれらとはいささか趣を異にするものの、彼女自身は一文なしである。その点では入道の狙いは当たったと言える。

  もう一つ考えられるのが、源氏と血縁関係にあるということである。彼が語るのを聞けば、桐壷更衣(源氏の母)は、彼の叔父である按察使大納言の娘ということだ。ということは、源氏の母と入道は従兄妹ということであるし、明石君と源氏は「再従兄妹」ということになる。信じがたいことではあるが、彼がそう言っているのだから嘘ではなかろう。つまり彼にとっては、娘が源氏と結婚することは、さして無謀、無思量なほどの身分違いではないということになる。

  最後に、『若菜上』の巻に出て来る入道の壮大な夢について見てみよう。
  『我がおもと(明石君が)生まれ給はんとせし、その年の如月の、その夜の夢に見しやう・・』
から延々として彼の遺言文は続いて行く。要は、その夜、彼が見た夢は、明石君(ないしその子)が、いずれは国を保つべき立場(后、天皇)かかわっていくという内容である。彼はこれを「夢は信じるべきもの」として、ずっとその実現を期してきたのである。彼が年二度、明石君を住吉に詣でさせたのもその一環である。
  また、都から下って来る貴公子は、今までも数多くあったのだが、その誰にも娘を嫁がせなかったのはそのためである。『若紫』の巻で、源氏の忠臣の一人・良清が、かつてこの明石君に求婚したかのような話が出て来るが、良清程度では、とても相手にならなかったのも、この入道の夢ゆえであったのだ。彼は、この夢が実現しないなら、娘に
  「海の中に入って死んでしまえ」
と諭すほど、徹底して拘っていたのである。

  結果的には、源氏との結婚、姫君の誕生、姫君の春宮への入内、そして男皇子誕生・・と彼の夢は、次々実現していく。
 
  ただここで考えなければならないのは、この話は一見夢物語のようであり、ありえないことと思われるかもしれないが、実は、作者は物語を実に緻密に現実に沿って構成しているのである。だから決して夢物語でも住吉の神の効験でもなんでもないのである。当時、入道のような夢を持っていた貴族(受領階級)は、案外多かったのではなかろうか。娘を上流貴族に嫁がせ、その娘が入内するという例はあるのである。しかしまた反対に、明石君のように現実的で冷静な判断をする女性も多かったはずである。
  夢を信じて猛進するか、現実路線で行くかの違いである。
  いずれにしても、入道の壮大な夢とは無関係に、明石一家に幸運は転がり込んで行く。そして彼がつぶしてしまった「家名」の再興もなっていくのである。

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