源氏物語便り

心揺するもの 日本の心 源氏物語語り

噂を気にする平安人源氏物語たより636 

源氏物語

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     噂を気にする平安人   源氏物語たより636

  源氏物語を読んでいて気になるのが、登場人物の誰も誰もがひどく「世間の噂を気にする」ということである。光源氏はもとより、空蝉も藤壺宮も明石君も柏木も夕霧も、等し並みに彼らは噂を気にしている。
 六条御息所などはまさにその権化と言えよう。
 御息所の物怪に取り付かれた葵上は重く患う。そこで左大臣邸では、葵上の病気恢復のための修法を盛んに執り行う。ところがなんとしたことか、はるか遠くで修法の際に焚いた芥子の香が、御息所の体に染みついてしまったのだ。なんともおどろおどろしことには、髪を洗っても衣を替えてもその香は落ちない。
  この時、彼女がまず気にしたのが世間の噂である。
  『わが身ながらだに、うとましう思さるるに、まして人の言ひ思はむことなど、人にの給ふべきことならねば、心ひとつに思し嘆くに・・』
  「このような忌わしいことは自分自身でさえ気味悪く思われるのだから、ましてこのことが外に漏れでもしたら、世間の人は私のことをどう噂することであろうか。でも人に言えるようなことではないので・・」と一人嘆くしかない。確かに遠く離れたところで炊く芥子の匂いが、自分の体に染みついてしまうという超常現象であるから、こんなことが世間に漏れたら恰好な噂になってしまう。彼女が噂を気にするのも無理はないのだが、しかしそんな噂が外に漏れることがあるだろうか。まずあり得ないだろうから、黙っていれば済んでしまうというのに、御息所にとっては、そんなことまで気になって仕方がないのである。

  娘が伊勢斎宮になった機会に、源氏との関係を断って、御息所は伊勢に下向しようと決意する。そのために娘と共に野宮に籠り潔斎の日々を送るのだが、そこに源氏が尋ねて来る。源氏は源氏で、このまま御息所を伊勢にやってしまうのでは
  『人聞き情けなくやは』
と心配したからである。あんなに深く付き合っていたのに、遠く伊勢に下向しようという女を訪ねもしないとは、源氏という男は、なんと情け知らずなのだという人の噂を気にして尋ねたのである。つまり愛情から出た行動ではなく、彼を野宮に赴かせたのは世間の噂である。そんな空気を読んでいたのだろう、御息所も
  『ここらの(多くの)人目も見苦しう』
思って逢おうとしない。彼女もまた世間を気にかけて素直になれないのだ。
  それでもとにかくも逢瀬は持たれたのだが。
  その後、伊勢下向が近づくと、源氏は、御息所のために装束やら調度やら何やかやと心を込めて用意する。しかし今さら男のそんな情けに何の感情も起きはしない。ただ
  『あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身の有様』
を起き臥し嘆くだけである。彼女にとって、源氏との愛や恋などもうどうでもいい話、彼女を悩ますのは、もっぱら「心憂き名を流す」ことだけである。
  御息所や源氏を突き動かすのは、自分の確固とした意志や純粋な愛情ではない、世間がどう思うかである。どうしてここまで世間を気にする必要があるのだろうか。

  これは源氏物語だけの問題ではない。古今集の「恋の部(三)」などには、「世間の噂」が踊り狂っている。そのうちの二つほどを上げてみよう。

  『君が名も我が名もたてじ 難波なるみつとも言ふな 逢ひきとも言はじ』
  「絶対噂を立てないようにしようぜ。見たとも言うなよ、逢ったとも言わないからな」と言うのだから、なんとも凄まじいばかりの男・女の逢瀬であり誓い言である。そんなに心配する恋ならやめてしまえばいいのにと思うのだが、やめられないのがまた恋なのかもしれない。

  『知ると言へば枕だにせで寝しものを 塵ならぬ名の空にたつらむ』
  「たより634」で取り上げた「枕」にかかわる俗信を使った歌である。枕は男・女の秘密を全て知るという。「だから、私は枕さえしないであなたと寝たのに。当て推量の下らぬ噂が空に舞うほど立ち上ってしまった」という意味である。これは作者(伊勢)が恋の噂を怖れるというより、世間の噂好きに苛立っている体である。
  鎌倉時代になった新古今集にも人目や噂を気にしている歌が目につく。

  実は、万葉人も「人の噂」をひどく気にしていたようで、これに関する歌が溢れている。万葉集では「人の噂」を「人言」を言っていて、それが激しいことを「人言繁み」と表現している。やはり二つだけ上げておこう。

  『人言のしげき間(ま)守りて逢ふともや なほ我が上に言のしげけむ』
  (人の噂がうるさいその隙をうかがって会おうとしても、やはり私の身の上には噂がひどく立ってしまうことである  旺文社 桜井満訳注『現代語訳対照 万葉集』)
  この歌では「言しげき」が二度も使われるという丁寧さで、作者は相当噂に悩まされていたのだろう。あるいは当時の有名人だったかもしれない。「週刊文春」に追い掛け回されている図である。そう言えば額田王も「野守は見ずや」と人の噂を気にしている。

  『人言は夏野の草のしげくとも 妹(いも)と我とし携(たづさ)はり寝ば』
  「人の噂が、夏野の草のようにいくら激しく萌えあがったとしても、あなたと私で手を携えて寝てしまえば、どうなろうと、ままよ」という意味であるが、これはもう開き直っている。「いいよ、いいよ、言わせておけば。さあ寝ちゃおうぜ」と啖呵を切っているのだ。
  ただ、万葉集の歌も概ね人の噂をひどく気にしているものが多く、このように開き直るのは珍しい。万葉人と言えば如何にもおおらかで自由奔放に恋を楽しんでいるのかと思いきや、やはり周囲を気にしながら生きていたようだ。

  外国人の特性と言うものは知らないが、日本人は現在でも世間を気にし、噂を気にする民族のようである。パソコンを見ていたら、佐藤直樹という人の「犯罪の世間学」という本が紹介されていた。その主旨は概ね次のようである。
  「日本の治安の良さは、伝統的にいわゆる社会が存在せず、世間にがんじがらめにされて、いわばその世間と言うものを中心にして行動するという特色に支えられている。個人の突出した能力を認めず、みんな同じだという意識が強く、そこから独特なねたみやそねみ、ひがみやっかみ意識が生まれる。隣人との差異に敏感で、出る杭は打たれる。これがさまざまの噂を生むもとになる。日本人は、法のルールを怖れるよりも、世間のルールに反し世間のうちから排除されることを常に怖れている」
  言われてみると確かにそういう傾向はある。「村八分」という言葉があるが、居住する村から排除されることを我々は最も怖れる。そのために突出した生き方をすることを嫌う。とともに、我々の意識は常に他人に向かっていて他人のことを気にする。他人の行動を監視し少しでも問題があれば噂の種とし、それは狭い生活圏を駆け回る。逆に言えば、自分の秘密や問題点、時には長所すら世間に曝されるのを極度に怖れる。

  恋愛は、本来的には二人の問題であるし、別に悪いことをしているわけでもないのだから、他人に左右される謂われはないのだが、やはり日本人はこそこそと行動する。
  最近でこそ随分欧米化してきて、電車の中で手をつなぐなどの光景はよく見かけるし、時には公衆の面前で抱き合ったりしている。
  どちらがいいと言うのではない。ただあまりにもあけすけなのは、私のように古い感覚の持ち主には、しっくりとこない。特に恋する者は、周囲を気にしつつ忍び忍びに行動するのが何か奥ゆかしいし、いかにも恋らしい気がしてならない。

  もっともこのような問題は、置かれている立場や身分によって、随分異なった影響を及ぼすことになる。平凡な人間の場合は、あまり世間が問題にすることもないし、したとしても限定的である。ところが、身分のある人やそれなりの立場にある人の噂は、限りなく波紋を広げていく。現在も芸能人や政治家の行動がとかく取り挙げられるのも、噂に修飾される余地が多いからである。
  先の六条御息所が伊勢に出立する時に、世間は盛んにとやかくや噂する。それに対して草子地はこんなコメントをしている。
  『何事も、人にもどきあつかはれぬ際は安げなり。なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、ところせきこと多くなむ』
  ごく平凡な人間は、人からとかく批判されたりしないですみ安穏なものである。それに比べて御息所のように人に抜け出ている身分の人は行動もままならず、窮屈で不便そのものだ、ということである。かつて御息所は春宮の女御であったし、春宮亡き後は、時の寵児・光源氏の愛人である。超一流の人物だったので、世間の耳目を集めないはずはない。六条御息所が「噂を気にする権化」と言ったが、それも当然のことであったのだ。

  こう見て来ると、噂は時代や場所を超えているのが分かるし、御息所が異常なほどに噂を気にした意味も分かってくる。貴族階級のような閉塞感の強い社会では特に噂は駆け回りやすい。また、日本のような狭い島国では、人々の関心は外に向かわず内に向かって収斂していくから、噂は人を楽しませる格好のツールになってしまう。だから消そうにも消しようがないのが噂なのである。

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弘徽殿女御の誹謗中傷は 源氏物語たより635 

源氏物語

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     弘徽殿女御の誹謗中傷は   源氏物語たより635
                                                  
   紅葉の賀の時に光源氏が舞った青海波があまりにも見事だったので、帝を始め上達部や皇子たちは感動のあまりに涙を流すのであった。ところが、ただ一人涙を流すどころか皮肉な目で見ていた人物がいた。それは春宮(後の朱雀帝)の母・弘徽殿女御(以下弘徽殿)である。彼女は内心の思いを
  『神など、空にめでつべき(源氏の)かたちかな。うたてゆゆし』
と口に出してしまう。それをそばで聞いていた女房たちは
  『心うし』
と耳を留めたのである。
  「神など、空にめでつべき」とは、天にまします神は、あまりに美しいもの、あるいは極めて優れたものは、称賛のあまりに天に召してしまうであろうという意味である。早い話、あまりに美しいと命を縮めるということである。弘徽殿は、源氏の舞い姿・容貌があまりにも美しいがために、命は長くはないであろう、と言ったのである。そうだとすれば確かに気持ちの悪い不吉なことを言ったものだ。女房たちが「聞くのも嫌な情けないお言葉・・」と耳を留めたのも無理はない。

  しかし、弘徽殿のこの感慨は当時ごく当たり前のように言われていたことで、いわば俗信のようなものになっていた。事実、源氏の舞姿が常軌を逸するほどに勝れていたことを心配した桐壷帝も
  『一日の源氏の御夕影、ゆゆしう思されて、御誦経などところどころにせさせ給ふ』
ているのである。帝もやはり源氏が天に召されてしまうかもしれないことを心配して、あちらこちらの寺に申し付けて、源氏の安泰長久の祈祷をさせたのである。
  このことは他の場面にも出て来る。例えば、葵祭りの御禊の日、供奉の一人に選ばれた源氏が、馬にまたがり颯爽と一条の通りを行く姿を、桟敷で見ていた桃園式部卿(源氏の叔父で、朝顔の父)は、  
  『いとまばゆきまでねびゆく人(源氏)のかたちかな。神などは目もこそ留めたまへ、とゆゆし』
と思っている。
  また、源氏と葵上の間に生まれた夕霧のことを
  『いとゆゆしきまで(美しく)見え給ふ御有様』
と表現している。
  「ゆゆし(不吉)」という言葉は、現代人にとっては忌むべき印象を与えるのであるが、平安人にとっては、最高の賛辞でもあったようである。そう言えば現代でも「美人薄命」などと言うことがあるのだが。

  ということは、女房たちが弘徽殿の言葉を「心うし」と耳を留めたのは、別の点にあるということになる。それは後半の「うたて」ではなかろか。「うたて」は、「不快、うとましい」という意味なので、源氏の青海波を見て、満座の人が感涙にむせんでいるというのに、「不快である、うとましい」などという場を弁えない彼女の非情を、女房たちは不愉快に感じたのだろう。恐らくこの時の弘徽殿の口振りそのものがいかにも憎々しげだったのかもしれない。

  弘徽殿女御は、源氏のことを生理的に嫌っているので、思わずここでも本心が出てしまったのだろうが、そうなったことには明瞭な根拠がある。
  彼女は誰よりも早くに桐壷帝に入内している。それに、第一皇子も生んでいる。にもかかわらず、どこの馬の骨(大納言の娘)とも知れない桐壷更衣が後からやって来て、帝の寵を独占してしまった。しかもこの更衣との間に生まれた源氏を溺愛するのだから、弘徽殿としてはやり切れない。一時は春宮の座が源氏に行ってしまう可能性すら否定できない状況にもあったのだ。
  これでは源氏のすべてが疎ましく思われてくるのも当然である。桐壷更衣が亡くなった時に、彼女は哀悼の意を示すどころか、月が美しいからと言って、夜通し管弦を楽しむという節操のなさを示した。これも人々の目をそばだてさせるのであるが、更衣と女御では雲泥の差があり、更衣ごときの死を女御が悲しまなかったからと言っても、さして非難されるべき行動とは言えない。
  更衣の死後、今度は彼女に生き写しという藤壺宮を帝は溺愛するようになる。これでは弘徽殿としては我慢ならず、藤壺宮はもとより宮に親しい源氏をますます目の仇にしたくなるのもやむを得ない。

  ところが、そういう弘徽殿を、物語の読者はますます忌み嫌うようになり、「悪后」とさえ思うようになる。後に藤壺宮は、漢の「戚夫人」の例を出して弘徽殿を怖れる。戚夫人とは、漢の高祖に愛された夫人で、太子を排して自分の子をその位置に就けようと企てるが、高祖が亡くなり太子が位に就くと、太子の母・呂太后は、戚夫人に残虐な報復をしたという史記の話である。藤壺宮も、弘徽殿を呂太后になずらえてその報復を怖れたということである。それは読者の思いともなる。
  しかし、これも帝の常軌を逸した更衣や藤壺宮寵愛からきたものであり、弘徽殿ばかりを一方的に責める根拠にはならない。

  もう一つの弘徽殿大后による源氏誹謗中傷の是非について考えてみよう。
  朧月夜との密会が、右大臣や弘徽殿の知るところとなり、源氏は須磨に流れて行かざるを得なくなる。弘徽殿にすればまさに報復成就ということで、万々歳である。
  しかし、それでも源氏への疑惑と怨恨は止まない。源氏が、相変わらず都の人々と親しく消息を交わしたり、贅沢な生活を続けたりしているのを耳にするや、こう憤る。
  『おほやけの勘事なる人は、心に任せてこの世の味はひをだに、知ること難うこそあむなれ。おもしろき家居して。(また)世を誹りもどきて。かの鹿を馬と言ひけん人のひがめるやうに追従する』
  「勘事」は、「譴責、勅勘」の意。
  「朝廷から譴責を受けた者は、自由勝手に美味しいものを食べることなど許されるべきではないし、風雅な家を建てて暢気に住むことも相成らぬことである。まして時勢を誹りもどくなどご法度そのもの。にもかかわらず、源氏は人をして鹿を馬と言わしめ、彼らを自分に追従させている、とはもってのほか」
という意味である。「鹿を馬と・・」は、やはり史記にある話で、秦の丞相・趙高は、始皇帝の二世皇帝に謀反し、国を我がものにしようとする。しかし群臣が自分のことをどう思っているか分からないので、ある謀を考える。鹿を二世皇帝に見せて「これは馬です」と言う。二世は「丞相は間違っている」と笑って返す。ところが臣下たちはどう応えるべきか困ってしまって黙るしかない。しかし答えないわけにもいかず、ある者は、「鹿です」と言い、またある者は、趙高に追従して「馬です」と言う。趙高は「鹿」と言った者を惨殺してしまう、という話である。
  源氏を趙高に、彼に親しい者を群臣になぞらえたのである。源氏と消息をやり取りしていた人々は、弘徽殿の怒りを知って、黙するしかなくなる。
  光源氏を愛する読者は、そこまでする必要はあるまい、とますます弘徽殿を悪后と思い嫌悪するようになる。しかし彼女の言っていることに過ちがあるだろうか。確かに源氏は正式な「流罪」ではない。しかし、官位は剥奪され、そのまま京にいれば間違いなく配流の憂き目にあっていたのだ。先を読むに敏なる源氏は先手を打って京を逃げ出したのである。でも勘事を受けた人物には違いない。
  にもかかわらず、相変わらず都の人と消息をやり取りしていたことは事実であるし、須磨の御庄の人々に命じて、あっという間に大層風趣に富む家・屋敷を造っていることも確かである。
  『水深う遣りなし、植木どもなど』
も立派に植え付けたとある。しかも、この国の国司も親しくやって来て、旅どころとは思えない賑わいを示す。食については描かれていないが、源氏を厚く奉る供人が結構豪奢な「味はひ」を用意していたのではなかろうか。
  これでは弘徽殿大后が、「源氏は京を離れて帝にたてつき謀反を起こそうとしている」と勘ぐり、憤るのも無理はない。

  源氏物語の読者は、圧倒的な源氏贔屓である。したがって、源氏の仇敵である弘徽殿大后のすべからくが憎くなるし、贔屓の引き倒しで理非の判断ができなくなる。ところがこのように客観的に読んでいくと、ほとんどが弘徽殿のおっしゃる通りで過ちはなく、彼女の言行は決して誹謗中傷(根拠のない悪口を言って、相手を傷つける 広辞苑)には当たらないことがよく分かってくる。
 

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君語るなよ春の夜の夢  源氏物語たより634 

源氏物語

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        君語るなよ春の夜の夢   源氏物語たより634

  新古今集をめくっていたら、和泉式部の面白い歌に出会った。「たより633」で取り上げた「恋は隠すもの」に関連する歌である。

  『枕だに知らねば言はじ 見しままに君語るなよ 春の夜の夢』

  和泉式部は、天性の歌才の持ち主で、情熱的で奔放な恋愛歌人として知られる。もちろん歌だけではなく、彼女の生き方そのものが奔放にして積極的なのである。冷泉帝の皇子である為尊親王、敦道親王の二人の親王と激しい恋をしているのを見ただけでも、彼女の恋に対する自由奔放さが髣髴としてくる。
  同じ中宮彰子に仕える紫式部とは昵懇の中、よく手紙のやり取りをしていたようで、『紫式部日記』に
  『和泉式部といふ人こそ、おもしろう(興深い手紙を)書きかはしける。されど、和泉はけしからぬ方こそあれ』
とある。「けしからぬ方」とはどういうことを指しているのか分からないが、意味は「常軌を逸した一面」ということなので、恐らく先の二人の親王との恋愛沙汰などを指しているのであろう。

  さて、冒頭の歌にある「枕だに知らねば」が曲者で、当時の俗信を知らないと理解できない歌である。当時「枕」は、男と女の関係を熟知するものと考えられていたようだ。なぜなら男と女が同衾する時には、必ず枕を必要とするからである。枕は、男・女の睦言や嬌態や秘密などの一部始終を知ってしまう。そんなところから出た俗信なのであろう。
  ところがこの歌では、その「枕さえ知らない」と言っている。ということはどういうことになるのだろうか。それは、枕を使わなかったということである。男が突然忍び込んできたので、枕の用意もままならなかったのだ。 
  丁度、光源氏が弘徽殿に忍び込んで、暢気に「朧月夜に如くものはなし」などと歌いながら、向こうからやって来た女の袖を掴んで、抱きかかえるや、長押の奥に連れ込み、事に及んでしまったと同じ状況である。つまり枕なしに情事が進んだというのだから、枕は二人のことを知る由もない。したがって、歌の意味は、
  「枕だって私たちの情事を知らないんですから、二人の情事を人に告げてしまうなんてことはありませんわ。ですから、あなたも、見たままを人に言ったりしないでくださいね」
となろう。
  この「見し」も問題である。この場合は「見たまま」という意味で使われているのだが、この言葉には「男女が契る」という意味もあり、これは「春の夜の夢」にもかかっていると思われる。契りを交わしたのは、あたかも「春の夜の夢」のように甘美にして陶然たるものでもあったということだ。和泉式部は、突然の出来事とはいえ、この情事に十分満足しているのである。男に痴態も見せ嬌声も聞かれてしまった。そんな羞恥な姿を男が人に語ってしまったとしたら、顔から火の出る思いをしなければならない。そこで「見しままに(契った状況そもままに)君語るなよ」と注文を付けざるを得なかった。
先の『紫式部日記』に、和泉式部の歌をこう評している。
  『口に任せたることどもに、必ずをかしき一ふしの、目に止まる(ことを)詠み添えたり』
  「口にまかせた即興歌などに、かならず気の利いた一点が、(つまり)目に止まることばが詠みこんであります (笠間書房 小谷野純一訳 和泉式部日記)」という意味であるが、頭書の歌などは、まさにこれに当てはまる「をかしき一ふし」の一つと言えよう。したがって、この「をかし」は、「興趣豊か」というよりも、むしろ「独特で面白い」が当てはまるのかもしれない。

  なお、新古今集には和泉式部の歌の直前に、伊勢(和泉式部より7,80年前の人)のこんな歌がある。
  『夢とても人に語るな 知ると言えば手枕ならぬ枕だにせず』
  和泉式部の歌と同工異曲ならぬ「同工」そのものなので、頭書の歌は式部の独創と言うわけにはいかないかもしれなない。伊勢の歌も例の枕の俗信から出たもので、
  「枕は秘事を知るといいますから、あなたと共寝する時には、手枕以外の枕はいたしません。ですから絶対私たちの秘密を口外しないでくださいね」
という意味になる。ただ「手枕だったらいつでも結構」という意が裏に含まれているのだから、伊勢の極めて積極的で扇情的な人がらを知ることができる。この詞書にはそれが露骨に表れている。
  『忍びたる人と二人臥して』
  和泉式部も伊勢も、ともに恋に対して積極的・情熱的であるが、それでも「この事、内緒よ」というところなどには、まだ純で可愛いところが残っているといえよう。

  そういえば、百人一首に「手枕」に関するこんな歌がある。
  『春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ』
  この歌の詞書がまたふざけている。月の明るい夜、大勢の人が集って物語をしている時に、作者の周防内侍が眠くなったのだろう、
  「枕でもあればなあ・・」
とつぶやいたところ、それを聞き付けた男が、御簾の下から腕を突き出して
  「どうぞこれを枕に」
と言う。それに応えた歌である。歌中の「かひな」は「甲斐がない」の「かひな」と腕の「かひな」を掛けていて、随分手の込んだしかもあからさまなやり取りである。
  この歌、和泉式部の「枕だに」と極めて近い。周防内侍の歌も
  「あなたの手枕など借りたら、とんだ噂が立つから、遠慮しておきますわ」
とぴしゃやり拒否しておきながら、
  「たとえ春の夜の夢のようなひと時が持てたとしてもね」
と匂わせているのだから、この二人、相当深い仲にあったのだろう。

  源氏物語にも女が「この事は決して口外しないで」という場面が何か所か出てくる。例えば『帚木』の巻に、源氏が、空蝉の所に強引に押し入った時にも出て来る。彼女を抱きかかえるや自分の部屋に連れ込み、
  『見ざらましかば、口惜しからまし』
と思って相手に有無を言わせず契ってしまう。ところが、夫ある身の空蝉にとっては源氏の行為は困惑以外のなにものでもない。そして、源氏にこう泣きつく。
   『よし、今は見きとなかけそ』
  「な・・そ」は、「相手に懇願して、その行動を制する意を表す 広辞苑」で、「けっして口にかけてくれるな」という意味になる。全体は、
  「こうなってしまった以上は、仕方がありません。でも、私と契ったなどと、決して口にはしないでくださいませ」
となる。この「見き」も契ることを意味しているから、和泉式部の場合と同じ状況ではあるが、空蝉の場合は、たとえ相手がすべての女のあこがれの的・光源氏さまであっても、「春の夜の夢」というような甘美な夢心地のものとはならず、本当に人に言われては困るのである。

  それにしても、女がこれほど男の口外を恐れるのは、男というものには、女との情事を他人にほのめかしたい、自慢したい、という本性が備わっているからではなかろうか。そう言えば、若き日の源氏と頭中将は、よく過去に関係を持った女のことを語りあい、自慢しあい、笑い合っている。
  「たより633」で、今井絵理子と神戸の市議との不倫で、森本卓郎のコメント(新幹線の中で手を繋いで寝ていた男の無防備は、男が憧れの女と恋に落ちていることを周囲に自慢したかったのでは)を紹介し、そんなことはなかろうと私は否定した。しかし、こういう男の本性を勘案すると、森本卓郎の考えも、あながちあり得ないことではないと思えてくる。
  和泉式部も伊勢も空蝉も、そんな男の本性を心配し警戒して、男に「見きとなかけそ」と頼んでいるのだ。ただ和泉式部や伊勢の場合は若干甘えが混じっているようで、その言葉が本音かどうかは分からない。むしろ「ちょっぴりなら漏らしてもいいわ」というニュアンスが感じ取れないでもない。ところが、空蝉の場合は、本心からの哀願である。

  この事に関するもう一つの例を源氏物語の『空蝉』の巻で見てみよう。
  源氏が二度目に空蝉の部屋に忍んで行った時に、彼女はいち早く源氏の御入来を察知し、衣一枚を残して逃げ出てしてしまう。源氏がそれとは知らず、のこのこと空蝉の寝床に近づくと、なんと別の女が寝ているではないか。しかし、さすがは源氏で、「この女でもいいか」などと実にあっけらかんとして、彼女と契ってしまう。
  別れに当たって、女(軒端荻)にあれこれ甘い言葉を並べながら、
  『人知りたる事よりも、かやうなる(密会)は、あはれ添ふこととなん、昔人も言ひける』
  「密会などというものはね、人に知られてしまっているよりも、誰も知らない方が味があるものなのだよ。昔の人も言っているでしょ」という、誠に手前勝手な論理を展開する。要するに「黙っていなさい」ということである。源氏とすれば、帝の子であり近衛の中将という身分上の問題がある。また、このことが女の親の知るところともなれば「婿に・・」などとなりかねない。それも面倒なことだ。そして何よりも空蝉への面目がある。
  ということで、「源氏さまと契った」などと女に吹聴されたら、源氏にとっては誠にまずいことになってしまう。そこで口止めしたのである。
  この場合は、男が女に口止めを頼んでいるというところが、先の女の場合と違って、可笑しい。

  恋には、恋する者同士の双方にさまざまな事情が絡んでいるので、そのために秘密を「絶対口外してくれるな」とか、時には「ちょっとなら、漏らしてもいいわよ」とか、あるいは積極的に「私たちの恋、人に知ってもらいたい」などと幅があるので、興が尽きないのだ。

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源氏物語たより633 

源氏物語

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     恋の諸相~隠す~    源氏物語たより633

  今井絵理子と神戸市議との不倫が、ニュースでとかく取り上げられて面白い。ラジオを聞いていたら、
  「新幹線の中で手を繋ぎながら寝ていたところをスクープされてしまったのだが、どうしてそんな浅はかなことをしてしまったのだろう」
という質問に対して、コメンテータの森本卓郎は、
  「あの神戸市議の年代の男にとっては、SPEEDはあこがれの的で、そのメンバーと恋仲であることをアピールしたかったのだろう」
と言っているのだが、そうだろうか、とても素直には受け取れないコメントである。公然とした晴れての恋仲ならとにかく、彼らの場合は純然たる「不倫」である。不倫は、通常許されない行為である。したがって、不倫をしている者にとっては、それを「いかに隠すか」が絶対条件になる。それにもかかわらず、新幹線というあからさまな場で手を握りながら居眠るとは信じられない行為である。
  今井絵理子の場合は参議院議員を辞めれば済むことかもしれないが、神戸市議の方はそうはいかない。妻子ある身であるし、歯科医という社会的な立場もある。それらを全て捨てるというリスクを負わなければならないのだ。
  それに何よりも、あの報道で、二人の仲は終わりを迎えてしまうはずである。「隠す」ことこそ、不倫を持続させる秘訣であるというのに。

  古歌や物語などにも、自分たちの恋をいかに隠すかがテーマとなっているものが多い。それは古来隠すことがいかに大事かということを証明するものであり、そうすることが、忍ぶ恋を長持ちさせることに繋がるからである。それではまず古歌から見てみよう。

  『あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る』
   (そんなに袖をお振りになって、私、困るわ・・みんなに見られてしまう    万葉集)
  『丘の崎 廻(た)みたる道を人な通ひそ ありつつも君が来まさむ避道(よきみち)にせん』
   (あの道、人は通らないでほしいものだわ。いつまでもあの人がここにおいでになるための人目を避ける道にしておきたいから          万葉集)
  『人はいさ 我はなき名の惜しければ 昔も今も知らずとを言はむ』
   (あなたはどう思われるか知らないけれども、私はあらぬ噂が立つのは嫌。だから、あなたとは今も昔も全く関係ないと言って    おきましょう    古今集)
  『名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな』
   (人に知られないで逢う方法がないものかなあ    後撰集 百人一首にもある) 
  『もらすなよ 雲ゐる峰の初時雨 木の葉は下に色変はるとも』
   (人に言わないくださいね。たとえ私があなたに人知れずこっそり恋しているとしても    新古今集)

  「不倫」のみならず、恋というものは人に知られないで相逢うのが味があるのだ。「公にしたい」などというのは恋のうちに入らないと言っていいかもしれない。
  まして、光源氏の恋は隠さなければならないものばかりである。空蝉、朧月夜、そして何よりも藤壺宮との恋。みな夫ある女性ばかりなのだから。また夕顔などは、源氏とは全くの身分違いの女性である。臣下に降りたとはいえ天皇の子である源氏が、ごみごみとした五条の、ほどもない屋敷に夜な夜な通うなどは、信じられないことであるし、また許されないことなのだ。それでも通い続けた無理が彼女を不幸に陥れてしまった。
  朧月夜とはずいぶん大胆な恋をしたものだ。内裏の重要行事である五壇の修法が行われていて、帝(朱雀)が留守であるのを狙って、弘徽殿で逢引きするというのだから。また、彼女が「わらは病」を患って里下がりしている時に、こともあろうに右大臣の邸(朧月夜の里)で何日間にもわたって逢引きしている。案の定、その不義は右大臣の知るところとなり、須磨に流れて行かなければならない要因になってしまった。
  後年、朱雀帝が譲位するにあたって、朧月夜に対する恋心が、源氏に比べていかに真摯なものであり熱いものであったか」をしみしみじみと朧月夜に訴えた時に、彼女は深く源氏との過去を悔やむ。
  『などて、我が心の若くいわけなきに任せて、さる騒ぎをさへ引き出でゝ、我が名をばさらにも言はず、人(源氏)の御ためさえ(苦労を掛けてしまったことか)』
  「さる騒ぎ」とは、源氏が須磨・明石に流浪したことを指している。若気の至りで源氏様と恋愛沙汰を起こして、自分の評判が地に落ちてしまったことはとにかくとして、源氏様にも大変な苦労を掛けさせてしまった、という意味である。
  この二人の恋はいささか大胆にして危険すぎた。これは、冒頭の神戸市議と今井絵理子の恋のように、新幹線の中で手を繋いで居眠りしているようなものである。ここまで大胆に振る舞ったのは、何か源氏に意図するもの(たとえば政敵・右大臣の鼻を明かすなど)があったとしか考えられない。二人には「隠す」という配慮が欠けていた。もう少し慎重であったならば、彼女の後悔は生まれなかったであろう。

  それに比べて、藤壺宮との恋は、慎重に慎重を期すものであった。公になったら、まさに身の破滅になるからである。「我が名をばさらにも言はず」で、藤壺宮をさえ奈落に堕してしまう可能性がある。しかも、彼ら二人の愛しい子・冷泉の運命もただでは済まない。国会議員を辞めれば済む程度の問題ではない。
  二度目の逢瀬の時に、源氏は絶望的な歌を藤壺宮に詠みかける。「このように逢うことが二度とかなわないというのだったら、この夢のような逢瀬の歓喜の中に消えて行って(死んで)しまいたい」と。それに対して藤壺宮は
  『世語りに人や伝へん たぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても』
と応える。
  「あなたが言われるように、たとえ永遠に冷めない夢の中に消えてしまったとしても、世間の噂は後世までずっと消えることはないでしょう。何とも辛いわが身でございます」
という意味である。彼ら二人にとっては「隠すこと」こそ、絶対的な条件であった。後年、藤壺宮が 
  「二人の恋が公にならなかったのは、源氏様の深い配慮によるもの」 
と感謝する場面があるが、肝心なところで、さすがに源氏は思慮深かった。

  恋にはいろいろある。中には世間に大ぴらに知ってもらいたい恋もあるかもしれないし、単にアバンチュールを楽しむ恋やかりそめの恋もあろう。しかし、まだきに公にしたくない恋やあるいは絶対人に知られたくない忍ぶ恋などもある。それこそドラマになるのであって、そのための必要にして最大の要件は「いかに隠す」かにある。隠しおおせず世間に出てしまった時には、恋(ドラマ)は終わってしまうか、身が破滅してしまうかである。

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源氏物語たより631 

源氏物語

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      ものの初め   源氏物語たより631

  「ものの初め」とは、もちろん「もの・ことの最初」という意味であるが、古典では「特に縁組みの初め(角川 古語辞典)」という意味で使われることが多い。源氏物語にも何回か出て来る言葉だが、いずれもみな後者の意味で使われている。
  例えば、『須磨』の巻では、光源氏が須磨に流謫の身にあるということを知った明石入道が、自分の娘をぜひとも源氏に縁付けたいと決意し、その旨を妻に語った時に出て来る。夫の話を聞いた入道の妻はこう反論する。  
  『などか、(源氏様は)めでたくとも、ものの初めに、罪に当たりて流されおはしたらむ人をしも、(婿などに)思ひかけむや』
  「娘の婿に、罪人など、考えられないことだ」と憤懣やるかたなく抗議しているのだ。

  『乙女』の巻には、源氏の嫡男・夕霧と内大臣の娘・雲居雁とが恋仲になっているのを知った内大臣が、二人の仲を裂くという話の時に出て来る。雲居雁の乳母も、夕霧がまだ位も低く(六位)若すぎる(十二歳)ことを理由に、内大臣の処置を当然のこととして、こううそぶく。
  『(夕霧さまがいくら)めでたくとも、ものの初めの六位宿世よ』
  「雲居雁さまの結婚に当たって、六位くらいの男が婿と言うのではでは・・」という不満を「六位宿世」と辛辣に表現している。
  この二つの例はいずれも「結婚」という意味で使われている。結婚こそまさに「ものの初め」に違いはない。だから、互いに不満がないような形で進めなければならないのだ。にもかかわらず、流罪の身の男を婿にしたり、十二歳に過ぎないひよこで、六位風情を婿にしたりと言うのでは、母親や乳母にとっては何とも我慢がならないことで、不満をたらたらと垂らすことになるのだが、それもむべなるかなである。

  『若紫』の巻にもこの言葉が出て来る。
  紫上は、唯一の頼りであった祖母を亡くし、乳母の少納言たちと六条京極に寂しく過ごしていた。その話を聞いた源氏は、数日後、彼女を見舞う。紫上は相変わらず子供っぽく、源氏が
  「私の膝の上でおやすみなさい。さあ近くにおいで」
と誘うと何心もなく寄ってくる。源氏が、彼女の髪や衣をいじったり手を触ったりすると、さすがに、「さして親しくもない男なのに・・」という思いからであろう、恐ろしく感じて、
  「寝ようと思っているのに」
と乳母に言いながら、奥の部屋に引き込んでしまう。すると、なんとしたことか、源氏も一緒について行って、彼女の御帳(寝台)の中に滑り込んでしまったのである。さすがに乳母たちは驚き呆れるのだが、相手が源氏様ではいかんともし難い。
  そして霰の降りしきる一夜を同じ床で過ごしてしまう。
  源氏が、紫上の御帳に潜り込んだのは、もちろん戯れである。彼女を引き取って世話をしようと言う源氏の思いは強かったことは確かであるが、しかし、この段階では、紫上が頼りの祖母を亡くして、さぞかし寂しいだろう、それが可哀そうで、という程度のもので、いわば親代わりのような気持ちに過ぎなかったはずだ。何しろ紫上はまだ十歳なのである。もとより「女」とか「性」とかの意識があろうはずはもなく、いくら平安時代であるとはいっても結婚には程遠い行為である。
  ところが、乳母の立場からすれば、そうは考えられない。これをしも結婚の一つと決めつけるのである。彼女は、その翌日、源氏が通って来ず、ただ惟光を使いにして消息を送って来ただけだったのをひどく不満に思って、こうつぶやく。
  『あぢきなうもあるかな。たはぶれにても、ものの初めにこの御ことよ』
  「あぢきなし」とは「不快」という意味である。「たとえたわぶれにしたとしても、一夜共寝をしたのだから“ものの初め”に異ならないではないか。それなのに、翌日はもう来もしないとは」という不快感からのつぶやきである。

  どんな理由があるにせよ、結婚三日間は、男は女の所に通わなければならない、というのが当時の厳然たる掟であった。乳母は、源氏がそれを破ったと憤っているのである。
  この件については、『宇治十帖』にその典型的な例が出て来る。天皇の第三皇子であり、母・明石中宮から溺愛されている匂宮が、宇治の八の宮の娘・中君と契った。しかし、皇子たるもの、そう安々と三日間も宇治まで通うことなどできるものではない。ところが、彼は、母の忠告などを振り切って、それを忠実に実行したのである。特に三日目などは、風の激しく吹きすさぶ夜、小暗い木幡山を越えて、ついに宇治にまで通って行っている。
  ましてや、源氏は京の二条にいるのである。宇治に比べれば六条京極とは目と鼻の先ではないか。それなのに「天皇の召しがあったから・・」などと嘘かホントか分からないような弁解をしたためた消息だけを寄越した。その誠意のなさに義憤を禁じ得ないのも分からないではない。

  ただ現代の我々に理解できないのは、「たはぶれごと」のように全くねんねの女の子と床を共にしただけで、「ものの初め」になってしまうというのでは、男はうっかりできない。
  本来、結婚するに当たっては、本人の同意は勿論、両家の了承もあって初めて成立するのではなかろうか。三日間通うという行為は互いに承知しているから成り立つのであって、源氏の場合は、あまりにも突然であるし意表を突いた床入りである。とても結婚の体をなしていない。
  それでも結婚としか見ないのは、乳母という存在であるがゆえであろう。彼女たちにとっては、姫君は絶対なのである。その姫君に疵を付けたくないのだ。紫上の乳母の思いはやや突飛の感を免れないが、そう考えなければ理解できないことである。

  ところが、この乳母・少納言にとっては、さらに驚くべき事態で紫上の「ものの初め」が始まってしまう。紫上の父・兵部卿の宮が、娘を引き取ると言う話を聞いた源氏は、親の元に引き取られてはこと面倒と、その直前の夜、紫上を二条院に拉致してきてしまう。呆れた乳母は慌てふためき車に乗り二条院までついて来たが、ここで車を降りるべきか否かおろおろしていると、源氏はぴしゃりとこう言う。
  『(お前が六条京極に)帰りなむとあらば、送りせむかし』
  これでは、ここで降りるしかない。

  紫上の「ものの初め」はこうして始まった。ただ、源氏が、彼女と男・女の関係を持ったのはずっと後のことで、彼女が十四歳になった時である。つまり紫上にとっての本当の「ものの初め」は、この夜をもってと言える。契りを持ったその三日目の夜、源氏は、惟光に命じて「三日の夜の餅」を用意させる。結婚三日目の夜は、新郎・新婦に祝いの餅が供されるというしきたりがあった。これをもって源氏は紫上を正式な妻と認知したのである。
  しかし、いずれにしても源氏と紫上はルールにのっとった結婚はしていない。このことが、後年、紫上の不安材料となって彼女を悩ますことになるのである。やはり「ものの初め」はきちんとさせておかなければならないということであろう。

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