源氏物語

源氏物語たより54

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  お坊さまも信心もいろいろ  源氏物語たより54

 落葉宮の母・御息所が重篤になった時に、病気平癒の加持祈祷のために比叡山の律師を招いたということを以前書いたことがある。その中で、この律師は、“山籠もり中”にもかかわらず、のこのこと山から下りてきてしまったのは、「名利、財産を求めてだろう」と述べた。いくらこの律師が、御息所と親しい関係とはいえ「、この山籠もりの身であるので、この期間中は、私は里には下りない」と固い誓いを立てていたのだ。


 にもかかわれず里に下りてきてしまったのは、相手が、天皇の元妃であったからということあるのではなかろうか。律師といえば、やがては僧都になる可能性がある。僧都になるためには金が要る。そのためには経済的な基盤と権勢の後押しが必須である。山籠もりという大事な修行を放ったらかしにしたのは、名利・財産のためと考えた方が妥当である。

 比叡山は、当時貴族社会に食い入り、名利や財産を求める気風が強かったという。根本中堂のある東塔は、特にその傾向が強く、それを嫌って純粋に修行に励みたいという僧は、より山深い西塔へ、そして横川へと身を隠していったという。

 源氏物語に登場する僧侶も、いろいろである。紫式部自身が僧侶というものを敬っていたのかどうか、しばしば疑問に思わせる場面が出てくる。
 最もおかしな僧と思われるのが、冷泉帝の顧問弁護士のような立場の、歳七十ほどの僧都である。彼は、冷泉帝の母である藤壺宮の顧問でもあり、夜居の僧としてしばしば宮の傍らに侍っていた。天皇や后の顧問ともなれば、山でも相当の地位にある僧である。
 それが、こともあろうに、冷泉帝に、母と光源氏との密通を伝えてしまうのだ。
 藤壺宮が亡くなり、四十九日の法要が終わった後、その夜居の僧と冷泉帝が二人だけでいた夜のことである。僧都は突然こう切り出した。
 『いと奏しがたく、かへりては罪にもや、まかりあたらむと、思ひ給へはばかること多かれど、しろしめさぬに、罪重くて・・』
 (天皇に申しあげにくいことで、申しあげれば私(僧)は仏罰をもこうむることになろうかと、はばかられることも多いのですが、ただそのことを天皇がご存じないとすれば、それもまた罪障の深いことでして・・)
 奥歯にものが挟まったような言い方で、なかなか本題に入ろうとしない。冷泉帝は何事だろうと不審に思い、こう思案する。
 『法師は聖といへども、あるまじき横ざまのそねみ深く、うたてあるものを』
 (法師というものは、どんなに徳の高い聖と言われるような者でも、道に外れたけしからぬ心を持ち、嫉妬心が深く、嫌なものである)
  この後、僧都は、やっと本題に入って、こう言う。
 『わが君(冷泉帝)、はらまれおはしたりし時より、故宮(藤壺宮)の、深くおぼし嘆くことありて、御祈りつかうまつらせ給ふ故(事情)なんはべりし。・・』
 そして結局、藤壺宮と源氏の道ならぬ行為を『詳しく奏し』てしまうのである。この時、冷泉帝は十四歳。僧都の話を聞いた彼は、
 『あさましふ、めづらかにて、恐ろしうも、悲しうふも、さまざまに御心乱れたり』
 十四歳の幼帝である。母の不倫を知ってしまったのだから、いかに動揺したか計り知れないものがある。しかも、母の相手は、信頼しきって後見してもらっていた源氏である。今まで実の父親(源氏)を臣下として仕えさせていたのだ。親を敬うことを限りない徳としていた儒教的な面でも、それは許されないことだ。帝は、源氏に帝位を譲るとまで、惑乱する。
 藤壺宮と源氏の密通は、絶対の秘密にしなければならないことであるし、これを知っているのは、藤壺宮お付きの女房の王命婦だけなのだ。これでは死んだ藤壺宮はあの世で浮かばれない。源氏も永遠の秘め事として、恐れつつも甘やかな思いで、あの世に行けたはずなのに。僧都の言動は、帝にとっても藤壺宮にとっても源氏にとっても、なんとも罪作りなことである。子供に親の真実を伝えたところで、どれほどの役があるというのか。
 この僧都は、最近盛んに起こっている天変地異は、帝がこのこと(親の密通)を知らないからだと、諭すのだが、ではどうすれば天変地異が収まるかなど、帝としての心構えについてはなにも教えていない。山でもトップクラスの僧都でもあろうし、帝の顧問弁護士たるもの、これでは完全に失格である。
 「法師というものは、どんなに徳の高い聖と言えども、道に外れたけしからぬ心を持っている」
ものだという冷泉帝の思惑は、見事に当たった。
 これは紫式部が、僧侶というものをあまり信じていなかった証拠である。現実にこの夜居の僧のような法師が、紫式部の周辺にいたのだろう。こういう僧こそ、地獄に落ちる。

 また、加持祈祷などについても、紫式部は心からは信じていないことは、源氏物語の中に散見されるのだが、このことについてはいずれ述べるつもりでいる。

 ただ僧侶にもいろいろあるようで、前回、触れた横川の僧都はまた独特である。彼は、春風駘蕩(たいとう)、飄々(ひょうひょう)としてこだわらない。
 この横川の僧都も、冒頭に述べた律師と同じく、山籠り中であったのに、長谷寺詣りをしていた母親が、旅の途中、宇治で病気になったからということで、のこのこ山を下りてきた。そればかりではない。その宇治で救った浮舟が、精神を病んでいると聞くと、再び山を下りてきた。さらにその後は、明石中宮の具合が悪いということで、またまた山を下りてきたのだ。なんと半年の間に三度も山から下りてきた。
 山籠もりとは一体何なの?と言いたくなるほどだが、この横川の僧を見ていると、相手を選ばないから、文句のいいようがない。赤の他人である浮舟のために祈ったとしてもびた一文にもならない。一方、国の最高の地位にいる中宮のためにもお祈りをするのだ。自由自在、融通無碍である。
 紫式部は、この僧都については良いとも悪いとも言わない。彼のやるに任せている。
 あの夜居の僧に対しては、「うたてあるものを」と冷泉帝に語らせているのに。
 実は、この横川の僧都こそ、恵心僧都源信(942~1017)その人がモデルだという。源信は、紫式部と同時代の人で、比叡山横川に隠棲し、『往生要集』を著した。この『往生要集』には地獄、極楽の様が、何とも懇切にそして詳細に描かれている。

 源信によると、極楽は、こんな調子であるという。
 「一切のもの、美を窮め、妙を極めて、見るところのもの、清浄の色ならざるはなく、聞くところのもの、解脱の声に非ざるはなし」
 「地はことごとく瑠璃でできていて、道は黄金を持ってなされ、楼上にはもろもろの天人がいて、常に伎楽を行い、如来の徳を詠歌している」
 「宮殿、楼閣には浴池があり、黄金の池、白銀の池、琥珀、瑪瑙、白玉・・とあり、その湯は味甘露の如しで、そこには蓮の花が咲き、微風吹ききたれば華光燦爛として四方に散り乱れる」
 「いたるところに孔雀、迦陵頻伽(かりょうびんが)などのうるわしい鳥たちが、昼夜、和雅の音を出し、木々には宝珠の葉や花が開く。春夏秋冬の別なく、光明はあまねく照らしている」
 「人は我にとらわれることなく、心は水の如く、争うこともなければ、訴えることもない」
 まさに極楽、極楽である。

 それでは、地獄はどうか。地獄には八つの種類があり、等活地獄から始まって、叫喚地獄、焦熱地獄などがあって、最後には無間地獄と続く。この世で犯した罪により配置先が決まる。
 それぞれがあまりに詳細を窮め生々しいので、ここでは、等活地獄だけを覗いてみよう。この地獄には、殺生の罪を犯した者が落ちてくる。ここには鉄縄と鉄棒と鋭い刀を持った獄卒がいて、罪人は常に打擲(ちょうちゃく)され、バラバラにされ魚の肉の如く放り出される。それだけではない。ここの罪人は、互いに害心を抱き、会えば鉄の爪を剥きだして、相手の肉を引き裂く。血肉は既に尽きて、骸骨だけが残る。しかし、一たび涼風が吹き来たると再び蘇生してしまって、同じことを繰り返すのだ。彼らの苦艱(くげん)は果てもなく続く。
 叫喚地獄、焦熱地獄、無間地獄ともなれば、ここに書き表わすこともできないほどにひどいものなので、割愛する。
この地獄の様をを聞いた人々はどう思うだろうか。「ああ悪いことはできない」と思うことであろう。ところが世の中にはひねくれ者がいて、こんなふうにも考えるのだそうだ。
 「なんだか極楽って面白味はなさそうだな、どうせなら地獄の方が毎日変化があって楽しそうだ・・」
 いずれにしても地獄の様をもう少し詳しく知りたい人は、『往生要集』をご覧になることだ。それほど難しくはない。
 源信の思想は、やがては浄土教の基盤となり、法然を生み、親鸞を生んでいく。源信を慕う人は多かったという。彼は世の名利にはこだわらず、「僧都」の称号も返上した。

 源氏物語の横川の僧都が、半年の間に三回も山を下りてきて、母のため、赤の他人のため、そして中宮のためにと何の差別もなく祈祷をしている。その融通無碍(むげ)の行為が、僧・源信に通じているようだ。紫式部は、そんな横川の僧都を良いとも悪いとも言っていないのだが、物語を通して、こんなお坊さまなら、きっと平安、安穏の世界に導いてくれるだろうと、こっそり言っているのかもしれない。
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