源氏物語

源氏物語たより56

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  詞書(こたばがき)にこそ真意が 源氏物語たより56

 神田の古本街を歩くのが楽しくて、さして買いたい本もないのに、よく歩く。今回も、三月のまだ風寒き日にもかかわらず出かけた。


 路頭にさらしの形で出ている100円均一の棚を見ていたら、『百人一首』という本が目に入った。ちょうど百人一首の解説書が欲しいと思っていたので、手に取ってみた。新書本で、表は真新しく、「どうしてこれが古本?」というほどの新品である。
 ところが中をペラペラめくってみて、びっくりした。全てのページに鉛筆で傍線が引かれているのだ。しかも、その引き方が半端でない、ほとんどすべての行に軒並み線が引かれているのだ。普通傍線というものは、重要なところとか、感動したところとか、新しく知ったところとか、今後の参考になるところとかに引くものであろう。こんなに文章全体に引いてしまったのでは、引かないのと同じことになってしまう。
 でもまあ、100円なら拾ったと思えばいい、とリュックに放り込んだ。

 家に帰って改めて見てみたら、やはり凄まじいばかりの線の引き方であった。一行一行あたかも定規を当てて引いたように、真っ直ぐに乱れのない直線が引かれている。こんなに真っ直ぐ引けるものだろうか。勿論フリーハンドである。ひょっとすると、この人、設計屋さんかもしれない。
 欄外にも何やらメモがいっぱい書かれている。しかし、よく見てみれば、文中の言葉をまご書きしただけ。たとえば、“古今集”とか“楓橋夜泊”とか“道長”とか、文中の言葉を丸写にしているだけだ。自分の考えや感想などは一切ない。
 「この人、一体どういう人?何考えてるの?」
と疑わざるを得ないほどの、まさに惨状である。恐らく受験勉強などしたことのない人だろう。

 ところが、この自閉的な線引き作業は、『百人一首』五十五首目、藤原公任の歌をもってぴたりと終わっている。さすがの設計屋さんも疲れたのだろう。やはりこれでは受験には向かないし、百人一首を覚えようとしたところで、これでは何がポイントかわからず、結局投げ出してしまうのが必定である。
 お陰で、その線を、消しゴムで消す作業が大変で、これほど力を込めてみた本も初めてのことである。

 ところが、力を込めて消しただけあって、この本なかなか素晴らしいものであった。大変な“拾い物”である。その夜のうちに、一気に六十五首目まで読んでしまった。
 高橋睦郎著『百人一首 恋する宮廷』中公新書
 それぞれ一首が、二ページの中で解説されているので、コンパクトで読みやすい。それぞれの歌の意味も分かりやすく、意を尽くして解釈されている。また、関連の歌や作者の紹介なども適切で、しかも、簡にして要を得ている。
 そして、何より評価できることは、歌の根拠となる詞書(ことばがき)がすべてあげられ、その説明がきちんとなされていることである。
 我々は、ともすれば歌の表面の意味だけを追いがちで、それでなんとなく分かった気になってしまうものである。歌の背景や歌のできた経過などにはこだわらず、表面的な言葉の解釈で済ましてしまうのだ。わざわざ『古今集』や『後撰集』などを引っぱり出して、その歌のできた経緯を探るなどということはしない。それでも、落語の『千早振る』ほど、でたらめな解釈ではなく、「まあ、当たらずとも遠からず」くらいにはなっていると思っている。
 ところが、高橋睦郎の丁寧な詞書の紹介で、
 「おお、そうなのか、」
 「なんだ、そういう意味だったのか」
と感心させられ、今までの理解のいい加減さを思い知らされた。しかも独特な解釈があって楽しい。いくつかの例を挙げてみよう。

 まず、小野篁(たかむら)。
 『わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよ 海士の釣り舟』
 (海原の多くの島々を目にかけて、舟を漕ぎ出して行ったと、都にいるあの人に伝えておくれ。そこで漁をする舟人よ)
 今まで、この歌は、小野篁が、瀬戸内海あたりを旅した時の歌だろうくらいに、のんきに解釈していた。ところが実は篁が、流罪にあった時の歌とは考えもしなかった。特にこの歌と流罪とは結びつかなかった。
 ところが『古今和歌集 羈旅歌』の詞書にはちゃんとこうあるのだ。
 『おきのくににながされける時に、ふねにのりていでたつとて、京なる人のもとにつかはしける 小野たかむら朝臣』
 百人一首を習おうとする者にとって、この歌が流罪の時の歌だということなど、常識のことなのかもしれないが、私のように、子供の頃、カルタ取りとして百人一首に親しんできた者にとっては、まるで「目からうろこ」であった。
 この詞書があれば、歌意は自ずから分かる。

 小野篁は、遣唐使副使に任じられたが、正使の藤原なにがしが気にいらず、病を理由にこれを拒否した。そのため、天皇の怒りをかって、隠岐の島に流されたのだ。難波(大阪)から出帆したというから、この「島々」は、まだ瀬戸内海を渡っているところであろう。気分的にはそれほど切羽詰まった時のものではあるまい。
 歌は、どちらかと言えば、周囲に浮かぶ釣り舟などを眺めながら、都に残してきた好きな女のことを思い浮かべたりして、余裕がある。そのため、ついのどかな海の旅を連想してしまうのだが、実際には流刑の途中であった。まだ瀬戸内とはいえ、彼は絶望の淵に落とされていたのだ。
 小野篁は、非常な博学であったという。藤原なにがしという、形だけの名目だけの正使などと一緒に、唐まで行くことを潔しとしなかったのだろう。あるいは、漢学の才豊かな彼にとっては、唐そのものに魅力が感じられなかったのかもしれない。それにしても、流罪覚悟で遣唐使拒否とは、随分思い切った行動をとる人だ。
 彼は、二年の流罪の後に、許され、中央にカンバックする。そして参議にまでなり登っていく。まるで光源氏のようなものだ。彼の学識がそうさせたのか、あるいは人柄なのか、この歌からは分からないが、流罪の途中にもかかわらず、釣り舟に恋文を託そうとする余裕は、やはり大物の素質十分のように感じる。
 ともかく、詞書を見ないでいたら、この歌は永遠に行楽の歌であった。斉明天皇(額田王)の、西征の歌を思い出す。これも月見行楽の歌ではない。
 『熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』

 次に紀貫之の歌。
 『人はいさ心も知らず ふるさとは花ぞむかしの香ににほひける』
 この歌の詞書は大変長いもので、貫之が、長谷詣での時は、いつも定宿のようにしていた宿に久しぶりに行ったところ、宿の主が「あなたのお出でいただくのを待っていつも用意をしていたのに」と皮肉っぽく訴えたことに対する返しの歌だそうだ。
 「確かにここの梅の花は素晴らしものです。ですから、私は間違いなく今夜はここに宿をとりますよ」
と宿の主に、社交辞令的に答えたのだ。したがって、
 「故郷の梅の花は、昔と同じように、良い香りを漂わせて咲いているものだなあ」
というような嘱目(しょくもく 即興的に目に触れたものをそのまま詠む)の歌ではないのだ。

 最後に、紫式部の歌。
 『めぐり逢いて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな』
 これも
 「久しぶりに訪ねてくれたと思ったのに、あっという間にお帰りになってしまうあなたなのですね」
という意味で、つれない男に対する女の愚痴含みの恋の歌なのかと思っていたのだが、『新古今集』の詞書には
 『はやくよりわらはともだちに侍りける人の、年ごろへて(長い年月がたって)ゆきあひたる、ほのかにて(ほんのわずか居て)、七月十日の頃、月にきほいて(月と競争するように帰ってしまい)侍りければ』
とあるそうである。恋人と思いきや、相手は間違いなく幼友達なのであった。
 絢爛豪華な恋愛長編小説『源氏物語』の作者であり、恋多き女性でもある紫式部の歌であるということで、この歌は恋の歌に間違いなしと思っていたのだ。
 もっとも、高橋睦郎もこう言っている。
 「(紫式部は)源氏物語の中の女君を、あれほど見事に書き分けるところからも、かなり同性愛的傾向を持った女性ではなかろうか。だとすれば、掲歌(この歌)はそのまま恋愛歌としても良いかもしれない」
 あれあれ。
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