源氏物語

源氏物語たより57

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  今は昔の物語  源氏物語たより57

 『いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり』



 これはもちろん源氏物語冒頭の文章である。流れるような口調なので一気に読み下してしまう。その響きの良さに「やっぱり古典はいいな」と思わせる一節である。この冒頭部分は、高校の教科書に必ず登場するから、日本人で知らない人はほとんどいないはずだ。この箇所を暗記している人も多いようで、私の兄なども、六十年も前に習ったはずなのに、いまでも暗記していてすらすらとよどみなく詠み上げる。

 実はこの冒頭の文章(物語の書き出し)は、紫式部の独創なのである。
 当時の物語の書き出しと言えば、みな『昔』あるいは『今は昔』であった。『桃太郎』や『舌切り雀』などの『むかしむかし、あるところに』というあのおとぎ話の語り口である。
 最も典型的なものが『今昔物語』であろう。今昔物語の出だしは、全て『今は昔』である。もっともそれ故に“今昔”物語というのだが。
 今昔物語は、この書き出しで、古今東西の有名無名、さまざまな人々に関する逸話を網羅していく。聖徳太子あり、平将門あり、盗人あり、老婆あり、天皇から受領、武士、僧侶、庶民に至るまで様々な人々が次々登場し、短い文章の中に小気味よくそれらの人々の逸話が語られていく。芥川龍之介が、ここに多く材を得ているのは有名なことである。
 今昔物語は、物語といっても、源氏物語とは基本的に異る逸話集である。

 その他の物語についても、書き出しはみな同じである。有名な作品についてみていってみよう。
 『竹取物語』 『今は昔、竹取の翁といふものありけり』
 『伊勢物語』 『むかし、男、うゐかうぶりして(元服して)、平城の京に』
 『うつぼ物語』 『むかし、式部大輔、左大弁かけて(かねて)清原の王ありけり』
 『落窪物語』 『今は昔、中納言なる人の、御娘あまた持ち給へるおはしけり』
 このように、“今は昔”あるいは“昔”と言うのは、物語の書き出しとしてパターン化していたのである。
 若干、違う書き出しのものに、『大和物語』と『堤中納言物語』がある。前者は、源氏物語よりも五十年ほど前の作品であり、後者は、源氏物語よりずっと後の作品である。『大和物語』はこういう書き出しである。
 『亭子の帝(宇多天皇)いまはおりゐ(いよいよ譲位)給ひなんとするころ』
 「昔・・」というような漠然とした表現ではなく、はっきりと宇多天皇の譲位のころと示している。しかし、この物語も、伊勢物語と同じように、170段にわたる小さな話の集合体で、歌物語集、伝説的説話集で、源氏物語とは全く分野を異にした、いわば“お話し集”である。
 『堤中納言物語』の書き出は次の通りである。
 『月にはかられて(月があまりに明るく夜が明けたとだまされて)、夜深く起きにけるも』
 何か近代小説の書き出しかと思わせるような雰囲気があるが、この物語もやはりいくつかの短編を集めたもので、源氏物語と比べるようなものではない。

 ところで、「昔」といえば、10年前も昔であるし、50年前も、100年前も、あるいは1000年前だって「昔」になる。“昔”と言っただけでは、その時代は無限に広がってしまい、実に漠然としたイメージでしかない。だから、読者は「今は昔」と始まったとしても、
 「まあどうせ時も所も我々とは全く異なる世界だろうし、真実味のない話なのだろう。だったら適当に楽しみながら読んでいけばいい」
くらいに軽く考えて読んでいくだろう。

 それに比べて、源氏物語の書き出しは、実に深い謀(はかりごと)のもとに書かれている。それは単に「今は昔」という類型を破っただけではないのである。そこには「適当な軽い気持ちでは物語の世界に入らせませんよ」という作者の強い気概がほの見えるのである。
 『いづれの御時にか』
 (そう、そういえばどの帝の時でしたでしょうか)
と書き出すことによって、読者の関心を一気に引き付ける。特に貴族社会に住む者にとっては、こう切り出されれば、思わず「何?何?・・何天皇の時だって・・」と、自分に何らかの関係がある天皇のことが語られ始めるのではないかと、思わず身を乗り出すことであろう。そして
 『女御、更衣あまたさぶらひ給ひける』
と書き継いで、時代を一気に絞っていく。
 というのは、“女御”“更衣”という言葉が使われるようになったのは、そう遠い時代ではないからである。奈良時代の帝の妃は、皇后(一人)以外は、“妃(ひ 二人)”、“夫人(ぶじん 三人)”、“嬪(ひん 四人)”という称で『後宮職員令』に定められていた。
 “女御”が、初めて出てくるのは桓武天皇の時、つまり平安遷都の頃である。“更衣”は、さらに遅れて登場する。
 したがって、『いづれの御時』とは、奈良時代のように遠い話ではなく、もっとずっと後の話だということが分かるのである。しかも女御、更衣が『あまたさぶら』っていた天皇ということになれば、
 「ひょっとすると某天皇のあたりかもしれない」
と、読者はぐっと身近なものとして関心を持つ。

 そして、桐壺の巻のその後に、「亭子院(宇多院)」とか「貫之」とか「伊勢」とか「高麗の相人」などの言葉を散らして、いよいよ時代を狭めていくのだ。伊勢(939年ころ没)と貫之(868~945年)は、同時代の人である。したがって源氏物語の世界は、伊勢や貫之が活躍していた時代以降のことで、紫式部を遡ることせいぜい100年程度の時代である。
 そこから、桐壺帝、朱雀帝、冷泉帝、今上天皇と四代にわたる天皇の元で、物語は進んでいくというわけである。

 古来、桐壺帝は、醍醐天皇になずらえられてきた。醍醐天皇の在位は、897年~930年であるから、確かに100年程度前の天皇である。とすれば、光源氏は、醍醐天皇の皇子で、臣籍に落とされた源高明(たかあきら)”に当たる。 源高明は、藤原氏によって太宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されている。源氏が須磨に流されたように。
 “朱雀”“冷泉”などは実在した天皇の名を使っているが、さて、そうなると今上天皇は何天皇に当たるだろう・・と、読者をして喧々囂々(けんけんごうごう)の渦に巻き込み、想像や類推、思考を波立たせていくのである。完全に紫式部の奸計に引っかかってしまった。
 こうして、彼女は、物語にいよいよ真実味を加えていく。

 紫式部は、さらにここで読者の興味・関心を煽っている。
 『いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり』
と。
 「身分がそれほど高くはないのに、帝の大層な寵愛を受ける?そんなばかなことがあろうか。それでは事件が起こるに決まっているではないか。」
と。このようにして読者の目を物語に釘づけにされてしまうのである。そして事実、現実味たっぷりの事件が切れ目なく次々に起こって、読者の興味をいやがうえにも掻き立てる。

 流暢な冒頭の文章ということで、ついすらっと読んでしまうのだが、たった60文字のこの冒頭の文章の中に、計り知れないほどの紫式部の深慮遠謀があったのである。
 そして、この60文字は、原稿用紙にすれば2600枚にも及ぶという超長編大河小説に繋がり、時代を超え、空間を越え、また身分や人種を超えて、人々を一喜一憂させ続けるまさに「源」になるのである。
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