源氏物語

源氏物語小さなたより6

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  光源氏のモデル・源融  源氏物語小さなたより6

 京都駅から徒歩10分ほどのところに、『渉成園』という庭園がある。東本願寺と鴨川の間にあり、東本願寺の飛び地である。

大徳寺や南禅寺の塔頭にあるような、いわゆる禅寺式枯山水の庭園などとは違って、のびやかで明るい庭園である。そう感じさせるのは、園の東側に広がっている「池泉回遊式庭園」であろう。琵琶湖疏水から分流させているといい、寝殿造りの庭園を偲ばせる広がりがある。
 ここは、源融(みなもととおる)の別荘・河原院があったところとも言われ、園内には源融ゆかりの史跡(九重の石塔)もある。実際には河原院とは違うという意見もあるようだが、鴨川にも近く、園の佇まいも平安の雰囲気を漂わせていて、池は浅いが、龍頭鷁首(りょうとうげきす)の舟でも浮かべれば、平安の雅が再現されそうな趣がある。

 夕顔が急死した廃院や光源氏が建てた六条院は、この河原院を模したもののようである。また、嵯峨にある清涼寺や宇治の平等院も源融の別荘だったところだが、いずれも源氏物語ゆかりの場所になっている。
 源融は、嵯峨天皇の皇子で、光源氏と同じく臣籍に下った。
 これらのことから、源融は、源高明(たかあきら)や藤原道長などと並んで、源氏のモデルの一人であると言われるのである。
 源融が、左大臣の時に皇位継承問題が起った。結局、五十五歳という高齢の光孝天皇が即位したのだが、この時、
 『(源)融のおとど、左大臣にてやむごとなくて、位につかせ給はん御心深く』
自分も皇胤で天皇の資格はあると主張したのだが、時の太政大臣・藤原基経に、
 「すでにあなたは源姓を賜っている、『ただ人』ではないか」
と一蹴されたと『大鏡』にある。
 とにかく彼は、絶大な財力を持っていたようで、嵯峨や宇治や六条に、壮大な別邸を構えていて、その面でも源氏並みの「やんごとなき(特別な)」人物であった。

 ところで、源氏には天皇になりたいという意志はあったのだろうか。彼の本心は明確には描かれていないが、藤壺宮との不義の子・冷泉帝が、源氏こそ自分の実の親であること知って、
 『(位を源氏に)ゆづりきこえまし』
と漏らすと、源氏は即座に
 『(自分への譲位など)恐ろしう思して、さらにあるまじき由を申し返し給ふ』
と断っている。
 しかし、彼の生活そのものは、天皇をも凌駕(りょうが)するほどの豪奢なもので、六条院で行われたさまざまな宴や行事は、規模においても内容においても、宮中で行われものを越えていた。彼には、窮屈な天皇になるよりも、臣下として思うままの生活をする方が、はるかに性に合っていのかもしれない。
 源氏の六条院は、渉成園の1、9倍。
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