源氏物語

源氏物語小さなたより7

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   敵は本能寺  源氏物語小さなたより7

 もうだいぶ前のこと、京都の上賀茂神社に行ったことがある。その時、境内を流れる小川のほとりに、懐かしい百人一首の歌が掲示されているのを見つけた。


 『風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける』
子供のころ、 妹が十八番(おはこ)にしていたもので、これだけは絶対人に取らせまいと、妹が大騒ぎした歌である。
 子供のころのことだから、もちろん歌の意味など分かろうはずはないのだが、実は大人の今も、多くの百人一首の歌意は分っていないのだ。特に前掲の歌などは全く分かっていなかった。
 「なぜこんなところにこの歌があるのだろう、“奈良の小川”なのだから、奈良県のどこかにある川を詠んだものではないのか。それが京都の上賀茂神社に・・」
と思ったのだから呆れてしまう。その後もずっと不審のままにしていた。
 ところが、『百人一首 恋する宮廷』(高橋睦郎 中公新書)を読んでいて、私の不審は全くの見当違いであることを思い知らされた。
 「ならの小川」とは、「奈良の小川」ではなく、「ナラ(楢)の小川」であった。つまり、周辺にナラの木が植わっているところを流れる小川ということだったのだ。この川を「御手洗川」といい、古来、ここでみそぎ(禊)をする神聖な川であった。 歌意は
 「ナラの葉をそよがせて吹く風は、もうすっかり秋の気配になってしまった。この寂しい夕暮れ、夏を感じさせるものといえば、ただ、夏越しの禊だけである」
 「夏越しの禊」とは、毎年六月(旧暦)にここ御手洗川で行われる禊のことで、そればかりが夏を偲ばせるものだという。季節の移り変わりと夕暮れの哀愁を忍ばせた、清澄な歌である。なんと「奈良の川」のみならず、「禊ぞ夏のしるし」も分かっていなかった。要はこの歌の歌意全体が全く分かっていなかったということである。

 この歌は、単に情景を叙情豊かに詠み上げただけのもではなく、歴史的な事実をも詠い込んだ、実は壮大な意味を含んだ歌だったようである、ということを『百人一首 恋する宮廷』が暗示していた。
 この歌の作者は、藤原家隆。定家と並び称される鎌倉初期の歌人である。定家が、その性狷介(けんかい 自分の意志を曲げず人と和合しない)であったのに対して、家隆は性まことに温厚であったという。しかし温厚な性格の中にも激しさも同居させていたようである。
 時は既に武士の時代になり、貴族が世に出る隙はなくなった。王朝の雅などはすっかり影を薄くしてしまい、王朝貴族の雰囲気を残しているものといえば、御手洗川で昔ながらに行われる『禊』だけでる。なんと辛くわびしい時代になってしまったものか。そしてこれからは、貴族にとってはますますわびしく暗い冬の時期が到来することであろう。
 家隆は、北条義時によって、隠岐に流された後鳥羽上皇を慕って、八十歳近い老齢を押して隠岐に渡ったという伝えもある。温厚な中に秘めた激しさは、隠岐にまで老骨を鞭打たせた。
 そんな歴史があることを『百人一首 恋する宮廷』は教えてくれた。

 そこで、私が思ったのは、この歌は誠に抒情的であるが、実はその中に家隆の武家政治批判を秘めた激しい嘆きが歌いこまれているのではないか、ということである。
 考えすぎであろうか。
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