源氏物語

源氏物語たより61

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  口八丁手八丁 光源氏の極み  源氏物語たより61

 十二歳で元服した光源氏は、四歳年上の左大臣の娘・葵上と結婚する。しかし、葵上の気位の高さ、いつも取り澄まして心許せない人柄が気に染まず、左大臣の家に行くこと(当時は男が女の家に通っていった)は稀で、内裏で宿直(とのい)ばかりしていた。


 なぜ内裏にばかりいたのか、それは、彼には人知れぬ憧れの人、帝の妃・藤壺宮がいたからである。内裏にいれば藤壺宮に逢えるチャンスがある。だから彼の意識には、葵上などはなかったのである。
 しかし、源氏を下にも置かず親身になってもてなしてくれる左大臣を気の毒に思い、久しぶりに左大臣邸に行くことにした。それは梅雨の晴れ間の暑い日であった。自分の部屋で女房たちと冗談ごとを言いあっているところに、左大臣がやって来た。打ち解けた格好をしていたので、御簾ごしの対面である。
 左大臣は何くれと源氏に話しかけるが、それが煩わしい。そこで、
 『「暑きに」とにがみ給へば、人々笑う。「あなかま」と脇息によりおはす』
 御簾越しで左大臣に見られる心配もないと思ったのか、
 (「このくそ暑い時に、うるさい話を。」と苦々しい顔をすると、それを見た女房たちがくすくす笑う。「これうるさい、静かにしなさい」と言って、だらしなく脇息に寄りかかる)
のである。相手はいやしくも時の左大臣である。これはとんでもない不躾な態度である。しかし皇子としての矜持も手伝うのだろう、平気なもの。女房たちとこっそり目配せし合っている。

 さらに失礼なことは、この日は内裏と左大臣邸は「方塞がり」であることを承知していて、すぐにも別のところに行けるだろうと目論んでいたことだ。
 『今宵、中神(天一神)、内裏よりは、塞がりて侍りけり』
という女房の言葉をいい口実に、来たばかりの左大臣邸から逃げだそうとするのだ。勿論、女のところにお出ましになるためである。
 雨夜の品定めで「中の品」の女に魅力的なのがいるという話を聞いて、こういう機会に早速その体験をしてみようと、受領の紀伊守の邸に出かけることにした。そこに若い女がいることも先刻承知の様子である。

 ここからが源氏の真骨頂である。
 紀伊守にすれば、源氏の御入来は、名誉であり、ありがたくはあるのだが、あまりにも急なことゆえ、少々迷惑でもある。そこで、父親の北の方(空蝉)が、「今我が家に来ていて手狭だから」とぐずるのだが、源氏は平気の平左で、こう言う。
 『その人近からむ、嬉しかるべき、女遠き旅寝はもの恐ろしき心地すべきを。ただその几帳のうしろに』
 女の几帳のすぐ後ろがいいと言うのだから、なんとも厚かましいことである。しかも源氏の供人までがふざけていて、こう言いはやす。
 『げによろしきおまし所(源氏の居所)にも』
 とにかく源氏は、軽妙にして洒脱。機智はあり、冗談が得意。時には相手を持ち上げたかと思うと、鋭く批判したり揶揄したりする。変幻自在である。

 さて、いよいよ夜になった。供人は、酒を飲んだくれて、みんな簀子の上で大いびきをかきだした。源氏ひとりが「旅寝」の寂しさでまんじりともしない。
 寝殿の東廂(ひさし)の間に寝転んでいたが、母屋(もや)の南側にも源氏の「おまし所」がしつらえられている。その北側の部屋から、女の衣のそよぎが聞こえてくる。どうやら目的の女(空蝉)がいるようである
 『やをら起きて、立ち聞き給へば』
と行動に出た。もうこうなると止まらないのが、源氏である。
 空蝉が、「中将(お付きの女房の一人)の君はどうしていますか」などと言っているのを聞きつけて、襖の掛け金を外してみると、なんと襖は開いた。北隣の部屋に入り込むと、果たして  
 『いとささやか(小柄)にて臥した』
る女がいるではないか。上に掛けていた衣を源氏が押しやると、女はやっと気が付き、『や』とおびえる。そこで源氏はこう言う。
 『中将、召しつればなん。人知れぬ思ひの、しるしある心地して』
 源氏はこの時、近衛の中将であった。先ほど空蝉が「中将の君はどこへ」と聞いていたのにことよせて、
 「私が中将です。お呼びがありましたから、まかり出ました」
と言うのだから、何とも呆れたことである。しかも、
 「前々から人知れずあなたのことを思っていたのですが、今宵このように逢うことができて、思い焦がれていた甲斐があった気がする」
と言うのだ。勿論空蝉とは今宵が初めての出会いである。嘘もここまで言えれば喝采ものである。彼は、さらに重ねてこう言う。
 『年頃、思いわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなん、待ち出でたるも、浅くはあらじと思いなし給へ』
 (長年あなたのことを思い続けていた。その気持ちを伝えるべく機会をずっと待っていたのだ。あなたとの縁はけしって浅くはないものとあえてお思いなさい)
 かさねて言うが、空蝉とは初対面なのである。「あなたとは浅くはない縁だと、無理にも思いなさい」と言うのだから、その厚かましさ極まったりである。
 この後、
 『いとちいさやかなれば、かき抱きて、障子(襖)のもと、出で給ふ』
 つまり、小さな体を抱いて自分の部屋に連れ出してしまったのである。死ぬばかり怯えて汗を流している女に、源氏は甘い言葉を言い続ける。
 『例のいづこよりとうで給ふ言の葉にかあらむ。あはれ知るばかり、なさけなさけしうのたまひ尽くす』
 「例のいずこよりとうで給ふ言の葉」とあるから、源氏はいつも女には、どこからとり出すのか分からないような甘い言葉を投げかけていたのだ。とにかく女が聞けば、身も溶けてしまうような情愛にあふれた(なさけなさけしい)言葉を際限なくささやき続けるというのだから、女はたまらない。彼の甘やかな言葉は、
 『鬼神も荒らだつまじきけはひ』
だという。これは古今和歌集の序にある言葉で、和歌というものは
 『力をもいれずして、雨土を動かし、目に見えぬ鬼神をも、あはれと思はせ、男女の中もやはらげ』
る力があるという。源氏の吐く言葉は、歌の真髄に通じていて、一たび吐けば男女の仲をも、しんなりと和らげてしまうというのだ。

 そして、
 『鳥も鳴きぬ。人々も起き出でて、「いといぎたなかりける夜かな・・」など言うなり』
 朝になって、供人たちは昨夜の深酒にすっかり深寝をしてしまったのだが、源氏は逆。一晩中空蝉をかき口説いていて、ついに鳥が鳴くまでになってしまったのである。源氏にとってはとても「いぎたながりける夜」どころではなく、一睡もできなかったのである。健康のためにはどちらがいいのでしょう。
 ただ残念なことに、空蝉はこの一回のみの契りで、その後は一切源氏を受け入れようとはしなかった。源氏のことが嫌いだったのではない。「自分が結婚していない身であったなら」と夢想すらしているのだ。彼女は貞淑だったのである。この貞淑さには、さすが鬼神をも荒らだつまじき甘言も、通じなかったようである。
 源氏の例の『負けては止むまじ』の魂も、空蝉には完敗であった。
 しかし、これ以降も、源氏の軽妙な言動はいたるところで威力を発揮し、重いテーマを含んでいる男女の問題も、厳しくのっぴきならない権力闘争をも、それほど重くも厳しくも感じさせることなく、読者を楽しい世界に引き込んでいくのである。
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