源氏物語

源氏物語たより62

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  左大臣の思惑  源氏物語たより62

 左大臣は、光源氏の元服に当たって、娘の葵上を添い臥しとした。“添い臥し”とは、東宮や皇子の元服に当たって、公卿などが自分の娘を添い寝させることで、事実上の結婚である。


 この時は、源氏の意志も葵上の意志も全く関係なく、桐壺帝と左大臣との考えで決められた。多分に政略結婚的なニュアンスを感じじさせるところである。もっとも源氏の心を占めていたのは、藤壺であったから、誰と結婚しようとどうでもいいことであった。源氏の里邸が改築された。趣深く素晴らしい邸ができたのを見て、源氏はつぶやく。
 『かかる所に、思うようならむ人(藤壺)をすゑて住まばや』
と随分恐れことを多い考える。

 さてそれでは、一方の左大臣はどういう思惑で娘を源氏と結婚させたのであろうか。
 葵上には、東宮(右大臣の孫で後の朱雀帝)から、女御として入内することを請われていた。東宮の妃となり、皇子を産めば、将来は間違いなく天皇の外戚である。そうなれば、政治を思い通りに取り仕切ることができる。
 歴史的にも、藤原氏は、いかに娘や自分の姉、妹を女御として入内させるかに腐心してきたか。藤原基経(836~891)などは、娘二人と妹や孫を天皇の后としているし、また、藤原道長(966~1027)は、娘四人と妹二人を中宮、后、女御として、多くの天皇を輩出し、「わが世の春」を謳歌している。

 ところが、左大臣はこれを断ってしまったのだ。その上で源氏と結婚させたために、右大臣の娘である弘徽殿の女御(東宮の母)は、左大臣のこの措置をひどく根に持っている。
 東宮の祖父である右大臣も、左大臣と同じく藤原氏である。しかし、互いに『御仲はいとよからねど』という状態であった。では、仲が悪かったから、その孫(東宮)には、自分の娘を入内させる気などないということだろうか。ところが必ずしもそうとは言えないようで、彼の長男(頭中将)は、右大臣の四の君を妻にしているのだ。
 それでは、左大臣の目的は何なのか。
 左大臣は、桐壺帝の信頼が厚く、しかも彼の北の方は桐壷帝の妹である。その上に、天皇が寵愛してやまない光源氏を婿にすることができた。これで桐壺帝・左大臣ラインの王国ができたということである。物語では、
 『いづかたにつけても(帝の信頼の麺も北の方の麺も)ものあざやかなる(立派である)に、この君(光源氏)さへかくおはしまし添ひぬれば』
 将来、外戚として、間違いなく世の中を治めるようになるであろう右大臣の勢いも
 『ものにもあらず、おされ給へり』
とある。帝の信頼、自分の北の方、さらに源氏もわが方ということで、盤石の態勢が整ったのだ。

 では、左大臣の狙いはここにあったのだろうか。しかし桐壷帝が亡くなれば、この王国もすぐ弱体化してしまうことであろう。源氏には桐壷帝以外に何の後押しもないのだ。事実、桐壺帝亡き後は、源氏は右大臣の圧迫にあって、須磨・明石への放浪を余儀なくされるのだ。左大臣家もこの間すっかり逼迫してしまう。

 左大臣が、源氏を婿としたのは全く別の理由からである。
 結論から言えば、左大臣は源氏に心底惚れていたからだ。肝心の娘は、源氏に対して、その後何の愛情も感じ取れず冷え切った夫婦仲であったというのに。
 ただ、葵上が、源氏に対して愛情を感じなかったのは、源氏の心がここになかったのだからやむを得ない。二人の間に子供が生まれたのは、結婚十年後である。恐れらく二人の間にはほとんど性的関係は持たれなかったのだろう。二人の心が近づくためには、葵上の死を待つしかなかった。

 ところが、左大臣は、当初から源氏に惚れぬいていた。娘に代わって源氏を愛していたと言っていい。彼の、源氏にかしづく(大切に世話する)姿は涙ぐましいほどである。その姿は微笑ましくもあり、なぜそこまでするの、と不審にさえ思わせるものがある。
 『紅葉賀』の巻にこんな場面がある。
 源氏が、左大臣邸に通っていくと、葵上は例の通りつんと澄まして打ち解けない。一方、左大臣は源氏の訪れがたまさかしかないことにいつも「つらし(恨めしい)」と思っているのだが、いったん源氏がやって来たとなれば、その恨めしさもすっかり吹き飛んでしまって、必死に世話を焼きまわる。
 次の日の朝のことである。源氏が内裏に御出勤ということで衣装を着けようしていると、左大臣が、源氏の部屋をさし覗いた。そして、
 『名高き御帯、御手ずから持たせて渡り給ひて、御衣の、御後ろひきつくろひなど、御沓(くつ)を取らぬばかりにし給ふ』
のである。“帯”とは束帯の時に着ける革帯のことで、石や金や白玉で飾る。左大臣が自ら持ってきたものは、それはそれは価値のある白玉か金で飾った帯であったろう。
 しかも『御衣の、御後ろをひきつくろひ』と言うのである。源氏の後ろに回って、自ら帯を着けてあげようとお手伝をするというのである。涙ぐましいほどのかいがいしさである。まるで源氏のためには靴でも履かせてあげかねないというかしずきようである。それに対して葵上は自分の部屋から出ようともしないのだ。

 葵上が、六条御息所の生霊に取り殺された時に、左大臣は、娘の死の哀しいことはさるものの、喪が明ければ源氏が左大臣家を去って行ってしまうだろう、もう訪ねてくることもなくなってしまうであろうことを、より以上に哀しんでいる。
 そのことを女房の言葉をかりて、左大臣がこう語っている。
 『「今日を限りにおぼし捨てつる故郷(左大臣邸のこと)」と(女房たちが)思ひ屈じて、(葵上と)長く別れぬる(死の)哀しびよりも、ただ、時々なれつこうまつる年月の(源氏と慣れ親しんだ年月の思い出などが)名残りなかるべきを、嘆きはべるなん、ことわりなる』
 左大臣は、「もう源氏さまがこの邸を訪ねてくることもなくなり、源氏さまとの長い思い出も名残りもなくなってしまうだろうことを、女房たちが嘆いているのも当然」と言うのだが、それは左大臣自身の心情である。

 左大臣は純粋なのだ。世にたぐいないほどの源氏の才能と美貌と人柄を心から愛していたのだ。婿だからではない。権力に代えられない魅力がそこにはあったからだ。
 源氏が、右大臣の邸で朧月夜と密会している現場に、右大臣が入り込んできて、ドタバタ悲劇を演じる場面がある(『賢木』の巻)。
 源氏は、その時の右大臣の「下疾(したど 早口)で、あわつけき(軽率)」な言動を見聞きしながら、「左大臣はこんなではない」と思い比べている。密会の現場を見つけられてしまったというのに、何とも不逞にも冷静な現状把握をしている。それは左大臣が彼をこよなく大切にしてくれる優しい情に感じ入っているからだろうし、源氏自身も、左大臣の人柄に惚れていたからかもしれない。

 左大臣は、権力にもあまり固執しないところがあって、太政大臣の地位にもそれほどこだわらなかった。そして、価値あるものを正しく評価できる人であったようだ。その価値の一つが光源氏であったのだ。
 その後、右大臣家は、あっという間に没落してしまう。右大臣も弘徽殿女御も、価値あるもの(源氏)の価値を正しく見極められなかった哀しさである。右大臣を祖父とし、弘徽殿女御を母とする朱雀帝も哀れであった。それが宿縁というものであろう。
 一方の左大臣家は、かつての頭中将が内大臣から太政大臣へと、源氏の後を追って、駆け上り、隆々たる繁栄をしていった。
 人柄がそうさせるのだ、血がそうさせるのだと紫式部は言いたかったのかもしれない。


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