源氏物語

源氏物語たより64

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  夕顔の五条の屋敷の広さは  源氏物語たより64

 源氏物語は、超上級貴族社会が舞台になっているので、庶民の生活が描かれることはほとんどない。『夕顔』の巻に描かれている五条の様子が、唯一源氏物語に描かれた庶民生活と言っていいだろう。


 ある時、光源氏は、六条御息所のところに忍び歩きに出かけた。その途中、五条に住んでいる源氏の乳母(源氏の忠臣である惟光の母)が病気だということで、見舞いに立ち寄る。
 ところが、惟光の家の門には錠が挿されていて、その鍵が見つからない。鍵を探している間、源氏は五条の通りでしばらく待たされることになった。
 五条は、平安京の場末である。ここには庶民の小さな家が立ち並んでいて、源氏の目にはその通りは『むつかしげなる大路』と映った。「むさくるしい大路」ということである。
 とその時、
 『見いれの程なく、ものはかなきすまひ(手狭でみすぼらしい住居)』
の塀に、白い花が咲いているのが目に入った。今まで見たことのない花である。思わず
 『をちかた人にもの申すわれ、そのそこに白く咲けるは何の花ぞも』
と問いかける。するとその邸から女童が出てきて、『夕顔の花である』と書かれた扇を源氏に差し出した。ここからこの家に住む女を“夕顔”というようになり、源氏とのはかない恋が始まるのである。

 ところで、夕顔の家の広さはいかばかりであったのだろうか。これがなかなか定めがたい広さなのである。
 平安京は、東西4,5キロ、南北5,2キロの都で、唐の長安を模して造られた。丁度綾瀬市の面積に匹敵する広さである。この都が、大路、小路によって東西、南北に地割りされ、『町(まち)』を作っていた。一町は、120メートル四方である。その町はさらに三十二の大きさに分割され、これを『一戸主(ひとへぬし』と言った。広さは、30m×15m、つまり450㎡(136坪)である。これが一般庶民の敷地の基本的広さであった。
 なお、大臣や大納言の宅地としては、一町が与えられ、以下身分によって、その二分の一町、四分の一町という広さの宅地が与えられる。

 それでは夕顔が住んでいた屋敷は、この一戸主の広さだったのだろうか。136坪といえば、私の屋敷の2,2倍である。
 御簾越しに通りを見ているあまたの女たちの姿が、源氏のいる位置からも見えるのだし、通りから「これは何の花?」と問いかける源氏の声が、屋敷にいる者にも聞こえるというのだから、確かに「見いれの程」もない広さのようである。
 後に、源氏が夕顔と朝寝をしていると、枕元に、砧を打つ音や御嶽精進の老人が経を唱える声も聞こえてくるという場面があるが、これからもやはりあまり広い邸とは思えない。
 しかし、この屋敷には「あまた(大勢)の女たちが住んでいる」というのが気になる。童や下仕えの者などを含めると、おそらく二十人くらいは住んでいよう。にもかかわらず130余坪の屋敷というのでは狭すぎはしまいか。
 それに、頭中将(かつての夕顔の恋人)の車らしいのが通り過ぎて行くと言って、童が大騒ぎするところがある。童が、夕顔のお付きの女房を呼ぶと、女房は慌てて本屋から長屋に渡ってくる。この時、女房は、打橋(掛けたり外したりできる板の橋)に衣を引っかけたりして、「何といい加減に作った打橋だろう」と文句を言っている。打橋があったり、長屋があったりの屋敷で、とても手狭な屋敷とは考えられない。
 そして、最も重要なことは、いやしくも源氏は皇子さまであるということである。しかも近衛中将なのである。そんな人が、わずか130余坪の家に、夜ごと通ってくるであろうか。そんなことがばれたら大変なゴッシプになる。『朝ズバ!』などではこれこそ特ダネだと言って、みのもんたが大喜びする。
 とすれば、最低二戸主(272坪)くらいは必要なのではなかろうか。
 ただ源氏が、夕顔の家に通うについては、それはそれは慎重であったことを考慮しなければいけない。源氏は普段は車か馬で行動する。それに近衛中将ともなれば、お供は4人は引き連れなければならない。しかし、この時は隋人一人と童一人だけである。しかも徒歩で通っている。もちろんひどく身なりもやつして。
 さらに愛し合うようになったにもかかわらず、夕顔には
 『顔をも、ほの見せ給はず(ちっともお見せにならずに)』
という物々しい警戒ぶりなのである。従来源氏は覆面をして夕顔と逢っていたと言われてきたのだが、そんなこともあるまい。扇で顔を隠していたのだろう。

 八月十五夜のことである。寝ていると、
 『隈なき月かげ、ひま多かる板屋、残りなく漏りきて』
 (八月十五夜のこうこうとした月の光が、隙間だらけの粗末な板葺きの家の中にすっかり漏れてくる)
という始末であった。それに朝になると隣近所の賤の男の話し声まで聞こえてくる。
 『あはれ、いと寒きや』
 『今年こそ、なりはひにも頼むところ少なくて(商売も見込みはなくて)』
 ついに源氏は決心する。この家で夕顔と密会するのにはあまりに支障が多いと思って、近くにある大きな廃院(源融の河原院がモデルともいわれる)に夕顔を誘う。結局これが夕顔を急死に導いてしまうのだが。
 ここまで慎重にならざるを得なかったのは、夕顔の家があまりにも狭かったからだ。こう考えると、五条の夕顔の家は、やはり一戸主が妥当であろう。
 近衛大将は、こんなところで、あまりにも危険なそしてスリルに満ちたアバンチュールを楽しんでいたのだ。いとしい女を犠牲にして。
 それにしても、庶民のこととなると、家の広さひとつ分からないのだ。こんなところも源氏物語の解釈を難しくしている要因の一つなのだ。
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