源氏物語

源氏物語たより65

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  撫で回す源氏の目 垣間見その2 源氏物語たより65

 自分の愛に一向に靡こうとしない空蝉に業を煮やした光源氏は、空蝉の弟・小君を語らって、再び忍び寄る。


 小君が、源氏を妻戸のところに立たせておいて、姉の状況偵察に行っている隙に、「空蝉は、伊予介の娘(軒端萩)と碁を打っている」と聞いたので、
 『(二人が)向ひゐたらむを見ばや(見たい)』
と源氏もじっとしていられない。好き者の血が騒いで、敵状視察にご出陣というわけである。そして、
 『やをら歩み出でて、簾垂の間に入り給ひぬ』
 この状況をよくよく想像してみると、随分おかしな仕草だ。いやしくも帝の第二皇子たる者が、簾垂を引きかぶって身を隠し、こっそり女の部屋を覗き見しようというのだから、褒められた行為ではない。
 部屋の格子は上げたままである。屏風は端の方がたたまれている。几帳も風を通そうというのか、帷子(かたびら)が几帳の横木に掛けられ、めくり上げられている。火も明るく灯されていて、部屋の中は
 『いとよく見いれらる』
のである。いよいよ源氏のあくなき覗き見の開始である。

 なるほど二人は碁を打っている。先ずは
 『わが心にかくる人(空蝉)』
に源氏の目は注がれる。源氏からは空蝉の横顔が見える。紫の綾織りの単襲(ひとえがさね)と、その上に何やら着ている。
 『頭つき細やかに、小さき人の、ものげなき姿』
をしている。あの方違えの日、小さき人であったので、いとも軽々と抱き上げて自分の部屋に連れ込み、強引に契りを結んだ人である。今こうして見ると、「ものげなき(さしたる取り得もない)容姿」である。しかし、相手(軒端荻)に見られないように袖で顔を隠しながら碁を打っているのを見れば、心遣いの細やかな人であることが察せられる。

 源氏の目は、もう一人の女の方へ移っていった。源氏からは、正面に見えるので、
 『残るところなく見える』
ではないか。こちらは白い薄物の単襲の上に、二藍の小袿のようなものを着ている。その着方はと言えば、
 『紅の腰ひき結へるきわまで、胸あらはに、ぼうぞくなるもてなしなり』
である。ここは、名訳の誉れ高い林望氏の『謹訳源氏物語』(祥伝社)をお借りしよう。
 「素肌に着けた紅の袴がすっかり見えてしまうほど、上着の前をはだけているので、胸もあらわに、自堕落に着こなしている。」
 夏の暑さも手伝って、着物の前をあけっぴろげにしているのだ。そのために、乳も見えてしまうほどだらしない着物の着方をしているのである。そこに源氏の目は釘付けになる。今まで源氏が意を交わした女たちは、みなたしなみが深く、こんな姿をする女は一人としていなかった。これこそ「中の品」の典型なのかもしれない。
 源氏の目は、さらに軒端荻の上を執拗に這いまわる。
 『いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて、そぞろかなる(背の高い)人の、頭つき、額つきものあざやかに(くっきりしていて)、まみ・口つき愛嬌づき、華やかなる(派手な)かたちなり』
と、隈なく観察される。白い肌、ぷっくり太っていてなかなか肉感的である。この後も源氏の目は、軒端荻に吸い寄せられて、離れない。彼女の髪はふさふさとしていて、額あたりの髪の下がり具合や肩に垂れた具合が、感じがいい。そこで源氏はこう結論付ける。
 『ねじけたるところなく、をかしげなる人(素直でおっとりとしていて、美しい人)』
 こう言う女も一面悪くはないものだと、にやりとするのである。
 そして、源氏の目は再び空蝉の上に戻る。
 「目は腫れぼったい、鼻はすっきり通っていない、どちらかと言えば悪い女の部類に入るかなあ・・」
などと勝手放題な品定めをするのである。
 源氏の目によって、二人の女はすっかり丸裸にされてしまった。

 夜になった。源氏が空蝉の部屋に忍んで行くと、肝心な人は、源氏の入来をいち早く察知し、生絹(すずし)の単襲だけを着て、逃げ出していた。そこにはなんと、別の女・軒端荻が寝ているではないか。人間違いに気付いたが、今更行為を止めるわけにもいかない。
 『かの、をかしかりつる火影ならば、いかがはせむ』
 (あの火影に、肌は白く、つぶつぶと肥えて見えた女なら、これもまたよしか」
とそのまま行為を続行してしまうのだから、呆れを通り越してしまって感心するばかりである。さすがに紫式部も言っている。
 『悪き御心浅さなめりかし』
 (軽率でよくない源氏のお心というものだろう)

 この覗きと忍び込みの場面には、いろいろ興味ある内容が詰め込まれていて、飽きさせない。
 たとえば、女同士で碁を打つということである。平安時代の貴族の姫君たちの生活の一端が、まさに垣間見られて面白い。しかも、着物の着方も何も頓着なしに、勝負に没頭している姿も見られるのだ。
 そして、『持』(じ どちらの地でもなく優劣のないこと)だとか、『劫』(こう 一目を双方で交互に争う場)だとか、『けちをさす』(駄目を詰めていくこと)だとか、碁の専門用語が飛び出してきて、いかにも臨場感にあふれた光景で楽しめる。
 碁を打ち果てて、軒端荻が「地」の数を数える速さが凄まじいのも、また微笑ましい。
 源氏物語には碁を打っている場面がよく登場する。『宿木』の巻では、帝と中納言(夕霧)が碁を打っている。それも帝の娘を賭けて打つのである。天皇から公卿、姫君、僧侶まで、みんな打っていたのだ。勿論、このことで紫式部も相当碁が好きだったことが知られる。宮中の女房どもも『持』だ『劫』だと言って、大騒ぎして碁を打っていたのだろう。

 源氏が覗き見をした後、戻ってきた小君に、
 「紀伊守の妹(軒端荻)が来ているそうではないか。私に垣間見させよ」
と、とぼけて言うところもなんとも滑稽だ。これに対して小君は真面目になって
 『いかでか、さははべらん。格子には几帳そへて侍り』
 (いやいや、そんなことはとてもできません。格子にはちゃんと几帳が立ててあるんですもの、見えるはずはありません)
と答える。格子が上げられたままであることも、几帳の帷子が上げられていることも、源氏は、先刻承知であるのに、小君をからかってほくそ笑んでいる。紫式部得意の諧謔である。
 余談だが、玉上琢弥氏(『源氏物語評釈 角川書店』)は、この源氏と小君とのやり取りについて、とんでもない解説をしている。源氏が小君に覗き見を頼んだのは
 「自分一人の罪でなく、自分の言うままになる小君を同罪に引き入れようとしたのである」
というのだ。源氏はそんなケチな男ではない。覗きをしたければ、自分一人で堂々とする。犯しだってへっちゃらだ。十歳ばかりの童に同じ罪を着てもらおうなどと考える器の小さな人物ではない。国語学者は、えてして人の心の機微を読むのが下手だ。

 それにしても、この場面の何と破廉恥なことか。現実にこんなことがあったとすれば、大問題である。垣間見は平安時代の風俗だというから仕方がないとしても、見も知らぬ男が突然部屋に闖入してきて、若い女の貞操を奪ってしまうとは。女は悲劇のどん底に突き落とされてしまうことだろう。間違いのない犯罪行為であり、悪徳の極みだ。
 ところが、ここを何度読んでも、じめじめした暗さや嫌らしさは感じないのだ。まして、悪徳行為だなどとは微塵も感じない。むしろ、明るく、屈託なく、口を開けて、笑って読んでいられるのである。
 そう感じさせるのは、随所にちりばめられた可笑しみのせいであろう。
 いい貴公子が御簾を引きかぶっている姿や、『我に垣間見せさせよ』などと子供をからかっているのなどには、思わず「く、く、」と笑ってしまう。また、勝った負けたと言って、碁の勝負に夢中になっている姿も、親しみのある風景だ。
 これらが、深刻な内容を救っているのだ。
 これも紫式部の筆のさえと言うべきであろう。
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