源氏物語

源氏物語小さなたより7

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  文化財流転の奇跡  源氏物語小さなたより7

 大英博物館の収蔵庫の中で、長い間眠ったままになっている文化財を、NHKはドキュメントとして放送するという。そこにはエジプトの遺物やインカの文物などがあるそうだ。


 そして日本のものもあるという。仁徳天皇陵などの古墳から出土したものだという。これなどは、なんと百年間一度も日の目を見ていないそうだ。
 以前大英博物館に行った兄は言っていた。
 「いや、すごいものだよ、一週間見ても見きれないだろう」
 恐らく収蔵庫には、それに何倍もする数の文物が眠ったままになっているはずだ。展示されているものはより価値の高いものだろうから、それよりも価値の下がる遺物たちが日の目を見ることは、今後ともありえない。 
 これらはみなイギリスが大英帝国であった頃、金と武力に任せて、世界各地から収奪してきたものだ。このまま日の目を見ないのだとすれば、いっそのこと元の国に返還すればいい。故国の人たちにさぞ温かく迎えられることであろう。

 日本の文化財の多くは、幕末・維新のころに海外に流れ出た。源氏絵も例外ではない。以前やはりNHKで報道していたことだが、源氏物語の巻物が、場面ごとに切り刻まれ、額に入れられ、ヨーロッパなどの一般家庭の壁を飾っていた。日本にあればみな国宝級のものである。
 幕末、明治の時代ほど、文化財にとって受難の時期はなかった。明治の顕官たちの文化に関する認識のなさは、誠に嘆かわしいほどであった。その時代を牽引していった者たちは、みな身分的には低い者たちばかりであった。伊藤博文も山形有朋も下級武士。薩摩の大久保利通また然りである。伊藤博文や山形有朋は、顕官になってから、故郷の萩には一度も帰っていないという。生まれた我が家の実態と今の身分があまりに懸隔しているので、恥ずかしくて、帰えるに帰えれなかったのだ。
 明治という時代が、ひたすら富国強兵に突き進まなければならない時代だったので、文化財などには心を止めている余裕はなかったという一面も確かにある。しかし、それにしても、彼らにもう少し文化に対する優しさがあってくれたらと残念に思う。 
 萩が好きなので何度も行っている。そして行くたびに思う。萩城(指月城)が残っていたらなあ、と。指月山をバックにした五層の城郭は見事なものであった。それが明治六年の廃城令に基づき、その翌年の明治七年には、壊されている。 
 指月山に登ると、山陰特有の海の青さが、木々の間から漏れてくる。もし、さらに木々の間からあの五層のお城が、ちらちらと見えてきたらどんなに旅情が深まることであろうかと、叶わぬ思いに浸らされる。伊藤博文たちは、自分の身分を思い知らせる象徴であるお城には、何の感慨も持たなかったのだ。むしろその城を積極的に壊すことで、新時代の創設を計ろうとしたのだ。明治維新は古いものを壊すことから始まった。中国のあの文化革命のように。
 今度のNHKの番組をじっくり見てみようと思っている。
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