源氏物語

源氏物語tしょり66

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  自然と人事のシンフォニー その2 源氏物語たより66
 
 「行きたいのです!命の世界の方に私は行きたいのです。そして、生きたいのです!もっともっといつまでも生きていたいのです」という悲痛な叫びを残して、桐壺更衣ははかなくなってしまった。


 「帝は、私をひっきりなしにおそば離さず、夜も昼も愛してくださった。それに、清らで聡明ないとけない子(光源氏)もいるのです。どうして二人をおいてあの世に旅立つことなどできましょう」
 まだ二十歳そこそこの彼女の、この世への執着は、人の腸を抉(えぐ)る。
 帝の思いもまた悲痛であった。
 「“比翼連理”と約束したではないか、それなのにどうしてこの私をおいていってしまうのだ」
と嘆きまどう。“比翼連理”とは、「二羽が一体となって飛ぶ鳥と、根元の連なった二本の木のことで、男女の契りの深いこと」の喩えである。「生きている時も一緒、死んでも一緒」ということで、最愛の人を亡くした帝のこの気持ちもまた、万感胸に迫るものがある。
 帝は悲しみのあまり
 『朝まつりごとは、怠らせ給』
うような状態になってしまった。平安時代の貴族の出勤は意外に早く、七時には仕事が始まったという。それで「朝まつりごと」というのだそうだ。
 帝は、悲しみのあまりに夜も眠ることもできず、また、食事も形ばかり。昼の正式な食事などには箸もお取りにならない。おそらく夜の食事もしなかったであろう。(当時の正式な食事は昼と夜の二食)。これでは朝まつりごとなどできる状態ではない。
 こういう時には、何を見ても何を聞いても、哀しい音色で響いてくるものである。
 『風の音、虫の声につけて、もののみ悲しうおぼさ(れ)』
何につけても、更衣や更衣の里にいる子供のことが偲ばれる。そして
 『ともし火をかかげつくして、起きおはします』
のであった。

 帝は、更衣の里に靫負の命婦を使わせる。
 この場面が、『野分の段』として、従来名文の誉れ高い箇所である。
 『野分たちて、にわかに肌寒き夕暮れのほど、常よりもおぼし出づること多くて、靫負の命婦といふをつかわす。夕月夜のをかしき程、(命婦を)出だしたてさせ給ひて、やがてながめおわす(そのままもの思いに耽っていられる)・・
 命婦、かしこに(更衣の邸に)まかで着きにけり。門引き入るより、けはひあはれなり。・・(庭は)草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月かげばかりぞ、八重葎(むぐら)にもさはらず差し入りたる』
命婦は、帝の悲しみを心に抱きながら、手入れもされなくなった庭の荒れた景を見て、涙を誘われる。誰でも、人の死に当たっては、全てのものことが日頃とは違って悲しく映るもの。月かげは、茂った草木や八重葎にも影響されることなく無心に差し込んできているだけなのに、それを見た人の心は千々に乱れる。
 この後、命婦は更衣の母親と涙の会見をし、帝の消息を伝える。帝の消息には次の歌が添えられていた。
 『宮城野の露吹きむすぶ風の音に 小萩がもとを思ひこそやれ』
 「宮城野」とは宮中のこと、「露」とは涙のこと、「小萩」とは光源氏のことで、
 「宮中には涙を誘うほどの哀しい風が吹いているけれども、宮中以上に悲しい風が吹いているであろう更衣の里では、あの可愛い子供はさぞ寂しい思いで過ごしていることであろうと、気にかかって仕方がない」
 帝は、風が吹くにつけ、小萩が風に揺れるにつけ、更衣のことが偲ばれ、忘れ形見の子供のことが偲ばれて、悲しみを抑えることができないのである。
 命婦と母親は、
 『夜いとうふけ』
るほどまで話し込んでしまう。
 でも、内裏では帝がまだ寝もやらずに自分の帰りを待っていられるに違いない。
 『今宵過ぐさず、御返り奏せむ(今宵のうちに、帝に里の様子をお伝えしなければ)』
といそいで更衣の邸を出る。
 『月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しく吹きて、草むらの虫の声々(涙を)もよほし顔なるも、いとたち離れにくき草のもとなり』
 内裏に帰ってみると、案の定、帝はまだ大殿籠られてはいなかった。命婦はそのお姿をあわれに見申し上げるのである。
 『御前の壺前栽の、いとおもしろきさかりなるを(帝は)ご覧ずるやうにて』
 四、五人の女房たちを侍らせて、しみじみと更衣にかかわる話をしていられた。

 この段は、帝と命婦と母親の心情が、目に映り肌に触れる自然と渾然一体になって描写され、まさに名文と言える段である。
 夕月夜のをかしき程に命婦を使いに出したあと、帝は、生前の更衣のそこはかとない言葉やつま弾く琴の音を、面影に浮かべながら、ふと古歌を口ずさむ。
 『ぬばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり』
 (暗闇の中で逢ったとしても、喜びなどは感じないもの。それでは夢で見るのとさして変わりがないではないか)
と。しかし、帝は思う。
 「たとえ真っ暗闇の中でも、手さぐりで愛し合っていることの方が、夢で亡き人に逢うよりもはるかにいいものだ。でももう愛する更衣はいない。夢で見るしか方法はなくなってしまったのだなあ」
 煙となって昇って行った更衣は、今は雲となり雨となり月となっているはず。今、夕月を眺めながら、更衣に触れるすべはないのだとしみじみ思ったのだろう。
 紫式部は、自然と人事のシンフォニーを情緒纏綿(てんめん))と描き出した。
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