源氏物語

源氏物語たより68

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  雪の功罪  源氏物語たより68

 雪というものはどうしてこれほど人の心を引きつけるのだろう。子供の頃から、雪には限りない憧憬の情を持っている。

 冬の朝、雨戸をあけるや、世界が一変していて銀世界。松の枝にはふんわりと温かそうに雪が乗り、孟宗の竹は雪の重みでしなりにしなっている。朝飯もものかはで庭に飛び出し、誰も踏んでいない新雪を飛び跳ねた。まさに犬は喜び庭駆けまわるである。
 雪への憧憬はいくつになっても消えることがない。この五年間、毎年欠かさず雪の温泉場めぐりをしている。野沢温泉や乳頭温泉、銀山温泉、今年は芦原温泉に出かけた。芦原温泉には雪はほとんどなかったが、ただ、宿の風呂場の湯けむりの向こうはるかに、越の白山が望まれた。四年前、知床の“北こぶし”というホテルに泊まった時は、雪をかぶった知床五山を余すところなく見ることができた。いずれも忘れ得ぬ雪の温泉場めぐりであった。
 また、奥穂から眺めた槍や焼岳の雪の山々、宝剣岳からみた初冠雪の南アルプスの間ノ岳や農鳥、乳頭温泉からの帰り道、鋭く山頂を見せていた雪の鳥海山、いずも脳裏から離れることがない。

 平安人も雪に対する思いは強かったようで、古今集の冬の部には31首の歌が載っているが、なんとそのうちの23首が雪を詠ったものである。百人一首の
 『あさぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪  坂上これのり』
もその一つで、清澄感のある佳句である。
 鎌倉時代初期の新古今集にも雪を詠ったものが多い。
 『明けやらぬ寝覚めの床に聞こゆなり籬(まがき)の竹の雪の下折れ  行部卿範兼』
などは、子供の頃の雪の夜を思い出させる。雪の夜は、風もないのに不思議にかたことと雨戸が鳴る。そして、時折木々の梢からばさりと雪の塊が落ちる。
 枕草子にも雪の描写が多い。冒頭の
 『冬はつとめて、雪の降りたるはいふべきにもあらず』
から始まって、181段
 『雪のいと高うはあらで、うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
 また、雪の高う降り積もりたる夕暮より、端近う、同じ心なる人二三人ばかり、火桶を中に据えて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火も灯さぬに、おほかたの雪の光いと白う見えたるに、火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひあはせたるこそをかしけれ』
などは、雪の日の人恋しさの心の機微を描いて出色である。さらに『香爐峰の雪』(299段)などは人口に膾炙(かいしゃ)されているところである。

 さて、源氏物語にも雪の場面は多いのである。
 『朝顔』の巻では、雪の素晴らしさを源氏の言葉を通して褒め称えている。
 『雪のいとう降り積もりたる上に、今も降りつつ、松と竹のけじめ(対照)をかしう見ゆる夕暮れに、人(光源氏)の御かたちも光まさりて見ゆ。
 『時々につけても人の心を移すめる(心惹かれるようである)花、紅葉の盛りよりも、冬の夜の月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの、身にしみて、この世の外のことまで思ひわたさる、おもしろさもあはれさも残らぬ(これに過ぎるものはない)」・・とて、御簾巻き上げさせ給ふ』
 源氏は、花や紅葉の季節よりも、月の光を浴びた雪景色を推奨しているのだ。「御簾を巻き上げさせた」のは、やはり「香爐峰の雪」の引用である。
 この後、源氏は女童を庭に下ろして、雪まろばしをさせる。童たちは、より大きな雪の玉を作ろうと大はしゃぎするのである。

 『浮舟』の巻では、雪が重要な役を演じている。浮舟のもともとの恋人である、薫の隙をついて、ある雪の降る夜、匂宮は、浮舟のいる宇治を尋ねる。まさかこんな雪の夜に男が訪ねて来ようとは思いもしなかった浮舟は、ある意味その情熱に感動する。
 匂宮は、浮舟を小舟に乗せ、向こう岸の隠れ家に連れ出す。誰にも邪魔されることなく睦みあうための恋の逃避行である。
 『雪の降り積もれるに、かのわが住む方を見やり給へれば、霞のたえだえに梢ばかり見ゆ。山は鏡をかけたるやうにきらきらと夕日に輝きたる』
景色を見ながら、匂宮は恋情を熱く浮舟に吐露する。
 「京から雪を踏み分けてここ宇治までやって来た。雪の道には迷うことはなかったが、あなたにはすっかり迷ってしまっている」
と。激しく匂宮に愛撫され、耽溺の二日間を過ごすのだが、誠実な薫への不貞の思いにさいなまれる一方、情熱的官能的な匂宮にも魅かれるのである。懊悩する浮舟は、不安な気持ちを断ち切れず、思わず歌を書きつける。
 『降り乱れ汀(みぎわ)に凍る雪よりも中空にてぞ我は消(け)ぬべき』
 「中空(なかぞら)」とは、どっちつかずで心の落ち着かない状態である。
 (風に吹き乱れて川岸に凍るように積もっている雪よりも、私はもっと頼りなく中途半端なまま消えて(死んで)しまいそうだ)
 抒情豊かな恋の逃避行に、雪は見事な効果をもって降るのである。
 この後、浮舟は宇治川に身を投げて雪よりもはかなく消えて行く。

 紫式部が雪の効果を最もうまく、しかもなんとも嫌らしく活用しているのが、『末摘花』の巻である。
 末摘花は、宮家の姫君であるが、今はすっかり零落してしまって、往にし世を偲びながら寂しく日を送っていた。そんな姫君が、妙なことから源氏の愛を受けることになった。しかし、この姫君、飛びぬけての変わり者。いくら源氏が話しかけても、ものも言わない。ただ
 『む、む。』
と言うだけである。
 ある夜、姫君を尋ねた。その夜は、
 『いとど、憂ふなりつる雪、かきたれ、いみじう降りけり。空のけしき烈しう、風吹き荒れ』
ていた。引っ込み思案で愛嬌もなく、なんの見栄えもない姫にうんざりして、ようやく明けた翌朝、源氏が自ら格子を開けてみると、
 『前の前栽の雪を見給ふ。踏みあけたる跡もなく、はるばると荒れわたりて』
いた。早速帰ろうとするのだが、さすがに姫が可哀そうで、思わずこう呼びかける。
 『をかしきほどの空を見給へ』
 しかし、引っ込み思案の姫は、なかなか縁に出てこようとしない。女房たちにそそのかされてやっといざり出てきた。俄然源氏の好奇心が湧いてきた。
 「いったいこの姫君、どういう容姿をしているのだろう。この雪の明かりで見てみたいものだ」
と彼の目は鋭く動いた。
 『見ぬやうにぞ、外の方を眺め給へれど、尻目ただならず』
 「尻目」とは、「横目」のことである。源氏は、外の雪を見ているふりをしながらも、その横目は「ただならず」動き出したのだ。ところが見てみて、今度は源氏が
 『む、むー』
と唸ってしまった。
 ここでは姫君の名誉のために、その容姿を詳述することは差し控えようと思うのだが、話が進まないので、少しだけは触れさせてもらわなけばならない。とにかく目立ったのはその鼻である。
 『普賢菩薩の乗り物の鼻』
と見えたのである。普賢菩薩の乗り物とは、(象)のことである。象の鼻と言えば長い。姫君の鼻は、象の鼻の如く長かったのだ。そしてその先端が紅花のように真っ赤だったのである。
 それに、背が高く(平安時代の女性は背が低いことが条件)胴長である。
 また、痩せていること哀れなほどで、肩の骨が衣の外に突き出している。
 そして、ついに紫式部の得意技が炸裂する。
 『色は雪はづかしく白うて、真青』
 顔の色は「雪はづかし」き程に白い、と言うよりも真っ青だというのだ。ここで雪の景色を見事に活用した。
 あまりにも気の毒で可哀そうな姿に「どうしてこうまであからさまに見てしまったのだろう」と源氏は悔やむ。
 
 雪は一朝にして世界を変える。『跡かくしの雪』という童話がある。雪はすべてを覆い隠して、罪や穢れをも消してしまう。「あはれ」とは、私は「変化する相に対する限りない思い』であるととらえている。自然現象の中で雪ほど事態を一変させるものはない。そこにこそ平安人は熱い思いを懸けたのだ。
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