源氏物語

源氏物語たより71

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  朧月夜の大胆そして奔放 源氏物語たより70

 現代人にとって、源氏物語に登場する女性たちの中では、朧月夜が一番人気のようである。紫式部が、精魂込めて理想的な女性像として造りだした藤壺宮や紫上は案外人気がない。

これは意外な結果である。確かに藤壺宮は完璧すぎる女性で現実感がないし、紫上も、光源氏によって、藤壺宮のように「足りないところのない女性」として造り上げられた人物である。特に紫上は、源氏の意のままに動くロボット的女性で、個人としての主体性がない。それが現代人には歯がゆく映る原因なのかもしれない。しかし私はいろいろの意味で紫上には心惹かれるし、彼女の哀しみには憐れみを禁じ得ない。
 一方、朧月夜は、平安時代としては型破りの女性である。自らのしっかりした意志をもって行動できる稀有な人物である。それは、時には奔放でさえある。個人の意思を表現できることを重んじる現代にあっては、そういう朧月夜は魅力的に映るのかもしれない。
 朧月夜の登場が、すでに型破りである。
 内裏での「花宴」が終わった後、例によって源氏は、藤壺宮の面影を求めて夜の飛香舎(藤壺のこと)の辺りを酔い心地で彷徨(さまよ)い歩く。しかし飛香舎は戸締りが厳重でとても忍び込むことなどできない。
 仕方がないので弘徽殿の細殿の方に寄ってみたら、なんと廂に入る三の口が開いているではないか。さらに奥のくるる戸まで開いている。やおら三の口から廂の間に入って行く。すると、闇の向こうから、
 『朧月夜にしくものはなし』
と、詠いながらこちらにやってくる女がいる。源氏は
 『いと嬉しくて、ふと袖をとらえ給』
いて、「男女の過ちを起こ」すのである。
 これが朧月夜御登場の場面で、誠に衝撃的である。大臣の娘たるもの、のんきに歌を詠いながら夜の殿舎を歩き回るものではない。これでは何かアバンチュールを期待しながら歩いていたと思われても仕方がない。
 源氏は彼女の歌を借りて語りかける。
 『深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思う』
 (私と同じように、この夜更けの情緒を味わおうと歩いていられるあなたは、私とはおぼろげ〔並みひと通りの〕の縁ではないと思います)
 源氏得意のなんとも勝手な女殺しの誘い文句である。しかも
 『やをら、抱きおろして、戸はおしたてつ(戸をぴたりと閉めてしまった)』
のである。さすがにびっくりした朧月夜はわななきながら
 『ここに人の!』
と叫ぼうとする。が、ここでまたまた源氏は、自己本位の嫌らしさを発揮する。
 『まろは、みな人に許されたれば、召し寄せたりとも、なむでうことかあらん。ただ忍びてこそ』
 「自分は誰からも許された身分なのだから、たとえ人を呼んだとしてもどうということはない。ただじっと静かにしていなさい」というのだからあきれるしかない。
 ただもっとあきれるのは、朧月夜の反応である。「まろは、みな人に・・」という言葉で、即座に源氏の君と分かった。その途端に、
 『この君と聞き定めて、いささか慰めけり』
と安心し身を任せてしまうの。なんともあさまし(驚きあきれる)ことである。これが朧月夜という女なのである。
 もっとも、源氏は当代一の男で、「紅葉賀」でも、みな人の涙を誘うばかりの舞を舞った。女たる者、お慕い申さないものはないのであるが、それにしても名家の子女がそう簡単に男に靡くべきものではないのである。

 実は、朧月夜は、東宮への入内がすでに決まっていたのである。ところが、源氏との過ちのために、正式に女御として入内させることは困難になってしまった。そこで、親は無理押しをして、「尚侍(ないしのかみ)」として宮仕えをさせることにした。尚侍とは、内侍どころで実務を司る長官のことで、二人いる。ところが、そのうちの一人は、実務者というよりも、女御、更衣と同じように実際には帝の妃扱いなのである。

 東宮が朱雀帝となられたその翌年、ついに朧月夜は「尚侍」として参内する。こういう身分になってしまっては、もう源氏と逢うことなどできるものではない。ところが、彼女の心は
 『思いのほかなりしこと(源氏のこと)どもを忘れがたく嘆き給ふ』
のだから、これでは何かが起こっても仕方がないというものである。
 案の定、二人は、朧月夜の住まいになっている弘徽殿で再び密会してしまうのだ。しかもそれは五壇の修法が行われている日のことであった。この日は帝は謹慎していなければならないのだが、その謹慎の隙を窺って源氏を弘徽殿に誘い込んだのである。それもあの細殿である。
 『かの昔おぼえたる細殿の局に(源氏を)入れ奉る。(五壇の修法のために)人繁きところなれば・・そら恐ろしうおぼゆ。・・めずらしきほどのみある御対面のいかがおろかならん』
 「いかがおろかならん」とは、「久しぶりの対面なのだから、朧月夜にとっては、どうして並み一通りの逢瀬などであろうか」ということであり、言い換えれば、「いかに切なく狂おしく激しい情交を繰り広げたことか」と言いうことである。
 五壇の修法は国家的な行事である。したがって、二人の行為は、帝に対しての背徳行為であるばかりでなく、仏に対する冒涜(ぼうとく)でもあり、国家に対しての反逆でもあるのだ。
 源氏は後に須磨に配流の身(実際には自ら身を引いたのであるが)になるのだが、それでも『罪なくして』『罪なくして』と再三繰りかえし弁解している。しかし、罪がないどころか、この一事だけでも「罪、万死に値する」のである。

 この後、二人はさらに大胆な行動をとる。朧月夜の実家で密会するのである。朧月夜の実家とは、右大臣の邸ということである。そこには弘徽殿もいるのだ。そんなところで密会するとはなんと空恐ろしいことであろうか。しかも女の方から誘ったのである。

 桐壺帝が亡くなってからというもの、源氏はなすことすべてが意に染まないことばかりで、やりきれない毎日を送っていた。勿論朧月夜に逢うのも思うに任せず、つれづれにながめ暮らしていた。すると女の方から手紙が来た。女の方から手紙を送ること自体、当時はありえないことであった。源氏物語の中でも特殊の例を除いてはない。
 『木枯らしの吹くにつけつつ待ちし間におぼつかなさのころも経にけり』
 「風のたよりにでも、お手紙くらいくれると思って待っていたのに、すっかり時がたってしまって耐えられなくなってしまったわ。何とかしてくれないの」というわけである。
 そこで源氏は行動を起こす。彼女がわらわ病みの治療のために里に帰っている時のことであった。わらわ病みの治療も「ものかは」で、何度も密会を続ける。それも弘徽殿女御も里にいる時である。
 最後の逢引きの夜のことであった。その夜は激しい雷雨となった。明け方、娘を心配した右大臣が、娘の部屋に飛んできたからたまらない。源氏は逃げるに逃げられない。右大臣が、几帳の中を覗くと
 『いと、いたうなよびて(しなやかで)つつましからず(平気で)、添ひふしたる男ありけり』
と、濡れ場を右大臣に抑えられてしまったのである。それでも源氏は平気な顔をしていたというのだからどういう神経をしているのだろう。
 さすがに朧月夜は、
 『我かの心地して(放心状態で)、死ぬべく思さる』
のである。こともあろうに父親に房事を見つけられてしまったのだ。そんな浅ましいことがどこの家庭に起ころうか。まして大臣家のことである。

 この事件が源氏の命取りのなってしまった。弘徽殿女御は、右大臣からの報告を聞き、烈火のごとく怒り、
 「私というものが一緒にいるにもかかわらず、のこのこと入り込んできて、ことのほか私を軽蔑し愚弄しおった」
と憤り、
 『このついでにさるべきことども構へ出でんに、よき便りなりと思し廻らす』
のである。「さるべきことども」とは、源氏追放のことであり、「その策略を練るには、この事件はかえっていい機会である」というのである。
 源氏は、ついに須磨に流れて行かざるを得なくなった。


 朱雀帝が冷泉帝に譲位した後、源氏と朧月夜は十四年ぶりに再会する。しかし、須磨流謫への思いや朧月夜の軽々しい性格への不満などから、心にわだかまるものがあったのだろう、もはやかつてのような仲に復することはなかった。
 やがて彼女は出家していく。非常に波乱含みの現代的な女である。
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