源氏物語

源氏物語たより81

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   花の話  源氏物語たより81

  『たより77』で、“鳥”を取り上げたところ、コメントを頂いた。主旨は、
 「とりどりの鳥を取り上げられていますが、尾長鳥をお忘れではありませんか」
というご指摘である。尾長鳥が、源氏物語のどんな場面に登場しているのか、私の記憶にはない何度も読んできたのに、見過ごしてしまったのだろうか。


 今回は、源氏物語の花の話をしようと思っているのだが、同じようなことがあるかもしれない。
 『枕草子』六十七段は「草の花」が主題である。清少納言は、ここで、彼女が好きなさまざまな花の名を列挙し、最後にこう言っている。
 『これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ』
 (以上、列挙した花の中に、薄を入れないのは、まことにけしからんという人があるようだ。秋の野で、全体として一番情緒のあるのは薄なのに)
 清少納言も、他の人々の花への思い入れを気にしていたようである。

 まことや、「たより77」で紹介したヒメシャラに巣を懸けたメジロが、六月一日、無事巣立っていった。
 「まことや」というのは、話をしたり文章を書いたりしている途中に、急に思いついた別の事柄をさしはさむ時などに使う感動詞で、「ああ、そういえば」とか「そうそう」とかの意味で、「誠」を響かせたなかなかいい古語だと思っている。もっとも私の場合は、メジロのことは決して忘れはしない事柄で、ぜひ誰かに話したいと思い続けていたことなのだが。
 十年前は、大きく育ったヒナをカラスにやられてしまったので、今回もまた同じ惨事が起きるのではないかと、それはそれは心配し続けてきた一カ月であった。それが、六月一日、みな無事に巣立っていった。
 ヒナは三羽かと思っていたところ、なんと五羽が、東に西に飛び立っていったのである。尻尾がまだない愛らしいその姿に、妻と二人で口を開けながら見送っていた。
 ただ、残念だったことには、一カ月の間、あれほど心配していた家主の私に、一言の挨拶もなく飛び去って行ってしまったことである、親子七羽が、ヒメシャラの枝に目白押しになって、「お世話になりました」とでも言ってくれるのではないかと期待していたのに、西に東に飛び去ってしまった。それにしてもメジロは、愛らしい。 
 
 さて、そろそろ源氏物語の花の話に入らなければならない。
 まずは、源氏物語に登場する主な花を列挙しておこう。
 梅、桜、山吹、菖蒲、藤、卯の花、空木(うつぎ)、撫子、夕顔、岩躑躅(いわつつじ)、檀(まゆみ)、桔梗、朝顔、橘、紫苑(しおん)、萩、竜胆(りんどう)、藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)、菊・・
 ついでに、先ほどの枕草子には、どんな花が上げられているのだろうか、参考に上げておこう。
 『草の花は、なでしこ、唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。をみなへし、桔梗、あさがほ、かるかや、菊、壺すみれ、竜胆、(以下文章は略)、かまつか(鶏頭か)、かにひ(何の花かは不明)、藤、萩、八重山吹、夕顔、しもつけの花、葦の花』
 もちろん、梅や桜や橘、あるいは、菖蒲などは、枕草子の他の箇所に上げられているし、その他の木の花や草の花も、まだまだたくさんあげられている。
 こう並べてみると、源氏物語の花と共通するものが多いことに気付く。平安人の花の好みが、共通していたということであろうか。

 ただ、不思議に思うことは、我々が日常よく目にする花であり、現代人が愛玩する花であるアジサイやボタンやヒガンバナが登場しないということはどういうわけだろう。また、私の好きなホタルブクロも出てこない。ホタルブクロなどは、寝殿造の前栽に植え込むには、最適なものと思うのだが。
 あるいは見落としているのかもしれない。それにしても、古典にあまり登場しないというのは、平安人の好みに、これらの花が入っていないからだろう。

 枕草子に第一番に挙げられている“撫子”は、源氏物語にも重要な花として何度も登場する。現代人にはそれほど持てはやされる花ではないが、平安人は大層珍重したようである。
 この花は、別に『とこなつの花』とも言われる。「撫でる」とか「床」とかいう響きが、いろいろの意味を派生するところに、彼らは面白味を感じたのかもしれない。
 現代人は、この「なでしこ」のもつイメージに、随分無頓着のようである。昨年日本中を沸かせた『なでしこジャパン』が、見事にそれを証明している。
 『なでしこジャパン』とは、よくつけたと思う。確かに見事な命名である。だから、この命名に、誰も異議など申し立てようとはしない。
 しかし、考えてみればこれほどミスマッチの命名も珍しい。
 「撫子の花」は、清らかで優しいイメージを秘めている。事実、その花も、清らかで優しい淡紅色の花を咲かせる。なよなよとした何かたよりなさを感じさせる花だ。だから優しく撫でてあげたくなるのだ。
 ところが、『なでしこジャパン』はどうだ。「撫子」などとは程遠いものだ。力強く、逞しく、凄みが溢れ出てている。野分がこようが竜巻が発生しようが、意にも介さず、敵陣に突進していく。沢選手などはその最たるもので、夜叉か不動明王の形相である。とても「撫でてあげたい」などとは思わない。あのイレブンに撫子を思わす選手はいただろうか。
 ドイツ戦やアメリカ戦の時などは、日本国民のすべてが、あのチームの名前などすっかり忘れて、興奮していた。
 そもそも、サッカーというものは、格闘技であり肉弾戦である。女の子のするものであるかどうかも疑問である。“撫子”風情で戦ったら、全戦全敗である。それでもにっこり微笑んでいるのが、“撫子”というものである。
 「なでしこ」とは、相手のあまりの頼りなさに、思わず撫でさすりたくなる、という意味である。少なくとも源氏物語では、そういう花として扱われている。

 雨夜の品定めの時に、頭中将が、かつて恋人にしていた女のことを、しみじみ語る場面が『帚木』に出てくる。二人の間には女の子まであった。後に分かることなのだが、この女の子こそ、光源氏がこよなく愛した夕顔なのである。
  頭中将がしばらく訪れないでいた時に、夕顔から消息が来た。そこにはこんな歌が添えられていた。
 『山がつの垣ほ荒るとも をりをりにあはれはかけよ撫子の花』
 「貧しい家に住む私のことなどはお忘れになってもしかたないのですけれど、撫でさすりたいほど可愛いこの娘にだけは、愛情をおかけください」という意味である。
 これに対して、頭中将はこう答える。
 『咲きまじる花はいずれとわかねども なほとこなつにしくものぞなき』
 「前栽に咲き交じっている花(夕顔と娘)は、どちらが美しいとはなかなか区別できないけれども、私にとっては、やはりとこなつ(夕顔)に及ぶものはありません」ということで、夕顔が「撫子」と詠いかけてきたのに対して、頭中将は、「撫子」の別名である「とこなつ」で応じたものである。「とこなつ」とは、また「とこなつかしい」に通じ、「床を共にする」意、つまり妻とか愛人とかという意味を含んでいる。
 この歌のやり取りの中に、なでしこジャパンが入り込む余地はない。

 源氏の正妻・葵上は、六条御息所の生霊に襲われ、子供を出産するや死んでしまう。悲しみに沈んだ源氏は、
 『枯れたる下草の中に、竜胆、撫子などの咲き出でたるを折らせ給ひて』
 葵上の母親に、次の歌を届ける。
 『草枯れのまがき(垣根)に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る』
 葵上が残していった子(夕霧)を、今は亡き人(葵上)の形見として慈しんでいきます、と、亡き妻を思い、子を思う気持ちを切々と歌い上げて、葵上の母を慰めたのである。
 源氏は、葵上の四十九日の喪が明けて、万感の思いを抱きながら、左大臣(葵上の父親)邸を去って行く。
 左大臣が、源氏の部屋に入ってみると、書きすさんだ手習いが机の上に散らされていた。そこには、二つの歌が書き留められていた。その一つ
 『君なくて塵つもりぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ』
 「あなたが亡くなってしまって、塵が積もってしまった床に、私は涙を払いながら、どれほど長いあいだ一人さびしく寝たことであろう」という意味であるが、この歌の裏には、いろいろと問題が含まれているのである。
 実は、葵上生存中は、二人の仲は、かならずしも芳しいものではなく、歌とは相反してあまり床を共にしてこなかったのである。にもかかわらず、今までいかに仲良く床を共にしてきたかと、しおらしく歌っているのだ。
 それは、左大臣が必ず、自分の手習いのように書きすさんだ歌を読むはずだと予測していたからかもしれないし、別の意図があるのかもしれない。
 この歌は古今集の次の歌に依っている。
 『塵をだにすえじとぞ思う咲しより妹と我が寝る常夏の花』
 隣家の人が、私の家に咲いている撫子をほしいと所望してきた。しかし、咲いた時から塵さえ置かせまいと思って愛(いと)おしんできた花だ。「妻と一緒に寝る床」という意味を持っている常夏の花だから、とても人にあげられるものではない、と断った歌である。何か温かく可笑しみのある歌である。
 源氏と葵上とは、とてもこれ程の愛で結ばれていたわけではないが、悲しむ左大臣を慰めたかったのかもしれないし、彼女をついに愛してあげることの出来なかった悔恨の情かもしれない。
 いずれにしても、撫子は愛らしく慕わしく、純で優しい花である。

 頭中将と夕顔の間に生まれた娘は、やがて素晴らしい女性として登場することになる。“玉鬘”である。実の親の頭中将には知られないように、源氏は、親代わりとしてこの玉鬘を引き取る。ところが、あまりに素晴らしい女性のために、源氏は親心どころか、好き心を丸出しにしてしまって、のぼせ上ってしまう。ことあるごとに彼女の部屋に入り込んでは、あらぬちょっかいを出す。
 ある月のない夜、玉鬘にすり寄った源氏は、とかく気色あることを言いかかったりする。そのうちに玉鬘の実の親の事に話がおよび、さて二人を会わせるべきか否か考え、こんな歌を詠む。
 『撫子のとこなつかしき色を見ば もとの垣根を人や訪ねん』
 「撫子(玉鬘)の、いつも変わらない、なつかしく優しい姿を見たならば、頭中将は、そのもとの垣根(母・夕顔)をきっと尋ねることだろう」という意味である。
 帚木の巻で「(子供よりも)常夏(夕顔)にしくものぞなき」とまで言っていた女性である。その後のいきさつをしつこく聞きただすに違いない。ところが、その女性を源氏は死なせてしまっているのである。それを知れば「よくも俺の常夏の花を」と怒りだすであろう。源氏にとってはそれも煩わしい。
 しかし、いつまでも知らせないわけにもいかない。そこで、頭中将に玉鬘を紹介すると、意外や、彼は、玉鬘を源氏に任せきりにしてしまう。
 やがて、玉鬘は、源氏の意に反して、武骨な、およそ撫子とは関係ないような「鬚黒大将」という男のところに嫁いでいく。

 撫子は、源氏物語の筋の展開の上で、このように重大な役割を果たしているのである。少なくとも源氏物語では、「とこなつ(撫子)にしく」花はないようである。
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~ Comment ~

 

おこらないでくださいね
尾長鳥は平安貴公子のことです。私には束帯姿のあの長~い裾(きょ)から尾長鳥を連想してしまうもので…
今回は『花』。『撫子』は家の玄関の脇に植えています。植えた年に、なでしこジャパンが優勝したので“優勝を予想”したかな?なんて家族内で得意気にしていました
(タコと張り合うなんて大人げない人間ですねー)
梅雨寒で草木たちもしんどそうです。 私の言葉が稚拙だったのでお手を煩わせてしまいました。次は面白いと思っていただけるようなナイスなコメントしたいと思います

尾長鳥が裾だったとは。 

> おこらないでくださいね
> 尾長鳥は平安貴公子のことです。私には束帯姿のあの長~い裾(きょ)から尾長鳥を連想してしまうもので…
> 今回は『花』。『撫子』は家の玄関の脇に植えています。植えた年に、なでしこジャパンが優勝したので“優勝を予想”したかな?なんて家族内で得意気にしていました
> (タコと張り合うなんて大人げない人間ですねー)
> 梅雨寒で草木たちもしんどそうです。 私の言葉が稚拙だったのでお手を煩わせてしまいました。次は面白いと思っていただけるようなナイスなコメントしたいと思います

尾長鳥が、裾だったとは。
尾長鳥は、山鳥という鳥だと思います。百人一首の柿本人麻呂の歌、「山鳥の尾のしだり尾の・・」のとおり、オスの尾はそれはそれは長いのだそうですが、裾も信じられないほどに長いそうで、時代とともに長くなっていったといいます。しかも位の高いものほど裾は長かったそうです。
裾でまずは思い出すのが、『花宴』で、光源氏が、右大臣の邸に乗り込んだ姿です。
『桜の、唐のきの御直衣、葡萄染めの下襲、しりいと長くひきて』
颯爽と登場する姿は、光源氏でないとできない芸当だと思います。
また、高欄に裾を長々と掛け垂らし、勢ぞろいしている公達の風情は、王朝絵巻の粋と思います。
山鳥にしても花にしても、平安人が、それらをすかさず生活に取り入れているのは、やはり見事ですね。
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