源氏物語

源氏物語たより83

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  静かなる死 藤壺宮三十七歳  源氏物語たより83

 『ともし火などの消え入るやうにて、はて給ひぬ』

 これが藤壺宮(以下 藤壺)の最期の様子である。
 「ともし火の消え入るやうに」とは、何とも静かな死に様である。お釈迦さまが、涅槃に入られた様を彷彿させる。藤壺は、何の憂いもなく清浄・安穏の世界に入られたようである。


 死の直前に、息子・冷泉帝の将来を心配しながら見つめなければならないこと、また、その冷泉帝を後見してくれている光源氏に、感謝の気持ちを伝えることができなかったこと、など心配や悔いはあったものの、あくまでも死に行く心は平静そのものであった。
 女の三十七歳は、厄年である。この歳は、天皇の母(この時、準太上天皇)ともなれば、厄払いのための大げさな祈祷が、さまざまな形で行われていいはずなのに、彼女はそれをしなかった。いや、させなかったのである。なぜか、
 『かしこき御身のほどときこゆる中にも、御心ばえなどの、世のためにも、あまねくあはれにおはしまして、豪家にことよせて、人の憂へとあることなども、おのづからうち交じる(こと)を・・世の苦しびとあるべきことをば、とどめ給ふ』
からである。身分の高い(かしこき御身)人や、権勢のある(豪家)者は、往々にして、その権勢に任せて、人々が嫌がることをも平気でするものである。ところが、藤壺はそうではなかった。人々に対して慈悲の心が強かったから、人々の憂えになること、苦しみになることは、これをさせようとしなかったのである。
 彼女の死の姿が、お釈迦さまを彷彿させるものであったように、その行いもまた仏の如きものだった。仏の境地に近づいていたからこそ、静かに死ねたのであろう。

 最近、三笠宮様がお亡くなりになって、それにかかわって、
 「葬儀の費用だけでも相当の額になる、天皇の場合だと一千億円はかかるだろう」
と週刊紙に載っていたが、ふと藤壺のことを思ってしまった。恐らく藤壺の葬儀は、簡素そのものだったことであろう。このような藤壺である、きっと心静かにあの世に旅立ち、あの世でも静穏にお過ごしになられることであろう。

 それにしても、彼女が出家に至るまでは、まことに危うい人生だったのである。
 先帝の娘として生まれた藤壺は、桐壺帝から入内を請われた。しかし、彼女の母親は、「あの桐壺更衣が、女御・更衣たちのねたみそねみにあって、いじめ殺されたように、後宮のドロドロした世界」を知り尽くしていたから、彼女の入内に反対であった。
 しかし、縁あって内裏に上がらざるを得なくなった。そして、結果的には、帝の寵愛を一身に受け、幸せな宮廷生活を送ることができたのであるが、例の弘徽殿女御は、依然として意地悪く健在であり、いつそのねたみそねみの矛先が、藤壺に向いてくるかわかりはしない。
 そして、弘徽殿女御以上に厄介なものがあった。光源氏である。彼のよこしまな恋心が、藤壺を悩まし続けた。しかも、困ったことには、藤壺自身にも源氏への切ない愛を切り捨てられないという辛さがあったのだ。それは、我々凡人が犯す不倫とは、規模が違うのである。自分をこよなく愛してくれている夫に対する裏切りだけではない、時の帝に対する背徳なのである。それが分かっていても、源氏への愛を断ち切ることができないのだ。それがまさに業というものなのである。 
 しかも、初めての契りで、子供までできてしまう。やがて、その子は東宮に立った。こうなると、藤壺にとっては、絶対絶命のピンチである。もしこれが公になれば・・と、針の筵に座っているような恐れとなったのである。何とか秘密が明るみに出ないように、源氏のよこしまな愛が静まるようにと、加持祈祷までしなければならなかった。
 そして、彼女の得た結論は、出家することであった。
 出家することで、まずは源氏の求愛から逃れることができるのだ。そして、それは東宮の安泰にもつながるし、さらには、夫への贖罪にもなる。ひいては自身の心の平安と後世の安穏にもつながるのだ。

 藤壺お付きの女房は、死に立ち会った源氏にこう語る。
 『月ごろ(ここのところずっと)悩ませ給へる御心地に、行いを、時の間もたゆませ給はずせさせ給ふ』
 病気に苦しみながらも、仏道修行に専念された。その結果ますます体を壊されてしまった、というのだ。それほどに彼女は必死だったのである。
 その必死の仏道修行の功徳が、死に臨んでの釈迦入滅の如き姿となって現われた。
 おそらく彼女のあの世の生活も、安穏にして平安なものとなるであろう。

 ところが、案に相違して、そうはならなかった。
 後に源氏の夢枕に、藤壺が立つのである。それは源氏が、今までに関係を持ってきた女性たちの人となりについて、紫上に語って聞かせた晩のことである。当然藤壺もそれらの女性の中に入っていた。 
 夢枕に立った藤壺は、源氏を大層恨んでいる様子で、こう言う。
 『漏らさじと、のたまひしかど、浮名のかくれなかりければ、恥づかしう、苦しき目をみるにつけても、つらくなむ』
 (私たちの秘密については決して口に出さないと言われたのに、浮名が出てしまいました。なんとも恥ずかしいことです。今、そのことで苦患に責められております。あなた(源氏)のことが恨めしくてなりません)
 藤壺は、安穏平安の後世を過ごしていたのではなかったのである。しかも、今、生前の罪滅のために苦しんでいると言う。身を壊してまで励んだ仏道修行も、あの世を保証するものとはならなかったのである。
 それほどに二人の犯した罪は大きかったということであろう。

 まして、源氏の後世はいかなるものであろうか。彼の犯したるや、藤壺の比ではないのである。『幻』の巻で、彼は「ともし火の消える」以上に静かに、波乱の生涯を閉じて行くのであるが、残念ながら、後世のことは描かれていない。あるいは、地獄に「源氏の間」があるかもしれない。
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~ Comment ~

 

『深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け』
そういえば、今年のタンポポは白い花がたくさん咲いていました。(震災で亡くなった方への哀悼でしょうか?)

源氏の生まれ変わりがいるとして、世間は何を期待するでしょうか?
私が推測するに、光源氏の生まれ変わり君は女の欲望の餌食にされてしまいそうです。でも光源氏の生まれ変わり君に、健全な友達がいれば人の道を踏み外さないで済むのではないでしょうか。
来世の光源氏のテーマは『友情』です。きっと。
最晩年の光源氏の寂しさには胸を突かれます。一緒になって辛くなっちゃうんです。

Re: タイトルなし 

> 『深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け』
> そういえば、今年のタンポポは白い花がたくさん咲いていました。(震災で亡くなった方への哀悼でしょうか?)
>
> 源氏の生まれ変わりがいるとして、世間は何を期待するでしょうか?
> 私が推測するに、光源氏の生まれ変わり君は女の欲望の餌食にされてしまいそうです。でも光源氏の生まれ変わり君に、健全な友達がいれば人の道を踏み外さないで済むのではないでしょうか。
> 来世の光源氏のテーマは『友情』です。きっと。
> 最晩年の光源氏の寂しさには胸を突かれます。一緒になって辛くなっちゃうんです。

光源氏の行為が、人の道を踏み外したものであるかどうかは、判断の分かれるとことろではないでしょうか。時代が違う、身分階層が違うということで、千年前の貴族の生活については、われわれの想像の外です。
女性に会ったら「あなたは素晴らしい、あなたが好きです」と言わなければならなかったようですし、それができない男は、雅心のない、野暮な男ということになったようです。
歴史に、「もし」という言葉は禁物、といいます。源氏物語も、「もし」という言葉をさしはさんでしまったら、面白味は半減してしまうのではないでしょうか。
『幻』の巻は、やはり涙なしには読めないですね。それだけ光源氏という人物が大きい存在だったということなのでしょう。

 

逸脱してしまいました…
光源氏の死が作者によって直接描かれていないので、読者(私)の中でも光源氏はまだ死んでいないような気がします。
『歴史にもしはない』ことはおっしゃるとおりですが、例えば『源義経は大陸に渡ってチンギスハーンになったのだ』という伝説が産まれてしまうように英雄や偉人は想像力を掻き立てる存在であるのも、また事実ではないでしょうか。わき上がる感情が行き場を失ってしまい、カタルシスを自ら産み出すのでしょう

ただ、『許される想像の範囲』を越えてはいけませんね。

過剰移入ということ 

> 逸脱してしまいました…
> 光源氏の死が作者によって直接描かれていないので、読者(私)の中でも光源氏はまだ死んでいないような気がします。
> 『歴史にもしはない』ことはおっしゃるとおりですが、例えば『源義経は大陸に渡ってチンギスハーンになったのだ』という伝説が産まれてしまうように英雄や偉人は想像力を掻き立てる存在であるのも、また事実ではないでしょうか。わき上がる感情が行き場を失ってしまい、カタルシスを自ら産み出すのでしょう
>
> ただ、『許される想像の範囲』を越えてはいけませんね。


感情移入ということは、物語や映画の鑑賞において大切なことだと思います。作中の人物に感情移入できるかどうかで、作品の味わいは、深くもなり浅くもなります。逆に作者のほうからすれば、鑑賞者がどれだけ自分の作品に感情移入してくれるかどうかが、勝負ということになるのでしょう。
紫式部などは、極端なほど読者を意識していますね。
ただ、問題なのは、過大に感情移入してしまいますと、まさに作品の内容を『逸脱』してしまうことがあります。これも時に困りものです。
私も、ここのところ、源氏物語の登場人物に感情移入しすぎてしまう結果、正常な判断ができなくなっていることに気付くことがあります。それが、人様に迷惑やわずらわしさを与えているのでは、と心配しています。
でも、学者ではないのですから、少しくらいは、逸脱しても許されるのかな、などと甘く考えてもいますが。
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