源氏物語

源氏物語小さなたより9

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  源氏物語礼賛  源氏物語小さなたより9

 『多くの物語のなかで、源氏物語はとりわけ優れた傑作であって、およそ前後に類を絶している。

 まず、これ以前の古物語は、たいして深く心を入れて書いたとは見えず、ただざっとしたもので、珍奇な興味をもっぱらにし、仰々しいことが多かったりして、どれも物のあわれの面については、こまやかさ、深さが欠けている。
 またこれ以後の物語は、『狭衣物語』などは万事『源氏』を見習って、心を込めた点はあるものの、ひどく見劣りがする。そのほか、大同小異である。
 そのなかにあって、ひとりこの『源氏物語』は、心のこもった、深刻な傑作で、文章が立派であるのはむろんのこと、この世に生きる人間の姿態、春夏秋冬折々の空のけしき、草木のありさまにいたるまで、すべてその描き方がすぐれている。
 とりわけ男女ひとりひとりの挙措、言動や心の姿を、それぞれ別様に描き分けて、ほめているのなど、個性に応じて一様でなく、現にその人と向き合っているかのように想像される。これはなみたいていの筆の及ぶところではない。
 また、漢籍などは、すぐれているといわれるものでも、この世の人間がことにふれて思う心のありさまを書く場合など、ほんのざっと書いてあるだけで、ひどくお粗末で浅薄なのが多い。だいたい人間の心というものは、漢籍に書いてあるように、一方に固定したままのものではない。心に何かを深く思い染めたさいには、あれやこれやと、くどいばかり女々しく、乱れあって、定まりにくく、いろいろ隈の多いものだが、この物語は、心のそうしたわずらわしい隈々まで、残るかたなく、精細に書き表わしている。それはまるで曇りのない鏡に映し、それと向かい合っているごとくで、およそ人情の諸相を描くことにかけては、本朝、唐土、過去はもとより、尽未来、比べるものはあるまいと思われる。
 また、どの巻も、珍奇で仰々しく、人の目をおどろかすようなことはほとんどなく、始めから終わりまで、ただ世の常の平凡なことの、似たような方面のことばかり書いていて、ひどく長い物語なのだが、読んで読みあきず、さらにその先を読みたいという気に駆られるのである。』      (中央公論社 日本の名著21 西郷信綱訳)

 これは、なにあろう、江戸の国学者・本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』の一節である。宣長の源氏物語への傾倒ぶりが見事に表われている。しかも、源氏物語に関する評として、意を尽くしている。
 この後、宣長は、弟子に源氏物語の講義を何度もするのだが、
 「何度講義をしても、やるたびに初めて読んだような気がして、新鮮で面白く感じる」
と言っている。なにか、我が意を得たりの感じがする文章である。まさにその通りで、源氏物語に「尽きる」という言葉は無縁のようである。
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~ Comment ~

 

未だに源氏物語の新しい本が書かれ続けていることからも、尽きることがないのは明らかですね。
おかげで、私は源氏物語から一向に足を洗えずにいます。
三田村雅子氏の『記憶の中の源氏物語』は執念で書き上げたような本でした。この本のおかげで、源氏物語熱がさらに高まりました。見つけてしまったのは自分ですから、しょうがないのですが。
もしかしたら、こういう諦念って、源氏と関係を持った女たちの境地かもしれませんね。

三田村氏のこと 

> 未だに源氏物語の新しい本が書かれ続けていることからも、尽きることがないのは明らかですね。
> おかげで、私は源氏物語から一向に足を洗えずにいます。
> 三田村雅子氏の『記憶の中の源氏物語』は執念で書き上げたような本でした。この本のおかげで、源氏物語熱がさらに高まりました。見つけてしまったのは自分ですから、しょうがないのですが。
> もしかしたら、こういう諦念って、源氏と関係を持った女たちの境地かもしれませんね。

三田村氏の『記憶の中の源氏物語』はまだ読んでいませんが、書店で見つけ購入しよと思っていたのですが、確か値段が素晴らしく高かったと思います。それで敬遠しました。
実は三田村氏の講座を、横浜で受けています。四回シリーズのうちの二回を三田村氏が受け持たれていました。
見事な話で、さすが、と思いました。
覚えているのは、「空間で読む源氏物語」という内容で、当時の京という町の全体像のことや、宇治十帖の『東屋』の巻です。
後者は、薫が、浮舟を宇治に連れ出すときの牛車の中のこと、つまり牛車の狭い空間についてです。薫が、浮舟を『かき抱きて、乗せ給ひ』て、宇治まで夜の道行きをする場面ですが、二人の様子を、後ろの座席で、おつきの侍従が、しみじみとうかがうところです。
三田村氏の話で、ますます牛車の空間というものが、艶なものに思えてきました。プロの凄さだと思いました。
今度ご指摘の本を読んでみようと思います。




 

えー!三田村氏とそんないきさつあるんですか!びっくりです。
私は図書館で『記憶の中の~』を借りて読みましたよ。図書館だと買うのではないから迷まなくて済んだまでです。買えと言われたらあきらめるかもしれません。自分の時間と心の中の一部分は源氏物語に囚われるのはもう仕方ないですが、如何せん、無い袖は振れませんので…。『記憶の中の~』は源氏物語の内容について書かれた本ではなく、どういうことが書かれているかというと「現実の社会がどのように源氏物語を扱かってきたのか」だと記憶しています。もう本を返却したので、「私の記憶の中の『記憶の中の源氏物語』」となっております。※実際とは異なる場合がございます。ご了承下さい……(冷や汗)。
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