源氏物語

源氏物語たより88

 ←源氏物語たより87 →源氏物語たより89
   弘徽殿女御のお人柄  源氏物語たより88

 以前、ある小冊子に「弘徽殿女御擁護論」が載っていた。主旨は次のようであった。
 「弘徽殿女御が、光源氏方(光源氏の母の桐壺更衣や藤壺宮など)に激しい圧迫や中傷を繰り返したのは、子を守る親としての母性本能から出た当然の行為なのである」


 しかし、そうだろうか。
 弘徽殿とは、天皇の日常の住まいである清涼殿に最も近い殿舎で、数ある女御・更衣の中でも最も権威のある妃が住まうところである。したがって、当然中にもっとも近い立場にある。(結局彼女は中宮にはなれなかった)
 弘徽殿女御(以下 女御)は、右大臣の娘で、第一皇子(後の朱雀帝)をもうける。ところが、帝は、更衣ふぜいの桐壺更衣を寵愛し、更衣との間に第二皇子(光源氏)が生まれるや、この子を溺愛するようになる。東宮には第一皇子がなるのは当然の理であるが、帝のあまりの源氏溺愛に、女御は、ひょっとすると源氏が東宮に立つようになるのではないかとの恐れを持つ。そこで、桐壺更衣や源氏に対する嫌がらせや迫害をますます激しくしていくのである。

 その意味で、小冊子の「弘徽殿女御擁護論」は、間違ってはいない。しかし、私には、なにかそれだけではない気がしてならないのである。単に「子を守る母性本能」から出たものだけではなく、彼女自身に本然的な性格の悪さがありはしないか。
 その性格がまず第一に現われるのが、桐壺更衣が亡くなった時の彼女の行動である。最愛の妃を亡くして嘆き悲しんでいる帝をよそに、平然として「遊び」に興じるのである。「遊び」とは、管弦のことである。琴を弾き琵琶を弾じ、笛、篳篥(ひちりき)、笙を奏で、太鼓を打ち鳴らすのである。
 『(帝は)風の音、虫の音につけて、もの悲しうおぼさるるに、弘徽殿には、久しう上の御局(帝の近くの寝所)にも参う上り給はず、月のおもしろきに、夜ふくるまで遊び(管弦)をぞし給ふなる。・・(帝の悲嘆を)ことにもあらず思い消ち(黙殺し)て、もてなし給ふなるべし』
 これが歌会ででもあれば、まだ許されることであるが、管弦は内裏の処方まで響く。特に天皇のいられる清涼殿は近いのだからかしましく聞こえる。
 彼女のこの行為には「更衣ふぜいの死がなにものぞ」という侮蔑的挑発的な姿勢がありありと見える。これには多くの者が眉をひそめ、帝も「全く興ざめな、気にくわぬこと」と思う。
 「更衣憎し」の思いは解できるとしても、ここまでできる女はそうはいない。帝との関係はもう決定的なものになっていたはずである。

 ここで女御の性格を
 『おしたちて、かどかどしきところものし給ふ御方』
と言い切っている。「我が強く、けんのある方」ということである。こういう女だから「嫌なものは嫌」とはっきり決めつけてしまう。寛容の気持ちや心の余裕がないのだ。源氏が紅葉賀の折に、『青海波』を、頭中将と見事に舞った。諸人はあまりの素晴らしさに、等しく感嘆の涙を流したのだが、女御ばかりは、それを「いまいまし」と見ているのである。
 『東宮(後の朱雀帝)の女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して「神などの空にめでつべきかたちなり。うたてゆゆし」とのたまふ』
 あまりに美しい者は、神がそれに見惚れて空に召してしまうという考えが、当時はあったことは事実であるが、女御は本心からそうなってしまえと思っているのだ。その思いが、源氏の姿を「うたてゆゆし(気味悪く不吉だ)」と言っている言葉に如実に出ている。

 この後、源氏は、すでに朱雀帝の妃と決まっている朧月夜(右大臣の娘で女御の妹)と密会を続ける。そして、こともあろうに右大臣邸で密会しているところを、右大臣に見つかってしまう。右大臣は、娘・女御のところに飛んで行って、それを伝えてしまう。すると怒り狂った女御は、源氏をののしりわめく。あまりの権幕に、さすがの右大臣も、「なぜ、娘に喋ってしまったのだろう」と後悔するほどの怒りようである。この時は源氏が一方的に悪いのだから仕方ないとしても、とにかく女御の気性の激しは並々ではない。
 
 この事件がもとで、源氏は、須磨に退去せざるを得なくなる。そして二年余の流謫生活の後、許されて京に召喚される。召喚されるや、源氏は信じられないほどの昇進をしていく。その様子を見て、女御はこう思う。
 『ついにこの人をえ消たずなりぬること』
と嘆くのである。つまり、源氏が流謫の身にある時に、抹殺できなかったことが、今日の源氏の栄進につながってしまった、なぜあの時、源氏を消してしまわなかったのだろうという、悔やみきれない悔やみの言葉なのである。この言葉には、とても女のものとは思えないほどの凄まじく憎しみが溢れている。恨み骨髄ということであろうが、改めて女御の『おしたちてかどかどしき』性格が肯(うべな)われる思いがする。

 朱雀帝が、冷泉帝に譲位して後、右大臣家は一気にその権勢を失墜していく。あれほど「右大臣家へ、右大臣家へ」と草木もなびく勢いであった権門は、見る影もなくなってしまった。
 ある時、冷泉帝の、院(朱雀院)への行幸があった。源氏も帝に付いて院を見舞ったが、そのついでに、弘徽殿女御(大后)を尋ねる。ありきたりの挨拶をしただけで、そそくさと帰って行く源氏の姿を見て、女御はしみじみと述懐する。
 『(源氏のように)世を保ち給ふべき御宿世は、消たれぬものにこそと、いにしへを悔い思す。・・命長くかかる世の末を見ること』
 源氏の今さらなる弘徽殿女御訪問とは、何とも皮肉なことであるが、わが権門は潰(つい)え、片や源氏は望月の如しである。女御の複雑な思いは、想像するにあまりある。性格が激しいゆえに、怒りや悔いの激しさもまた人に倍するものがあったことであろう。源氏が、この訪問を通して過去の女御の、母に対する迫害や自分への辛い仕儀にうっぷん晴らしたであろうのとは、あまりに対照的である。

 女御の「さがなさ(根性の悪さ)」は歳とともに募っていった。それには朱雀院も困惑させられたとある。彼女のもろもろの行為は、「弘徽殿女御擁護論」のような「母性本能」から出たものではないことが、このような事情でよく理解できると思う。
 女御がいつ亡くなったかは判然としない、しかし、そんなことはもうどうでもいい源氏の世界になっていた。
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより87】へ
  • 【源氏物語たより89】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより87】へ
  • 【源氏物語たより89】へ