源氏物語

源氏物語たより90

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  后の位も何にかはせむ  源氏物語たより90

 源氏物語講座で『末摘花』の巻の講義を受けていた。講師が「何か質問はありませんか?」というものだから聞いてみた。


 「大輔命婦は、およそ光源氏には相応しくない末摘花を、なぜ紹介したのでしょう?しかも嘘をついてまで。だって、大輔命婦は、末摘花の邸に局まで持っているのでしょう。末摘花の容貌や性格や古体な生活態度など、全てを承知していたはずなのに・・」
 すると講師はこう言われた。
 「まあ、そこはお話ですから・・そうしないと物語が進まない」
 講師の言葉を聞いて、はっと目が覚めた。
 「そうだ、これはお話なのだ。何もむきになって質問するまでのことでもなかった」

 大輔命婦と、末摘花の家との関係は深く、互いの父親の時代から付き合っていたようである。おそらく姻戚関係にでもあったのだろう。
 末摘花は、父の常陸宮が亡くなると、すっかり落ちぶれてしまった。宮様のお姫様とはいえ、こうなると、雨世の品定めの定めからすると「中の品」に当たる身分である。とにかく食べるものにも着るものにも事欠く有様。なにもかにも不如意な状況なのである。冬には、父親の残していった貂(てん)の皮の衣を着なければ、寒さをしのげないほどの貧窮ぶりである。その皮衣も、やがて兄のお坊様に持っていかれてしまう。
 大輔命婦は、そんな末摘花を経済的に助けたかったのかもしれない。色好みの源氏に「宮様の姫である」と話をすれば、必ずひっかかってくるだろう。源氏がパトロンになってくれれば、こんなに安心なことはない。
 それにしても、容貌といい性格といい趣味といい、どれ一つ源氏に相応しい点はないのだから、たとえ源氏が通うようになっても、その素顔はすぐばれてしまう。源氏に捨てられるのは火を見るより明らかだ。
 「命婦さん、あなた一体何を考えているのですか!」
と忠告してやらなければならないと思っていたのだ。だから、大輔命婦がどうしてあんな行動を取らなければならなかったのか、分かる人がいたら聞いてみようと、ずっと思っていた。いい機会だと、思わず講師に質問してしまったのだが、冷静になってみれば、これは物語の世界のことであった。

 それにしても、今までも源氏物語を読んでいると、虚構ということが、頭からすっかり消えてしまうことがる。夢中になって
 「なぜそこまでするのさ!いい加減にしなさい」
 「いくら何でもそれでは可哀そうだよ!」
 「あの時こうしておけば、こんな結果にはならなかったのに・・」
 「そうか、そうか、それはよかった!」
などと、登場人物の心や行動にあわせて右往左往してしまうのだ。怒り、嘆き、哀しみ、喜び、そして同情したり反発したりしていた。
 完全に紫式部の術中にはまっていたようである。

 『更級日記』の作者・菅原孝標の娘(菅原道真の五代後の子孫)は、叔母からもらった源氏物語全巻に読みふける。
 『几帳の内にうち臥して(源氏物語を)ひき出でつつ見る心地、妃の位も何かはせむ。昼は日ぐらし、夜は目の覚めたる限り、火を近く灯して、これを見るよりほかのことなければ・・』
という浅ましいほどの熱中ぶりである。「后の位も何かはせむ」とは恐ろしい。恐らく私と同じように、
 「なぜそこまでするの!いい加減にしなさい」
 「いくらなんでも、それでは可哀そうよ」
などと、紫式部の術中にはまっているのも知らないで、泣き喚いていたのかもしれない。
 とにかく源氏物語は、読む者の気持ちを強引にそちらに引き向けてしまうのだから、凄まじい力がある。限度というものを知らない人物が登場すると、「これ、これ」と思わず声をかけてしまう。また「こうした方がものごと安穏に行くのじゃないの」などと余計なお節介までしている。

 末摘花が登場する場面は、まさにその典型で、声のかけどおしである。源氏の嫌らしさがまざまざと出て来るからである。源氏の末摘花いじめは、二十年近くにわたって行われる。まるでそれが楽しみででもあるかのように。
 源氏が末摘花に逢ったのは、源氏が十八歳の時。あまりに非常識で古体な女であることに驚くのだが、一度関係を持った女は捨ててはおけないという源氏の御本性で、二条院の東院に引き取り世話をする。そこまでは“感心な源氏さま”なのであるが、ことあるごとに嘲笑し、いじめ抜くのだから、困った御本性でもある。
 あれから十九年後、夕顔と頭中将(今は内大臣)の忘れ形見・「玉鬘」を引き取った源氏は、彼女の裳着(女の子の成人式)を盛大に催す。各所各界からお祝いの品物が届く。もちろん贅を尽くし綺羅を尽くした物ばかりである。末摘花と同じく二条院東院に世話になっている空蝉は、贈る立場ではないと遠慮した。
 ところが、止めればいいのに、末摘花は、律儀にお祝いの品を贈ったのだ。これが
 『青鈍の細長(おんなの普段着)一襲(かさね)、落ち栗とかや何とかや昔の人のめでたうしける袷(あわせ)の袴一具、紫のしらきり見ゆる霰(あられ)地の御小袿』
である、
 「青鈍(あおにび)」は「喪服用の色」で、祝いの品の時に贈るものではない。「落ち栗」とは「やや黒ずんだ濃い紅色」のことで、これも祝いものとしては相応しくないものである。しかも昔の人が好んだ袷の袴である。若々しく世にもまれなる美しさの玉鬘に合うはずはないのである。
 また、古くなって色が落ち、白っぽくなってしまった小袿(こうちぎ 上流婦人などの平常着)も贈った。
 いずれも確かに非常識な物ではある。しかし空蝉が分をわきまえて贈り物をしなかったのに対して、末摘花は、「こういう場合には祝い物は贈らなければならないものなのだ」という古体な考えのもとに、律儀に祝いをしたわけである。褒められこそすれ、怒られる筋のものではない。

 ただ、贈り物に添えられた『唐衣』の歌がいけなかった。源氏のつれなさを訴えていたのである。源氏が返した歌が、これである。
 『唐衣またからごろもからごろも 返す返すも唐衣かな』
 いつも古臭く決まりきった行動しかとれず、贈り物も歌も、晴れの裳着の式にそぐわないものばかり。それに対して源氏が痛烈に皮肉ったのである。
 それにしても、あまりにもふざけすぎた歌ではないか。この歌を見せられた玉鬘も、さすがに言う。
 『あな、いとほし。弄じたるやうにも侍るかな』
 「弄じる」とは、馬鹿にするということである。
 なんとも許せない男である。弱い者は徹底していじめるのだ。柏木(内大臣の嫡男)もそうして殺された。

 その内大臣(昔の頭中将)だってそうだ。 源氏が、どこからか素敵な女の子(実は自分の娘である玉鬘なのだが)を探し出してきて、大事に育てているという噂を聞いて、対抗意識を燃やす。自分もかつて関係した女が産んだ子を探し出だそうと、子供たちに檄を飛ばす。やがて柏木が探し出してきたのが『近江君』である。
 ところがこれが信じられないほどに「あはつけき(軽薄な)」女で、しかも「舌疾(したど 早口)」ときている。
 玉鬘が、内侍(ないしのかみ)として内裏に出仕することを聞き付けた近江君は、こともあろうに、内大臣などに「自分をなぜ尚侍に紹介しなかったのだ」と抗議する。それを見て、内大臣一家の者があきれ果てて、みんなで次々嘲笑し愚弄する。
 柏木 「尚侍なら私もなりたいわ。お前なんかは、天照大神のように天の岩戸にかくれてしまうといい(顔も見せるなという     こと)」
 弟の弁「あなたも、むちゃクチャのことを考えるものよ」
 内大臣「尚侍になりたいという希望を持っていたのなら、なぜ私に早く言ってくれなかった。願い文でも美々しく書いて提出     しなさい」
 そして内大臣はこう言う。
 『ものむつかしきをりは、近江の君見るこそ、よろづまぎるれ』
 これを伝え聞いた世間の人々は、内大臣一家が近江君を笑ひぐさにすると
 『「はじがてら(照れ隠しに)はしたなめ給ふ」など、さまざまに言いけり。』
 「はしたなめる」たは「辱める」ということで、世の人々は、内大臣一家の人でなしを非難したということである。
 
 源氏の末摘花いじめも常軌を逸しているが、内大臣一家もまた、源氏に輪をかけている。世の人とともに私もまた
 「許せない!」
と憤っているのだ。どうしても『更級日記』の作者のように、紫式部の術中にはまり込んでしまう。あたかもお釈迦様の手のひらで飛び跳ねて得意になっている孫悟空のように。
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~ Comment ~

大輔の命婦のこと 

常陸宮邸が居心地いいと言って里下がりにしている、大輔命婦が
なぜ末摘花を紹介したか、
もっともな疑問と思います。
どの先生がおっしゃったのか、はっきりしませんが、
当時、一緒に住んでいても、末摘花の容貌をはっきりみたことがなかった、ということは十分ありうる、
という、ことでした。
源氏物語は決してこれは作り話だから、といった逃げはつくってないと、思います。
ち密な構成力と、人物造型は比類ないもの、と広く認識されていると思います。
私がこの巻で疑問に思ったことがあります。
なぜ大輔命婦が常陸宮邸を里としているのだろう、ということです。
父の大輔は再婚して宮邸の外に出て行ってるのに。
あなたのブログで、
「互いの父親の時代から付き合っていたようである。おそらく姻戚関係にでもあったのだろう。」
というのに、答えをもらったように思いました。
書かれてはないのでしょうが、納得しました。

大輔の命婦のこと 

> > 常陸宮邸が居心地いいと言って里下がりにしている、大輔命婦が
> > なぜ末摘花を紹介したか、
> > もっともな疑問と思います。
> > どの先生がおっしゃったのか、はっきりしませんが、
> > 当時、一緒に住んでいても、末摘花の容貌をはっきりみたことがなかった、ということは十分ありうる、
> > という、ことでした。
> > 源氏物語は決してこれは作り話だから、といった逃げはつくってないと、思います。
> > ち密な構成力と、人物造型は比類ないもの、と広く認識されていると思います。
> > 私がこの巻で疑問に思ったことがあります。
> > なぜ大輔命婦が常陸宮邸を里としているのだろう、ということです。
> > 父の大輔は再婚して宮邸の外に出て行ってるのに。
> > あなたのブログで、
> > 「互いの父親の時代から付き合っていたようである。おそらく姻戚関係にでもあったのだろう。」
> > というのに、答えをもらったように思いました。
> > 書かれてはないのでしょうが、納得しました。

当時のご婦人方は、顔を見られることに大変な警戒心を持っていたようです。たとえ自分が召し使う女房でも、御簾や几帳越しに対応していたものと思われます。
清少納言が、大進生昌の邸に行った時に、車が門を入らないため、歩いて行かざるを得ず、生昌の家臣に顔を見られるのではと大変嫌がった話(枕草子第6段)があります。ことほど左様に、女性が顔を見られることは女性にとって大変な恥だったということでしょう。
したがって、大輔の命婦は、おしゃる通り、末摘花の顔をを見ていないかもしれません。
しかし、大輔の命婦は誠にしたたかな女です。末摘花が無口であること、また丈高であることは、見ないでも分かることですが、彼女のことですから、几帳のほころびから、ちゃっかり末摘花の顔も見ていたということは当然考えられます。
光源氏に末摘花を紹介しておきながら、しぶしぶ顔をしてみせたり困ったような様子をしてみせたりしていることが、そのことを暗示しています。

ところで、『末摘花』の巻は、紫式部が、あまりも末摘花を虚仮にしすぎているということで、嫌う人があるようです。確かに極端なほど愚弄しています。でも、人生って、そんな面もあるのではないでしょうか。
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