源氏物語

源氏物語たより97

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  破局への道 光源氏の威光  源氏物語たより97

 柏木が、なぜ自らの命を賭けるほどに女三宮(以下 三宮)を恋い焦がれたのか、理解に苦しむところである。源氏をはじめとするおおかたの三宮の評価は、あまりに
 「未熟で、幼く、おっとりしていて、無邪気で、思慮に欠ける」
というところであった。


 一方の柏木は、「沈着で、心ざしが高く、才覚があり、思慮もあり、行く末頼もしい人物」であった。それが、どうしたはずみか、片なりで思慮に欠ける三宮に命を賭けてしまったのだ。恋は盲目であり魔物である証明ともいえようか。
 『若菜上』『若菜下』は、非常な長編で、様々な内容を織り込みドラマッチクに筋を展開させながらも、三宮の片なりな人柄と思慮のなさという問題をテーマとして、それが、全編を貫いていて、物語を突き動かしている巻である。
 
 ここで、柏木と三宮が破局にいたる経過を簡単に振り返ってみよう。
 朱雀帝は、片なりな三宮の将来が気がかりでならず、二十七歳も歳の差がある源氏に預けた。源氏に預ければ、紫上を理想的な女性に育てたように、三宮をもまた立派な女性に育ててくれるであろうという思惑があったからである。
 しかし、彼女はあまりに片なりすぎ、いはけなく、軽率すぎた。源氏は、即座にそれを見通してしまい、彼の三宮に対する期待は一気に萎んでしまい、愛情も尊敬の念も片鱗もなくなった。それでも、朱雀院への義理がある。三宮のところに通うのは、そのためだけのものになってしまった。

 柏木の恋心を燃え上がらせてしまったのも、また彼女の幼さ、不用意さ、軽率さからである。こともあろうに、めくれ上がった御簾の後ろに、彼女は立ち姿でいたのだ。それを柏木と夕霧の二人の男に見られてしまった。そもそも女が、廂の御簾のすぐ後ろに立っていること自体、許されないことなのである。まして、男にその姿を見られてしまうなどということは、当時とすれば、生きていられないほどの屈辱なのであった。

 そして、今回の中心になる手紙発覚も、三宮の軽率さと思慮の浅さに由来する事件であった。
 柏木も、三宮と密通事件を起こすなどということは、誠に思慮に欠けることであった。沈着で思慮深い彼としては信じられない行為である。
 しかも三宮への心情を赤裸々に吐露した手紙を何度も送るなどは、考えられないことである。結局それが、源氏に見られ、不運につながってしまったのである。

 また、柏木は、密通の相手を間違っていた。それは、内親王という恐れ多い人を相手にしたから、ということではない。相手が、源氏の正妻であったということである。
 そもそも源氏と柏木では、人間の器が違うのである。源氏は、一級の男が十人束になっても敵う相手ではない。生まれといい容色といい、知識教養といい、並みの人物ではないのである。それに加えて、頭脳は明晰、論理整然、弁舌爽やかである。思慮・判断力も抜群で、行動が迅速である。その上に、諸芸に秀でているというのだから、鬼に金棒を持たせたようなものである。まさに「凄い男がいたもんだ」なのである。
 そういう人物の妻を犯すなどは、天皇の后を犯すよりも危険なことである。柏木の行為は、愚かしくも、素手で戦車に立ち向かうようなものであった。稀代の傑物を相手にしてしまった、浅はかなドンキホーテと言われても仕方がない。
 事件が発覚するや、途端に源氏が空恐ろしくなり、その威光に怯え、自分を見失ってしまった。源氏のひと睨みと皮肉の前に、あえなくも重い病の床に臥せるようになってしまったのである。相手が別の男の妻だったら・・と思う。

 それでは、その手紙発覚の経緯を追ってみよう。
 賀茂祭の禊(みそぎ)の前夜、夢のような一夜を明かした柏木と三宮は、源氏の存在が急に空恐ろしくなった。それでも、柏木は、三宮への思慕断ちがたく、綿々たる心情を吐露した消息を送るのである。例の小侍従がいつもその仲立ちをする。  
 その日も、柏木から思いの限りを尽くした消息が、来た。小侍従は、人目を避けて、三宮にその手紙を渡す。
 と、なんと折悪しく、源氏が通ってきたではないか。手紙を隠す暇もない。三宮は、
 『院(源氏)入り給へば、いとど胸つぶるるに、御褥(しとね 座る時や寝る時に畳やむしろの上に敷くもの)の下にさしはさみ給ひつ』
と、こともあろうに大事な恋文を座布団の下にねじ込んだのである。
 源氏は、昼の御座にうち臥して、三宮と物語などをしていたが、いつかうとうと昼寝をしてしまった。蜩(ひごらし)がはなやかに鳴きだしたのに目覚め、病身の紫上のところに戻ろうとして、三宮にこう言う。
 『さらば、道たどたどしからぬほどに』
 それに対して、三宮は、こう答えるのである。
 『月待ちて、とも言ふなるものを』
 すると、源氏は、紫上を気にしながらも、三宮が『その間にも』と思っているのだろうとためらい、ついにその夜は三宮のところで、大殿籠ってしまう。

 この二人のやり取りは、非常に粋で優雅で洒落たものなのである。解説がないと何のことやら分からないかもしれない。
 万葉集に次の歌がある。
 『夕闇は道たづたづし 月待ちて行かせわが背子その間にも見ん』
 「夕闇の暗い道はおぼつかないから、明るい月の出を待ってからお帰り下さい。その間にあなたのお顔を見ていたいと思いますから」ということで、女の優しさがこもった佳句で、以前から私の好きな歌であった。この歌を借りて、紫式部は、見事なドラマを創作したのである。
 まず、源氏が
 「それでは、道がおぼつかなくならないうちに帰りましょうか」
と洒落ると、
 「その歌なら私も知っていますわ。月の出を待ってからお帰り下さい、という歌もございましょ」
と三宮は応じた。源氏は、心の中で「三宮は、“私の顔をしばらくでも見ていたい”ということなのであろう」と思い、そっけなくこのまま帰ってしまうことができなくなってしまった。三宮の情に引かれて、この夜はここに大殿籠って行くことにしたのである。なんとも粋で洒落たやり取りでないか。
 しかし、三宮は何とも浅はかなやり取りをしてしまったものである。源氏の座っているすぐそこには、あの極秘の手紙がねじ込まれているのだ。今、三宮が一番しなければならない事といえば、
 「道が暗くならないうちに、一瞬でも早く源氏にお引き取り頂くこと」
であるはずだ。にもかかわらず、選りに選って、「月待ちて、とも言ふなるものを」と引き留めてしまったのである。 源氏は、翌朝、
 『まだ、朝涼みのほどに(紫上のいる二条院に)渡り給はむとて、とく起き給ひぬ』
のである。「とく(早く)起き給」はってしまっては、万事休すである。しかも『宮は、何心もなく、まだ大殿籠』っている。
 さらに悪いことには、源氏は、昨日使っていた扇が見当たらないと、周囲を探し始めたのである。
 『昨日うたた寝し給ヘる御座のあたりを立ち止まりて見給ふに、御褥のすこしまよひたるつま(ずれている端)より、浅緑の薄様なる文の押しまきたる端見ゆるを、何心なく、引き出でて御覧ずるに、男の手(筆跡)なり』
 鋭い源氏のことである、その手が柏木のものであることを瞬時に見破ってしまった。

 手紙が源氏の手に渡ってしまったことを知った三宮は、自らの浅慮を省みることもなく
 『ただ泣きにのみぞ泣き給ふ』
のである。そして、その後はつゆばかりのものも喉を通らなくなってしまった。
 それを知った柏木も、
 『恥ずかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕涼みもなき頃なれど、身も凍む心地し』
 「顔向けもできず、恐れ多く、いてもたってもいられず、寒くもない時季なのに、身も凍りつく気持ちである」のだ。

 源氏の復讐が始まった。三宮には、それ(密通をした)と、はっきり言うでもなく、真綿で首を絞めるように、ねちねちと、とやかくやと責め続けるのである。
 「あなたはそもそも思慮が浅く、人の言うままになりやすい。朱雀院もそれであなたを私に預けたのだ。にもかかわらず、私の扱いを冷淡で情がないと思っていられるようだ。私のように年取った老いぼれを侮っているに違いない。それがなんとも情けなく、やりきれない・・」

 柏木への報復はさらに残酷を極めた。
 朱雀院の五十の賀の折に行う遊びのための試樂を、六条院ですることになった。精神的にも六条院などに行ける状態ではない柏木だったが、源氏のたっての誘いに、屠所に引かれる牛のような思いで出かけた。樂舞を観賞しながら、祝いの酒が回ってくる。
 衆人環視の前で、源氏の嫌みが始まる。
 「私の老いぼれた酔い泣きの姿を、衛門の督(柏木のこと)が、目ざとく見つけて、にやにや笑っていられるわ。しかし若いと言ったって、やがては年よるものさ。歳は逆さまにはいかないものだよ。」
 源氏は、「私の年寄っていることをいいことにして、妻と不倫をした」という皮肉を言っていることは、柏木には明白に分かる。ただ周囲の人には何のことか分からない。これを聞いた柏木は
 『(源氏の言うことは)戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも、頭(かしら)痛くおぼゆれば、けしきばかりにて紛らはすを、(源氏が)ご覧じ咎めて、(盃を柏木に)持たせながら、たびたびしい給』
うのである。柏木の席にも盃が回ってくるが、体調が悪い柏木は、形ばかりにして、紛らわして酒を断る。するとそれを見咎めた源氏は、盃を持たせたまま、何度も何度も柏木に酒を強いるのである。もういじめを通り越して拷問である。
 いたたまれなくなった柏木は、試樂がまだ終わってもいないのに、会場を逃げ出し、家に帰るとそのまま重い病の床に臥してしまう。そして、遂に三十三歳という若い命を散らしてしまうのである。

 一方、三宮は、源氏の反対を押し切って、出家してしまう。おいらかな彼女が、源氏に向かって自己主張をし、反発したのは、この時だけである。それほどに源氏のいじめと皮肉は耐えきれなかったのであろう。相変わらず片なりで可愛いく、生い先も長い女の人生を、源氏は摘み取ってしまったのだ。
 あまりにも罪な源氏の威光である。

 そもそも、柏木の不倫と、源氏と藤壺との不倫は、どちらが罪が重いだろうか。
 言うまでもなく源氏の不倫である。源氏の相手は、父帝の寵姫である、しかも、義理とはいえ源氏の母親である。これほどの不倫が、かってあっただろうか。
 柏木の相手は、源氏に軽蔑され,一人の女性として扱ってもらえない疎外された女である。その女に情けを掛けることが悪であろうか。むしろ慈善行為であると言えまいか。

 二人の死と出家をもって、源氏の報復はかなったようである。しかしそのことは同時に彼に忍び寄る暗い影でもあった。老いの影が忍び寄っただけではない。彼の人生そのものに暗い影が射した事件だったのであった。   
 『藤裏葉』の巻で、帝と院を六条院に迎えたあたりが、彼の栄光の頂点であった。
 三宮を出家させ、柏木をいじめ殺してしまった時、源氏の威光は、すでに光芒を失い初めていたのだ。

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