源氏物語

源氏物語たより107

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  所から・人から  源氏物語たより107

 薫から、宇治に住む二人の姫君(大君、中の君)の話を聞いた色好みの匂宮(以下 宮)は、姫君たちに興味を抱き、薫とともに宇治に行く。そしてその夜、中の君の部屋に、薫を装って入り込み、そのまま契りを交わしてしまう。 


 結婚三日夜は、毎晩女の元に通わなければならないというしきたりにのっとって、宮は、三日間宇治通いをする。しかし、皇子という身では、これからはそう簡単に宇治まで通うわけにもいかない。それに母(明石中宮)からも、軽率な行動をいつも厳しく戒められている。

 その三日夜の翌朝のことである。今後のことを中の君に訴えながら、もろともに宇治川の方を眺める。
 『明け行くほどの空に、妻戸おし開き給ひて、(中の君を)もろともにいざないひ出でて見給へば、霧わたれるさま、所のあはれ、多く添ひて、例の柴積む舟の、かすかに行きかふ跡の白波、目馴れずもある住まひのさまかなと、色なる(華やかな宮の心には、をかしく思さる』
 宇治は、都から、徒歩で二時間余り。馬ならもっと短時間で来られる。さして遠くはないのだが、身分柄自由がきかない。この姫君と今度はいつ会えることやら・・。宮は、美しく可憐な中の君の隣に座して万感の思いである。
 ここに『所の(あはれ)』とあるが、これは『所から』と同じことで、現代語でいえば、「所柄」ということである。「所柄」とは、
 『(その)場所が、他と異なって、特定の性質を帯びた場所であること(広辞苑)』
という意味である。
 元々しみじみと心を揺する風光を持つ宇治という「所から」と相まって、今後のおぼつかなさは、宮の心にしみる。日頃は派手好みの宮にも、宇治の「所から」は、やるせない情をますます深くさせるのである。
 宇治は今でも景勝の地である。
 
 現在の平等院は、紫式部より百年前の左大臣・源融の別荘であったものを、藤原道長が買い取り、その息子で宇治関白と言われた頼通が寺としたものである。
 清らかな宇治川の流れを前にして建つ平等院は、宇治の自然と見事な調和を保っている。日本の河川はどこも美しい。高知の四万十川、金沢の浅野川、岩国の錦川、みな美しい。それぞれ私が好きな川である。しかし、やはり宇治川は格別である。東に柔らかな山を負い、西に広く開けている。水は常に滔々と流れ、しかもただ滔々と流れるだけではない。一定の浅さで、川幅いっぱいに広がっているのだ。
 こんなところに別荘を建て、寺を建てた先人のセンスには感銘する。
 いつであったろうか、宇治橋の上から眺めていたら、漁師が川に入って網を投げているのが見えた。川面の波がキラキラ光って、そこに時折投網がぱっと開く。思わずシャッターを押した。その写真は、私の会心の一つになっている。しかし写真を撮るのがうまいわけではない。「所から」である。

 宇治は古来、長谷寺への参詣の中宿りにされたところで、平安人の心を慰めたところである。“源氏物語追っかけマン”である菅原孝標の娘は、『更級日記』に、宇治の風光をこんなふうに描いた。
 『紫の物語に、宇治の宮の娘ども(大君、中の君)のことあるを、いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむと、ゆかしく思ひし所ぞかし。げにをかしき所かなと思ひつつ、からうじて(宇治川を)渡りて、殿(藤原頼通)の御領所の宇治殿(平等院 この頃はできていた)を入りて見るにも、浮舟の女君の、かかる所にやありけむなど、まづ思ひ出でらる』
 彼女の宇治の感慨は、「げにをかしき所かな」と言いつつも、すぐに源氏物語に思いをはせてしまうのだが、宇治は、宇治十帖の三人の姫君(大君、中の君、浮舟)が活躍するのに、何にもましてマッチしている「所から」だからだ。

 もう一つ例を挙げよう。『初音』の巻である。
 隔年の正月十五日には『男踊歌』という催しが行われる。歌を詠い足拍子を踏んで踊る一団が、御所を出て、朱雀院や有力な貴族の邸を回るのだ。もちろん光源氏の六条院にも回ってくる。ところが六条院は、御所から遠い。
 『朱雀院のきさいの宮(弘徽殿大后)の御方などめぐりけるほどに、夜もやうやう明け行けば』
という状態で、六条院に男踊歌の一行がやってくるのは、はや明け方である。
 『影すさまじき(荒涼としている)あか月々夜に、雪はやうやう降り積む。松風、木高く吹きおろし、ものすさまじく(殺風景で)もありぬべきほどに、・・(踊り手の衣もなんの味わいもないし、冠に付けた飾りの綿もなんの色つやも)なけれど、所からにや、面白く心ゆき、命のぶるほどなり』
 折角の華やかな男踊歌も、雪は降ってくるし、松の梢からの風も殺風景である。それに彼らの着ている物もかざしの綿も、明け方では興ざめである。
 ところが、その一団が、六条院では全く違って見えてくるのである。今を時めく源氏の邸では、全てが光り輝いてしまうのだ。六条院は、四町にも及ぶ広壮さで、生半可な自然の景観を越えている。ここでは、あか月々夜も、雪も、踊り手の衣も、冠の飾りも、みな晴れ晴れしく映るのだ。「命のぶる」ほどと言うのだから、相当情趣豊かなところということである。
 それは「六条院」と言っただけで、人々の持つ印象が格別だからである。それがまさに「所から」なのである。
 「所から」は、我々がしばしば経験することで、素晴らしいところだというイメージが潜在的にあると、それを前にして「ああ、やはりなあ!」と思ってしまうから、不思議である。

 『人から』という言葉もある。「もともとその人に備わっている性質、資質」ということで、後の「ひとがら(人柄)」という言葉になっていく。
 先の『初音』に、いかにも紫式部らしいエスプリがある。
 毎年暮れになると、源氏は、お世話している女性方にそれぞれお似合いになるだろう衣裳を贈る。その年は、例の末摘花には、柳襲(やなぎかさね)の袿(うちき)を贈った。贈る前から、源氏には心配があった。たぶん柳襲は彼女には似合わないだろう・・と。正月になって女性の方々を回って、末摘花の所にやってきた。すると、案の定、全くお似合いはでなかったのである。
 『柳は、げにこそ、すさまじかりけり、と見ゆるも,着なし給へる人からなるべし』
 『すさまじ』とは、「不調和で興ざめする」という意味だが、「驚きあきれるほど不快だ」という意でもある。末摘花という人は、もともとそういう「人から」なのである。要は、彼女は何を着ても似合わないのだ。こういう女には何も贈らないこと、それが最善である。
 逆に、いいと思う人は何をしてもすべてがいい。源氏が、紫上に魅かれたのは、彼女は、源氏が永久にお慕い申しあげている藤壺宮の姪にあたるからである。藤壺宮にかかわるものはすべてよしなのである。
 『帚木』の巻には、こんな場面がある。
 『月は有明にて、光りをさまれるものから、(月の)顔けざやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何心なき空の景色も、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり』
 「無心である空の景色も、見る人によってさまざまな風情をもって感じ取れるものである」ということ。その感じ方は、その人の持って生まれた感性や性格や育ちなどによって変わってくるものである。源氏は、特にものに感じやすい感性をもって生まれてきたが、この時はまた違った感慨だったのである。
 源氏は、方違えを理由に紀伊守の邸に行った。そこで魅力的な女・空蝉に遭遇し、彼女と強引に契ってしまう。この 有明の月を見ているのは、その後朝(きぬぎぬ)の空なのである。素敵な女との後朝の空は「艶に見えてくる」のも当然である。
 つまり、「人から」は、元々の感性や性格などに、その時々の心理状態も加わるということである。

ところが、折角の「所から」も、「人から」によって変わってしまうものである。どんなに素晴らしい景色を見ても何の感慨も持たない人がいるかと思えば、清少納言のように何にでも感動してしまう人もいる。しかも彼女はそういう感動しやすい自分に感動しているのだからおかしい。『枕草子』百三十段、
 昨夜降った雨は、翌朝、前栽の草木に露となって、こぼれるばかりに付いている。蜘蛛の糸に付いた露は、あたかも糸で貫いた玉のように美しい。また萩の枝に付いた露は、重さに耐えけねて落ちると、残った露が枝の先にツツと登って行くのが誠に面白い、と見ている自分自身をこう評している。
 『人の心にはつゆをかしからじと思ふことこそ、またをおかしけれ』
 紫式部は、そんな清少納言を
 『艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、自ずから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし』
 (情趣本位が板についた人は、ひどく索漠とした、何ということのない折でも、むやみに情趣を振りかざし、いちいち風情を見つけていこうとするうちに、自然にどうも感心しない軽薄な風にもなるのでありましょう 『日本古典文学大系』岩波書店)
と激しく批判しているのだから、これもまたおかしい。
 しかし、このことだけに関して言えば、私は、清少納言の「人から」の方に旗を上げたい。
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