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源氏物語

源氏物語たより111

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  いとさがなき匂宮  源氏物語たより111

 これは匂宮(以下 宮もしくは匂宮)が三歳の時のことである。
 光源氏)の嫡男・夕霧が、六条院の紫上の住む邸を尋ねると、そこに匂宮が来ていた。宮は、夕霧を見つけると、
 「自分を抱いて明石中宮(匂宮の母)のところまで連れていけ」
と、まといつく。明石中宮のところに行くには、紫上の部屋の前を通らなければならない。

 困った夕霧が、
 「抱いて行ってあげるのはいいけどね、紫上様の御簾の前を通らなければならないでしょ。それは失礼にあたるから」
と言うと、匂宮は、
 「私が目隠ししてあげるから、大丈夫」
と、さらにせがむ。夕霧の顔を自分の袖で隠すから、そうすれば紫上を見ないですむだろうという子供ながらの知恵を出したのである。前回の『たより110』では、紫上遺愛の樺桜の花を散らさないようにするには、桜の木の周りにぐるっと几帳を立てればいい、と、こまっしゃくれたことを言って自慢した宮を紹介したが、あの頓智は、三歳のころにすでに培われていたようである。

 さて、夕霧が、宮を明石中宮のところに抱いていくと、そこには匂宮の兄の二の宮がいた。彼もさっそく夕霧にこうせがむ。
 『まろも、大将に抱かれん』
 すると匂宮は、こう言って夕霧を自分の手元から放そうとしないのだ。
 『あが大将や』
 「あが」とは「私の」という意味。「大将」とは、夕霧が、この時近衛の大将であったからである。「夕霧は自分のものだ」ということである。
 この様子を見ていた源氏は、
 『おほやけの御近きまもりを。「わたくしの随人に領ぜむ」と争ひ給ふよ。三の宮(匂宮のこと)、いとさがなくおはすれ』
と冗談交じりに匂宮を諌める。
 「近衛の大将は、天皇をお近くでお守りするおおやけ人である。それを自分だけの随人にしてしまおうとする、なんともさがない子であるよ」という意味である。

 私は、今までこの場面は、単なる子供っぽいあどけなさの現われと思っていたのだが、『浮舟』の巻を詳しく読むに至って、そんな単純なことではないのだということに気づいた。紫式部のまさに深慮遠謀であった。
 『さがなし』とは、「性質がよくない、意地悪だ、思慮がない、思いやりがない、いたずらで手におえない、下品だ(角川古語辞典)」などという意味で、いずれをとっても良い意味はない。源氏は、子供同士の争いを笑いながら冗談交じりで言ったものだが、実は、その「さがない」匂宮の人柄は、まさに三つ子の魂で、そのまま二十八歳まで消えることはなかったのだ。それどころか、それはさらに成長していた。
 前回の「樺桜」の話でも
 『まろが桜は咲にけり』
と、宮は言っている。もちろん大好きな紫上から紅梅とともに譲られた樺桜であるから、「まろが桜」と言っても悪いわけはない。しかし、子供のころの匂宮が物語に登場するのは、わずかに四回にしかすぎない。その四回のうち、二回に「まろ」、「あが」が使われているというのは、彼が、子供の頃からいかに独占欲が強かったかということを言いたかったのではなかろうか。そういう意図が、隠されていたと考えざるを得ない。

 その独占欲、源氏の言葉を借りれば、「わたくしの随人に領ぜむ」とする性質は、『浮舟』の巻に至って頂点に達した。
 薫は、最愛の大君を亡くして悲嘆に暮れていたが、そこに大君に瓜二つの浮舟が現れた。大君にも紛う容姿や人柄に魅せられた薫は、早速結婚する。
 ところが、この浮舟をたまたま目にした宮も、ひどく彼女に執心する。宮の不穏な行動に疑惑を抱いた薫は、浮舟を宮の目に触れない安全な場所へ移すことにした。それは、大君ゆかりの宇治である。京から離れた宇治ならば、宮の目も届かないはずである。
 しかし、嗅覚の鋭い宮は、ふとしたことから浮舟の居場所を嗅ぎ付けてしまう。浮舟発見への経過は、誠にスリルに富んだ緻密な構成で、読む者の息をもつかせない緊迫感がある。残念だが、ここでは割愛することにする。

 さて、浮舟が宇治にいることを突き止めた宮は、薫の情報に詳しい者を呼んで、敵状偵察を始める。
 そして、冬の夕つかた、粗末ななりをし、心知れるわずかな供だけを連れて、宇治行きを決行する。二条から法性寺(東福寺近く)までは車で、そこからは馬である。
 宵(午後八時ころ)過ぎるほどに宇治に到着。寝殿の南おもてに火がほのかに見え、人の気配がする。格子の隙間から中を垣間見ると、何人かの女房たちが、物を縫ったりしながらうわさ話に花を咲かせている。その中に「いた、いた」
 『君(浮舟)は、腕を枕にて、火を眺めたるまみ(目つき)、髪のこぼれかかりたる額つき、いとあてやかに(上品で)、なまめきて(美しく)、対の御方(中の君)に、いとようおぼえたり(似ている)』
 その可愛らしく繊細な感じの女を見ては
 『いかでこれを我がものにはなすべき』
と「浮舟を何としても自分のものにしよう」と無我夢中になってしまう。「まろが桜」・「あが大将」のさがなき人柄は、ここにますます歪曲した形で現われたのだ。
 やがて女房たちは、それぞれ寝に付いたようである。
 そこで、宮は、薫を装ってしのびやかに格子を叩く。声も薫に似せてしはぶくと、出てきた女房は、すっかり薫が来たものと思いこんでしまう。とかくだましとおして、浮舟の部屋に入り込み、ついに契りを結んでしまうのである。
 浮舟は、親友の妻である。また自分の妻の妹でもある(ただこの時は、まだはっきり妻の妹とは確信はしていないのだが)。その人を犯すというのは、親友を裏切り、妻を裏切る思いやりのない、手におえない行為である。さらに相手をだまして女の部屋に入り込むなどは、性格の良くない誠に下品な行為である。
 源氏もいろいろの女をものにした。しかも嘘もついた。
 父親の妻(藤壺宮)や帝の妻(朧月夜)や人妻(空蝉)を犯した。それは、匂宮よりももっと罪は重いかもしれない。しかし、源氏の犯しには、思い切りのいい大胆さの中にも、温かみがあった。余裕があった。滑稽感・可笑しみさえあった。源氏の人間性から来ているものである。
 改めて、空蝉の時のことを見てみよう。ここで彼も嘘をついている。空蝉が女房の一人の中将の君を呼んだところ、源氏は、のこのこ空蝉の部屋に入って行ってこう言う。
 『中将召しつればなん(お召しになったので)』
 たまたま彼はその当時「近衛の中将」だったのである。「中将をお召しになったので参りました」ということなのだが、何とも呆れた話である。彼の言うことは、確かに嘘である、しかし、その機転には笑いこけてしまって、嘘をついているような気がしないのである。
 朧月夜の時もそうだ。鍵をさしていない他人の邸(弘徽殿)に勝手に入り込み、
 「こんなに戸締りが悪いから、男女の間違いが起こるのだ」
などと文句を言いながら、向こうから呑気に『朧月夜にしくものはなし』などと詠いながらやって来た女を、手込めにしてしまい、自ら男女の間違いを犯してしまうのである。 しかも、女は、相手が源氏だと分かるとほっと安心してしまう。
 これは一般的に考えれば大変な犯罪なのだが、彼にあうと、それが罪であるという感覚が消えてしまうのだから、不思議なことであり、可笑しなことでもある。

 さて、浮舟は宮に犯された時、どうだったろうか。
 『(浮舟は)この君(匂宮)と知りぬ。いよいよはづかしく、かのうへ(姉・中の君)の御事など思ふに、また猛きこと(良い手段)なければ、限りなう泣く』
 世話になっている姉のことを考えれば、身も世もない。また、薫への懺悔の気持ちもある。しかし、相手は「宮さま」である。力弱い自分に彼を防ぐどういう手段があるというのか。彼女はただひたすら泣くしかない。

 宮には、源氏のような余裕がない。温かみもない。もちろん可笑しみなど微塵もない。宮の行為は、ただ、「無残な」、「哀れな」と感じさせるだけである。源氏の悪徳にはなにやらにやっと笑って見ていられたのだが。

 源氏は、ひょっとすると三歳の匂宮にすでに、彼の将来の姿を予知していたのかもしれない。「薫の顔を自分の袖で隠せばいい」と考えたり、「桜の木の周りに几帳を立てればいい」と思いついたりするその軽さに、『いとさがない』宮の性を。

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