源氏物語

源氏物語たより117

 ←源氏物語たより116 →源氏物語たより118
  母性回帰の壮大な絵巻 その1 源氏物語たより118

 源氏物語の結末はあまりにもあっけない。
 「え!これで終わりなの?」


と思わず次のページをめくってしまうほどである。爽快に走ってきた高速道路が突然行き止まりになってしまったような気分である。五十四帖にも及ぶ壮大なパノラマ小説が、かくも中途半端で終わってしまっていいものだろうか、という疑いを持たざるを得ない。
 そのために古来、源氏物語は未完の物語であるとか、いやあれで十分完結しているのだとか、喧々諤々(けんけんごうごう)の論議がなされてきたのである。

 宇治川に投身自殺した浮舟は、どうしたことか対岸の大木の根下に身を横たえ死んだようになっていた。通りかかった初瀬詣での尼君一向に助けられ、尼君の住まいである比叡の山懐・小野に連れられてきた。尼君は、最近娘を亡くしたばかりで、浮舟はわが子の再来だと喜び、手厚い世話と親切の限りを尽くす。
 しかし、浮舟の心はいつも晴れない。そこで、尼君の兄である横川の僧都にお願いをして、祈祷などをしてもらった。おかげで彼女についていた物の怪も去り、次第に健康を回復していく。尼君は、娘の夫であった少将と浮舟を娶せてやりたいものと奔走する。そして、尼君は、浮舟を授けてくれた長谷観音に喜びと御礼のために、再度初瀬詣でをする。

 しかし、浮舟は、過去の記憶が鮮明になればなるほど、こうして生きていることに辛さを覚え、尼君の親切も少将の求愛も煩わしくなり、出家への願望を強くしていく。
 尼君が初瀬詣での留守のことである。横川の僧都がたまたま小野に立ち寄ったのを良き折と、彼女は必死に出家を願い出る。
 『・・後の世をだに(安楽に)と思ふ心、深かりしを、亡くなるべきほどの、やうやう近くなり侍るにや、心地のいと弱くのみなり侍るを。なお、いかで(尼にさせ給へ)』 
 あまりの真剣さに僧都は、心動かされ、その願いを承知する。
 『几帳の帷子(かたびら 布)のほころびより、御髪掻き出だし給へる、いとあたらしくをかしげなるに(削ぐのがもったいないほどに美しく)なん、しばし鋏(なさみ)もてやすらひける(躊躇する)』
 こうして、あたら二十二歳の身空を捨ててしまうのである。

 浮舟生存の情報を得た薫は、情報源である比叡山の横川に登り、僧都を訪ね、浮舟に逢えるよう依頼する。山を下りた薫は、世話をしていた浮舟の弟・小君を使いとして、翌日早速消息を送る。
 消息を見た浮舟は、
 「文の内容に心当たりはない。人間違いかもしれない文を受け取るわけにもいかない」
と、何の返事もせず、にべなく小君を突っ返してしまう。
 浮舟からの返事を待っていた薫は、何の返事もないことに興ざめして、誰か別の男がどこかに浮舟を隠しておくのだろうと思う。かつて自分が宇治に浮舟を隠したように・・。

 ここで文章はぷっつりと切れ、五十四帖にわたる壮大な物語に幕が下りる。

 私は、源氏物語の最後の二巻『手習』と『夢浮橋』を読み終わって、源氏物語の主題は、今まで私が考えていたこととはおよそ違うものなのではなかろうかと思った。このことについては、小学館の『日本の古典 源氏物語』の訳者の一人である今井源衛氏が、巻末に素晴らしい論文を書いているので、それを参照にしていただけるといいと思っている。
 今井氏は、最後にこうまとめていられる。
 「古典と現代とを限らず、日本文学に一貫するものとして、しばしば母性への帰依とか思慕が指摘されるが、『源氏物語』もまたその例外ではなかったのである」
 確かに、この『手習』、『夢浮橋』の巻を見ると、母という存在が誠に大きな位置を占めている。それに比べて、浮舟にとっては、薫や匂宮は、今では会うべき人ではなくなっているのだ。特に匂宮などは、
 『宮を、少しもあはれと(少しでも慕わしい)と思ひ聞こえけむ心ぞ、いと怪しからぬ。・・(今では匂宮を)こよなく飽きたる(嫌だという)心地す』
とまで、言い切っている。
 そして、彼女の意識にあるのは、ひたすら母である。
 彼女の母は、八の宮との間に浮舟を生んだのだが、召人(めしうど)の子ということで、即座に八の宮に放り出され、常陸介と再婚した。その結果、彼女は継子として、さまざまな辛苦を味わわなければならなかったのだが、彼女をいつも支えてくれたのが母である。出家した今でも会いたいのはその母だけ。母だけが彼女の心を大きく占めているものであった。

 源氏物語というと、その主題は男女の愛の問題ととかく考えてしまいがちなのだが、実は、母と子という問題が大きなウエートを持っているのではなかろうか。
 尼君が、宇治川の淵に瀕死の状態で倒れていた見ず知らずの浮舟を、娘の再来と思って手厚く面倒を見るなどということは、普通にはありえないことである。しかしそこに母と子という意図が隠されていたのだ。
 そういえば、薫にはいつも出家願望が付きまとっていたのだが、それを押しとどめさせたのは、母・女三宮の自分に対する期待である。
 
 私は、夢浮橋まで読み終わった時に、源氏物語は『壮大なる母性回帰』の物語ではなかろうかと、気付かされた。今井氏は浮舟についてだけ「母性への帰依」を述べられているのだが、実はそうではなく、源氏物語全体が「母性回帰」をテーマにしているのではないかということとである。
 あの信じられないような終末は、実は、源氏物語の最初に戻っていくためのもの、つまり物語の終わりにして始めなのだ。そういう遠大な構想を持ってなされたのだ。
 光源氏は幼くして母を亡くした。その母にいとよく似給える藤壺宮に対する子供心の思慕は、命を賭けた恋慕となり、それはまた藤壷宮になぞらえられる紫上へと繋がっていく。その紫上そのものが、光源氏にとっては、母そのものではなかったろうか。彼が紫上を盛んに泣かせたのは、母への甘えの行為であった。紫上が出家を願っても決して許そうとしなかったのは、二度母を失う辛さからの回避だったのだ。
 このことは、六条御息所と斎宮、藤壷宮と春宮(冷泉帝)、明石君と明石姫君、女三宮と朱雀院、紫上と明石中宮、宇治八の宮と娘たちなどの関係となって綴られていく。
 
 いささか大胆な仮説であるし、私にとっては誠に荷の重いテーマであるが、今後はその観点から源氏物語を読みかえしてみようと思っている。 
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより116】へ
  • 【源氏物語たより118】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより116】へ
  • 【源氏物語たより118】へ