源氏物語

源氏物語たより124

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  絶妙なやりとり 光源氏と紫上 源氏物語たより124

 光源氏の意識は、常に藤壺宮にあるから、内裏にいることが多い。内裏にいれば藤壺宮に会うチャンスが巡ってくるかもしれないからである。そのため、自宅の二条院に帰ることが間遠になりがちである。大切な紫上がいるというのに。


 でも、藤壺宮に会うことなど容易にできるものではない。二人の間に生まれた子に会うことはできても、もの思いの種は増すばかりである。
 仕方なしに二条院に帰って横になっても、鬱々とするばかりで、心さわやぐということもない。

 こんなもの思いの時には、西の対に行って気を紛らわすのが一番である。くつろいだ格好をして、笛を吹きながら西の対に出かけて行き、部屋を覗いてみると、
 『女君(紫上)、ありつる花(先ほど見た前栽の撫子の花)の露に濡れたる心地して、(脇息に)そひふし給へるさま、美しうらうたげ(可愛い)なり。愛嬌こぼるるやふにおはしながら、例ならず背き給へる』
 どうやらご機嫌ななめのようである。源氏がせっかく二条院に帰ってきたというのに、すぐ自分のところに来なかったことがご不満のようである。源氏が、部屋の隅に座って、
 『こちや』
と誘っても、そ知らぬふりをしている。そして
 『入りぬる磯の』
などと口ずさんでいる。それを聞いた源氏、
 『あなにく。かかること、口なれ給ひにけりな。「みるめに飽く」は、まさなきことぞよ』
 源氏の言葉はやや難しいが、「なんとは憎らしいこと。あなたはそんなことを口にするようになったのですね。でも、『みるめに飽く』のはよくないことですよ」という意味である。
 『入りぬる磯の』も『みるめに飽く』も、いずれも引歌(ひきうた)である。前者は万葉集から、後者は古今集から引いている。それぞれ本歌は次の歌である。
 『汐満てば入りぬる磯の草なれや 見らく少なく恋ふらくの多き』
 (私は、潮が満ちてくると海水に隠れてしまう磯の藻でしょうか、あなたに会うことは少なく、恋い慕ってばかりいることが多いんですもの)
 『伊勢の海士の朝な夕なにかずくといふみるめに人を飽くよしもがな』
 (伊勢の海士が、朝も夕も海に潜っては見ているというみるめ~海藻~のように、飽きるほどあなたと会っている方法がないものかしら)
 紫上は、源氏が外出ばかりして自分のところになかなかこないので、「私は、潮に隠れて外が見えない磯の藻のようなもの。もっとお顔を見ていたいのに」とすねて見せたのである。
 それに対して源氏は、「いやいや、あまり会ってばかりいるというのも、よいことではありませんよ」と、古今集の歌を借りて返したのである。ただ、古今集の歌は、
 「あなたにもっと会いたいもの」と言っているのに対して、源氏は逆に「いや会ってばかりいるのもね・・」とひねって返したのである。

 この紫上と源氏のやり取りは、何とも味のあるやり取りだと思う。「絶妙!」と言ってもいいかもしれない。紫式部にしてはじめて可能な創作である。紫式部は、恐らく古今集や拾遺集(万葉集の歌も載せられている)など、すべてそらんじていたのだろう。彼女は、歌だけではなく、史記や白氏文集、故事、日本の漢詩、あるいは催馬楽など、何でも自由自在に引き出して使いこなす。まるでドラえもんの『どこでもドア』のようなものだ。

 それでは、源氏と紫上のやり取りにもう一度戻ってみよう。源氏の
 『みるめに飽くは、まさなきことぞよ』
は含蓄のある言葉だ。「まさなし」とは「正無し」で、「正しくない」ということである。あまりにしばしば会っていると飽きが来るからよくないことだ、という意味である。
 たとえば、夫婦の関係などを考えてみれば、このことはすぐ納得されよう。妻は毎日毎日見ているから飽きがくる。新鮮さを感じなくなる。男がしばしば浮気をするのも、そんなところにも原因があるのだ。男の浮気むべなるかな、なのである。でもそれは、「たまには新鮮な空気でも」と思うだけであって、妻を嫌いになったわけでもないし、別れたいと思ってのことでもないのである。
 「結婚は恋愛の墓場」という格言がまさにそのことを表わしていて、名言である。  

 もう一つ、いつも私が名言だと思っているのが「亭主元気で留守がいい」である。こちらは妻側の心理を言い当てていて妙である。
 亭主が「今夜は宴会だ」などと言って出勤すると、妻は「ああ、そう、じゃ今夜は夕飯いらないのね」と応じる。でも妻の心情はもっと深いのである。実は
 『ああ、そう、じゃあ今夜は会わなくてすむのね』
ということなのである。
 確かに源氏の言うとおり、『見るめに飽くは、まさなきことぞ』は、おとこ・女の真理そのものなのである。

 源氏と紫上は、あのやり取りの後、琴を弾いたり絵を見たりして睦みあう。しかし、源氏は今宵も他の女との約束があって出かけなければならない。供人が「早く出かけないと遅くなりますよ、雨も降ってきそうですよ」とそそのかす。
 すると、紫上は、再び心細くなって、しょげてしまい、うつ伏してしまう。源氏が盛んになだめすかしていると、そのうち源氏の膝に寄りかかって寝込んでしまった。こんな愛らしい人を見捨てては、たとえ死出の道だろうがどこだろうが、出かけるわけにはいかないではないか、ということで結局、
 『今宵は出でずなりぬ』
ということになってしまった。こうして源氏の外出が留められることが何度かあった。
 『入りぬる磯の』と大人っぽく万葉集から歌を借りて、すねた紫上ではあるが、まだ11歳、全く幼くあどけない年齢だったのである。
 しかし、源氏の婀娜(あだ)なる行為は、紫上の生涯にわたって続き、ついに『見るめに飽く』ほどの関係にはならなかった
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