源氏物語

源氏物語たより125

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  疑似自然と疑似恋愛   源氏物語たより125

 『木だかき紅葉のかげに、四十人の垣代(かいしろ 楽人のこと)、いひ知らず吹き立てたるものの音どもにあひたる松風、(   )深山おろしと聞こえて吹き迷ひ、いろいろに散りかふ木の葉の中より、青海波の輝き出でたる様、いと恐ろしきまで見ゆ』



 私は、自然の中を歩き回ることが好きで、この七年間、神奈川の公園やハイキングコースを歩き尽くした。その個所74。その都度、緑豊かで変化に富んだ自然に心が和まされてきた。神奈川はいいところである。そしてまた、日本という国も「大和しうるわし」の素晴らしい国だ。こういう国土に住める幸せと誇らしさを感じる。
 海外に出かける人が多いが、こんなに素敵な日本を見捨てて、なぜそんなに遠くまで行くのだろうという疑問を持つ。ヨーロッパの街並みなどは確かに素晴らしい。そして確かに壮大な自然美や歴史的遺産も多い。しかし自然の変化と言う点では、どうなのだろうか。

 冒頭の文章は、『紅葉賀』の巻で、光源氏と頭中将が『青海波』を舞っているシーンである。四十人の楽人が言い知れぬほど素晴らしい演奏をしている中に、若き光源氏と頭中将の二人が、輝くばかりの姿で舞い出てきたところである。
 さて、彼らが舞っている場所は、どこだと想像されるだろうか。「木高き紅葉」「松風」「深山」そして「いろいろに散りかう木の葉」などという言葉から、どう考えても、背後に小高い山でも背負った自然豊かな場所であろうと思ってしまう。
 ところが、何とここは平安京のど真ん中なのである。桐壺帝が、院の四十賀の祝いのために、朱雀院に行幸した時のことである。賀のメーンエベントが光源氏と頭中将の青海波だった。
 朱雀院は、朱雀大路の西、三条と四条とを挟んだところにあり、まさに平安京で最も中心的なところで、東京でいえば、丸の内か銀座と言ったところである。
 実は「深山おろし」の前の(  )には、「まことの」という言葉が入るのである。青海波を舞っている場所や樂の音が、見ている人々にとっても「まことの自然の中で」と錯覚させるほどだったのだ。朱雀院はそれほどに自然豊かで、彼らはその自然と一体になって楽を楽しみ、舞に酔ったのである。

 私には、一つの疑問がある。現在の京都御所についてである。紫宸殿の前は、左近の桜と右近の橘を除けば、一面の白砂である。最近その白砂に波模様のようなものをつけて、禅寺風にしている。はたして平安の内裏はこんなだったのだろうか。多くの官人が集まるのだから、それは広くなければならないだろうが、これでは、まるで西洋の貴族の館で、変化がなさすぎる。
 それに現在の御所は松ばかりが目立つ。松は常緑樹で、季節の移り変わりが感じ取れない。平安人は変化を好んだ。だから、紫宸殿や清涼殿などの周囲は、もっとさまざまな樹木で埋め尽くされていたはずである。

 平安貴族が、邸を建てるのに最も気を使ったのが庭園であった。寝殿造の建物は、中はまるで愛想もなく、がらんとしただだっ広い一間だ。ところが、庭園となると、彼らは意匠に意匠を凝らした。
 まずは庭の中央の池である。龍頭鷁首(げきしゅ)の船を浮かべられるほどに広く造った。池の中には中島をもうけ、種々の草木が植えられる。そして、その池に向かって寝殿から廊が延び、その先端には釣り殿がある。
 寝殿の脇からは「遣水」が心地よい水音をさせて流れ出てくる。京都の地下には琵琶湖の数十倍もの水が蓄えられているという。水が豊富なので、泉殿にはこんこんと水が湧いていた。夏は、そこで涼を取り、管弦をしたり酒を飲んだりする。涼を取っていた光源氏がふとこんなことを言う場面がある。
 『水の上、無徳なり』
 泉殿で涼を取っていたが、その泉水も役に立たない(無徳な)ほど今日は暑いというのである。京の夏は暑い。逆に冬は雪が多かったようである。
 庭の周囲には築山を築いて、そこに大小の樹木を植え、寝殿の前には、「前栽(せんざい 植え込み)」を造って季節の花を植える。
 もちろん彼らがこれ程に庭にこだわるのは、自ら自然を観賞したいからである。眼前の自然の変化に、彼らは研ぎ澄まされた感覚を働かせた。そこから歌ができ詩ができたのである。

 しかし、庭は自分の楽しみだけのものではない。人を楽しませるということも大きな目的だったようだ。特に外出のままならない女性たちへのサービスという意味もあったのではなかろうか。
 『薄雲』の巻の光源氏の言葉に、こんな言葉がある。
 『狭ばき垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑ渡し、秋の草をも掘り移して、いたづらなる(あまり人の関心を引かない)野辺の虫をも住まわせ、人にご覧ぜさせん』
 「その折の心知るばかり」とは、「季節、季節の趣を理解できるような人」ということで、この場合は、紫上や秋好中宮などを指している。そして、光源氏がこの本意(ほい)をかなえたのが、三年後のことである。光源氏、三十五歳、太政大臣として栄華の頂点に立った時である。ここを六条院という。
 出来上がった邸は、「狭ばき垣根」どころではなかった。なんと四町(よんまち)にも及ぶ壮大なもので、四つの町に分け、それぞれ春、夏、秋、冬の町と名付けた。一町は120メートル四方であるから、小さな小学校なら三つ四つできてしまう。これだけの邸をたった一年余りで完成させてしまったのである。でも光源氏にすれば、そんなことはいとも簡単なことで、息のかかった受領たちに申し付ければいいだけだ。

 驚くべきことには、「秋の町」などは、六条院が出来上がったその年の秋(八月)にもう、
 『秋の野をはるかに(広々と)作りたる。そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。嵯峨の大井のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり』
と、その時季にマッチした完全なる秋の自然を再現させてしまっているのである。嵯峨の大堰川(桂川の上流)あたりの景色など、まるで見る甲斐もない(無徳な)ほどである、というのだから、何をかいわんやである。
 そこで、「秋の町」の主人である秋好中宮は、早速、箱の蓋に『色々の(秋の)花、紅葉をこき混ぜて』、春の邸の紫上に得意になって贈っている。
 そして、翌春になると、今度は、紫上の方が、秋好中宮方の女房たちを舟に乗せて池を廻らせ、「春の町」の春の花々を観賞させているのだ。
 『色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえも言はぬ匂ひを散らしたり。ほかには盛り過ぎたる桜も、今さかりに微笑み、廊を巡れる藤の色もこまやかに開けゆきにけり』
 明石君の住む「冬の町」は、松を主体として造り上げた。「冬の町の松には、雪」を狙ったのである。

 我々は、源氏物語を読んでいると、そこに登場する自然が本物の自然であると錯覚してしまいがちなのだが、それはほとんど彼らの邸の中なのである。いわば疑似自然と言っていい。外に出ることの稀であった女性方は、その自然を見て、歌を作り琴を奏して四季の移り変わりを満喫していたと思われる。

 ふと思ったことは、紫式部は自然に対して音痴だったのではなかろかということである。衣装や人の心理については、あれほど細密に微妙に描き分ける紫式部が、植物や鳥などについては、極めて抽象的な描写しかしていないのだ。登場する動植物の数も限られているし、その具体的な描写は皆無と言っていい。古今集に出てくる「梅だ、桜だ、撫子だ、鶯だ、雁だ」の動植物の域を出ていない。月並みなのである。
 これは、彼女が、本当の自然を歩いていないからだ。野山を歩けば、彼女が目を覚ますような自然が溢れているのだから。観察力、探究心、分析力、記憶力、そして表現力にたぐいまれな能力を持つ彼女のことだから、本物の自然に触れれば、衣装の描写に精力を注いだ以上に、動植物を物語の中に取り込んでいったことであろう。彼女たちは疑似自然に触れるしかなかったのだ。
 我が家の鉢植えのマユミが見事に紅葉し、官能的なピンクの果実が四裂して、中から真紅の種子をのぞかせている。もしこれを紫式部が見たら、登場人物の誰に喩えるだろうか、あるいは朧月夜かもしれない。

 疑似自然ということから、さらにふと思ったことがある。源氏物語のみならず、平安人の恋愛も、ほとんどは「疑似恋愛」だったのではなかろうか、ということである。何せ、平安貴族のお姫様たちは、本物の男に触れる機会などなかったのだから。
 これについてはいずれ述べるつもりである。
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