源氏物語

源氏物語たより127

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  暑かわしき京の夏  源氏物語たより127

 京都の夏は暑いという。また冬は寒いという。三方山に囲まれた盆地では確かにそういう気候になるのであろう。京都に住んだわけではないので、分からないのだが、いかにも京都は暑そうであり寒そうである。


 今年の一月には、比叡山に登ったが、千メートルにも満たない山なのに雪がまだらに積もっていた。また、三年前、葵祭りを見に行った時に、上賀茂神社までついていったが、五月だというのに随分暑く感じた。
 源氏物語には、雪がしばしば登場するし、夏の暑さもそこここで語られている。そこで、今回は源氏物語に現われる京の夏についてみていってみようと思う。

 平安貴族の邸や建物は、夏を主として造られているのではなかろうか。白砂を敷いて庭を広くするのは、風を通すためだ。またそこに池を造り、遣水を流すのは、景観だけの問題ではなく、涼を求めることが目的である。当時の京は、いたるところから水が湧いていたという。貴族たちは、競ってそれを利用し、涼を求めた。「泉殿」というのは、泉の湧くところに建てたところから付けられた名だ。 
 また、寝殿の母屋がだだっ広い一間なのも、夏の暑さ対策ではなかろうか。
 だだっ広い母屋や廂には障蔽物として几帳を置いた。その几帳には四枚ないし五枚の帷子(かたびら カーテン)が垂れているが、それぞれの帷子は途中が縫い合わされていない。そこに隙間ができる。その隙間を「ほころび」と言う。それは、几帳が風で膨らでしまうのを防ぐためと言われているが、私は室内の風通しを良くするためではないかと思っている。まさか覗き見をするためではあるまい。
 それほどに京の夏は暑いということである。

 例の「雨夜の品定め」の後の梅雨明けの日、光源氏は、左大臣邸(葵上のところ)に行った。
 『暑さに乱れ給へる御有様(くつろいだ姿)』
でいたところ、左大臣がやって来た。御簾越しの対話なので互いの顔は見えない。この暑さなので、くつろいでいたいのに、左大臣があれこれ話しかけてくる。源氏は、周りにいる女房たちに目配せをして、
 『「暑きに」とにがみ給へば、人々(女房たち)笑ふ。「あなかま」とて、脇息に倚(よ)りおはす』。
 顔が見えないのをいいことに、女房たちに「このくそ暑いのに、難しいことをとやかく言いかかってきて」と苦い顔をするのだ。それを聞いて、女房たちがくすくす笑う。すると源氏は「これ、静かにしなさい」とたしなめているところである。それでも彼は、脇息に倚りかかってラフな格好でいる、といった図である。天下の左大臣を前にして、何とも不遜な態度であるのだが、それほどに京の夏はやりきれないのだ。

 京の夏の様子が、目の当たりに見るようにリアルに描き出されているのが、『常夏』の巻である。少々長いが紫式部の文章力の見事さが分かる個所なので、あえてそのまま上げてみる。
 『いと暑き日、東の釣殿に出で給ひて、涼み給ふ。中将の君(夕霧)もさぶらひ給ふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、西河(桂川)よりたてまつれる鮎、近き河(鴨川など)のいしぶし(かじか)やうのもの、御前にて調じ、まゐらす。・・大御酒(おおみき)まゐり、氷水(ひみず)召して、水飯など、とりどりにさうどき(騒ぎながら)食ふ。風、いとよく吹けども、日のどかに、曇りなき空の西日になるほど、蝉の声なども、いと苦しげに聞ゆれば、「水の上、無徳なる今日の暑かはしさかな。無礼の罪は許されなむや」とて、寄り臥し給へり』
 ここには京の夏の風情が活写されている。それに、この文章によって、当時の貴族の生活様式や風俗の一端が分かるし、こういうところが、源氏物語が、その時代を的確にとらえた「時代小説である」と言われるゆえんなのだろう。
 この部分は、今更解説を必要としないほど易しい文章であるが、あえて付け加えると、大層暑い日に、源氏が池に面した釣殿に出て、涼を取っていると、息子の夕霧が大勢の殿上人を連れてやってきた。そこで、酒を飲み、桂川や鴨川から取り寄せられた鮎やいしぶしを、源氏の前で調理し、大騒ぎをしながら「食う」のである。
 それでもまだ暑い。そこで、氷水(雪を固めて室に入れておいたもの)や、水飯(氷水を掛けた飯)を「食う」のである。
 風はよく吹いてくるのに、一向に涼しくはならず、蝉さえ苦しそうに鳴いている。そこで源氏は言う。
 『水の上、無徳なり』
 (せっかく水の上にいても、何の役にも立ちはしない!)
だから、私は随分ラフな格好をしているが許していただきたい、ということである。
 それにしてもこんなに暑い時なので
 『宮仕へする若き人々、耐えがたからむな』
と、源氏は哀れがる。というのは、宮仕人は、宮中では夏でも「束帯」を着て働かなければならないからだ。束帯は、学生服の襟のようになっていて、紐で頸をきゅっと締めている。直衣にしても、襟は束帯と同じで窮屈なものだ。ただ、直衣は指貫(袴)がゆったりしているだけである。クールビズなどなかったのだから、宮仕えは本当に辛い。
 若い殿上人たちは、緊張しながら太政大臣・源氏の話を聞いている。それでも
 『みな、いと涼しき高欄に背中押しつつさぶらひ給ふ』
のである。少しでも涼しく感じる釣殿の高欄に背中を押しつけて、源氏の話を聞きながら涼を取ろうというのである。
 なにかこの箇所を読んでいると、京の暑さが首のあたりにまつわりついてくるような感じがする。紫式部の筆の力に幻惑されてしまったのであろう。

 この夕方、源氏は、最近引き取った玉鬘(かつての頭中将、今は内大臣と夕顔の娘)に会いに行く。いい歳(三十六歳)をした源氏が、この娘にすっかり熱を上げているのである。
 『月なき頃なれば、灯篭に大殿油まゐれり。なほけ近く暑かわしや。篝火こそよけれ』
と言って、篝火を灯させる。灯篭は軒に吊るすのでやはり近すぎて暑苦しく感じる。涼しい感じのもとで玉鬘との甘い時を過ごそうというわけである。
 玉鬘を近くに寄せ、琴を弾きながらなにやかやと口説いたり、嫌らしく絡み付いたりする。源氏の方こそ「暑かわし!」と言いたいところである。

 最近私は、京都に行くと先斗町で夕食を取ることにしている。鴨の流れを前にして、東山を眺めながら飲む酒は一段と味が栄える。
 実は、夏になると鴨川に張り出して「床」を造り、夕涼みをするあの宴席で飲んでみたいと思っているのだが、まだその機会を得ていない。あの「床」こそ、京都の人の夏の暑さをしのぐ知恵から生みだされたものなのであろう。平安人も現代も、やはり京の暑さは耐えがたいということである。
 来年は京都の「酷暑の夏」を、あの「床」で味わってみようと思っている。
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