源氏物語

源氏物語たより137

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  再び月に寄せて  源氏物語たより137

 前回(たより136)、『花宴』は、「月」が巻全体を貫いていて、それが、意識するしないにかかわらず読者に緊張感をもたらし、興味・関心をますます高める効果を生んでいる、いわば文章作法上の一種の技巧になっているのではないか、ということを述べた。紫式部は、自然現象、特に月を実に巧みに操る作家である。


 源氏物語の中で、月が効果的に使われている箇所は、数多くあるのだが、『橋姫』の巻での月が、また見事である。
 『橋姫』は、宇治十帖の最初の巻である。
 宇治十帖の主人公・薫は、世間的には光源氏の子であるが、実は光源氏の妻・女三宮と柏木の間に生まれた不義の子である。自分の出生に疑いを持つ薫は、生きることに対して素直になれない。そのため、世俗のことなどには関心がないし、女性などにもさして心惹かれるということもない。
 彼の関心は別のところにあった。仏の道、道心である。そのため、宇治に俗聖のように隠棲している八の宮を慕って、宇治通いを続け、八の宮を仏法の師と仰いでいる。
 
 八の宮には、二人の姫君がいた。大君と中の君である。ともに美しい姫君という。宇治への通いが重なり、女には何の興味もなかったはずの薫も、この姫君のうわさを聞くにつれ、ただではいられなくなった。彼女たちの姿を垣間見たいと思うのである。
 八の宮が、勤行のために山の寺に移っている時のことである。そのことを知ってか知らずか、薫は宇治を訪れた。時は秋の末つ方である。
 『有明の月の、まだ夜深くさし出づるほどに、(京を)出で立ちて、いと忍びて』
宇治に向かった。宇治への道は
 『霧りふたがりて、道も見えぬ(樹木の)しげきの中を分け給ふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるも、いと冷やか』
な山路である。
 八の宮の山荘が近くなると、管弦の音が、はつかに聞こえてくる。それは姫君たちの弾く琵琶か琴の音のようである。
 宿直人が、薫の来訪を知って「姫たちに伝えましょう」と言う。薫はそれを制して、
 『すこし立ち隠れて聞くべき物の隈(くま 物陰)ありや』
と、宿直人に尋ねる。物陰に姿を隠して姫たちの管弦をこっそり聞きたいというわけである。このあたりから、なんとなく薫の「道心」も「女嫌い」も怪しくなってきた。
  彼は、透垣(すいがい)の戸をすこし押し開けて、居間の方を見る。まさに「垣間見」を始めたのである。
 『月、をかしきほどに霧りわたれるを眺めて、簾垂(すだれ)を短く巻き上げて』
童や女房たちがいる。いい具合に霧のかかった月を眺めようと御簾を短く巻き上げてあるのだ。さらに廂の中を覗くと、姫君のうちの一人は、柱に少し隠れて、琵琶を前において撥(ばち)を手まさぐりしている。と、
 『雲隠れたりつる月の、にわかにいと明るくさし出でた』
その月を見た中の君が、こんな冗談ごとを言っている。
 「扇でなくても、琵琶の撥でも、月を招き寄せることが出来ましたわよ」
 扇で月(日?)を招き寄せたという故事に則った冗談である。
 『(月を)さしのぞきたる顔、いみじくらうたげに匂ひやかなるべし』
 中の君の顔は、月の明かりに、なんとも可愛げで、つやつやと輝くような美しさである(ようである)。
 もう一人は、ものに添い臥して琴の上に前こごみになっている。こちらは、中の君よりも、もうすこし落ち着きがあり、たしなみも深そうである。そして、中の君の冗談に対してこんなことを言った。
 「入日を招き返すという撥はあるかもしれないけれども、月を招き寄せるなんて、随分変わった思い付きですこと・・」
 すると、さらに中の君が言う。
 「この撥だって、月と関係ないとは言えませんわよ」
 これは、琵琶の上部に半月の形があることから、月と琵琶は関係があるとこじつけを言ったものである。
 薫は、二人のやり取りをこよなく美しいと見ていたが、また雲が出てきてしまった。
 『霧の深ければ、さやかに見ゆべくもあらず。「また月さし出でなむ」と思す。』
 彼は、霧のために二人の姿があまりはっきり見えなかったので、「月よもう一度出てくれ」と願うのである。

 ここでは、月が終始物語を推し進めている。月の光によって、彼女たちの姿をおぼろげではあるが見ることができた。また、月を話題にして冗談ごとを言っている姉妹の和やかな光景を見ることもできた。月がなければこの場面は成り立たないのである。

 ところで、「有明の月」とは、一般的には「明け方まで残っている月」のことであるが、必ずしも「夜明け方の月」だけを指すとは限らない。「陰暦十六日以降の夜更けに出て、翌朝まで残る月のことを言うこともある(広辞苑)」のである。
 薫が京を出たのは。九月の「末つ方」というから、二十日過ぎである。この頃の月の出は遅く、九時か十時のことである。こんな遅くの時間に、薫は京を馬で出たのだ。馬では宇治まで一時間余りであろう。したがって、宇治に着いたのは十時か十一時になっていたはずである。ずいぶん遅いお着きである。彼女たちの父親は、今夜は留守なのだ。何か下心があったと勘ぐられても仕方がない時間である。

 それにもまして不思議なことは、なぜこんな夜更けに、姫君たちは琴や琵琶を弾いていたのかということである。しかも、簾垂を巻き上げて月を見ていたという。十五夜の月を愛でて、管弦に興じるというのなら納得もできるのだが、九月の末つ方では、月は、せいぜい半月というところである。観賞するに十分な月ではない。しかも霧もかかっている夜である。たまたま中の君が冗談を言った時には、「雲隠れたりつる月、にはかに、いと明るくさし出でた」のではあるが。
 彼女たちはいつまで管弦に興じようとするのであろうか。朝まで弾いていようとでもいうのだろうか。思えば疑問の多い場面である。

 しかし、そんな疑問を感じさせない王朝の雅がここにはある。月が、そんな下衆な疑問など押し隠してしまうのだろう。
 たとえば、夜更けに馬で宇治に向かう当代第一の貴公子・薫の姿は、想像するだけで、雅である。さらに宇治というところがら、宇治川の流れが、姫君たちの琵琶や琴の音に趣を添えているはずである。
 そこに、霧にかすんだ月が、時に雲に隠れ、時に姿を現して、彼や彼女たちをムーンライトアップする。月は夢幻の世界を創造するのだ。古代の人々が、月に寄せる思いは計り知れないものがあった。
 太陽はいつも変化がないが、月は常に変化してやまない。月は、毎日平均で五十分ほどづつずれて出て来るし、形も毎日変化している。古代人が、月にこよない思いを寄せたのは、そんな変化する相を愛したからだ。変化するものは美しい。
 彼らは月の出の変化に、しゃれた名を付けた。十五夜の翌晩は、「十六夜の月」である。わずか五十分月の出が遅いからといって、その月を「いざよう」と言った。さらに十七夜の月は「立待ち月」である。彼らは立って月の出を待った。そして「居待ち月」「臥待ち月」やがて「宵闇」である。これらの言葉には、古代人の月に寄せる情が溢れている。
  
 現代人はそれをすっかり忘れてしまった。街のネオンは月を消した。現代人のあわただしい生活が月を見るゆとりを奪った。
 そういう私自身も、月に関しては今まであまりにも無関心であった。若い日にあれほど星に夢中になり、全天の一等星のすべての名を覚え、主な星座の位置も特徴も、みな知っていたのに。冬の夜空は特別美しいと寒さを押して野外に出たりしていたのに。
 どうしたわけか月にはつれなくて、十五夜の飾りをしながら、月を眺めるのがせいぜいであった。
 十五夜の月が、季節にかかわりなく(実際には一時間ほどのずれはあるが)、六時半頃出るものであることも、また朝、太陽と一緒に出る月があることも知らなかった。それを知ったのは、ごく最近のことで、みな源氏物語のおかげである。今、月のさまざまなメカニズムを知ってみて、陰暦もなかなか便利だしいいものだと思い始めている。
 
 それでは最後に万葉人が詠んだ月を二首あげて、この項を収めようと思う。
 『木間より移ろふ月の影を惜しみ 徘徊(たちもとほ)るに さ夜更けにけり』
 『わが背子と二人し居れば 山高み里には月は照らずともよし』
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