源氏物語

源氏物語たより141

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  絶妙な引歌  源氏物語たより141

 紫式部が、古歌や古典をいかに巧妙に活用しているかは、いまさら言うを待たないのだが、それにしても彼女の記憶の書架の大きさには驚くしかない。古今集や日本書紀、漢詩や史記、あるいは催馬楽や神楽歌、さらには仏典に至るまで彼女の書架に収められた記憶の書籍はジャンルを選ばないほどである。そして、それらを熟知しているだけではなく、その応用が誠に巧みなのである。


 『葵』の巻を読んでいて、この感をますます強くした。
 『葵』は、例の有名な「車争い」が展開される巻である。
 桐壺帝(院)が、朱雀帝に譲位した。そのことで時の権勢は、自ずから朱雀帝の祖父である右大臣方に移っていった。そうなると桐壺帝(院)の寵児であった光源氏の影は薄くなっていく。彼が、恋い慕う藤壺宮(中宮)はもっぱら桐壺院のお傍に侍っていて、光源氏の付け入る隙もなくなってしまった。正妻・葵上とのうとうとしい関係も改善されない。愛人・六条御息所とも思わしくなく、逢うことも稀になっている。御息所は、娘が伊勢の斎宮に卜定されたこともあって、つれない光源氏と別れて、娘と一緒に伊勢に下向してしまおうかとも思っている。
 あれやこれやで、光源氏のもの思いは尽きない。

 そんな時、賀茂の祭が近づいた。天皇の御世代わりに伴って、斎院も交代した。今回、桐壺院と弘徽殿の女御(今は大后)との間の娘・女三宮が斎院に立たれた。
 祭の数日前に、賀茂川で斎院(斎王)の御禊(ごけい みそぎ)が行われる。女三宮は、院・大后がこよなく愛する内親王であるから、御禊の際の儀式も自ずから常の儀式に加わることが多くなった。
 その斎王に供奉する上達部などは十二人と定められているが、いずれも「世間の評判が抜群で、容姿端麗な者」ばかりが選ばれる。その中に、光源氏が『とりわきたる宣旨』、つまり帝の特別の命で供奉の一員として選ばれたのである。
 光源氏は、今を時めく「近衛の大将」である。そのために、光源氏を一目見ようと祭は大変な騒ぎになった。
 『一条大路、ところなく、むくつけきまで騒ぎたり』
という状況で、一条大路は立錐の余地もなく、恐ろしいまでの騒ぎになったのである。

 さて、光源氏の正妻・葵上は、妊娠ということもあって、気分も勝れず、祭り見物など考えてもいなかったのだが、女房たちは、「檀那様(光源氏)の晴れの姿を見ることが出来ないなんて・・」と、不満たらたらである。母・大宮の勧めもあって、急遽牛車を何台も連ねて出かけることになった。日も高くなってから出かけたものだから、何台もの車を止める隙などとてもない。そこで左大臣(葵上の父)の権威を嵩(かさ)に着て、身分の低そうな連中の車を次々押しのけ、場所を占拠していった。
 ところが、そこに手ごわく抵抗して移動しようとしない車が二台あった。六条御息所の車である。葵上方の若い連中は、酒の勢いも手伝って、御息所と知りながら乱暴狼藉を働き、御息所の車を『ひとだまひ(従者などの車がある隅の方)』に押しやってしまった。しかも
 『しぢなどもみな押し折』
ってしまったのだ。「しぢ」とは、車の轅(ながえ)を掛けておく台のことで、それがへし折られてしまったのだ。轅を掛ける所もなく、仕方なしに身分のいやしい者の車のこしき(車輪の真ん中にある筒型のもの)にさし掛けておくしかない。六条御息所は、前東宮の妃である。もしその東宮が生きていれば皇后になれたかもしれない高貴な身分なのである。それがなんというみっともない姿であろうか。彼女は嘆く。
 『「何に来つらん』と思ふに、かひなし。「ものも見で帰らむ」とし給へど、通り出でん隙もなき』
状況である。従者たちの車に取り囲まれて身動きもならないのだ。そのうち
 「御禊の行列が来たぞ!」
という声がする。その声を聞くと、さすがに「このまま帰るのも・・。あんなつれない人ではあるが、一目だけでも見ていきたいもの」と思う。何とも哀れな女心である。 
 行列は目の前に来た。光源氏は馬上颯爽として、なじみの女車に流し目などを送っている。そして葵上一行の前に行くと、いかにも真剣な面持ちで得意然として通って行く。光源氏の随人は、葵上一行に向かって敬意を払いぺこぺこしているではないか。
 それに比べて、御息所の方には一顧だにしてくれない。そもそも「ひとだまひ」にいたのでは、光源氏からはまるで見えもしないのである。
 葵上に、車を壊された上に、片隅に押しやられ、さらに、葵上の前を光源氏はまじめくさって、得意げに通って行く。高貴な御息所は、葵上に完全に圧倒されてしまったのだ。自分の身の憂さは例えようもなく、ただ涙を流すしかない。これこそ、後に御息所が物怪となって、葵上を取り殺す端緒なのである。

 ところで、光源氏が、颯爽と馬で通り過ぎて行くのを、「つれなし」と思って眺めている御息所の様子を、物語はこう描いている。
 『「笹の隈」にだに、あらねばにや、つれなく過ぎ給ふにつけても、なかなか御心づくしなり』
ここの部分はやや難しく、意味がとりにくいが、古今集に、
 『笹の隈檜隈川に駒とめて しばし水かへ 影をだに見ん』
という歌があり、それを引いた歌(引歌)である。意味は、
 「笹の生い茂っている奥深いところを流れる檜隈川(ひのくま川 奈良県にある)で、どうか馬を止めて水を飲ませてあげてください。馬に水を飲ませている間に、私はあなたの姿だけでも見ていたいと思いますから」
ということである。恐らく昨夜、男としっぽり時を過ごしていた女が、別れに当たって、もっとお姿を見ていたいという心情を、「馬に水を飲ませる」ことを口実にして男を引き留めようとしたものであろう。この歌はもともと万葉集の歌で、万葉集の特色である素直な感情の表出がなされていて、好感がもてる。
 「笹の隈」は「檜隈川」の「隈」を導く序詞的な言葉で、特に意味はない。また、馬に水を飲ませるのであれば、どこの川でもいいわけで、したがって「檜隈川」もさしたる意味はもっていない。この歌の主旨はあくまで「あなたの姿をしばしの間でも見ていたい」という女心である。
 六条御息所も、本当なら光源氏に向かって
 「私の前で駒を止めてください。その間に少しでもあなたのお姿を拝見していたいと思いますので」
と呼びかけたいのだ。ところが、残念ながらここは笹の隈の檜隈川ではない。それどころか、「ひとだまひ」の奥なのである。葵上には完璧に圧倒されてしまったし、彼女の置かれた場所も心も、まさに笹の生い茂った「隈」の状態なのである。古今集の歌は、その底に女の甘やかな歓びの響きがあるのだが、御息所の心は、全てが真っ暗闇の隅である。「何に来つらん」と絶望的になるのも当然である。
 そのため、ここで「笹の隈」や「檜隈川」が意味を持ってくるのだ。「隈」をダブらせることによって、御息所の置かれた状況の深刻さ、暗さをよりクローズアップさせた。本の歌の主旨(男の駒をとどめて、しばらくでもその姿を見ていたい)を生かすのは当然のことながら、序詞に過ぎなかった「笹の隈」やあまり意味を持たなかった「檜隈川」をも見事に生かしたのである。転んでもただでは起きない紫式部の執念のようなものである。
 「引歌(ひきうた)」とは、
 「有名な古歌を自分の文章に引きふまえて表現し、その個所の情趣を深め広める表現技法 (広辞苑)」
ということである。古歌を引いてくることさえ難しいことと思えるのに、その古歌をさらに「深め広め」なければ、「引歌」とは言えないのである。
 紫式部は、「笹の隈」の「景」を、車争いの場面で見事に広げ、深めた。

 このように、紫式部は古歌を誠に効果的に引用した。記憶の書架の書物を自家薬籠中のものにできる彼女の能力は驚異的である。
 そして、もう一つの驚異は、「笹の隈」と言っただけで、当時の読者が、その意味を理解できたということである。つまり、源氏物語を読んでいた姫君たちや、こっそり源氏物語を読んでいた男性諸氏は、みんなこの歌を知っていたということである。古今集は全部で1,111首。もちろん彼女や彼らが、これらのすべてを知っていたとは思えないのだが、それでもそのうちの相当数は知っていたに違いない。それらの歌は彼らの共通知識(常識)になっていたのだ。現代の我々が、百人一首を暗誦している程度に、彼らは古今集の大半を暗唱していただろうということである。
 『百人一首』(中公新書)の作者・高橋睦郎は、対談の中で、このようなことを言っている。
 「(百人一首などの歌は)江戸時代までは(日本人の)共有財産としてあったわけで。いわゆる引歌ね。そういう共有財産がいつまであったか、というと、たぶん昭和二十年ぐらいまで細々ながらあったでしょうね」
 私もそう思う。現代では「共有財産」などというものは微塵もなくなってしまって、紫式部や古人の思いが、さらさら通じなくなってしまっていることを悲しく思う。
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