源氏物語

源氏物語たより143

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  匂宮の浮舟発見 その二つの経過 源氏物語たより143

 匂宮(以下 宮)は、今上天皇の三番目の子で、光源氏(以下 源氏)の孫にあたる。彼は、源氏の栄光を背負った華やかな皇子である。源氏亡き後、彼は、薫と並んで物語の主人公の一人として活躍する。

 ただ活躍するといっても彼の場合は「婀娜(あだ)人」としてである。彼の婀娜さは、内外に知れ渡るほどで、この面でも光源氏の栄光を背負っていると言っていい。彼の婀娜さは尋常ではない。彼の妻・中君も呆れかえっている。ここに中君の言葉を借りて、その婀娜さを紹介しておこう。
 『(女に)乱りがわしく(締りがなくて淫らで)おはする人』
で、
 『よろしきは見捨て給ふことなく、怪しき人の御癖なれば』
女房の中でもちょっとこれはと思うようなのがいると、あるまじきことに、その女房の里まで訪ねさせるという御様よからぬ御本性なのである。それで一端目に付けた女のことは、月日がたっても決して忘れることがないという執念深さでもある。とても「宮様」の風格はお持ちでない。
 彼の「婀娜」にかかわる嗅覚は、犬にも劣らないほどの鋭さがある。浮舟は、そんな彼の毒牙にかかってしまった。

 浮舟が、最初に彼に見出されてしまったのは、こんな経過からである。
 浮舟は、中君の腹違いの妹であるが、ことあって、しばらく中君の邸(かつての源氏の二条院で、今は宮が自分の邸のようにしている)に預けられることになった。
 ある夕つ方、宮が、妻・中君のところにやって来た。が、具合の悪いことに、中君は髪を洗っている最中であった。当時女が髪を洗うということは並大抵なことではなく、一日がかりの大仕事であった。何しろ六尺もある髪なのである。乾くまでも大変である。しばらくは戻って来ないであろう。仕方がなく彼は若宮をあやしたり、ふらふら歩き回ったりしていた。すると、西の対に見慣れない童がいるではないか。不審に思って西の対の部屋を覗くと、帷子の端から 「袖口」がのぞいている。彼の感は鋭く働く。
 『今参りの(最近来た)口惜しからぬ(悪くはない女)なめり』
 そこで、やおら襖を開けて入り込むなり、
 『(女の)衣の裾を捉え給ひて、・・(扇を持った)手を捉へ』
てしまう。そして、何と女の傍らに「馴れ馴れしく添い臥してしまう」のである。まさに電光石火の早業で、ライオンが獲物に襲い掛かるが如きの素早さである。
 これが、浮舟が最初に宮に見つけ出されてしまった犯行現場である。その結果がどうなったかは、置くとして、さて二回目はどんな状況を辿ったのだろうか。

 実は、光源氏の子である薫が、すでに浮舟に強く心寄せていたのである。浮舟は、中君とは腹違いの姉妹とはいうものの、今は亡き大君(中君の姉)に生き写しであった。大君を慕い続けてきた薫は、その形代として浮舟をぜひ自分の妻にと思っていたのである。ところが、宮の不埒な行為を伝え聞き、不安に感じた薫は、宮の毒牙から守るために、急遽、浮舟を宇治の山荘に隠してしまう。それは九月のことであった。
 ところが、宮は、「あさましきほどあてにをかしき」容姿であった浮舟を忘れることができない。

 翌年の正月のこと、宮が、中君の邸にいると、「文と小松を付けた鬚籠(ひげご 竹などで編んだ籠)」を持った女童が無邪気に走ってきて、中君にそれを奉った。宇治に隠れている浮舟からのもので、若君にと正月の祝いに贈ってきたものである。
 ここで宮の嗅覚は、再び鋭く働き出した。中君は、「宇治からの手紙だ」とは言えない。とやかくや、のらりくらりと宮の問をはぐらかしていたが、宮は、手紙の内容から、ついに「薫が、浮舟を宇治に隠している」ことを探り出してしまう。ここに至るまでの中君と宮とのやり取りは、実に緊迫したもので、思わず膝を乗り出してしまう。

 さて一端真相を嗅ぎ出すと、彼の行動は迅速である。薫の情報に詳しい者を召し出すや、宇治行の作戦を練る。そして、早速車と馬を仕立てて宇治へと向かう。宵過ぎるほどに宇治に着いた。寝殿の簀子に上がり、格子の隙間から中を覗くと、いる、いる。
 『君(浮舟)は、腕を枕にて、火を眺めたるまみ、髪のこぼれかかりたる額つき、いとあてやかに、なまめきて、対の御方(中宮)にいとようおぼえたり(似ている)』
 この後の彼の行為は、あまりにもあさましく凄まじきもので、とても宮様にはあるまじき行為であった。
 遅くまで裁縫などをしていた女房たちも、やがて眠りについた。浮舟も
 『少し奥に入りて臥す』
のである。それを見届けた宮は、格子を叩いて、薫の声を真似て戸を開けさせる。いかにも薫らしい「あてなるしわぶき」までするものだから、すっかり薫だと勘違いした女房は、宮を浮舟の部屋に導いてしまう。もちろん顔は見られないように、万端抜かりがない。
 『(宇治までの夜)道にて、いとわりなく、恐ろしきことありつれば、怪しき姿になりてなん、火暗うなせ』
 「夜道を来たので、ひどい姿になっている。火は暗くせよ」と女房に命じるのである。
部屋に入るなり、
 『(女に)近う寄りて、御衣ども脱ぎ、慣れ顔にうち臥したれば』
という狼藉を働く。女は、「あらぬ人(薫ではない人)なり」とすぐに分かるのだが、いかんとものしがたい。なにしろ宮は女に
 『声をだに、せさせ給は』
ないのである。薫への貞操を考えれば、
 『限りなう泣く』
しかない。

 光源氏も確かに「空蝉」や「朧月夜」には、強引な迫り方をした。しかし彼の場合は、何か憎めないものがあった。空蝉の時などは、不埒ないことをしながらも冗談を言う余裕があったし、朧月夜の場合などは、女は強姦まがいのことをされながらも、すぐに源氏に身を任せてしまうのである。そこには女を靡かせてしまう優雅さがあったからだ。
 源氏のことを「好色な男」として、毛嫌いする人が多いという。しかし、それは彼が「何事にも夢中になれる資質」を持っていたがゆえである。それが彼の魅力なのである。女に対してはもちろんのこと、歌踊にも管弦にも、絵画にも詩文にも、そして和歌にも書にも、彼はありったけの精力を注ぐのである。それ故に、稀に見る多彩な能力を身に着けることができたのだ。それが源氏物語に幅を持たせた。
 私は、こんな男と付き合ってみたいといつも思っている。さぞかし面白い男であろう。
 それに羽目を外しているようにみえて、きちっと枠の中に納めているから不思議である。それは彼には「優しさ」があったからだ。たとえば一度でも関係した女は決して捨てることがなかったことでもそれを知ることができる。出家した空蝉を二条院に引き取って最後まで面倒を見ているし、あれほど軽蔑した末摘花をさえ二条院から追い出すなどということはしなかった。それは彼の優しさの証明である。

 ところが、匂宮の場合は、ひたすら「好色」である。彼の行動には余裕がなく、雅もないのである。源氏物語には、終始「諧謔、皮肉、くすぐり」の精神が流れているが、源氏亡き後、特に宇治十帖に至ると、これがすっかり影をひそめてしまう。主人公である薫はまじめすぎて面白みがないし、匂宮にも源氏のような幅や度量がない。中君は、宮を評してこう言っている。
 『限りもなく、人にのみかしづかれて、習はせ給へれば、世の中のうちあはず(意の如くならず)寂しきこと、いかなるものとも知り給はぬ、ことわりなり』
 「皇子としてみんなにかしずかれて育ってきたから、それに慣れてしまって、他人の不如意な面や寂しい状況にまで、心が回らないのだが、それも皇子としてはまた当然のことかもしれないが」というのである。
 源氏も同じ皇子として生まれたのだが、幼くして母を亡くし、その上、臣籍にまで落とされるという境遇を甘受しなければならなかった。しかし、そのことが彼を強くした。このような境遇では、とにかく自立しなければならないのだ。そのために、知識・教養、学問など生きていく上に必要な能力を必死に練磨しなければならない。その結果、彼には、強い意志と人への思いやりと優しさ、それに余裕や人生への幅が生まれた。
 匂宮と光源氏とを比較することは、本来意味のないことなのであるが、宮の奔放を見ていると、「それでいいのかい、少しはおじいちゃんを見習ったら・・」と一言言いたくなってしまうのである。
 しかし、男女の中は分からないものだ。あれほどの屈辱を被った浮舟が、やがて宮の奔放な官能に魅かれ溺れていってしまうのだから。


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