源氏物語

源氏物語たより145

 ←源氏物語たより144 →源氏物語たより146
  あまりに的確な源氏物語の引き歌  源氏物語たより145

 匂宮(以下 宮)は、ある夜、こっそりと宇治を訪ね、薫を真似て浮舟の部屋に入り込み、強引に関係を結んでしまう。翌日もまる一日宇治にとどまり、彼女と濃密な二日間を持つ。そして、霧の深い夜明け方、京に帰っていく。女は、そんな情熱的、官能的な男にすっかり心を奪われてしまった。別れに当たって、今までに感じたことがないほどの切なさをもって、馬上の男を見送るのである。


 薫は、二人がそんな関係になっているとはつゆ知らず、その後、宇治を訪ねる。浮舟は匂宮とのことがあるから、複雑な思いで薫に接するしかないのだが、薫は、女が大層大人びていることに感銘を覚え、宇治にいつまでも住まわせておくことに申し訳なさを感じる。

 さて、二月十日ほどのことである、内裏で文つくりの会が催された。しかし、激しい雪と雨のために会は早々とお開きになってしまった。遊びもなくなってしまったことにもの足りなさを感じたのだろう、人々はみな宮の宿直(とのい)所に集まってきた。もちろん薫も一緒である。薫は、誰かに話でもしようと、端近くに出ながら、ふとこう口ずさむ。
 『衣かたしき、今宵もや』
 ほんのちょっとしたことを口ずさんでも、薫がつぶやくと不思議にしみじみとした情趣が漂い、様になる。ところが、これを聞いた宮は
 『ことしもあれ。宮は、寝たるやうにて、御心騒ぐ』
のである。
 この場面、少し状況が捉えにくく、理解しがたいところがあるので説明を加えると、こういうことになる。
 薫が口ずさんだのは、古今集から引いた次の歌である。
 『さむしろに衣かたしき今宵もや 我を待つらん 宇治の橋姫』
 「敷物の上に一人寝をして、今夜も私を待っていることであろう。あのいとしい宇治の女は」という意である。
 相愛の男、女が共寝する時には、互いの衣を敷いて寝る。ところが、一人寝するしかない時は、自分の衣を敷いて寝る以外ない。これを「かたしく」と言う。「さむしろ」の「さ」は接頭語で、「むしろ」のこと、つまり布団のことである。 
 薫は、宇治に残している浮舟が、今夜も寂しく私を待って、自分の衣だけを敷いて一人寝していることであろうと、女を偲んで思わず口ずさんだのである。他の者は事情を知らないから、彼のつぶやきを「もの深く、様殊に」聞いたのだが、宮にとっては、誠に具合の悪い歌である。なぜなら宇治の女は、薫の妻ではあるが、「自分の女」でもあるのだから。とても聞いてはいられない。そこで「寝たふり」をしていたのだ。

 そもそも浮舟の心は、既に薫にはない。彼女が「今宵も待っている」のは「匂宮」なのである。にもかかわらず随分間抜けた歌を引いてしまったものである。「ことしもあれ」とは、「いろいろの歌があるというのに、よりによって、『宇治の橋姫』の歌を引くとは呆れたものだ」という意味を含んでいる。
 宮の「御心騒」いだ理由は、複雑であり微妙である。薫の女を「物にした」という勝利感もあるだろうし、それも知らずに「我を待つらん」などとのんきなことを言っている薫に対する嘲りもあるかもしれない。
 しかし、宮は、薫が思わず『衣かたしき 今宵もや』と口ずさむということは
 「薫も浮舟に相当思いを入れているのだ。これはうっかりしていられない」
というあせりが本音である。何しろ宮の心は、すっかり浮舟で占められ、溺れ込んでいたからである。あせった彼が、再度宇治を訪れ「雪の夜の宇治川逃避行」を決行したことがそれを良く示している。

 宮と薫のこのような事情を、『衣かたしき 今宵もや』の引き歌は、見事なほど適切に表している。もちろん紫式部の引き歌に不適切なものなどあろうはずはないのだが、この引き歌は、まるで源氏物語のためにあったような気がする。あるいは、この歌に合わせて、紫式部はこの場面を創造していったのではなかろうかとさえ思ってしまう。
 紫式部は、引き歌の多くを古今集からもってきているが、古今集だけでも1.111首もある。また『古今六帖』(十世紀後半に編集されたもので、万葉集や古今集や後撰集などの歌を、項目ごとに整理したもの)からも多く引いているが、これは四千首を越えている。 
 玉上琢弥によれば、源氏物語には730首の引き歌があると言う。別の学者によれば、二千首を超えるとも言っている。これだけ膨大な引き歌に即した的確な歌を引いてくるためには、超人的な記憶力や探索力がなければならないということになる。まさか、古今集や後撰集や万葉集などをみな暗唱していたわけではあるまい。
 それではどうしてこんなことが可能だったのだろうか。
 「源氏物語は、紫式部一人の手になったのではない」という意見が、古来多くの人によって唱えられてきたことである。また、何人かの女房が分担して執筆したのだという意見もある。
 私は勿論そんなことはありえないと思っているのだが、ただ、藤原道長の娘であり、中宮でもある彰子の周りには、錚々たる女房が集まっていたことは想像に難くない。その女房たちが、物語そのもの創作したのではなく、紫式部の創作に協力して、引き歌探しなどの手伝をしたであろうことは考えられることである。
 「はい、あなたは、ここに相応しい歌を、古今集から見つけておいて!」
 「万葉集にこんな歌があったわよ。この場面にこの歌を入れたらどうかしら?」
などとやっていたのではなかろうか。そんな場面を想像するとわくわくしてくる。
 『紫式部日記』に、女房どもが分担して、物語の書写をしたり製本したりする場面が描かれている。
 『御前(中宮彰子)には、御冊子つくりいとなませ給ふとて、・・色々の紙選りととのへて、物語の本ども添へつつ、ところ所に文(ふみ 書写の依頼文)書き配る。かつは(一方)、(清書されてきたものを)綴ぢ集めしたたむるを役にして、明かし暮らす』
 ここでいう「物語」とは、『源氏物語』のことで、中宮のところに女房が集まって、清書の依頼をしたり、できてきたものを製本したりしている風景である。この文章を読んでいると、物語の展開に相応しい「引き歌」を、優秀な女房に依頼したであろうと考えても決して誤りともいえない感じがしてくる。

 それでは、もう一つ絶妙な引き歌を例に上げて、この項を閉じることにする。
 六条御息所は、賀茂の祭の車争いで、葵上から屈辱的な狼藉を被った。そればかりではない。愛人の光源氏も最近はとんと通ってこなくなっている。そのことをひどく嘆き悲しみ、一層のこと娘が斎宮に占定されたので、一緒に伊勢に下ってしまおうか、とも考えている。しかしそれでは光源氏に捨てられて逃げていくのだと世間から物笑いにされよう、だからと言って、このまま京にいたのでは「男に見限られた元東宮御息所」として、世間の嘲笑はさらに厳しいものになるだろう、それにまだ男を諦めきれてはいない、と、とやかくやと煩悶する。そんな時に彼女の脳裏をかすめたのが
 『釣りする海士のうけなれや』
という古今集の歌である。本の歌は
 『伊勢の海に釣りする海士のうけなれや 心ひとつを定めかねつる』
である。「うけ」とは、釣りの時に使う泛子(うき)のことである。「泛子」は、海の波に漂って一瞬として安定していない。京にとどまるべきか、娘に同道して伊勢にまで彷徨(さまよ)って行くべきか、右すべきか左すべきか、六条御息所は、その決断さえ自分一人の心では定めかねているのである。その揺蕩(たゆた)いの心理を、「泛子」が見事に象徴している。
 この引き歌の的確さは、彼女の揺れ動く懊悩を泛子に象徴させたばかりではない。この泛子が浮く海は、「伊勢の海」なのである。彼女が行くべきか否か、迷いに迷っているまさにその海なのである。
 さらに、そればかりではない。彼女の「浮いたような魂」は、自らの体から彷徨い出して、恨み骨髄の葵上のところまで飛んで行ったのである。そしてついに葵上を呪い殺してしまう。それは車争いへの恨みばかりではない。葵上は光源氏の子を身ごもっていたのだ。愛する男に、子供ができしまったことへの激しい恨み憎しみと屈辱感からなのである。「泛子」は、御息所の「魂の彷徨」でもあったのだ

 古今集は、源氏物語ができた、ちょうど百年ほど前に、紀貫之によって編纂されたものである。あたかも古今和歌集は、紫式部が百年後にこの世に現われるのを想定していたかのような歌集であった、と言ったら少し大仰であろうか。
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより144】へ
  • 【源氏物語たより146】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより144】へ
  • 【源氏物語たより146】へ