源氏物語

源氏物語たより155

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  源氏の才能は天稟のものか 『桐壷』を読む その6

 光源氏は、子供の頃から超人的な才能を発揮する。
 しかし、そんなに優れた才能を持つ人間などあり得ない、あり得ないような超能力者を主人公にしている物語は、所詮物語に過ぎない、と言う論理で、光源氏を嫌う人も多いし、源氏物語にはなじめないという人もいる。
 

 確かに、源氏の才能、資質は異常なほどであった。幼いころから
 『(源氏の才能を)すべて言ひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき』
御様なのである。源氏の才能は数え上げればきりがないし、全てを数え上げていたのでは、あまりに大げさになってしまい、嫌らしささえ与えてしまうから、と、語り手も述べているほどである。
 八歳の時に作った漢詩は、源氏の人相見をした高麗の相人の涙を誘うほどの出来栄えであった。
 やがて成人するに及んでは、諸芸に秀で、成らざるものはなしと言う具合になっていくのである。管弦のみならず、書にも絵画にも舞踏にも誠に秀でた能力を発揮する。
 さらに彼の弁舌たるや驚くほどの巧みさであり滑らかさである。これは、確かに尋常の人間ではない。
 また、彼の容貌は、生まれながら
 『世になく清らなる、玉のをのこ皇子』
であった。成長するにつれて
 『(源氏の)にほはしさは喩へん方なく美しげなるを、世の人「光る君」』
と騒ぐほどの美しさになっていく。「にほふ」とか「玉」とか「光」とは、最高の褒め言葉で、いかに彼が稀なる容貌であったかが分かる。
 容貌は天性のもので、いくら努力しても変えられるものではない。韓国の女性がみな美しいのは整形をするからだと聞いたことがある。しかし韓国ドラマ「チャングム」や「トンイ」を見ていると、そうでもない女性も多い。整形してもなかなか思うようにはいかないということだ。『笑点』で、「俺は福山雅治だ!」などとよく言っている落語家がいるが、横から見ても後から見てもまるで似ていない。いくら努力してもあの落語家が福山雅治になることなどあり得ないのだ。もう諦めればいいのにと思って聞いている。とにかく容貌は、天が与えて下さった「天稟(てんぴん)」なのだ。
 それでは、源氏の諸芸や弁舌の才能も、天稟そのものなのだろうか。もしそうだとすれば「やはり物語だ!」ということになってしまって、面白味がない。そこでこの点について追及して行って見ようと思う。
 源氏は、七歳にして『書始め(ふみはじめ)』をしている。「書始め」とは、天皇や皇太子をはじめとする皇室や貴族の男子が、初めて漢籍(孝経など)を読むことである。形ばかり漢籍を復唱するのである。現在でも皇室では皇太子などが行っているのではなかろうか。当時は男子たるもの七歳になればみな書始めをした。だからこの点においては、源氏も、他の者と同じ条件に立っていた。ただ違うのは、彼は「世になく敏く賢かった」から、理解の程度が早かったのだろう。八歳にして漢詩を作る資質を持っていたのだ。現代で言えば、東大に楽々入れる資質を持っていたということだ。
 しかし、実は彼の場合は、生まれながらの資質だけではないのである。
 桐壺帝は、源氏には母はないし、何の後見もないことを、大層可哀そうに思っていた。それに彼を臣籍に降下させてしまったことにも忸怩(じくじ)たる気持ちを持っていた。そこで、彼が、将来自立し、政界で活躍できるようになるためには何をしてあげるべきか必死になったのである。
 『ただ人(臣下)にて、おほやけ(朝廷)の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせ給ふ』
のである。「道々の才」とは、「三史五経」などの能力のことで、即「政道に役立つ」学問である。これを「わざとの学問」と言う。
 さらに実生活上に役立つ知識、つまり儀式・典礼に関する知識や諸芸の才についても徹底して教えた。「諸芸の才」とは、詩歌・管弦などのことで、これを「本才」という。これについても手取り足取り教えたのだろう。その結果、彼の才能が花開いたのである。
 『わざとの学問はさるものにて(当然のこととしてで)、琴、笛の音に雲井(宮中)を響か』
すほどの才能を発揮し始めたのである。
 後年、源氏の弟にあたる蛍宮が、源氏のことを評してこう述懐している。
 『院(桐壺院)の御前にて、親王たち・内親王、いずれかはさまざまとりどりの才、習はさせ給はざりけむ。その中にも、(源氏は)とりたてたる御心に入れて、つたへ受け取らせ給へるかひありて、「文才(もんざい 漢籍のこと)をばさるものにて(当然のこととして)言はず、さらぬことの中には、琴ひかせ給ふことなむ、一の才にて、つぎには横笛、琵琶、筝の琴をなむ、次々に習ひ給へる」と、上(院)も、おぼしの給はせき』
と帝の言葉も交えて評価している。親王や内親王は、誰もみなさまざまな学問を、帝の前で習わされたのだが、源氏は特別熱心に学んだ。その甲斐あって、諸芸に秀でることができたというのだ。蛍宮は、兄弟の中でも源氏とは特別親しい関係にあったので、けっして世辞で言っているのではない。本心、源氏の能力と努力に舌を巻いているのだ。
 源氏が「文才」は言うに及ばず、「本才」においてもたぐいまれな能力を発揮できたのも、「天稟」に加え、桐壺帝の熱い思い入れがあったからだ。それに自身の努力が加わったのだ。
 それでは、彼はなぜそれほど諸芸をマスターすることに「御心に入れ」たのだろうか。それは幼な心に、母の悲劇を感じ取っていたからではなかろうか。後見のない者の悲劇である。もちろん彼の母親が亡くなったのは、源氏三歳の時であるから、母の無念の死の詳しい事情については分かろうはずがない。しかし、その後、彼の耳にはさまざまな情報が入って来たはずだ。敏く賢い彼が、その情報を聞き流すはずはない。後見のない者は、自分で努力して道を切り開いていくしかないという悲壮感と決断が、彼を真剣にさせたはずである。
 何か韓国ドラマの『チャングム』の主人公・チャングムを思い出させる。彼女も持って生まれた才能、才幹に努力が加わり、さらに母の無念を晴らそうとの一念が、不可能を可能成らしめた。
 やがて源氏の能力は、「雲井を響かせる」のみならず、あらゆる場であらゆる機会に、人々の耳目を虜にし、人々の心を魅了するようになった。
 そんな男に女が靡かないはずはない。光源氏は単に天性の美貌と皇子と言う立場を武器にした「婀娜なる男」ではないのである。
 余談であるが、以前能登を旅している時に、偶然皇太子の行啓に遭遇したことがある。車で沿道の我々に手を振っていられる姿だけだったが、普通の人とは違う雰囲気を持っていられた。威厳と言うのだろう、一種のオーラ―のようなものがほとばしり出ていたのである。これが帝王学を修められた人の、凡人との違いなのだろうと感動した。
 親王ともなると、そもそもが違うのだ。そこにその人の能力と努力が加われば、鬼に金棒である。まして平安時代の皇子たちといえば、はるかに多彩で深奥な教育を組織的に厳しく受けさせられたはずである。
 光源氏が、賀茂祭の御禊(ごけい)の日に、颯爽と一条通りを馬で行く姿を、私は見たかったといつも思う。彼からほとばしり出るオーラ―は、また格別なものがあったことだろうから。
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