源氏物語

源氏物語たより170

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  理解できない歌が理解できた 源氏物語たより171

 奇妙なつながりの仲間11人で「源氏物語を読む会」を作って、月に二回、源氏物語を読んでいる。現在『葵』の巻にまでたどり着いた。私が一応「講師役」であるが、質問自由、ご意見自由なので、「講師」の話の途中で、講義を受けている方が熱気を帯びてしまうこともある。
 先日も、葵上の四十九日が過ぎて、光源氏が左大臣(葵上の父)の邸を去って行った後、彼の部屋に残された二つの歌が議論になった。「講師」の私もどう考えたものか考えあぐねてしまった。
 葵上は、子供(夕霧)を出産するとすぐ亡くなってしまった。源氏は、四十九日の法要が過ぎるまで、左大臣の邸を一歩も出ないで、ひたすら精進にこれ勤め、喪に服していた。
 四十九日を過ぎると、さすがにこのままいつまでも左大臣邸で「つれづれに」過ごしているわけにもいかない。父・桐壺院も彼のことを心配しているという。そこで、いよいよ左大臣邸を去ることにした。左大臣邸では、源氏が去ってしまうことをなんとも哀しいこととして、女房たちはみな涙に袖を濡らしていた。
 左大臣も、「源氏が他所の人になってしまう」ことに耐えられず、
 「形見の子(夕霧)もここにいるのだから、いくらなんでも、もののついでには立ち寄ってくれることもあるだろうけど・・」
と源氏との別れを惜しむ。そして女房たちの言葉を借りて、未練がましくこうまで言うのである。
 『長く別れぬる悲しびよりも、ただ時々(源氏に)なれ仕うまつる年月の、名残りなかるべきを嘆きはべるめるなん、ことわりなる。・・げにこそ心細き夕べにはべれ』
 「葵上が、永眠してしまった悲しみよりも、あなた(源氏)になれ仕えてきた長い年月の思いが、あなたがここから去ることによって、跡形もなくなってしまうことの方を、女房たちは深く嘆き悲しんでいるようですが、それも当然のことでございます。・・まったく心細い夕べでございます」という意味であるが、実は左大臣自身が、源氏がこの邸から去ってしまうことを一番悲しんでいるのだ。
 それでもやはり源氏はこの邸から去って行かざるを得ない。
 左大臣は、源氏のいなくなってしまった部屋に入いてみると、「空蝉」のような空しい心地がするのである。几帳の前に、硯が乱雑に置かれ、草仮名や楷書で、漢詩やら和歌やらが書き散らしてあった。もちろん源氏が手すさびに書いたものである。左大臣は、それを手にして、「素晴らしい筆跡だ」と感嘆し、改めて「こんなに素晴らしい人をよそ人としてこれからは見ていかなければならないのか」と残念に思う。
 そこには『長恨歌』の
 『ふるき枕、ふるき衾(ふすま 布団のこと) 誰と共にか』
 『霜の花白し』
の二句が書かれ、その横にはそれぞれ次の歌が添えられていた。
 『なき魂ぞいとど悲しき 寝し床のあくがれがたき心ならひに』
 『君なくて塵も積もりぬ とこなつの露打ち払いいく夜寝ぬらむ』
 ところが、この歌が理解できないのである。意味はさほど難しいものではない。それぞれ次のような意味である。
 「私は、あなた(葵上)と共に寝たこの床から、ふらふらと離れていくことができない慣わしになってしまった。きっとあなたの魂も、私と同じように、この床から離れがたく彷徨っていることであろう。それを思うと、何とも悲しくてたまらない」
 「あなたが亡くなって、いつも共に寝た床に塵が積もってしまった。私は、あなたの死の悲しみに耐えられず涙を流し続けてきたが、その涙を振り払いながら、もういく夜一人で寝たことであろうか」
 問題なのは、この歌を詠んだ源氏の意図(神経)である。それが理解できないのだ。源氏は、葵上のことは好きではなかった。時折、左大臣の邸に来ても、彼女と心を許して話し合うこともなく、まして睦まじく床を共にすることなどめったになかった(はずである)。にもかかわらず、この歌の麗しいこと。まるで夫婦和合の見本のようである。背筋がぞくっとするような、白々しさを感じさせる歌で、真実味などこれっぽっちも籠っていない。
 「お前、よく言うよ!」
と思わず言いたくなってしまうほどである。私は、
 「源氏は、左大臣が必ず自分の部屋に入ってくるであろうことも、この歌を見るであろうことも計算に入れていたのだ。そうすれば自分がいかに葵上と睦まじい関係にあったか、また彼女の死をいかに悲しんでいるか、左大臣に分かってもらえるはず、と踏んでいたのだ。だから、書きけがしたものを、片付けもしないで出て行ったのだ」
と解釈し、その旨皆さんに説明した。すると一人の会員が噛みついてきた。
 「ということだとするならば、私は、光源氏という人の人間性を疑わざるを得なくなってしまうのですが・・」
 おっしゃるとおりで、私は一瞬言葉に詰まってしまった。が、喜ばしいことに、丁度この時、「読む会」の終了時間になった。
 「それでは、“源氏の人間性は疑わしい”というところで、今日の会は終わりにします」
と言って会を閉じたが、さすがに釈然とせず、家に帰ってもこのことを考え続けていた。
 「源氏ともあろう者が、そんな浅はかな見え透いた計算をするはずはないのでは」
 そこで、改めてここに至るまでの経過を振り返ってみて、「あ!」と思った。
 『あ!この歌は源氏の贖罪の歌ではないのか』
 この歌は、左大臣に書いたものではない、葵上に詠いかけたものなのだ。
 源氏は、葵上に対して終始冷たかった。それは「葵上は気位が高く、打ち解けない人柄だから」という理由のもとにである。しかし、彼が、葵上を敬遠し左大臣邸を訪れることがまれまれになった本当の理由は、彼の心にいつも藤壺宮の影があったからだ。
 左大臣は、源氏と葵上がうとうとしい関係にあることは先刻承知である。源氏が、邸を去る際にも、こう言っている。
 『(源氏が娘と)打ち解けおはしますことは、侍らざりつれど、「さりともついには」と、あいなだのみし侍りつるを。』
 「源氏さまがいらっしゃっても、娘と打ち解けていられたことはなかったけれども、“それにしても、いつかは”と頼みにならないことを頼みにしておりましたのに」という意味であるが、「さりとも(いくら何でも、いずれは仲良くなってくれるだろう)」という言葉に、左大臣の万感の思いがこもっている。その頼みは、葵上の死で本当の「あいなだのみ」になってしまったのだが。
 源氏と葵上がいつもそばそばしい関係であったことは、彼女の兄の頭中将(この時は三位中将)もよく知っていることなのである。そんな左大臣に、今更「実は私たちはこんなに睦まじい関係で・・」などと弁解してみても始まらないのである。
 源氏は、葵上が「いまは」の際の時に、初めて彼女の良さに気が付いた。
 それに、葵上の“最期の目”も見ているのだ。葵上は、ともかくも子供(夕霧)を無事に生んだ。ようやく小康を得たようなので、源氏は久しぶりに内裏に出かけようとした。すると、出かけようとする源氏の姿を、彼女は
 『常よりも目とどめて見いだして』
いたのだ。源氏に対する深い情のこもった目であったはずだし、源氏にもその深い情は伝わったはずである。互いにようやく解りかけていたのである。
 にもかかわらず、源氏は葵上の死に目にも逢うことができなかった。豊かな感性と鋭い感覚の持ち主である源氏にとっては、たまらない葵上の死であった。彼女に対する悔恨の情は計り知れないものがあったろう。初めて心が通じたのに、これから心打ち解けて睦まじい生活をできると思った矢先なのに・・。
 あの歌の意図は、葵上に対して何の温かい情も注ぐこともできずに終わってしまった源氏の懺悔の叫びであり、悔恨の情だったのだ。
 書きけがしたものを、部屋にそのままにしておいたのは、
 「私の魂は、あなたの魂の傍にいつまでもずっといるよ」
という切実な訴えであったのだ。四十九日の間、左大臣の邸から一歩も出ず、愛しい紫上がいる二条院に一度も行かなかったのも、その証である。また、左大臣や女房たちが「今後源氏がこの邸を訪れることなどすっかりなくなってしまうだろう」と憂えた時、
 『いと浅はかなる人々の嘆き』
と言い。むしろ「これからこそここを尋ねることが多くなることであろう」と言ったのは、本心の吐露だったのだ。葵上の魂の彷徨っている部屋に来ることが、彼の贖罪になるからだ。
 と、こんな解釈をしてみたのだが、さて皆さんは納得してくれるであろうか。


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