源氏物語

源氏物語たより180

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  人の噂を気にする古代人  源氏物語たより180

 古代人はどうしてあれほど人の噂を気にするのだろうか、古典を読んでいて大変気になることの一つである。万葉集などには人の噂に関する歌が頻出する。万葉集ではそのことを『人ごと繁み』という言葉で表現していることが多い。「人ごと」とは「他人の言うこと」「世間の評判」ということであり、「繁み」の「み」は「~ので」という原因、理由を表わす言葉である。したがって、「繁み」は「激しいので」ということになり、全体の意味は、「人の噂が激しくうるさいので」ということになる。二つほどその例を挙げてみよう。
 
 『人ごとを繁みこちたみ 己が世に未だ渡らぬ朝川渡る』
 
 但馬皇女の歌である。但馬皇女は、天武天皇の娘で、同じ天武の子・高市皇子の妃である。しかし、高市皇子は、皇女よりも二十歳も年上であったために、皇女には若くはつらつとした恋人ができてしまう。相手は、同じく天武の子・穂積皇子である。もちろん許されざる恋である。そんな人目を忍ぶ仲の歌が『人ごとを繁み・・』である。人の噂がひどく、うるさい(こちたし)ので、かつて経験したこともない「朝早くに川を渡るような慣れないことまでしました」という意味である。人目のまったくない朝早くに穂積皇子のところから帰って来なければならない、ということである。
 この場合は、皇女と皇子という不倫の恋なので、もし現場が人の目に触れてしまえば大変なことになってしまう。「人ごと」を気にするのは当然のことである。
 ところが、次の歌などは誰の歌ともわからない歌なのである。
 
 『人ごとは夏野の草の繁くとも 妹と我としたづさわり寝ば』

 「たづさわり」とは、「手を携え」という意味で、あなたと手に手を取りあって寝てしまえば、いくら人の噂が、夏野の草がはびこるようにうるさかろうが、かまいはしない、という意味で、すっかり開き直っている。だったら初めから「人ごと」など気にするな、と言いたいところだ。いずれにしてもこれはごく普通の男女の歌であろう。いかにも万葉的なおおらかさがあり、微笑ましいかぎりである。
とにかく万葉人は、身分のある人と否とにかかわらず、猫も杓子も「人ごと」を気にしていたようである。

 古今集の『恋の巻 三』なども、「人ごと」で溢れている。古今集の場合は、「人ごと」が「名」という言葉で出てくることが多い。「名」と言えば、「噂」ということであり「評判」ということである。一つだけ上げておこう。

 『逢ふことは玉の緒ばかり 名の立つは吉野の川のたぎつ瀬のごと』

 「玉の緒」とは、「ほんのわずかな」ということで、あなたに逢うのはほんのわずかな時間でしかないのに、噂ばかりは吉野の川の激流のように、喧々囂々(けんけんごうごう)たるものである、という意味で、詠み人知らずの歌である。どういう人物の恋なのかは分からないけれども、喧々囂々と噂が立つというのだから、それなりに有名な人なのであろう。現代で言えば、「嵐の誰か」か「橋下徹か」というところであろう。あるいは、「ただ平安人の噂好きの歌だ」と言った方が当たっているかもしれないが。
 百人一首を改めて見てみたら、『住の江の岸による波・・』や『恋すてふ我が名はまだき・・』など、七首も「人の噂」の歌があった。

 人の噂はどんな噂でも面白い。なかでも恋の噂ほど恰好な座談の肴になるものはない。恋の噂は、いつの世にも、また人間いくつになっても興味深々たるものがある。人の悪口と並んで、話し始めたら止まらなくなるものだ。恋のゴシップは人の関心を引く種としては、一級品で、女性週刊誌などはこれで生きているようなものだ。恋の当事者は何としても隠そうとする、部外者は何とかそれを暴こうとする。そこに隠し暴かれの激しい葛藤が起こり、よりうま味を増した料理が出来上がる。

 源氏物語でも、このことが物語の展開上大きなウエートを占めている。
 『夕顔』の巻で、光源氏が最後の最後まで顔を隠し続けたのは、人の噂を恐れて、正体を見あらわされないようにするためである。もっとも天皇の第二皇子たるものが、五条のしがない民家を夜毎尋ねるなどあってはならないことなので、顔を隠すのも当然かもしれない。そんな噂がたったら、源氏の人格も疑われてしまうし、将来も危うくなってしまう。
 『空蝉』の巻でも、女房たちの噂話に源氏がぎくりとさせられる場面が出てくる。
 紀伊守の邸に泊まった日、噂の「空蝉」でもいないかと彷徨っていると、西おもてに人の気配がする。寄って行って聞き耳を立ててみると、女房たちが源氏の噂話に花を咲かせているではないか。
 「源氏さまはまだ若いというのに、もう北の方が決まってしまっていてさ、寂しくないのかしら。でもね、本当のところは、陰でこっそりよろしくやっているそうよ。」
 彼は、そんな女房たちの噂話を聞いて、一瞬ぎくりとする。というのは、
 『思すことのみ、心にかかり給へれば、まず胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひもらさむを、聞き付けたらん時、などおぼえ給ふ』
からだ。彼の心を常に占めているのは藤壺宮だ。こんな時にこんな所で、源氏と藤壺宮の噂が、女房の口に上っているとすれば大変。万一それが彼女らの噂を通して世間に漏れでもしたら・・と、肝を冷やすのである。しかし、女房たちの噂話は他愛のないものであった。それに間違った情報を話し合っては楽しんでいるようなので、ほっと胸をなでおろす。
 光源氏といえば、十七歳にして近衛の中将、将来洋々たるものである。しかも稀代の貴公子で、そんな輝く若者が今夜この家にお泊りなのである。「嵐が我が家にやって来た」どころではない。源氏の一挙手一投足が、女房たちにとっては格好の噂話の対象になるのだ。
 女房たちの噂話が、事実だったとすれば、源氏にとっては命取りになってしまう。藤壺宮とのことは、夕顔や空蝉との恋とは次元が違う。なにしろ相手は、父帝の寵妃であり、彼の義母なのである。そんじょそこらの不義密通ではない。
 源氏が、宮と二度目の逢引きを成し遂げたのは、王命婦の手引きであったが、全くの奇跡のようなものであった。源氏は、あまりの嬉しさに
 「このようにお逢いできることは二度とないのだから、このまま夢の中に消えてしまいたい」
と泣く。それに対して宮はこう詠う。

 『世語りに人や伝えん たぐいなく憂き身をさめぬ夢になしても』

 「こんなにもつらい私の身。たとえあなたがおっしゃるようにこのまま夢の中に消えてしまったとしても、二人の浮き名は、世間の噂として、いつまでもいつまでも語り継がれていくことでしょう」という意味である。確かにもしそんなことになれば、一大センセーショナルである。日本の歴史上にもかつてなかった(かどうかは分からないが)事件になったことだろう。もう「噂」どころではなく、天皇家累代の恥辱となってしまうところだ。だから絶対の秘密にしなければならないことである。たとえ女房たちの他愛なものであったとしても、噂さえ許されないことなのである。
 二人の秘密を知っている者は、手引きした王命婦と宮の乳母子の弁だけである。後に奇妙な夜居の僧が出てきて、この秘密を二人の間の不義の子・冷泉帝に伝えてしまうのだが、それ以外は知る人もなく、二人の不義が世の噂となることは一切なかった。噂の煙さえ立たないように二人は耐えたのである、隠し続けたのである。

 いささか雲の上のような「噂話」になってしまったが、それにしても、恋の噂ばかりがなぜこうも持てはやされたのであろうか。万葉人や平安人はなぜかくも恋の噂の歌を詠い続けたのだろうか。
 それは、恋には、本来いろいろな「禁忌(タブー)」がかかわっているからだ。でも、その禁忌を破ってしまうところに恋の不思議さがあり、面白味がある。それは、現代にも通じることではあるが、古代人は、特に歌を詠むことを「事」としている面があり、その主役は恋である。歌のために恋をすることさえあった。また、誰もが人の恋を興味深々で見つめているから、自ずから恋の噂も多くなる。

 「禁忌」の一つに、「性」というものがある。恋から性は切り離せない。しかし、その性には、何かやましい雰囲気、恥ずかしいという意識が付きまとっている。そのようなことで、もともと恋も性も陰に隠れてするものであったはずなのに、それが時に外に漏れ出てしまうことがある。それを恋の当事者は「やましいことをしている」という意識があるので、それが漏れることを恐れる。だから、『人ごとは夏野の・・』の歌のように開き直って、手を取り合って寝てしまわれたのでは、面白さは半減してしまうし、噂も噂でなくなってしまう。石田純一のようなものだ。

 恋の禁忌の二つ目は、避けた方がいい恋が多いということである。 
 たとえば、源氏と夕顔のような身分差のある恋、源氏と藤壺宮のような背徳の恋、源氏と女三宮のような年齢差の大きな恋、ロミオとジュリエットのように家同士の問題を孕んだ恋、源氏(左大臣側)と朧月夜(右大臣側)のような政敵同士の恋がその例だ。
 これらの恋は、必ず問題を惹起(じゃっき)する。恋をする幸せ感と背中合わせに、破滅の危機やさまざまなリスクが伴う。また危険が伴うからこそ、恋の当事者は密の甘さに酔い、止められないのだ。

 そして、もう一つが、恋には「棚なし小舟」のような先行きの不透明さや変化してやまない不安定さがあるということだ。
 恋は常に「私たちの恋はこれからどこに向かっていくのかしら」という不安感を孕んでいて、それを見ている者は、「あの二人はどうなった?どうなった?」という関心を呼ぶ。
 このような禁忌や変化してやまない不安定感こそが恋の醍醐味なのであって、それがゆえに人々の耳目を集め、噂を誘発するのだ。またそれこそが、歌が生まれ物語が作られる所以になるのだ。
 最後に古今集から、自分より身分の高い女に恋した男の歌を一つ上げよう。

 『群鳥の立ちにし我が名 いまさらにことなしぶともしるしあらめや』

 あれほど立ってしまったあなたと私の噂なんだもの、今さら「実はなんでもなかったのよ」なんて言ったって、もうだめなのじゃあないのかしら。


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