源氏物語

源氏物語たより182

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   結婚適齢期談義 源氏物語たより182

 紫上が、光源氏と新枕を交わしたのが十四歳の時。二条院に拉致されてきてから四年目のことである。現代では、十四歳の少女と新枕を交わせば青少年健全育成条例に引っかかってしまう年齢なのだが、当時は、十四、五歳が結婚適齢期であった。紫式部や清少納言が仕えた彰子や定子も、一条天皇に入内したのは、それぞれ十二歳、十五歳の時であった。源氏物語に登場する女性たちを見てみると、次のようである。
 藤壺宮 十六歳  葵上 十五歳   明石君 十八歳  明石姫君 十二歳  女三宮 十四歳   秋好中宮と玉鬘は事情があり二十二歳と二十三歳
 これからわかる通り、十四歳は結婚するに最適の年齢なのである。
 したがって、紫上も、いずれは源氏と男女の契りを結ぶであろうことは予想していたはずである。まして、四年という長い期間夫婦関係にあったのだから、そうなるのは当然のことである。

 ところが、源氏の行為に対する彼女の拒絶反応は、異様なほどに激しいものであった。
 「そのこと」のあった翌朝、彼女は一向に起きて来ようとしないのである。源氏が「そんなこと」をしようなどとはまったく思ってもみなかったと言うのである。それは単なる羞恥心とは異なる反応である。その時の彼女の心理がこう描かれている。
 『かかる御心おはすらんとは、かけても思しよらざりしかば、などて、かう心うかりける御心を、うらなく頼もしきものに思ひきこえけむと、あさましう思さる』
 「源氏様がこんな嫌らしいことをなさるお人だとは思いもしなかった、それなのにどうして今まで何の疑いも持たずに頼りがいのある人だなどと信じきっていたのだろう、そういう自分が情けない」ということである。まるで暴漢に襲われでもしたような嘆きようである。
 昼になって、源氏が紫上のところに行って、声をかけ、覗き込んでみても、さらに深く衣を引きかぶってしまい、臥したままでいる。布団をおし開けてみると
 『汗におしひたして、額髪もいたう濡れ給へり』
という状態であった。全身汗に濡れていたということである。この汗は昨夜の行為によるものではない。心底、源氏の行為が嫌で疎ましくてならず、またそういう男を頼りにしていた自身の情けなさから出るぐっしょりの汗なのだ。額の濡れは、悔しさから出る涙の濡れなのである。源氏がいくら声をかけても、
 『(源氏のことを)いとつらしと思ひて、露の御いらへもし給はず』
なのである。
 しかも、この状態が何日も続く。
 紫上のことは、父・兵部卿宮には正式に認めてもらっていない。そこで彼女の「裳着」の式を執り行い、その席に宮を呼ぼうと画策している時にも、肝心の御本人は一向に気持ちがおさまらず、相変わらずうだうだとあの夜のことを反芻する。
 『女君は、こよなう(源氏を)うとみ聞こえ給ひて、年頃(長い年月源氏を)よろづに頼み聞こえ、まつはし聞こえけるこそ、あさましき心なりけれと、悔しうのみ思して、さやかにも見あはせたてまつり給はず』
 先と同じ心情がここで繰り返されている。あの夜のことが悔しくて、それ以来、源氏とまともに顔も合わせない。これは重症である。なぜここまで気分を害してしまい、頑なになってしまったのだろうか。

 確かに、今まで、子供のように源氏にまとわりつき、夜も仲良く信頼して同衾していたのに、ある夜男が豹変し、「そのこと」に及んできたら、驚きもするだろう。それは乙女心として理解できる。が、果たしてここまで頑なになるだろうか。
 当初こそは、恥ずかしさがって、はにんでみたりすねてみたり怒ったふりをしてみたりするかもしれないが、相手のことが本当に好きであったなら、二日、三日もすればその気持ちは収まるはずである。いや逆に「そのこと」によって男に対する愛情がますます深まっていくのが通常である。
 それでは、彼女は十四歳まで男と女が結婚したら何をするのか、まるで知らない「おぼこ娘」だったのだろうか。しかし、これも考えられないことである。なぜならそのために乳母や大勢の女房たちがいるのだ。特に彼女には乳母でしっかり者の少納言が付いている。
 紫上は早くに母を亡くし、頼りの祖母も亡くなってしまった。それに父宮は彼女に対して素っ気なく、彼女の祖母が亡くなった時も真剣に引き取ろうともしなかった。行方が分からなくなった時も探そうという意志も見せなかった。こんな状態では彼女が頼れるのは乳母だけである。
 乳母も、紫上の幸せを実現できるのは自分しかいないと信じていただろうし、彼女が源氏に引き取られたことを、誰よりも喜んだのは少納言であったはずだ。そんな少納言が次に望むことは、二人の間に一日も早く子供が生まれるということである。それこそ紫上の身の安泰につながる第一の条件であるからだ。そういう乳母が「そのこと」を教えないはずはない。
 「三日の夜の餅の祝い(これで正式に結婚成立となる)」を、源氏が万端遺漏なく行ってくれたことを、少納言はこう言って喜ぶのだ。
 『いとかうしもや、とこそ思ひ聞こえさせつれ。あはれにかたじけなく、おぼし至らぬことなき御心ばへを、まづうち泣かれぬ』
 まさか源氏様がここまで配慮なさってくださるとは思いもしなかった、源氏様の思い至らぬことのない御心を、しみじみありがたく、かたじけないことと感動し、まずは泣けてくる、のである。そんな乳母が「そのこと」に対して、無関心であったはずがない。

 それでは、別の可能性を考えてみよう。
 紫上の体がまだ女として成長していなかったというのはどうだろうか。しかしこれも「否」と言うしかない。源氏が、正妻・葵上の病気の看護や葬儀のために長く二条院を開け、四十九日の法要がようやくすみ、久しぶりに二条院に帰ってきて紫上を見ると、すっかり大人びているのに驚くのである。しかも
 『姫君の何事もあらまほしう整ひはてて、いとめでたうのみ見え給ふを、似げなからぬほどに、はた見なし給ふ』
と、ご丁寧に説明されているのだ。「似げなからぬ」とは、「新枕を交わすのに相応しい体」であるということである。林望氏は、『源氏物語謹釈 祥伝社』でここのところを次の通り訳していられる。
 「さて、紫の君は、いまではもう何もかも理想的な姿に成長して、たいそう美しい「女」の体つきに見える」
 そう、彼女の体は完璧なのである。「そのこと」のプロの光源氏が「男女の契りをするのに十分な体である」とお墨付きを出しているのだから、この点は問題はない。

 もう一つ考えられることとしては、その夜の源氏の行為が、随分乱暴なものであったのでは、ということである。ひょっとすると紫上が拒絶反応を起こすようなことをしたのではないだろうか。
 ただ、残念ながら、例によって紫式部はその現場を書こうとはしないから、二人の間にどのような世界が展開されたのかは、想像するより外にないのである。橋本治氏は『窯変源氏物語 (中央公論社)』の中で、
 「肩を抱いて、胸をなでおろして・・」
などと具体的に描いているが、そのような行為も「そのこと」の常識の範囲である。別に驚きあきれることではあるまい。それになによりあの源氏さまが、女が嫌がるようなことをしたとはとうてい思えない。源氏にかかれば、どんなに強引に犯された女でも、結局はその魅力にみな靡いてしまうのだから。

 紫上だけが、異常とも取れる拒絶反応を示したのが理解できない。
 私が、いつも「紫上は本当に源氏を愛していたのだろうか」という疑問を持つのは、こんなところに起因するのである。

 さて、彼女が源氏を疎ましく思い、顔も合わせないという頑なな態度がいつまで続いたのか、またそれはどう解けて行ったのかは物語の上には出てこない。
 次の巻の『賢木』では、源氏は、六条御息所や朧月夜や藤壺宮との交接に忙しく、紫上そのものがあまり登場しないのである。源氏の移ろい易い気持ちを皮肉った歌が出てくるくらいである。
 それから四年後、源氏が、右大臣方に疎まれて須磨に退去しなければならなくなった時に、その別れを紫上は
 『惜しからぬ命に代えて 目の前の別れをしばしとどめてしがな』
と悲しんでいるので、少なくともこのころは、新枕の恨みは解けていたのであろう。それまで四年間もかかったということであろうか。
 紫上は結局子供をもうけることがなかった。ずっと拒否し続けていたわけではなかろうが、二人の出会いが早すぎたのではあるまいか。
 一条天皇に入内した彰子も定子も、子供をもうけたのは二十歳過ぎ。葵上も藤壺宮も女三宮も、みな子供をもうけたのは二十歳過ぎである。こうなると、結婚適齢期が十四、五歳というのも、どうやらあやしいことである。ただ貴族たちは、とにかく早くに自分の娘を有力な男のところに片付けようとしていたことは事実で、それが結婚年齢を引き下げていったのかもしれない。
 それにしても、紫上のあの異常な恨み・つらみは、一体なんだったのだろうか。興味津々の私の謎である。



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