源氏物語

源氏物語たより188

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  ここの状況が分からない 『若紫』を読む その1

 光源氏が、わらは病の治療のために北山に行った時に、思慕してやまない藤壺宮によく似た少女(紫上)を垣間見た。彼は、藤壺宮の形代として、ぜひこの少女を手元に引き取り世話をしたいと思い、その旨を彼女の祖母である尼上に懇望する。だが、いかにしても若すぎるということで相手にしてくれない。
 結局源氏の願いは聞き届けられないまま尼上は亡くなってしまう。紫上十歳の時のことである。源氏は見舞いがてらに六条の彼女の家に行く。 
 頼りにしていた尼上も亡くなってしまった六条には、乳母と女房たちがいるばかりである。乳母たちは、源氏を
 『例のところに入れたてまつ(る)』
のである。「例のところ」とは、尼上が生きていた頃、源氏が案内されたことのある北の対の「南廂」のことである。本来なら相手は皇子であるから、寝殿に案内すべきであったのだが、尼上が重く患っていて動けず、
 「大変奥まったところで恐縮ですが、源氏さまにお礼だけでも言いたいから」
と、ここに案内したことがあったのだ。

 今回もこの南廂に案内した。源氏が乳母と話をしていると、そこに紫上がやって来て、こう言う。
 『少納言よ、直衣着つらん(人)は、いづら(どこ)。宮のおはするか』
 遊び仲間が、「直衣を着た人が来ている」と紫上に知らせたので、彼女は「父宮」が来たのかと思ったのだ。ところがそれは父宮ではなく、北山で会ったことのある「お美しい」光源氏さまであった。彼女は、「まずいことを言ってしまった」とはにかみ、自分の部屋に戻ろうとする。すると源氏がこう声をかける。
 『この膝の上に大殿籠れよ。今少し寄り給へ』
 「大殿籠る」とは、「寝る」ということである。「私の膝の上で寝なさい」ということなのだが、ずいぶん不躾な言葉である。恥ずかしがる紫上を、乳母が源氏の方に押しやると、何の気もなしに源氏のところにやって来た。
 すると、源氏は実に不可解な行動を取る。
 『手を差し入れて探り給へれば、なよらかなる御衣に、髪はつやつやと掛かりて、末のふさやかに探りつけられたるほど、いと美しう思ひやらる。手をとらへ・・』
 なんと「手を差し入れ」て紫上を撫で回したのだ。

 ところが、この個所が誠に理解しがたいのである。特にこの「手を差し入れ」たというのは、一体どこに差し入れたというのだろうか。
 山岸徳平は『日本古典文学大系』(岩波書店)で、
 「紫上の上衣の下に手を差し入れて」
としているが、まさかそんなことはあるまい。それではあまりに不躾で破廉恥為で、青少年保護育成条例違反行為になってしまう。小学館の『完訳日本の古典』では
 「無邪気に座っておいでなので、そちらに手を差し入れて」
と訳しているが、「そちら」とはどちらなのか曖昧である。状況がよく分からないから濁してしまったとしか思えない。また玉上琢弥は『源氏物語評釈』(角川書店)で、
 「(几帳越しに)手を差し入れて」
としているが、さてどうなのであろうか。

 「探り給へれば」とか「思ひやられ」とかあることからすれば、源氏は、彼女の姿を直接見て撫で回しているわけではいないことが分かる。何かを隔てて彼女を探り、彼女の姿を想像しているのだ。考えられるのは御簾か几帳である。
 ところで、乳母は母屋にいたのだろうか。もし母屋にいたのだとすれば、源氏のいる廂の間との間には御簾が掛かっているから、この「御簾」を挟んで紫上が源氏に対座したことになる。母屋は、長押というものによって、廂の間より一段高くなっている。
 源氏が、この御簾越しに「手を差し入れ」るためには二つの方法が考えられる。一つは、御簾をこじ開けて差し入れる方法である。もう一つは、御簾の裾をめくって手を差し入れる方法である。
 しかし前者は考えられないことだ。御簾は、竹を細く裂いて丹念に編んだもので、こじ開けられるものではない。
 後者の場合はどうだろうか。できないことではないが、御簾の裾をめくって相手に触るのでは随分不自然な体勢になってしまう。長押もあるし、御簾が顔のあたりに掛かってしまって、とても「女」の衣や髪に触れる体勢はとれない。それにごつごつした肌触りの「竹」を隔てたのでは、「恋の語らい」には相応しくない。そんな逢引きでは恋心も竹のように冷めてしまう。

 やはりここは、玉上の言うように「几帳」でなければなるまい。几帳なら乳母は母屋にいても廂の間にいてもいいことになる。
 几帳は、高さが三尺のものと四尺のものとがあり、二本の丸柱を台に立て、その上に渡された横木に、四枚ないしは五枚の帷子(かたびら カーテン)を垂らす。帷子は、冬は練ってやわらかくした絹布を掛ける。
 それぞれの帷子は全部が縫い合わされているわけではなく、隙間がもうけられている。この隙間を「ほころび」という。恐らく風の通しをよくするためであろう。一説には垣間見のためともいう。
 この几帳だと、「ほころび」から楽に手が出せるし、帷子は柔らかい絹布であるから肌触りも良く、「恋を語る」に相応しい。それに、手も長く伸ばせるから髪の毛や御衣にも楽に触ることができる。
 それにしても、几帳のほころびから手を伸ばして女の体を撫で回しているとは、何とも様にならない格好である。やはり疑問の残る方法である。

 ここでもう一つ分からないのが、源氏の行為だ。現代の我々からすればあるまじきことで、それほど親しくもない少女に「この膝の上で寝なさい」と言ってみたり、髪を撫で回してみたり、衣を探ってみたり、果ては「手」まで掴んでしまうとは。
 当時は、十四、五歳で結婚適齢期だ。十一、二歳で結婚しているものも多い。紫上は十歳とはいえ、立派な少女である。その少女の体を撫で回す。しかも乳母は、彼女を源氏の方に押しやっているのだ。そんなことが何の疑いもなく行われていたのだろうか。
 でも、さすがに、「手をとらえら」れた紫上はびっくりし、
 『うたて(気持ちが悪い)、例ならぬ人のかく近づき給へるは恐ろしうて』
自分の寝床に逃げていく。するとなんと源氏もその後について行って、彼女の寝床に入り込んでしまうのである。これも信じられないことだ。

 千年の時を隔ててしまうと、さまざまなことが分からなくなってしまうものである。特に風俗・習慣、生活実態、家具・調度、建物などについては不明な個所が多い。
 『枕草子』も実に難解な書である。それもこれらのことが分からないがために難解になっているところが多く、小学館の『完訳日本の古典 枕草子』でも
 「意不明」「不詳」「不審」「・・の意か」「・・と考えられる」「・・であろう」「・・と解く説もある」「わかりにくい」
などという言葉が頻発する。千年の時がなせるわざである。
 『源氏物語』は、当時の生活実態、風俗・習慣などを知るのに、一級の資料であると言われる。だが、その一級の資料そのものが理解できなくなっているのだ。現代の我々にすれば、もう少し詳しく状況説明しておいてくれれば、と思うのだが、それでは物語を冗長にするばかりで、源氏物語の緊張感に満ちた特徴がなくなってしまう。
 それに、当時の人にとっては、そんなことはごく日常的なことでありごく当たり前のことなので、わざわざ説明する必要はなかったのだ。
 我々は、が当時のことをいろいろと推理しながら物語を読んでいくしかないようだ。それもこの物語を読む楽しみの一つなのかもしれない。


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