源氏物語

源氏物語たより195

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  紫上があどけなかった頃 源氏物語たより195

 光源氏は、深く紫上を愛していた。彼女のいない人生はありえないと何度も言っているとおり、まさに掛け値なしに彼は紫上を愛していた、それに間違いはない。

 ところが、紫上は、源氏ほどに彼を愛していたのだろうか、ということになると、それは疑問である。なぜなら彼女の源氏に対する恋の表出というものが、物語上にはほとんどなされていないからである。むしろ源氏に悲しい思いをされられたことばかりが物語られているのだ。「紫上の哀しさ」については何度となく書いてきたのでここでは触れないが、それでは、彼女が幸せだったことはあるのだろうか。

 源氏が紫上に会ったのは、北山にわらわ病の治療に行った時のことである。源氏が小柴垣から垣間見していると、十歳ばかりの女の子が突然飛び出して来て、祖母に向かってこう言う。
 『雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠(ふせご)の中に籠(こ)めたりつるものを』
 あまりに有名な場面である。紫上の幼さ・あどけなさがストレートに表れていて爽快ですらある。見れば将来の素晴らしさが保証されるほどの可愛らしさ、髪は扇を広げたようにゆらゆらしている。しかも
 『心を尽くし聞こゆる人にいとよう似たてまつれる』
ではないか。「心を尽くし聞こゆる人」とは、もちろん藤壺宮のことである、源氏は一目でこの子を世話してみたいと思うようになる。

 北山から自宅に戻った紫上を、源氏は二度尋ねている。この二度の出会いでも、彼女のあどけなさがいかんなく発揮されている。
 最初の時には、もう大殿籠っていたはずなのに、源氏が来たのを知った紫上が、源氏のいるところに飛び出してくる。そして祖母に向かって言うのだ。
 「おばあさま、あの源氏の君が来ているのでしょ。どうして会わないの?」
 女房たちがそのはしたなさを咎めるのだが、彼女はこう抗弁する。
 『いさ、「見しかば心地のあしさ慰めき」とのたまひしかばぞかし』
 祖母が前に「源氏さまにお会いすると、気分の悪いのも治ってしまう」と紫上に言ったことがあったのだ。それをちゃんと覚えていて、子供心に「源氏の君に会うことは祖母のため」といかにも賢げに言ったのだ。彼女のあどけなさ、素直さ、聡明さがよく出た場面である。

 さて、源氏は、祖母が亡くなったことを聞き知り、彼女を強引に二条院に引き取ってしまう。最初こそ祖母に会えない悲しみに涙を見せることもあったのだが、次第に慣れ、源氏の教える書や雛遊びに興じるようになった。童友達もできた。
 翌年の正月元旦のことである、源氏は彼女の部屋を訪ねて行ってこう声を掛ける。
 『今日よりは、おとなしくなり給へりや』
 「おとなしくなり」とは、「大人らしくなる」ということで、彼女がいままであまりにも子供っぽかったので、「今日からは大人らしくなったかい?」と冗談交じりに言ったのだ。そんな源氏の語りかけに、にこりとほほ笑むのである。しかし見てみれば、
 『雛おしすゑて(並べ立て)、そそき(そそくさして)ゐ給へり。三尺の御厨子一具、品々しつらひすゑて、ところせきまで遊び広げ給へり』
という状態である。さらに源氏が内裏に出かけて行くと、雛の中に、源氏の君を作って、参内の真似までしている。「おとなしく」どころではない。
 紫上は幸せそのものであった。
 あまりの子供っぽさを心配した乳母が、
 「あなたはもう男の人をもうけた(結婚した)のだからね。それらしく振る舞わなければなりません」
と意見すると、彼女は
 「そうか、私は確かに男をもうけたのだ。しかもその辺にいる女房たちの男と違って、とてもご立派で、若い男を」
とうそぶいて、乳母の忠告など気にもしない。
 そんな幼く可愛らしい紫上を、源氏は心の慰めどころとして渡って行くのだが、それでも次第に幼いなりの嫉妬心も見せるようになる。しかし源氏にはその媚態がかえって可愛く映る。
 そんな状態が、彼女の十四の歳まで続いた。それまで、二人はいつも床を共にしていたのだが、性的な関係は一切なかった。
 葵上の法事が終わったその秋、二人は初夜を迎える。源氏を信頼していた紫上は、彼の行為にひどく驚き、自尊心を傷付けられもし、また彼に強い不信感を持つようになる。

 その後、源氏が須磨に退去するまで、彼女が物語に登場することはないので、彼女自身の幼さやあどけなさがどうなったのかについては知る余地もないのだが、少なくとも十四歳の初夜までのようなあどけなさは無くなっていたであろう。
 また、源氏との関係がどうだったのか、彼女は幸せに過ごしていたのだろうか、などは想像するしかないのだが、ただ源氏が須磨に退去するにあたって、彼女が詠んだ歌から見れば、互いに愛し合っていたようではある。「・・ようではある」としか言えないのは、源氏は彼女を愛していたことには間違いないのだが、彼の心を常に占めていたのが「藤壺宮」であってみれば、それは必ず紫上に影響するはずであるからである。聡明であり鋭い感覚の持ち主である彼女は、源氏の深層に巣食うものを微妙に嗅ぎ取っていたであろう。とても「幸せであった」などと断定はできない。
 『惜しからぬ命に代えて 目の前の別れをしばし止(とど)めてしがな』
 これが源氏との別れに当たって、紫上が詠んだ歌である。「自分の命と引き換えてもいい、とにかくこの別れをなんとかとどめてほしい」という意味である。彼女の真剣で必死な思いがほとばしり出ている。
 愛があればこそ詠える歌には違いないのだが、「愛があるから」と思うだけでは素直すぎる解釈でもある。
 なぜならまず、生別にせよ死別にせよ、人の別れは悲しいもので「なくもがな」の気持ちは万人共通の一般論である。古来別れの歌は限りなく詠まれてきている。そしてそれらの歌は、みなどれも真剣で必死な感情の表出である。紫上だけの問題ではない。社交的な歌と言われても仕方がない。

 それに、彼女は天涯孤独の身である。源氏以外に頼るところとてなく、帰る家とてない。しかも政争に巻き込まれて無事に復帰した歴史的事実はないと言っていいのだ。源氏が無事都に戻れる保証はない。つまりこの別れは今生の別れになるかもしれないのだ。それは源氏の庇護がなくなるということである。だから、紫上がこれからを生きていくためには「目の前の別れを止める」ことしかないのである。真剣にならざるを得ない。
 このようにこの歌の裏にあるのは、愛の問題だけではないのである。

 ところが、源氏は歴史の事実に反して政界に返り咲いてしまった。そればかりか栄華を極めるようになるのだ。が、同時に紫上の哀しみも極まっていくのである。そもそも須磨・明石流謫の最中に、明石君と関係ができてしまって子供までお土産に持って来るのだ。紫上にとっては屈辱である。
 その後も、朝顔に悩まされ、朧月夜に泣かされ、女三宮に憂き目を味わわされ、そしてついに病に倒れて行くのである。

 「雀の子を犬君が逃がしつる」と無心に泣いていた紫上、源氏の雛を作り着飾って参内させてやっていたあどけない紫上の姿は、十四のあの秋を境に見ることはできなくなってしまった。

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