源氏物語

源氏物語 たより5

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 源氏物語はみやびの世界か   源氏物語とはず語り その5

 相模女子大学の連続公開講座に出た。日本の文学に現われた雅の系譜を、古代から現代にわたって説くもので、今回はちょうど源氏物語における雅についてであった。


 源氏物語には“みやび”という言葉が五か所登場するという。そのうちの四か所は『若菜』の巻で、もう一か所が、『東屋』の巻であるそうだ。
 東屋の巻は、いわゆる宇治十帖の中の六巻目で、左近少将(正五位下)という男が、常陸守の継子・浮舟と結婚しようかという場面である。ところが、結婚の直前になって、浮舟が常陸守の実の子でないことが分かってしまう。これを不満とした少将は、浮舟との結婚を破棄し、なんと常陸守の実子である別の娘と結婚してしまうのだ。
 左近少将といえば、あの頭中将なども歴任したれっきとした官職である。家柄さえよければ、頭中将がそうであったように左大臣にもなれるのだから、受領階級の娘などにこだわることはないし、たとえこだわったとしても、実子でも継子でもいいではないか。いやしくも浮舟は宮様の子である。もっともこのことは少将は知らないのだが。少将は言う。
 『品あてに艶ならむ女を願はば、易く得つべし』
 つまり“身分が良く艶(あで)やかな女がほしいと願うのなら、簡単に手に入れることができる”ということだ。まことにたわけた人物である。では、彼は何が目的だったのだろうか。
 『さびしううちあわぬみやび好める人のはてはては、もの清くもなく、人にも人ともおぼえたらぬ』
と言うのだ。『さびしくうちあわぬ』とは、“貧しく生活面で不如意である”ということである。生活面で不如意では、どうせ最後はみすぼらしいものになってしまうし、世間からも人並みに扱ってもらえなくなる、と言うのだ。彼にとっては、女の人柄や容貌や雅などは問題外である、財こそ全てなのだ、というわけである。相当の落ちぶれ貴族なのだろう。

 常陸の国は“大国”である。四年間の国司の任期を終われば、莫大な財産を蓄えることができる。したがって、その家の婿に収まれば、将来は洋々たるものだ。それでこそみやびな生活もできるというもの、というわけなのだろう。
 この結婚の仲介をした男も随分現金な男で、左近少将の不満を察して、臆面もなく常陸守に継子である浮舟をやめて、実の娘に乗り代えるよう推奨する。 
 「今は正五位だが、来年は四位。やがては頭中将から、三位にもなる器で、やがては・・」
などと彼の将来性について常陸守に吹聴する。これを聞いた常陸守も、すっかり乗り気になった。
 「俺が、少将の絶対的な後見になろう。もし大臣にということになれば、運動費の一切はご用立てしよう。俺が死んだ時には、俺の所領の譲渡や財産分与なども遺漏なくしよ」
と請け負うのだ。大した張り切りようで、継子などはそっちのけで、さっさと実の娘と結婚させてしまう。婿が大臣にでもなれば、また“大国”の国司に推してもれえる、というわけである。富裕な受領階級と落ちぶれ貴族のいじましい持ちつ持たれつの様が、何か現代に通じていて面白いし、悲しくもあり可笑しくもある。
 こんな欲の渦巻く場面だから、ここでは“みやび”などについては語られない。

 若菜の巻においても、みやびとは何か、はっきりとは分からない。たとえば源氏の四十の賀に際して、源氏の娘分である玉鬘という女性が、贅を尽くした贈り物をする場面がある。螺鈿(らでん)の厨子、きよらを尽くした褥(しとね)や脇息、沈(じん)・紫檀づくりのかざしの台など、絢爛豪華な家具・調度をそろえる。玉鬘の
 『もののみやび深』
い人柄からなされたものとして描かれている。確かにそれらは平安のみやびを代表するものかもしれない。しかしこれらは、物語の背景に過ぎない。源氏物語の中では、絵合、香合、花宴、紅葉賀、管弦など、みやびの限りを尽くした催しが行われる。しかし、これらもすべて物語の舞台に過ぎないのだ。

 物語の底を流れているものは、決してみやびなどというものではない。いや、むしろみやびとは裏腹なドロドロとした人間のすさまじい欲望の渦巻く世界である。
 『絵合』の巻は、古今の絵を合わせてその優劣を争うという誠にみやびな世界である。しかしその実は、源氏と頭中将(この頃、権中納言)と皇后の座を巡っての権力争いである。『紅葉賀』では、源氏は、満場の人々の感涙を催させるほど見事な『青海波』を踊るが、彼が華麗に袖を翻すのは、禁断の恋にむせぶ藤壺宮に向かってである。藤壺宮自身も、夫・帝を隣にして、源氏の舞いを見、不逞な思いに心揺れるのだ。
 また、源氏の舞いに対して、政敵である弘徽殿の女御は、「美しすぎて鬼神に魅入られるほどだ、いっそ死んでしまえばいい」という思いで見ている。そして、
 『うたてゆゆし(気持ちが悪く不吉である)』
とうそぶく。
 “みやび”とは、『宮廷風に趣味などが洗練されている意で、風雅、風流、優美、上品のこと。また、はなやかなこと、きらびやかなこと』(角川 古語辞典)である。広辞苑には、『宮廷風であること、都会風であること、優美で上品なこと。洗練された感覚を持ち恋愛の情趣や人情などによく通じていること、風雅、風流』とある。
 源氏の行動は、すべてこれとは正反対のところでなされている気がしてならない。しかしそれが故に面白いのだが。 更級日記の作者・菅原孝標の娘は、源氏物語を
 『一の巻よりして、人もまじらず、几帳の内にうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位もなににかあらむ。昼は日ぐらし、夜は目の覚めたる限り、火を近くともして、これを見るより外のことなければ』
と物語の世界に没頭する。そこに人間の赤裸々な姿が描かれているからだ。けっしてみやびを求めて読んでいるわけではない。左近少将が、女の容貌も品も優雅も捨てて、ひたすら財を求めたような人間の真実の姿がそこには描かれているからこそ、源氏物語は面白いのだ。やはり源氏物語の底を流れるものはみやびではない。
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