源氏物語

源氏物語たより198

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  老いらくの性 源内侍という女 源氏物語たより198

 源氏物語には道化役として三人の女が登場する。「末摘花」と「近江の君」と「源内侍(げんのないし)」である。
 「末摘花」とは、例の赤鼻の女のことである。彼女は紫式部によって完膚なきまでにいびられる。道化といってもあまりに哀しいピエロ役で救いようがない。どうしてあそこまでいびるのか、紫式部には何か含むものがあるのかもしれないが、悪意に満ちていてあまり心地よい道化ではない。
 それに比べれば、他の二人は、誠に型破りで陽気な道化そのものである。だからその明るく開放的な言動を素直に笑って見ていられる。特に「近江の君」などは、しゃべくりの速さやしゃべりの内容、あるいはその行動は常軌を逸しているので、紫式部になぶりものにされるのも仕方がないのだが、彼女はいくらなぶられても虚仮にされても平然としていて、めげるということがない。これを「蛙の面に水」というのだろう。とにかく底抜けに明るいキャラクターである。

 さて、「源内侍」の型破りといえば、老いても衰えない「男好き」ということであろう。「内侍」とは、内侍司(つかさ)の女官のことである。また「内侍司」とは、天皇に奏請したり勅旨を伝達したりする(伝宣する)役所で、その長を「尚侍(ないしのかみ)」という。尚侍は天皇に常に近侍していて、奏請、伝宣などの職を行うとともに、後宮の女官を指導・監督するいわばトップレデイーである。
 その次官が典侍(ないしのすけ)で、物語に登場する源内侍は、この典侍である。相当偉い女官で、通常家柄の良い子女がなるが、源内侍も次のように紹介されている通り、ひとかどの女性である。
 『人もやんごとなく、心ばせありて、あてに、おぼえ高く』
 生まれはいいし才気はある、しかも上品で評判もいい、というのだから申し分がない。
 しかし、残念なことに
 『いたう老いたる』
女なのである。そればかりではない。
 『いみじうあだめいたる心ざまにて、そなたには重からぬ』
女でもあるのだ。「そなたには重からぬ」とは、好色の面では思慮に欠けるという意味で、光源氏に言わせれば
 「いい歳をして、どうしてあれほど浮気なのだろう」
ということである。彼女は五十七、八歳という。

 さてここで問題になるのは歳のことである。五十七、八歳といえば、今でこそ女の盛りで、とても「いい歳をして」という年齢ではないのだが、当時は非常に短命であった。源氏物語に登場する女性たちも極めて若いうちに亡くなっている。源氏の母である桐壺更衣、源氏の正妻である葵上、源氏の愛人・夕顔などはみな二十歳そこそこである。また、藤壺宮は三十七歳、紫上がやや長命で四十三歳である。
 このようなことを考え合わせると、三十歳を超えたものには、二十歳をプラスして考えなければなるまい。たとえば、紫上の場合、現在でいえば、六十三歳で逝去ということになる。それでもまだまだ若死にという印象があるから、当時の四十歳以上は、さらに何歳か上積みしなければいけないかもしれない。
 源内侍はどうだろうか。五十七、八ということは、七十七、八歳かそれ以上ということである。こうなるとやはり源氏が言うとおり「いい歳をして」の領域に入っていると言われても仕方がない。

 ただ光源氏の面白いところは、こういう女にもちょっかいを出すということだ。
 内裏にいた時のことである。たまたま源内侍が、いつもより美しくなまめかしく華やかに装束していたので、源氏は、試みに彼女の裳の裾を引いて注意を喚起してみた。すると彼女はすっかりその気になってしまって、盛んに源氏を誘う。
 そんな場面を桐壺帝に見られてしまった。そして帝に皮肉を言われ、冷やかされる。しかし源内侍は意にもかけない。むしろ源氏との仲を疑われ冷やかされたことを喜んで、こう思うのだ。
 『濡れ衣をだに着まほし』
 源氏さまとだったら、たとえ濡れ衣でも着てみたいわということである。普通は「濡れ衣」などは着たくないものだが、彼女は積極的に着てみたいのである。「私は源氏さまとだったらお似合いよ」という自負があるからだ。だから帝の皮肉にもさして抗いもせず、あえて濡れ衣を着るのである。もうこうなると処置なしである。
 源氏はこの時、十九歳。所詮源内侍の相手ではないのだが、裳の裾を引かれたことですっかり思い上がってしまった。

 それからだいぶたったある夕立の日、なんと、源氏はこの女と契り結ぶことになる。ところが、その現場に頭中将が乗り込んできたからたまらない。チャンチャンばらばらの凄まじい恋のさや当てが演じられることになってしまった。
 なんと源内侍は、頭中将とも関係を結んでいたということである。頭中将もこの時は二十歳をわずかに超えたばかりの若者である。若い二人の恋のさや当てに、おろおろしている源内侍の姿はなんとも滑稽である。それを
 『えならぬ二十の若人たちの御中にて、物怖じしたる、いとつきなし』
と、語り手は評している。「この上もなく若い二人の公達を相手に、おどおどしている源内侍の姿は何とも不似合である」ということである。光源氏も頭中将も当代きっての若き貴公子である。五十七、八歳(今で言えば八十歳くらい)の女が、それを相手に喜劇を演じているのだからまさに型破りな痴情の極みである。
 この後も、源内侍はそれとないところに姿を現しては、艶治(えんや)な道化役を演じている。
 恋に歳は関係ないものである。だから別にこの女性を非難するには当たらないのだが、やはり相手を考えてほしいもの、とだけは思う。

 それにしても、これとは逆の場合には、それほど違和感を覚えないのだから不思議である。つまり、男がひどく年齢の離れた若い女を相手にするという場合である。イタリアの前首相・ベルルスコーニ氏などの例があるが、あの方もたいしたものだ。
 源氏自身も、四十歳になって、十四歳の女三宮と結婚している。もっともこれが源氏の斜陽の本となるのだが。
 源氏と藤壺宮の秘密の子・冷泉院などは、もっとすごい。四十をはるかに超えた歳で、玉鬘の娘を院参させ、二人の子供までもうけている。
 そればかりではない。冷泉院は、宇治に住む八の宮(源氏の弟、冷泉院の兄)の娘二人にも興味を寄せ、こう言っているのだ。
 『しばしも遅れんほどは、譲りやはし給はぬ』
 「八の宮が先に亡くなり、私が少しでもこの世に生き残っていることがあれば、その間は、二人の娘を私に譲ってくれまいか」という意味である。
 この時、冷泉院は五十三歳である。先の計算で行けば現在では七十歳半ばということ。

 ふと谷崎潤一郎の『痴人の愛』を思い出した。主人公・謙治は、金には困らない初老の男で、真面目ではあるが情痴にはもろい。ある時、彼は浅草のカフェで、混血児のような魅力を持った少女を見つけ出し、妻とすることを前提として自宅に引き取る。そしてこの少女を理想的な女性に育てようとする(このあたりは源氏が紫上を育てたのと同じである)。
 やがてこの少女は、日本人離れした見事な肢体を持った女に成長する。彼はすっかりその魅力に惑溺してしまう。しかし、彼女は次第に娼婦性を発揮し、多くの男と付き合うようになり、ついに不倫の果てに謙治の元を去って行く。
 ところが、この女がひょっこりまた謙治の元に戻ってくるのである。狂喜する謙治であるが、それ以降は女の命じるままに、奴隷のような生を生きて行くのである。
 このあたりは映画で見たことがあるが、正視に耐えななかった記憶がある。老いてもあれだけ女に固執する人間の業というもののあさましさを見た気がした。
 私も後期高齢者が近づき、冷泉院の歳に近くなった。しかしさすがに冷泉帝や謙治のように「二十歳そこそこの女を」という気にはなれない。
 でも、いくつになっても異性に関心を持つということはいいことだ。健康の本、長寿の本になるからだ。源内侍が長生きしたのもそのお陰であろう。だから、私には源内侍を笑う気などこれっぽっちもない。
 ただ私の歳には、せいぜい源内侍くらいの御年の方がお似合いだと思っている。彼女は、源氏がちょっかいを出したほどの女性だから、容姿も素晴らしかったのだろう。もちろん教養は抜群であったし、特に彼女は琵琶の名手である。性を超越してこんな女と付き合ってみるのもいいものだ。
 私も源内侍を相手に、琵琶でも弾かせながら、お茶でも飲んでいるといった晩年を送ってみたい気もする。


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