源氏物語

源氏物語たより205

 ←源氏物語たより204 →源氏物語たより206
  得体の知れない物の怪 源氏物語たより205

 物の怪ほど、現代人にとって理解しがたいものはない。少しでも理性のある者だったら、「そんなものが存在するわけはない」と判断できるはずなのに、古代人は、ことあるごとにこの物の怪に恐れおののいていた。これは物語の上だけのことではない。歴史上の人々がその影におびえていたのだ。

 源氏物語が書かれていた頃の天皇、三条帝もその一人で、『大鏡』や『栄花物語』にその記事が見える。三条帝は、ひどい眼病を患っていて、それがもとで物の怪に煩わされていたようである。『栄花物語』には
 『上(帝)は、ともすれば御心をあやまりがち(御病気がち)に、御物の怪さまざまに起こさせ給へば、静心なくおぼしめされ』
とある。
 実は、三条帝は眼病のこともあったのだが、時の権力者・藤原道長に、常に圧力をかけられていたので、そのことが、彼が物の怪におののく主たる原因だったような気がする。道長は、娘・彰子の子(後の後一条天皇)を、一日でも早く天皇の位に就かせようとして、三条帝に陰湿な圧迫を加えていた。
 結局、三条帝は、わずか五年という短い期間、帝位にいただけで出家してしまう。しかし、出家して比叡に登っても眼病は治らず、今度は
 『さらば、いとど、山の天狗のしたてまつるとこそ、さまざまに聞こえ侍れ(大鏡)』
という結果になってしまった。そして譲位の翌年には悲憤のうちに崩御されてしまう。

 この「天狗」は、物の怪とは質が異なるのだろうが、古代人は、物の怪は、天狗の仕業に等しいほどに恐れていたのだ。
物の怪は、人の弱り目に付け込んでくるという。心身に異常のある時に彼らは姿を現わし、跋扈(ばっこ)する。
 もっとも多いのが、病気である。あるいは、精神的に参っている時、人に負い目を感じている時、何かに追い詰められている時、ひどく悩んでいる時などが、物の怪の絶好の活躍舞台になる。出産などの時は、彼らの書き入れ時であった。
 現代人もこのような状況になることはあるが、医学の発達で、その原因が特定され、それぞれの治療法によって癒されるので、物の怪は出てくる余地はない。
 もっとも、現代でも「狐がついている」とか「蛇が付いて」とかいうことで、その治療のために、お祓いをしたりすることがある。以前、御岳山の麓にある寺院に,効験あらたかな僧がいるというので、彼の話を聞きに行ったことがある。彼は、現に狐付きや蛇付きの患者を治している。
 そういえば、私自身も、娘の出産の時は、安産祈願のために鎌倉のお寺に行ってお祓いをしてもらった。もちろん安産とお祓いとは何の関係もないことは分かっていたのだが、気休めで行ってみた。

 古代人は、本心から物の怪を信じていた。だからことあるごとに物の怪調伏のために験者(げんざ)を招じて、加持、祈祷、修法を行った。
 験者は、病者に取りついた物の怪を「憑座(よりまし)」に移して、その正体を見極め、そして調伏させたのである。「憑座」とは「神霊が取りつく人間」のことで、多くは女性や女童がなった。下北半島の恐山の「巫女(いたこ)」のようなものだと思えばいいかもしれない。恐山の巫女は、自分自身が憑座になる。
 験者の祈りによって、病者についていた霊がこの憑座に移って、
 「我は何の誰がしで、こういう理由で、この人に付いているのだ」
と名乗り出るのだそうだ。そうなればもう験者の勝ちである。病気は自ずから治る。

 源氏物語にも実にさまざまな物の怪が登場する。
 もっとも華やかに彼らが活躍するのが『葵』の巻である。初めて源氏の子を身ごもった葵上は、つわりのためもあってひどく患う。そこに物の怪が目を付けた。
 ここで不思議なことは、物の怪は、例の六条御息所だけではなかったことである。
 『物の怪、生霊(いきすだま)などいふもの、多く出できて、さまざまの名乗りをする』
のだ。物の怪は一匹だけではなかった。「自分は誰の某」と名のる物の怪が何匹も何匹も葵上に取り付いていたのである。その中に
 『人(憑座)にさらに移らず、ただみづから(葵上)の御身につと添いひたるさまにて、片時も離るる折もなきもの、一つあり』
だった。次々に名乗りを上げる物の怪たちのうち、一つだけが憑座に少しも移らず、葵上にピタリとついて離れない、というのだ。何とも「しゅうねく」不気味な物の怪である。

 実はこれが六条御息所の生霊だったのだが、女房たちにはわからない。そこで、物の怪の正体は一体誰であるのか、あれこれ詮索する。とにかく源氏の通いどころはあまたあるのでなかなか定めかね、やれ二条院の紫上かも知れない、いや、ひょっとするともう死んでしまった乳母かもしれない、そうではない、先祖から左大臣家に付いている死霊かもしれない、などなど喧しく彼女たちは評議する。その間にも物の怪は
 『みだれあらわるる』
のだからたまらない。葵上本人は、
 『ただ、つくづくと音をのみ泣き給ひて、をりをりは胸をせきあげつつ、いみじく堪へがたげに迷ふわざをし給』
う。声を出して泣き、時折胸をせき上げ、苦しさに堪えがたげにしている。
 もちろん加持祈祷は、僧たちによって力の限り行なわれているのだが、相変わらず例の「一つのもの」ばかりは一向に動こうともしない。やんごとなき験者どもは
 『珍らかなり』
と、お手上げ状態になってしまった。やんごとなき験者たちが「珍しいことだ」というのだから、相当執念深い物の怪である。通常だったら、これだけ激しく祈れば、憑座に移っていてもいいはずなのである。
 左大臣の家ともなれば、比叡山でももっとも効験あらたかな僧たちが招かれているはずなのに、その連中でも物の怪の正体を特定できない。

 しかし、あまりに凄まじい加持祈祷に、さすがの物の怪もこう言って姿を現す。
 『すこしゆるべ給へや』
 「お祈りがあまりに激しいので、少し手加減してくれ」というのだ。可笑しな物の怪で、験者に注文を付けている。このあたりのことについては、既に「源氏物語たより70」で述べたところである。
 それでも、この物の怪は、憑座に移ろうとせず、葵上の身にピタリと取り付いたまま、「光源氏さまに言うべきことがある」と言って、あれこれ源氏に語りかけ、最後には歌などを詠みかける。
 さすがにこの間、法師たちは声を静めて法華経を唱みつづけていた。ここに現われたのが、六条御息所の物の怪だったのである。

 御息所は、葵上に対して特別な敵愾心(てきがいしん)などはなかったのだが、賀茂祭の日の車争いで決定的な屈辱を味わわされたことで、彼女の霊が、本人の意志とは無関係に身から離れ出て、その屈辱を晴らしに葵上のところに彷徨って行ったのだ。
 もう一つの理由は、自分が愛している男(源氏)に子供ができたということであろう。これが彼女の屈辱感や怨念を増幅させた。このような状況を考慮すれば、御息所が物の怪になる気持ちが分からないではなくなってくる。
 ところで、後世の源氏物語の読者は、「葵上を呪い殺したのは六条御息所だ」という印象を持ってしまいがちなのだが、実は先に述べたように葵上にはさまざまな物の怪がついていて、単独犯ではなかったのである。

 この六条御息所以外にも、さまざまな場面で、物の怪は活躍している。落葉宮の母親にも、柏木にも、真木柱の母親(鬚黒の北の方)にも、紫上にも、みな物の怪が付いた。
 真木柱の母親は、もともと精神的に異常であったから、果たして物の怪の仕業と判断してよいかどうか難しいところなのだが、それはそれはしゅうねく物の怪がついて、凄まじい加持祈祷がなされる。
 真木柱の母以外の者は、いずれも心身の弱みに付け込まれて、彼らの餌食になっている。
 柏木は、女三宮との不倫を源氏に知られるところとなり、源氏のひと睨みにあって、一気に精神の平衡を失ってしまった。外の人にはその理由が分からないから、物の怪の仕業に見えた。
 落葉宮の母は、愛する娘(落葉宮)と夕霧との関係があいまいであることを苦にして精神の安定を欠いた。
 紫上は、源氏と女三宮の結婚で自分の将来に絶望していた。この時の者毛は御息所の死霊であった。

 古代人は、少しでも異常な現象についてはみな物の怪の仕業と考えた。何かよく分からないものは、人々の恐怖心をますます煽るものだ。
 現代では「異常な現象」というものがなくなった。みな原因がはっきり特定できるようになったからだ。
 ただ古代人が怖れたような超常現象はなくなったとはいうものの、不思議なものは人の心である。不安や悩みや恐れが一端心の中に生じると、なかなか消えない。そして時間、状況と共に、不安は不安を呼び、悩み、怖れは増幅されていく。自身の心そのものが物の怪でもあるように。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより204】へ
  • 【源氏物語たより206】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより204】へ
  • 【源氏物語たより206】へ