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源氏物語

源氏物語たより207

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  最期のまなざし 『葵』の巻を読む その5

 長い間、重く患っていた葵上であるが、それでも、無事子供(夕霧)を出産することができた。ようやく危機を脱出し小康を得たと判断した光源氏は、久しく会っていない父・桐壺院を訪れることにした。出かけて行く源氏の姿を、葵上は「いつもと違った目」で見送るのであった。
 さて、この「いつもと違った目」とは、一体葵上のどういう心境を表わしているのだろうか、それを解釈するのは極めて難しいことである。なぜなら、ここには葵上の言葉は一切語られていないからである。
 そもそも源氏物語に登場する女性たちは、みな寡黙で、自分の意志を表明することが極めてまれなのだ。そういう彼女たちの心理をくみ取ることは至難のわざである。当時の女性には自己の意思を表明してはならないという暗黙のきまりでもあったのだろうか。しかし、それにしては清少納言などは誠におしゃべりで、自画自賛など平気でしている。源氏物語の女性たちのなかで、清少納言に匹敵するおしゃべりは、「近江の君」くらいなものである。

 葵上は特に寡黙である。彼女が源氏と対等にしゃべっているところは皆無である。それどころか、源氏に会うことさえ拒み、会えば押し黙ってしまう。
 そういえば、葵上の詠った歌は一首もない。源氏物語に登場する女性の中で、歌を一首も残していないのは、彼女だけである。登場するやすぐに姿を消してしまった桐壷更衣さえ、見事な一首を残しているのだ。葵上は、自分の意志を表明しない特異な女性だったのだろうか。
 源氏が、わらわ病の治療のために、北山の聖に加持祈祷をしてもらったことがある。病が癒えたので、葵上を訪れたところ、彼女はいつものように隠れてしまって会おうともしない。父・左大臣にせかされてようやく源氏のところに姿を見せる。
 しかし、
 『ただ、絵に書きたるものの姫君のやうにしすゑられて、うちみじろき給ふこともかたく』
という始末なのである。身じろぎもしないというのだから、会話などあろうはずがない。
 呆れた源氏は、
 「“御加減はどうですか?”“北山の様子はいかがでしたか?”くらい問うてくれてもいいのではないの、そういう問いさえないというのは何とも恨めしいことだ」
となじる。すると、葵上は
 『訪はぬは、つらきものにやあらん』
と横目で源氏を見ながら言うだけで、その後は、ひたすら沈黙である。
 彼女の「訪はぬは・・」という言葉は、何かの歌から引いたものであろうが、要は「訪れないことはつらいものでしょうか」という意味だ。
 源氏が「問わぬ」こと、つまり、なんの質問もしてくれないことは辛いことだと言ったのに対して、葵上は「訪わないのは」と切り返したのだ。これは辛辣な皮肉である。源氏は、葵上が正妻であるにもかかわらず、いままであまり訪ねることもしなかった。そこで、
 「訪わないことが辛いとおっしゃるのなら、私の方こそどれほど辛い思いをしていることか」
としっぺ返したのだ。強烈な自己主張と言えば言えるが、後は全くのしじまになってしまって、会話は成り立たない。会話がなければ、相手の思っていることを掴む方法はない。この二人の間には、絶望的な溝があって、とても修復は不可能な関係のようである。

 それでは、最初の問題に戻ってみよう。
 さまざまな物の怪に祟られた葵上は、重く患うが、それでも夕霧を出産することができ、危機を脱したかに見えた。そこで、源氏は、桐壺院などを久しぶりに訪ねてみようとする。
 『(源氏が)いと清げにうちそうぞきて出で給ふを、(葵上は)常よりも目とどめて、見いだして臥し給へり』
とあるのだが、この「常よりも目とどめて」の「目」が何を語っているのだろうか。
 ここだけを見るならば、源氏が大層美々しく着飾って出かけて行くのを見た葵上は、「桐壺院のところに出かけるなどと言うのは口実で、また例によって女遊びにお出かけか、私がこんなに患っているにもかかわらず」
という「非難の目」とも取れる。

 しかし、その直前の源氏の行動や心情を見れば、必ずしも「非難の目」ともいえないのである。
 源氏は、葵上がひどく患っていたころと比べれば随分良くなっていることに安堵し、「御薬を葵上にさしあげなさい」などと女房に指図したりして、優しい心配りをしている。また、
 『御髪の乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「年ごろ、何事を飽かぬ事ありて思ひつらむ」とあやしきまでうちまもられ給ふ』
のである。髪が一筋の乱れもなく、真っ白な枕にかかっている様子は、世にもないほどに美しい、これ程素晴らしい方だというのに、私はどうして長いこと彼女のことを不足にばかり思っていたのだろうと、反省するとともに、不思議に思われるほどにその姿をじっと見守りもするのだ。
 このように源氏は、葵上の痛ましくも美しい姿を目にするにつけて、心を寄せ、また深く反省もしている。この源氏の思いは、病身の葵上にも自ずから通じているはずである。
 さらに、彼女が物の怪にひどく悩まされていた時にも、彼の優しさが出ている。弱々しく臥している葵上の手を捉えて、
 『あないみじ。心憂き目を見せ給うかな』
と言って、涙をはらはらこぼすのである。すると、彼女も、いつもだったらそんな源氏を煩わしく気づまりに思うのに、この時はまったくそうではなく、
 『御まみをいとたゆげに見上げて、(源氏を)うちまもり聞こえ給ふに、涙のこぼるるさまを』
するのである。「うちまもり」とは、「対象から目をそらさず、じっと見つめること」である。(「うち」は接頭語)しかもその目に涙が溢れていた。
 この時すでに葵上の心は変化していたのかもしれない。源氏の今までのつれなさを許していた、ということである。
 葵上は、言葉では何も語ることはしなかったが、二度にわたり、その「目」に万感の思いを込めていたのだ。
 一方、源氏も、先にあるように、彼女を「あやしきまでうちまもらせ給ふ」のは、葵上の良さを理解できたということである。
 二人は、ここに来て互いに許し合い、理解し合うまでになっていた、ということだ。

 しかし、葵上は、源氏が出かけている間に、
 『たえ入り給ひぬ』
という結果になってしまった。源氏は、彼女の死に目にも会えなかった。
 二人は、葵上の死をもってしか理解しあえなかったのだ。互いに「うちまもる」目が、『最期』の許しのサインになってしまった。

 新実南吉の『ごんぎつね』を思い出す。
 子ぎつねの「ごん」は、一人ぼっちのいたずら好き。百姓の兵十が、母のためにと取った魚(うなぎ)を逃がしてしまうやら、いたずらほうだい。
 しかし、そのうなぎは、兵十が病気の母親のために一心に獲っていたものだった。そのことを知ったごんは、すっかり後悔し、それからというものは、山から栗を取ってきたりしては兵十のためにあれこれ尽くすようになる。
 しかし、兵十はそんなこととは知らない。自分の身に起こる幸せな施しは神のなさることとばかり思っていた。
 ある時、ごんが、栗を抱えて兵十のところにやってきた。たまたま彼が台所から入るところを、兵十は見つけてしまう。ごんのいたずらに我慢できなくなっていた兵十は、火縄銃を持ち出すなり、ドンと撃ってしまう。
 台所に行って見ると、そこには栗がいっぱい置かれ、その横にごんが倒れていた。この時はじめて、今までの幸せな施しは、神からのものではなく、ごんの仕業だったのだと理解するのだ。
 「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのは!」
と声をかけると、目をつぶったまま、ごんはかすかにうなづく。
 兵十は、火縄銃をポトリと取り落す。その銃口から青い煙が立ち上っていた。


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