源氏物語

源氏物語たより209

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   暑かはしき京の夏 その2 源氏物語たより209

 今年(2013年)も連日暑い日が続いている。この七月、猛暑日が続いていた時に、ある気象予報士が
 「2010年に、百年に一度という記録的な猛暑が続いたということがありましたが、今年はそんなことにはなりません。なにしろあの時は“百年に一度”という暑さだったのですから、百年に一度のことがまた起こるとはとても考えられません」
と「百年に一度」を強調しながら言っていたが、どうも科学的な判断ではないなと思っていたところ、今年も、あの予報士の予報に反して、また記録的な猛暑続きになってしまった。私たちが子供の頃、35度を超える暑さなどあったのだろうか。恐らく今後は、この“百年に一度の暑さ”が、「平年並みの暑さ」ということになってしまうかもしれない。

 京の暑さについては、『たより127』で取り上げたので、今年の京都の気温はどうなのだろうと気象情報を注視していたら、やはり京都は特別に暑いようで、37度、38度の日が続いていた。なにかお悔やみを申し上げたい気持ちになってしまうほどである。「冬はより寒く、夏はより暑い」というのが、京都の気象の特徴のようである。

 『宇治十帖』の『蜻蛉』の巻に、「暑かはしき京の夏」の典型的な様子が描かれているので紹介しよう。
 明石中宮主催の御八講(法華経を五日間、あるいは四日間、毎日、朝夕読誦する仏事)の最後の日、薫が、用あって釣り殿の方に行ってみたが、もうみな退散してしまって誰もいない。池のところで涼を取った後、渡殿あたりに彼のお気に入りの女房である小宰相でもいないかと、うろついていた。
 とある部屋の障子が細く開いていたので、覗き見してみると、二つの几帳が交差している間から、室内が見通すことができた。そればかりか、実に
 『あらは』
に室内が見えるのである。そこには数人の女房と童がいて、
 『氷を、物の蓋に置きて割るとて、もて騒』
いでいる。女房たちは「唐衣」も「裳」も着ていない。童も「汗衫」を着ていない。
 主(あるじ)の前では、女房はかならず唐衣と裳をつけなければならないというのに。童も「汗衫」を着るのが礼儀のようなのに。
 だから、まさかそこに主の女一宮(今上の第一皇女)がいるとも思わなかったのだが、なんと
 「手に氷を持ち、白い薄物の御召し物を着た」
女一宮が、女房たちのやり取りを見て、にこにことしながらて立っていられるではないか。その日は、
 『いと暑さの耐えがたき日』
だったので、無礼をも顧みず、みな打ち解けていたのだ。もちろん主が許していたのだろう。それほど暑い日だったのだ。
 案の定、女房たちの中にお目当ての小宰相でいた。彼女がこんなことを言っている。
 「氷を割るのは大変なので、見ているとかえって暑苦しく感じてしまう。いっそ割らないでそのままを見ていた方が涼しいのではないの」
 しかし、他の女房たちは意地になって割っている。ようやく割れたのであろう、
 『手ごとに持たり。頭にうち置き、胸にさし当てなど』
している。女房たちは、暑さにたまらず、氷を頭の上に置いてみたり、胸にさし当ててみたりしているのだ。上臈の女房たちともあろう者が、「氷を胸にさし当てる」とはなんとも無作法なことであるが、彼女たちはすっかり童心に帰っているのであろう。
 小宰相が、氷を紙に包んで、女一宮に差し出すと、たいそう美しき手をさし出しながら、雫を拭はせていられたが、
 『いな、持たらじ。雫、むつかし』
 「いや、私はもう氷を持つのはやめましょう。雫(しずく)がたれるのが嫌ですから」と言われる。さすがに宮は頭に乗せたり胸にさし当てたりの、不躾なことはなさらない。それでも皇女の華やいだ気持ちが伝わってくるようである。
 「いと暑さの耐えがたき」京の気象は、人のあり方や人間関係まで変えてしまうようである。
 ここには上流貴族の日常の様子が活写されていて、彼女たちのさんざめきまでが聞こえてくるような親しみが感じられる。千年の時を隔てて、彼女たちが身近のものとして我々にぐっと近づいてくるという極めて珍しい風景である。

 薫は、女一宮のあまりの美しさに呆然としてしまう。翌朝、妻の女二宮(第二皇女)のところに行って、女一宮と比べてみるのだ。妻も美しいが、でも
 「驚くばかり気高くほのぼのとした」
女一宮の美しさには及ぶべくもない。そこでこう言う。
 『いと暑しや。これより薄き御衣たてまつれ。女は、例ならぬもの着たるこそ、時々に付けてをかしけれ』
と、妻に、女一宮と同じ衣を着させる。「いつもと違ったものを着る方が、その時々によって風情があるものですよ」というのだが、本音は、あの方と同じものを妻に着せて、やるせない思いを慰めようというのだ。
 さらに彼は、女房に
 『氷召して、人々に割らせ給ふ。(氷のかけらを)取りて、(女二宮に)一つたてまつりなどし給ふ』
のだから、彼の精神はもう倒錯状態になっているとしか言いようがない。こうして彼はしばらく呆けたように女一宮を思慕することになるのだ。
 暑さを冷ますべく、せっかく「氷」が登場したのに、氷は、逆に薫の心に熱い火をつけてしまった。
 困った京の夏。


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