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源氏物語

源氏物語たより212

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  光源氏 四十九日間の虚実 源氏物語たより212

 鳥辺野での火葬の後、光源氏は葵上の喪に服するために四十九日間、左大臣の邸から一歩も出ることがなかった。
 忍びありきが彼の特許のようなものであったし、二条院にはこよなく慈しむ紫上がいる。それらの女たちに一度も逢おうとしないのである。また葵上付きの女房・中納言の君は源氏の思い者で、いつも情を交わしていたのだが、この間は一度として傍に寄せ付けず、一人寝を続けていた。これは源氏という男にしては誠に信じがたいことである。
 それに、彼は近衛大将である。公的にもこれほど長い期間仕事を休むことはできなかったのではなかろうか。それさえ怠って喪に服していたのだ。
 当時の風習がどのようなものであったかはわからない。人が亡くなってからの四十九日間を「中陰(あるいは中有)」といって、死者が、次の世に生を受けるまでの間は、その行方がより良いものであること、できれば極楽往生することを祈って、七日ごとに法事を行うという大事な期間である。そのために、残された者は、死者の冥福を祈り慎んで生活していなければならなかった。今でも初七日と四十九日の法用はきちっと行っている家は多い。

 たまたま今日(平成25年9月8日)の神奈川新聞に、私の知人である本田輝氏がこんな句を載せていられた。
 『新涼や初七日までを仏の間』
 「ああ、今でもそんな奇特な人がいるのか」と感心したが、平安の昔はさらに厳しくつつしんでいたのかもしれない。
 それにしても、源氏の行動は日頃に似ずあまりにも神妙である。その姿を見て、三位中将(頭中将 葵上の兄)や女房たちは奇異の目で見ているし、また、
 『大将の君(源氏)は、二条院にだに、あからさまにも(ほんのちょっとも)渡り給はず』
とあるところからも、一般的には「この間は一歩も外に出てはならない」というほど厳格なものではなかったものと察せられるのだが、源氏は「あからさまにも」外に出ようとしなかった。
 それは、葵上に対しての本当に衷心からの哀悼の意であったといっていいのだろうか。この間の源氏の行動やしぐさや思考には、どうも素直に肯けないものがあるのだが。

 四十九日の喪が明けて、左大臣邸を出る時に残していった二つの歌にしても、生前の二人の仲睦まじかったさまが切々と詠い上げられているのだが、どうもこれは素直に受け取れないものがある。そのうちの一首だけをあげておこう。
 『君なくて塵つもりぬるとこなつの露うち払ひいく夜寝ぬらむ』
 「あなたが亡くなってからというもの、私は悲しみの涙の露を払いながら、あなたと一緒に寝たこの床に、いく夜一人で寝たことであろうか」
といういみであるが、思わず「え?」と思ってしまう。(このことについては『たより171』で詳述)
 また、ことあるごとに葵上を偲んでは彼は涙に暮れてもいるのだが。
 確かに「死」というものは人に特別な感情を起こさせるもので、さして親しくもない人の死でも、葬儀の際などには思わず涙を誘われ、「この人はもうこの世にはいないのだ」と思うと、感極まったりもする。ましてや夫婦の中での「死」には万感の思いがあるのだろう。

 ただ、源氏と葵上の夫婦関係は特別であったことを考慮しなければならない。葵上が生存中は二人の仲は好ましいどころか、むしろ冷たくよそよそしいものであった。二人が仲睦まじく語らったり笑い合ったりしている姿は、ついぞ見られなかったのだ。夫婦としての営みがあったのかさえ疑問で、二人の間に子どもができたこと自体、不思議である。
 それが、葵上が亡くなった途端にこうも変われるものであろうか。たとえば、鳥辺野からの帰り、彼は
 『たぐいなく(葵上を)思し焦がれ』
ているし、左大臣邸に帰った時も
 『つゆまどろまれ給はず、年ごろの御有様を思し出でつつ』
さまざまなことを考え続けるのだ。そして、その後も
 『あはれに、心深う思ひ嘆きて、(仏道の)行いをまめにし給ひつつ、明かし暮らし給ふ』
のである。あんな夫婦仲であったものが、果たしてこれほど神妙に、真摯に喪に服することができるものであろうか。何かそこには故意なもの演技的なものがあるような気がしてならないし、源氏特有の計算高さがあるような気もするのだ。あるいは「こうあれば」という願望の現れに過ぎないのか、源氏の真意は極めて読み取り難いところである。

 それではいくつかの場面を巡って、彼の真意に迫ってみようと思う。
 まず鳥辺野から帰った時の、彼の悔恨の様子からみてみよう。こうある。
 『などて、つひにはおのづから(私を)見直し給ひてんと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、「つらし」と覚えられたてまつりけむ。世を経て、疎く恥づかしきものに思ひて、過ぎ果て給ひぬるなど、悔しきこと多くおぼし続けらるれど、かひなし』
 (いずれは自分を見直してくれることがあろうと、のんびり構えていて、いい加減な浮気のたびごとに彼女に嫌な思いをさせてしまった。そして、とうとう最後まで私のことを疎く近寄りがたい存在と思ったまま亡くなってしまった。本当に悔しいことが多いのだが、今更嘆いたとて仕方のないことだ)
 これは、真実掛け値なしの源氏の嘆きである、と言える。なぜなら、彼は自分のことを悪く思われることを極端に嫌う人柄だったからである。「誰でもそうだろう」と思うかもしれないが、彼の場合は特別であった。
 近くは六条御息所である。物の怪になって葵上に取り付き、ついに取り殺した女である。通常なら見るのも嫌なはずである。ところが、彼は、わざわざ野宮にまで御息所に逢いに行っているのである。
 また、伊勢下向に際しては、文をやり取りしている。さらに七年後、彼女が帰京した時には、その娘の世話を手厚くし、ついには中宮の位に付けるまで努力している。それはすべて御息所に対して冷淡であったことへの贖罪の思いからで、「冷たい男」という印象を残したのままで終わってほしくなかったからに他ならない。

 夕顔が亡くなった時も、身分を忘れて東山まで彼女の遺骸に会いに行っているし、出家した空蝉やあれほど醜い末摘花などをも、一度でも契った女であればと、二条院に引き取り、一生面倒を見ているのである。通常の人間にできることではない。
 そんなことは枚挙にいとまがないほどで、とにかく、彼は情が厚いのである、物事をいい加減なままにしておけないのだ。その面で、誠実であり、義理がたい人柄であった。葵上との関係もこのままでいいと思っていなかったことは事実である。
 また源氏はとにかく感情家である。哀しいことにつけ嬉しいことにつけ極めて敏感に反応する。彼には実に涙が多い。
 葵上が、死の直前に源氏に見せた「常と違ったまなざし」は、二人の心が解け始めた印だったと私は思っている。にもかかわらず、結局彼女の最期を看取ってもやれなかった。その悔恨の情は、感情家の源氏にすれば悔いて余りあるものがあったであろう。彼女が命永らえていれば、どこかで許し合い慈しみあうようになったはずである。
 四十九日間の源氏の行動や思考には、あるいは「虚実」入り混じったものがあったかもしれないが、少なくとも「虚々実々」ではなかった、と思いたい。


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