源氏物語

源氏物語たより216

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  をとこ・女の修羅場 実況と解説 源氏物語たより216

 【実況】
 近衛大将としては、これ以上の恥辱はなかろうと思われた「塗籠押し込められ事件」でありましたが、「こりずまに」でございましょうか、光源氏のあるまじき行為は、終わりをみないようであります。
 源氏の執拗な愛の告白に、胸を病んでしまわれた藤壺宮でありましたが、それでも夕方になりますと、体調も回復なさったようで、昼の御ましに出て来ておられます。もちろん、源氏が未だに塗籠に押し込められていようなどとは夢にも思っていられない様子であります。
 その時であります。源氏はやおら行動を起こし始めました。
 『塗籠の戸の細目に開きたるを、やをら押し開けて、御屏風のはざまに伝ひ、(宮のいられる部屋に)入り給ひぬ』
 そして、屏風の陰から、なめるように宮の姿を眺めております。今まで、これほど直接的に宮のお顔を拝することなどできなかったためでありましょう、感嘆のあまりにむせび泣きながら、その横顔を凝視し続けているではありませんか。
 「なんと優美でいられることか!なんと可愛いくていられることか!
 頭の御様子、髪のおぐあい、その髪が肩にかかった御さま。それに、つやつやと匂い輝くばかりのお肌。
 紫上にこよなく似てはおられますが、昔からずっと慕い続けてきた特別のお方だ、何にもたぐうべきものとてない素晴らしい女性のようでありますが、ついに気が動転し、分別をなくしてしまったのでしょう、あろうことか
 『やをら(宮のいられる)御帳のうちにかかずらひ入りて、(宮の)御衣のつま(はし)を引き鳴らし給ふ』
のであります。宮は、気配や香りで即座に源氏の君と察せられたようであります。何とも恐ろしく、何とも気味悪く、そのままその場に「ひれ伏し」てしまわれました。源氏は、
 「どうかお顔だけでも、私の方にお向きになってください」
と必死に懇願しております。そして
 『(宮を)引き寄せ給』
うのであります。宮は、必死に逃げようとしておられます。源氏の掴んでいる
 『御衣を(脱ぎ)すべし置きて、ゐざり退き給』
いましたが、源氏に
 『御髪の取り添えられたりければ』
如何ともしがたく、嘆き悶えておられます。「をとこ」は、
 『御心みな乱れて、うつしざまにもあらず』
また昨夜と同じように、よろずのことを泣く泣く訴え、恨みつらみを言い続けております。
 宮は、源氏との過去の二度の密会のことを思いだしていられるようでありますが、今更どうなることでもありません。とにかく「をとこ」から逃れなければならないのです。そのうち
 『今宵も明け』
て行きます。
 さすがに、宮の頑ななまでの拒みを無視できなくなったのでしょう、源氏の気持ちはなえて行くようであります。それでも、今更言っても甲斐のない言葉を繰り返し繰り返し言っております。そして、嘆きの歌を詠いながら、ついに宮の元から去って行きました。

 【解説】
 これが近衛大将と中宮との鬼気迫るやり取りである。この場面を映像にしたらどのようになるのだろうか。恐らく目を背けたくなるほどの凄まじい修羅の画面が連続するばかりであろう。

 それでは改めて、修羅の場面に戻ってみよう。
 王命婦と弁が、何とか源氏を宮の邸から逃そうと算段しているすきに、彼は、のこのこと塗籠から這い出して来てしまった。昨夜塗籠に押し込められたことを、毫(ごう)も恥辱と感じていなかったようである。何とも一筋縄ではいかない男だ。
 彼は、塗籠の戸の前に立てられた屏風の隙間に入り込み、なめるように宮の横顔を凝視する。
 そのうちに、彼は冷静な判断力をなくしてしまって、宮のいられる御帳の中に入り込んで、彼女の衣の裾を引っ張る。宮は、恐ろしく、気味悪く、その場に突っ伏してしまう。源氏は、宮を引き起こし、「こちらに向いてください」と懇願する。宮は、源氏が掴んでいる衣を脱ぎ捨てて必死に逃れようとする。
 ところが、あろうことか、髪が衣に絡まって源氏の手の中に残ってしまった。髪は身の丈に余るもので、それを掴まれたのでは身動きもできない。
 女にとって髪は、命である。その命を、頑なに拒絶している男に掴まれてしまったのだ。あさましいこと限りない。
 この時の源氏の心理状況は「うつしざまにもあらず」であった。これは、正気を失う様である。
 源氏は意図的に宮の髪を掴んだわけではなかろう。衣に絡まっていたのを掴んだだけかもしれない。が、結果的には、宮の命である髪を鷲づかみにしてしまったのだ。逃げる女の髪を鷲づかみにするなど、貴人のすべきことではない。それは、「塗籠」の恥辱どころではなく、まさに正気の沙汰ではないのである。日頃あれほど思慮深く、人々に尊崇されていた源氏ともあろう者が、あられもない姿をさらけ出してしまったものである。

 この場面を読むたびに、
 「二度目の逢瀬で止めておけばよかったのになあ」
と思う。あの時、二人が詠み交わした歌には、しみじみと心を揺すられる響きがあった。改めて、源氏の歌だけ上げておこう。

 『見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるる我が身ともがな』
  (今後とも、あなたと逢うことは容易なことではないでしょう。それだったら、いっそのこと、今のこの嬉しい夢の中に、私は消えていってしまいたいものです)
 恋の絶唱歌である。
 あの時の逢瀬は、ひたすら美しい夢の逢瀬であったが、今回の逢瀬には、そんな純なる「あはれ」はかけらもなく、ただ「をとこ」の醜さをむき出しにした修羅の場があるだけだ。

 結局、このことが、宮の出家を決断させる直接的な引き金になってしまった。命の髪を鷲づかみにされたのだ。計り知れない屈辱であったはずだ。彼女は、誰にも相談することなく、御八講の行われた最後の夜、豊かな髪を切って「女」から訣別する。
 塗籠事件の半年後、藤壺宮、二十九歳の秋のことである。
 この時、源氏は、永遠に宮とは「をとこ・女」の関係を失ってしまった。


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