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源氏物語

源氏物語たより218

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   僧正遍昭の人とその歌ども  源氏物語たより218

 前回(たより217)、女郎花にかかわる僧正遍昭の歌をいくつか取り上げたが、縁は異なもので、たまたま現在読んでいる『大和物語』に、なんと僧正遍昭が主人公になっている話が載っているではないか。今までだったら気にもとめずに読み進めてしまったであろうのに、「女郎花」が縁になって、随分丁寧に読むことになった。
 大和物語は、伊勢物語などと同じく、さまざまな話を短い文章の中に綴っていく歌物語である。その中で、僧正遍昭の話(百六十八段)は異例なほど長い。しかし、極めて興味深い物語で、文章もやさしく読みやすい。

百人一首の遍昭の歌
 『天つ風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ 乙女の姿しばしとどめむ』
は、子供の頃よく遊んだカルタ取りの時に、誰もが「おはこ(十八番)」にしていた一首である。誰もがおはこにしていたということは、誰のものでもないということである。だから、この歌が詠まれる時の札の取り合いは凄まじいもので、
「天つ風・・」と読み始めた途端に、一斉に手が伸びる。そして、同時に歓喜と落胆の叫びが、家中にどよもすのだ。
 遍昭がどういう人物であるか、またその歌がどういう意味であるのかなどは、誰も分かりもしないのに、とにかくみんなのおはこだった。
 この歌に並んで、寂蓮法師の『霧立ち上る秋の夕暮』や柿本人麻呂の『あしびきの山鳥の尾のしだり尾の』などが、子供たちの人気の札であったが、やはり歌の意味などは分ってはいなかった。遍昭の歌は、おそらく「乙女の姿」ということばの可笑し味が、子供の心をくすぐったのだろう。寂蓮の歌は、その響きと流れの快さが、子供ながらに感得できたのかもしれないし、また人麻呂の歌は、「の」の繰り返しの口調の良さが、無意識に子供の心を捉えていたのだろう。

 それでは、改めて、僧正遍昭の人となりを紹介しておこう。
 僧正遍昭は、平安初期の人で、桓武天皇の孫に当たる。仁明天皇の寵遇を受けて、蔵人頭にまで出世する。本名を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と言い、古今集にはこの名前で三首が採られている。
 彼が三十五歳の時に、天皇が崩御された。この時、帝の恩寵にかんがみ出家を決意する。そして、比叡山や各地の寺を修業して廻ったようだ。後に花山(元慶寺)の住職となり、「僧正」という、僧官としては最上級の位を授かる。古今集には僧正遍昭の名で,十四首が採られている。
 これらの歌を見てみると、先の「たより217」に上げた
 『名に愛でて折れるばかりぞ 女郎花 我落ちにきと人に語るな』
 (珍しい名に興味を持って折ってみただけで、別に女に溺れたわけではないのだよ、女郎花よ、私が堕落したなんてことを人には語ってくれるなよ)
の歌がそうだったように、僧侶にあるまじき型破りの内容が多く詠われていて、
 「やはり変なお坊さん」
という印象は拭えない。
 同じ女郎花を詠った
 『秋の野になまめき立てる女郎花 あなかしまがし 花も一時』
 「艶やかに咲き誇っている女郎花だといって騒いでも、その美しさはほんのひと時」という意味で、仏教の無常観につながる歌ではあるが、とても仏教の真髄に迫るというものではない。むしろ遊んでいるといった印象がある。「なまめき立てる」とか「あなかしまがし」などのきわめて卑俗的な表現からそれがくみ取れる。

 「時しもあれ」という言葉がある。春、夏、秋、冬、睦月、如月、弥生・・と、月日は限りなくあるのに、「よりによって、なぜこの寂しい秋に・・」などという場合に使われる言葉だ。この歌を見た時に、「花しもあれ」という言葉が浮かんできた。四季の花は、梅、桜、薔薇、ボタン、山吹、紫苑・・と限りなくあるのに、「よりによって、なぜ女郎花なのか」ということである。遍昭の意識から、「女」の存在が抜けていないから、思わず女郎花が出てきてしまったのだ。そして、「なまめき」とか「かしまがし」などという女の色つややさんざめきの言葉がでてきたのだ。

 次の歌も同じ範疇に入るものであろう。
 『散りぬればあとは芥(あくた)になる花を 思ひ知らずもまどふ蝶かな』
 確かに花は散ってしまえば後はゴミだ。それもわきまえずに、蝶よ花よと浮かれ騒いでいるそのむなしさ。やはり、「無常観(白骨観)」に通じる歌である。
 しかし、結句の「まどふ蝶かな」には、まだまだ悟りの世界に入りきれない彼自身の煩悩が思わず漏れ出てしまったという感がある。下の句などは、誠に現代的で、何か与謝野晶子の妖艶さを思い出させるもので、仏教的な思惟の向こうに、かつての華やかな生活(蝶だ花だと迷っていた)から解放されていない俗世への「ほだし」がほの見えて仕方がない歌である。

 次の歌もそうだ。
 『蓮葉(はちすば)の濁りに染まぬ心もて なにかは露を玉と欺く』
 「どんなに濁った水の中に育っても、その濁りに少しも染まらないあの蓮の花のような澄み切った心を持っていたいものと思う。それなのにどうして、蓮の葉の上に置く単なる水滴を、美しい「玉」と見てしまうのだろうか」という意味である。
 「蓮葉の濁りに染まぬ心」は、仏典からの言葉である。俗塵に交じわろうが、物欲に囲まれようが、それらに超然としていられる清浄の心境のことで、僧侶としての理想の境地である。その言葉を歌の頭に置き、荘厳に詠み始めたのに、やはり蓮の葉に置く水滴を、美、醜の価値基準で見てしまう「濁りの心」や「俗世の執着」から抜け出せない弱さを、思わず吐露してしまった。未だに、ことにあたって、美、醜、喜怒哀楽の感情に左右されてしまうのだ。悟りきった聖人がみれば、水滴は水滴でしかないのに。蓮が人を欺いているわけではない、見る人の俗念がそう思わせてしまうだけなのに。僧の境地にはまだまだなのである。

 またこんな歌もある。前書きは、
 『滋賀より帰りける女どもの、花山(遍昭の元慶寺)に入りて、藤の花のもとに立ち寄りて、帰りけるに詠みて贈りける』
というもので、藤の花だけを見て帰ってしまった女性たちに贈った歌だ。
 『よそに見て 帰らむ人に藤の花 這ひまつわれよ 枝は折るとも』
 藤の花だけ見て、自分(遍昭)のところには寄ろうともしないで帰って行く御婦人方に、物足りなさと少々の憤りを覚えて、彼女らを引き留めようと、藤の花に言い聞かせたものだ。
 「這ひまつわれ」とは恐ろしい。まるで「娘道成寺」だ。枝が折れてもいいからと言うのだから、もう狂気の沙汰で、とても僧侶の歌とは思えない。

 さて、『大和物語』によって彼を別の面からみてみよう。
 彼が主人公になっている百六十八段の書き出しはこうだ。
 『深草の帝(仁明天皇)とまうしける御時、良少将(良岑宗貞 遍昭のこと)といふ人、いみじき時にてありけり。いと色好みになむありける』
 「いといみじき時」とは、「大変時めいていた時代」という意味で、良岑は、帝の寵遇を得て、前途洋々たる人物であった。とともに、大変色好みの男でもあったというのだ。この冒頭部分を読んだだけで「さもありなん」と納得させられてしまう。僧侶になっても、この過去の栄光や色好みはたやすく消えるものではなかった。
 この後、話は、彼の色好みに移っていく。これがなかなか面白い男と女のやり取りなのである。
 彼には、内裏に、忍んで通う女がいた。ある夜「今夜は必ずお前のところに忍ん行くから」と約束したのに、いくら待っても男はやってこない。ついに「丑三つ」になってしまった。そこで女、
 『人心 うしみつ 今は 頼まじよ』
と書いて送った。この「人」は、もちろん良岑のこと。「うしみつ」は、「あなたの冷淡な心を見た」という意味。だからもうあなたなど頼りにしませんよ、ということになる。
 この手紙をもらった良岑少将は飛び起きるなり、早速女に
 『夢に見ゆとや 寝ぞ過ぎにける』
と下の句を送った。
 「しばらく寝て、あなたの夢でも見ていようとしていたところ、寝過ごしてしまいました」
と言うのだ。随分ふざけた話で、どうせ嘘に決まっている。内裏の女との約束などすっかり忘れてしまって、別の女といい夢でも見ていたに違いない。
 このやり取りが実に軽妙で面白い。それは、女が男に送った上の句にも、男の下の句にも、掛詞を駆使した絶妙な機知が詠い込まれているからである。
 女は「丑三つ」時まで男を待っていた、丑三つとは、午前二時半ころだ。これはずいぶん女を待たせてしまったことになる。そこで男の「うし(冷淡)」を身に染みて「みつ(見た)」と言っているのだ。つまり、「うしみつ」は、「丑三つ」の刻限と、「憂し見つ」の恨み言を掛けているわけである。
 一方、男も早速機知を働かせて、「寝ぞ過ぎにける」と女に応えた。これは、「寝る」と「子」を掛けているのだ。つまり「子の刻」は十二時ということで、「十二時も過ぎてしまった」と「寝過ごしてしまった」とを掛けているのだ。しかも「子」の次の刻は「丑」ということで、女の歌の言葉「丑三つ」の「丑」を借りて応じてもいるのである。
 彼らは、言葉の遊びを非常に大切にした。それは人間関係を潤滑にする役割もあるからだ。恐らくこのやり取りで二人の間は氷解したことであろう。色好みをしながらこんな風流、優雅な生活を送っていたのだ。

 良岑は才気煥発な男で、天皇にも大変信頼が厚く、重用されていたのだが、その天皇が崩御されてしまった。葬儀の後、
 『その夜より、良少将うせにけり』
と、彼は姿を消してしまった。天皇の恩寵に報いるべく出家したのだが、誰にもそのことについては語らなかった。
 彼には、三人の妻がいた。そのうち愛情がさしてない二人の妻には出家をなんとなく臭わせてはいたが、子供をもうけた一番大事な妻には、一切言わなかった。もし言えば、子供と妻にほだされて、出家できなくなると思ったのだ。そして、比叡や初瀬や清水を巡る修行の旅に出た。
 一年経って、帝の喪が明けた。殿上人たちは、賀茂の河原に出て禊をし、喪服を脱ぎ捨てる。この時、遍昭は、殿上人たちに次の歌を贈った。
 『みな人は花の衣になりぬなり 苔の袂よ 乾きだにせよ』
 「苔の袂(たもと)」とは、僧侶の衣のことである。
 「みなさんは、喪服を脱ぎ捨てて華やかな衣に着替えられましたが、私は僧侶の身、苔の衣を脱ぎ捨てるわけにはいきません。せいぜい涙に濡れた袂だけでも乾いてほしいと思うのですが」と、自分の心境を表わし、同時に、衆人に出家の事実を宣言したのである。
 が、この歌の中には、
 「みなさんと同じく、私も華やかな衣に着替えたいのだが・・」
という思いがにじんでいるような気がしてならない。そもそも本気で仏道に入るというのなら、わざわざ人々にその旨を伝える必要はないのだ。泰然としてただ一人出家して行けばよい。
 そんなどっちつかずの心境を引きずったまま、彼は僧侶としての生活に入ったのだ。だから未だに俗世に対して未練たっぷりで、人恋しさの滲んだ歌が、仏への思いに交錯しながら、何度も詠われるのだ。
 しかし、彼は、僧であっても俗っぽさを失わない、案外風雅な暮らしを満喫していたのかもしれない。

 (参考)
  『大和物語 百七十三段』も、良岑宗貞少将(遍昭)が主人公の物語で、なかなか趣のある話だ。お読みになることをお勧 めする。
  百人一首『いま来むといひしばかりに 長月の有明の月を待ちいでつるかな』の作者・素性法師は、遍昭の子供である。

 源氏物語とは全く無関係なものになってしまった。すいません。


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