源氏物語

源氏物語たより221

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   光源氏の「出家」は口癖か  源氏物語たより221

 藤壺宮は、源氏の執拗な求愛から逃れるために出家を余儀なくされたということを前回取り上げた。中宮ともあろう者が、臣下の男と関係を持つなどということは許されるべきものではない。それに、そのことで春宮が廃太子になることもありうるのだ。
 二度目の密会の時に、宮は、二人の関係が未来永劫に憂き評判となって世間に残ってしまうであろうことを嘆いたのだが、源氏の宮を恋い慕う思いは、容易に消し去ることはできなかった。このままではいずれ最悪の事態を招くことになる。そこで、宮は、源氏の執愛を断ち切るためには、尼になるしか方法はないと決意した。尼を犯すことは絶対のタブーだから、源氏が再び迫ってくることはなくなる。
 男の求愛から逃れるために出家するというのは、出家の動機としては特異な部類に入るだろう。

 ところで、源氏も、宮の激しい拒絶にあって、これでは何の面目があって生きていられようかと出家を考えるのである。
 『世に経れば憂さこそまされと、(出家を)おぼし立つには、この女君(紫上)のいとらうたげにて、あはれに(源氏を)うち頼み聞こえ給へるを振り捨てんこと、いとかたし』
 生き永らえているから憂さは勝っていくのだ。こんな辛い目に合うのだったら、いっそのこと出家してしまおうと思うのだが、あの可愛く自分をひたすら頼りにしている紫上のことを考えると、なかなか彼女を振り捨てて出家してしまうわけにもいかないと、思い返してしまう。
 源氏という男は、とにかくよく「出家」という言葉を吐く。何度も何度も「出家」を言い出しては撤回し、撤回してはまた言うのだ。前後合わせて、十六、七回は言っている。なにしろ十八歳の時にすでに言っているのだから、「出家」は彼の口癖であり、趣味のようなものだ。

 十八歳の時の出家は、こんな状況であった。
 北山にわらは病の治療に行った時のこと、僧都(紫上の祖母の兄)が、源氏に、世の中の無常なことや来世のことを語り聞かせていた。源氏は、その話を聞きながら自らの行為に痛くつまされるものがあって、こう怖れるのである。
 『我が罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心を占めて、生ける限りこれを思ひ悩むべきなめり。まして後の世のいみじかるべきこと思し続けて、「かやうなる(北山の僧都のような)住まひもせまほしう」思ひ給ふものから、昼の面影(紫上が)心にかかりて恋しければ』
 「あぢきなきこと」とは、「無益なこと」という意味で、彼の場合は、しても甲斐ないことと分かっていても、それに心を占められてしまうというのである。「我が罪」とは、もちろん藤壺宮との許されざる密事を指している。十八歳の時、彼は既に宮と契りを結んでいたのだ。それは「あぢきなきこと」と承知はしていながらも、そこに溺れて行ってしまう自分の脆(もろ)さ、それがまさに宿縁というものなのであろう。彼は、生きている限り、このことを罪の意識として思い悩んでいかなければならない。
 だったら、この僧都のような住まいに住んで、後の世に悔いを残すことがないよう、また罪を得ることのないよう精進しようと思うのだが、先ほど見た少女の姿が気になって、出家を思い留まってしまう。

 ところが、あれから六年、相変わらず宮への思いを断ち切ることができずに、塗籠に押し込められるような恥を舐(な)めさせられたり、その挙句には宮の激しい抵抗にあったりしてしまう。こんなあられもない状態で生きているわけにはいかないと、ここでも出家のことが頭に浮かぶのである。北山での懺悔はどこに行ってしまったのだろう。
 とにかく彼はよく出家を口にする。それは口癖というか趣味と言おうか、どうにもとらえどころのないもので、とても本気とは受けとれない。玉上琢弥は『源氏物語評釈 角川書店』の中でこう言っている。少し長いが引用させてもらう。
『薄雲』の巻
 「源氏という人は、とかくこういうふうに出家したい、栄華も捨てて後の世の冥福を祈りたい、などというようなことを言う。しかしこれは、本当の出家とは意味が違う。一種の贅沢である。・・物語の中での流行語のようなもので、物語の中の上流貴族は、なにかというと出家を口にする。栄華、政権にしがみついているのではなく、もっと余裕のあるところを見せたいのである」
 源氏の出家が贅沢なものであるかどうかは、後に回すとして、それでは、彼の出家の軌跡をたどってみよう。

十八歳
  北山の僧都の話を聞いて(前述)
二十二歳 
  葵上の死に際して
 『かかるほだし(身を縛るもの この場合は子供の夕霧)だに添はざらましかば、願はしきさま(出家)にもなりなま しと  思すに、まづ対の姫君のさうざうしくて(紫上が寂しそうにしているのを思い出し、出家は思い留まる)』
二十二歳
  同じく葵上の死に際して桐壺院への消息
 『常なき世・・いとはしきこと多く、(出家せんと)思ひ給へ乱れし』
二十三歳
  桐壺院の崩御に際して
 『かかること(院の崩御)を見給ふにつけても、いとあぢきなう思さるれば、かかるついでに(出家を)まづ思し立たるるこ  とあれど、またさまざまの御ほだし多かり』
二十四歳
  藤壺宮との確執に際して(前述)。
二十五歳
  雲林院の僧の行いを見て、紫上ゆえに出家できない自分を嘆く。
二十七歳
  須磨に蟄居する身となり、明石に移ってから紫上に送った消息
 『いみじき(ひどく悲しい思い)限りを尽くし・・今はと世を思ひ離るる心のみまさりはべれど』
三十一歳
  高位、高官になり栄華な暮らしをしても長く生きられるわけでもないし、いささか厭世気分になって、嵯峨に御堂を建てる  決心をした時
 『静かに籠りゐて、後の世のことを勤め、かつは齢をも延べん』
三十二歳
  藤壺宮及び左大臣の死に際して。この『薄雲』の巻では四回も出家を口にしている。そのうちの一つ
 『後の世の勤めも、心に任せて籠りなむ』
三十九歳
  明石姫君入内、夕霧結婚など、すべて順風満帆の状況の下、なんの後顧の憂えもなくなった源氏は思う。
 『今は本意(出家)をも遂げん』
三十九歳
  朱雀院が出家したことを受けて、自分は心弱くなかなか出家を決断できないで、うろうろしていることを悔い恥じる。
五十歳
  夕霧との会話
 『この髪そいて、よろづ(この世を)背き捨てん』
五十一歳
  紫上が重篤な状況で、源氏に出家の許しを乞い願った時の思い
 『(紫上が出家を)ねんごろに思ひ給へるついでに催されて、同じ道にも入りなん』
 なお、この時の源氏の出家に対する思惟は、複雑で、紆余曲折し、錯綜しており、彼自身の出家が現実に近づいていることを 思わせるものである。
五十二歳
  愛する紫上が死去して、彼の「ほだし」は一切なくなった。そして紫上の一周忌、あの激しく雪の降り積もっていた十二月 がやってきた。破り捨ててしまっては惜しいと思って残しておいたさまざまな女性からの消息文を、彼は女房たちに破り捨て させる。また仕える人々に物を賜わる。その様子を見た女房たちは、いよいよ源氏の出家が近いのを悟る。
  『おどろおどろしく(大げさに)「今なん限り(出家する)」としなし給はねど、近くさぶらふ人々には、御本意遂げ給ふ  べきけしきと見たてまつるままに、年の暮れゆくも、心細く悲しきこと限りなし』
  そして、紫上が書いた須磨以来の手紙も「千年の形見に」と思ってひとまとめにしておいたのだが、それも出家してしまえ  ば見ることもなくなるであろうと、親しい女房二、三人に、『お前にて、破らせ給ふ』のである。
  このあたりは読むたびに胸に響くものがある。紫上の一周忌ということで、親王方や殿上人が大勢訪れている。源氏はふと  外を眺める。
  『梅の花のわづかにけしきばみ(ほころびかけ)始めて、雪にもてはやされ(引き立たせられ)たるほど』
  紫上が亡くなった時には激しい雪であったが、今、目にする雪は梅を引き立てているように見える。一年の空白を置いたこ  とで、彼は淡々とした心境に至り、出家も無心に実行できるようになったのである。

 出家にともなってよく「ほだし」という言葉がしばしば出てくる。「ほだし」とは、何かを実行するにあたって、妨げ・束縛になるもののことである。たとえば、母親が死にゆかざるを得ない時に、「ほだし」になるものは子供の存在である。 桐壷更衣が、死に際して何か訴えかけたそうな目で、帝をじっと見つめていたのは、三歳の光源氏を置き去りにしては、死ぬに死ねないというまなざしだったのだろうと思う。子供や愛する人は大きな「ほだし」になる。
 源氏の最大の「ほだし」は、もちろん紫上であった。それがなくなったのである。彼の出家を妨げるものは、もうこの世にはない。彼は、こう歌を残して物語から淡々と姿を消していく。
  『もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に 年もわが世も今日や尽きぬる』

  源氏が出家を口にする機会や動機を見てみると次のように分類できそうである。

① 罪障感を持った時(北山の僧都の話で、藤壺宮との密事を悔悟した時)
② 肉親や愛する人の死に直面した時(葵上、桐壺院、左大臣、藤壺、紫上など)
③ この世を無常と感じたり、厭おしく思った時(葵上の死など)
④ 悟り澄ました僧を見て羨ましさを感じた時(雲林院や山の僧都を見て)
⑤ 激しい恥を受けたり、自尊心を砕かれたりした時、また愛を喪失した時(藤壺宮との確執)
⑥ 不遇な状況に陥った時(須磨への流謫の身)
⑦ 人の後世や自分のあの世の安泰を祈りたいと思った時(藤壺に対して)
⑧ この世に思い残すことがなくなった時(夕霧、明石姫君など一家の幸せ)
⑨ 人が出家したのを見て羨ましく思った時(朱雀院の出家など)

 光源氏の「出家」が、贅沢なものであることは確かであるし、本当の出家でないことも間違いのないことである。本当の出家は置き去りにされて、その都度その都度の心の揺らぎで、「出家」という言葉がつい口癖のように出てきてしまうのだ。それが当時の上流貴族社会の習わしになっていたのかもしれない。
 源氏物語では 源氏以外に実に多くの人(特に女性)が出家している。それらの出家の姿から、本当の出家とはどのようなものなのであろうか、次回、探っていってみようと思っている。


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