スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより221 →源氏物語たより223
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより221】へ
  • 【源氏物語たより223】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより222

 ←源氏物語たより221 →源氏物語たより223
   神も仏も何かは、手におえない男・光源氏  源氏物語たより222

 女にかけては油断も隙もない光源氏であるから、今更彼の好き心をあげつらっても仕方がないのだが、雲林院への参籠の彼のあさましさには、「呆れ」を通り越して、拍手喝采してしまう。

 思い余って藤壺宮に忍んで行ったものの、宮に手厳しく拒否された源氏は、「それなら・・」と、作戦を変えることにした。しばらく自ら身を隠してしまおう、そうすれば、自分がいかに宮にとって大事な存在であるか思い知ることであろう、というのである。私も子供の頃こんな作戦を取ったことがあった。要は、源氏はまだ童心が抜けていないのだ。それが我々をして、源氏に憎みきれない要因にしているのだ。
 さてこの作戦は成功するものやら。

 宮に思い知らせてやろうと、しばらく自宅に籠っていたが、やはりつれづれでしかたがない。そこで、秋の野を見がてら、雲林院に参籠することにした。やはりここでは紅葉も色づき始め、なまめかしく、故郷(二条の自宅)も忘れ去ってしまうほどの風情である。彼はここで、
 『法文など読み、行ひせむ』
と思って、法師のうち、学才のある者だけを召し出だして、法論をさせたり、勤行したりするのである。雲林院という場所柄もあって、世の無常やはかなさもしみじみ感じ取ることができる。さすかに彼も殊勝な心がけになった。
 と、感心した途端に、
 『憂し人しもぞ』
と彼の意識は、女に向かってしまう。「憂し人」とはもちろん藤壺宮のことだ。法論や寺と宮とがどう結びつくのか定かでないが、「世の無常やはかなさ」が、宮の「つれなさ」に繋がったということであろう。とにかく宮のことがいつも彼の頭から去らないのだ。
 そして翌朝になると、一転、法師たちが閼伽の花や水を捧げ、勤行に励んでいる姿を見ると、こういう生活こそ望ましいもの、これなら来世のことも頼もしいものになる、と自らの在り方を反省する。
 『さも、あぢきなき身をもて悩むかな、と思し続け給ふ』
 「つまらない身が、恋のためにどうしてこうも悩み苦しまなければならないのか」と顧みるのだ。また、律師が、尊い声で「念仏衆生、摂取不捨(一心に念仏する人を仏は見捨てませんよ)」と経を唱える声を耳にすると、これこそ人としての理想の生き方、羨ましい限りである、と感銘する。
 それと分かっていて、自分はどうして出家できないのだろうと嘆かしく思う。が、そう思った途端に、今度は紫上のことが頭をよぎる。自分が出家できないのは、紫上という「ほだし」があるからだと、女ゆえに束縛される自分を恥じるのだ。
 物語の語り手は、こういう源氏の心を
 『いと悪き心なるや』
と非難する。

 それでも、結局、彼女に手紙を出すことにした。寺からラブレタ―というわけにもいかないから、それと分からないように情緒もない陸奥紙に思いを託して消息した。彼女からの返事が来るや、その手(筆跡)の、優美でいかにも女らしいことににんまりとして見呆けるのである。
 と、今度は雲林院のすぐ近くにある斎院を思い出した。今の斎院は、以前から源氏が恋焦がれて止まなかった「朝顔」の君である。そこで早速彼女に手紙を出す。それもいかにもその昔彼女と「ことがあったかのような」内容である。実は朝顔は、源氏を袖にし続けてきたのだ。さすがに彼女は憤懣やるかたなくこんな歌を返す。
 「なにさ、いかにも昔、私と何か「ことがあった」かのようなこと言っちゃって、それに今更、私のことを心に懸けているなんて、止めてほしいわ」
 こんなつれなく厳しい返事でも源氏は少しもへこたれない。それどころか
 「朝顔の君も、今がお年盛りで、ますます美しさを添えてきたことだろう」
などと想像をたくましくするのだ。
 すると、また先ほどの語り手が、源氏の朝顔に対する尋常でない思い込みに
 『ただならず、恐ろしや』
と警告を発するのである。神に仕える神聖なる斎院に思いを掛けるなどあってはならぬこと、神罰もはなはだしいということである。斎院や斎宮は、男と関係を持つなど許さるべきことではないのである。たとえ手紙でもやり取りすることははばかられることだ。
 彼の思いは、さらに斎院から斎宮に飛んで行った。そして、今は伊勢にいる六条御息所と、野宮で逢った秋の夜のことを偲ぶのである。御息所は斎宮ではないが、
 「斎院も斎宮も同じようなもの。神というものは、どうしてこれほど私から愛する人を引き離すのだ」
と愚痴る。すると再々度、語り手が顔を出し、呆れてこう言う。
 『神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし』
 神様を恨むとは、なんとも見苦しいこと、見苦しいばかりか、神罰間違いなしだ、と語り手さえ、彼の御癖の悪さに閉口の態である。

 そもそも寺に籠るとはどういうことなのか。日頃俗塵にまみれ煩悩に躍らされている身を顧み、身を清浄の境地に置きたいということではないのか。しかも、源氏は、雲林院の学才ある僧を召して、法論まで戦わせているのだ。彼のことだから、さぞかし僧以上の論理を展開して、彼らの舌を巻かせたことだろう。またこの後も
 『六十巻という文読み給ひ、おぼつかなきところどころ(僧に)解かせなど』
しているのである。「六十巻」とは、天台の中心になる経で、難しい法華経が主である。難解で膨大な六十巻を読み、かつはおぼつかないところがないようマスターしようというのだ。
 にもかかわらず、彼の頭を去来しているのは「女」である。これでは法論に何の意味があったのか、天台六十巻を唱み、読解したこともむなしいばかりではないか。
 法師たちは、源氏の様子を見て、こんな素晴らしい方を山寺(雲林院)に迎えることができたのは、「仏の面目」だと賞嘆するのだが、知らぬは法師ばかりである。
 我々は、彼の裸の真の姿を見てしまっているのだ。救いがたき男、光源氏。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより221】へ
  • 【源氏物語たより223】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより221】へ
  • 【源氏物語たより223】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。