源氏物語

源氏物語たより223

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   哀しき母と子  源氏物語たより223

 紫式部に子供の行動や姿態を描かせたら、誰の追従をも許さない世界を再現する。

 たとえば、光源氏の子・薫が、
 『わづかに歩みなどし給ふ』
頃、朱雀院から贈られて来た筍を取りちらし、それに噛り付く姿などは、
 「そうそう、そんなことが我が子にもあったけなあ・・」
と自分の子どもが幼かった頃を、ふと思い出させる風景で、思わず笑ってしまう。
 その場面はこう描かれている。
 『御歯の生い出づるに食い当てむと、たかうな(筍)をつと握り持ちて、雫(しずく よだれのこと)も、よよと食い濡らし給へば・・(女房が薫を筍から)離ちて、の給ひかくれど、うち笑ひてなにとも思ひたらず、いとそそかしう這ひおり騒ぎ給ふ』

 また、近衛大将である夕霧にまとわりつく明石姫君の子・匂宮の姿などは、子供のあどけなさを見事に描いていて、ふんわりとした温かさを読者に与える。
 『賢木』の巻における東宮の姿もそうだ。もっともここは何かやるせなさや哀しい思いに浸されながらであるが。
 藤壺宮は、我が子・東宮(後の冷泉帝)の将来を安堵すべく、出家の決意をする。
 今、天下の実権は右大臣にある。右大臣の娘・弘徽殿女御は、天皇の母、つまり大后で、絶対的な権勢を奮っている。春宮側(藤壺宮や光源氏)にわずかの瑕疵(かし)でもあれば、一気に潰(つぶ)しにかかろうと構えている。
 そんなこともあって、藤壺宮は、東宮のところに心安く会いに行くこともできない。
 しかし今回ばかりは「出家」という大事だ。まさか一言も伝えることもなしに出家してしまうわけにはいかない。
 久しぶりに内裏に入ってみると、案の定、世の中はすっかり変わってしまっていて、「あはれ、はかなし」を痛感させられるばかりである。かつては「中宮様」のお出ましともなれば、百官がこぞって出迎えたはずだが、おそらく、今回は右大臣の目を恐れて、誰も迎えに出る者はなかったのだろう。
 そんな母の屈託も知らぬげに、東宮は、久しぶりに母に逢えたことだけを
 『珍しく、嬉しと思して、むつれ聞こえ給ふ』
のである。「むつれ」とは、「甘えてまとわりつく」ということである。そんな屈託のないわが子を、宮は
 『かなし』
と眺める。「かなし」は「可愛い」という意味であるが、この場合は、さらに複雑な心情も加わって、母の心配や東宮の置かれている危うい立場に何の憂いも心配も感じていない我が子の無垢(むく)さを「哀切の情」を持って眺めているのだ。
 母は、出家の決意をズバリと言うのがはばかられたのだろう、遠回しにこう切り出す。

 『ご覧ぜで久しからむ程に、かたちのことざまにて、うたてげに変わりてはべらば、いかが思さるべき』

 「長いことあなたに会わない間に、私の様が変わってしまって、変な容貌になってしまったとしたら、あなたはどう思いますか」ということである。
 母をじっと見守りながら聞いていた東宮だが、その言葉の意味をまったく理解できなかったのだろう、的外れにこう応える。
 「あの式部みたいに、ってこと?まさか。お母さんがあんなにひどい顔になるはずはないでしょ」
 内裏に、年老いたひどいお面相の式部という女房がいたのだろう。「変な容貌」という母の言葉に、彼の頭にぴんときたのがその式部の顔だったのだ。そして、飛び切り美しい母が、まさかあんなひどい顔になるはずがない、と思ったのだ。
 母は、言っても甲斐のないほどの幼い東宮にいとおしさを感じながら、今度は具体的に話してあげる。
 「そうじゃないの。式部は年を取っているから醜いんでしょ。そうじゃなくて、式部より髪は短くて、黒い衣を着て、夜居の僧みたいになるってこと。それで、あなたとも久しく会えなくなるってことよ」
 母は、そう言いながら、泣き出してしまう。さすがに東宮は真顔になって、

 『久しくおはせぬは、恋しきものを』

 (長い間内裏にも来られないなんて・・、お母さんのことをいつも恋しく思っているのに・・)と、ポロリと涙を流すのである。彼は、母に涙を見られてしまうかもしれない恥ずかしさに、ふと横を向いてしまう。
 この期に及んで、東宮は、母が出家をするのだという一大事を告げていることを、まだ理解できていないのだ。彼が悲しいのは「母に会えなくなる」というその一事だけなのである。
 母は、そんな息子のいじらしい姿を、愛しみの目をもって眺めるしかない。
 「髪のゆらゆらとした豊かさ。眼のあたりの輝くばかりの美しさ。歯は、虫歯のために朽ちてしまったのだろう、口の中が黒く見える。そんな口を開けながら、ほほえんでいる顔の、なんと美しく清らなことか」
 「出家する」ということは、肉親との恩愛を断ち切ることである。この美しく清らな我が子に逢う機会は、今後はほんに稀なことになってしまうのだ。万感の思いで我が子を眺める母。
 この時、東宮、数えの六歳。
 最後の東宮の容貌の描写は、実に鮮烈である。髪や眼の描写はともかく、虫歯のために朽ちてしまった歯や、それがために口の中が鉄漿(おはぐろ)でもしたように黒くなって、笑って自分を見つめる子の姿を、ここまで写実的に詳細に、かつて誰が描いただろう。それも母子の哀しみをたたえながら。
 


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