源氏物語

源氏物語たより234

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   出家に最も遠い男・光源氏 源氏物語たより224

 光源氏が、藤壺宮とのいざこざの結果、参籠することにした雲林院は、京の北、大徳寺の南東にあって、このあたりを「紫野」と言う。当時は一面の山林原野であったものと思われる。雲林院は、淳和天皇の離宮であったものを、後に寺としたもので、百人一首『天つ風 乙女の姿吹き閉じよ・・』の作者・僧正遍昭ゆかりの寺である。今では観音堂だけが残っている。
 淳和天皇の離宮であったということは、相当広大な面積を占めていたものと思われる。
 大覚寺が、嵯峨天皇の離宮であったことを考えると、それに匹敵するものであったかもしれない。源氏が『秋の野も見たまひがてら』と言っているのは、秋の自然が、雲林院には豊かに広がっているからであろう。事実行ってみると
 『紅葉、やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたる』
という風情であった。「色づきわたりて」とは、あたり一面ずっと紅葉しているということで、いかに広大な景色であるかが分かる。
 なお、「秋の野のいとなまめきたる」とは、この寺にゆかりの僧正遍昭の次の歌を引いたものである。
 『秋の野になまめきたてる女郎花 あなかしがまし花も一時』
 「なまめき」とは、みずみずしく優美ということだが、現代語の「なまめかしい」というニュアンスに通じ、色っぽさの意味も含んでいる。
 「女郎花」は、当然「女」をイメージするもので、この歌は、一見怪しい雰囲気を感じさせるのだが、実は「無常観」を詠っているものなのだ。みずみずしい女性たちが、若さを誇るかのように、さんざめいている様を見た僧正遍昭が
 「あなたたちよ、今そうして華やかに楽しげにはしゃいでいるけれども、花の命はほんの一時に過ぎないのだよ」
とお説教している図である。

 源氏は、ここ雲林院に参篭して、聞くもの見るものに付けて「無常」を感じ取っている。
 『(寺という)ところがらに、いとど世の中の常なさを思し明かし』
 『閼伽(あか)たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など折り散らしたるも、はかなげなれど、・・(僧たちが勤行する姿は)この世もつれづれならず、後の世も頼もしげなり』
 『律師の、いと尊き声にて、「念仏衆生摂取不捨」とうちのべて(延ばして)行ひ給へるが、いと羨ましければ』
などなど。「閼伽」とは、仏に供える水や花やそのための用具のことで、この場合は、僧たちが水桶をからから鳴らしている音が、源氏の耳に届いて無常を感じさせたのだ。
 また「念仏衆生摂取不捨」とは、「念仏三昧の衆生については、仏はすべて救済し、捨てるということはありませんよ」という意味で、観無量寿経にある言葉
 『光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨 南無阿弥陀仏』
の中の句を引いたものである。後に、親鸞の言葉を集めた『歎異抄』の最初にこの言葉が出てくる。名文なので上げておこう。

 『弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんと思ひたつ心の起こる時、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめ給ふなり。弥陀の本願には、老少善悪の人を選ばず。ただ信心を要とすと知るべし。そのゆへは罪悪深重、煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にまします(からである)』

 阿弥陀さまは、煩悩熾烈、罪悪深重の衆生をこそ救おうという願をお立てになったのだから、ひたすら念仏さえ唱えれていれば、煩悩熾烈な悪人をこそまずお救いになられるのだ、という意味である。
 この言葉のすぐ後に、「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という、かの名言がくる。この論理は、パラドックスの極致である。

 さて、源氏は、雲林院においてのさまざまな「無常」の感得から、出家することの大事さにしみじみと思い至るのである。
 ここには、わずかばかりの文章の中に、仏教に関する「無常」やら「勤行」やら「念仏」やら「出家」やらの言葉が頻出している。あたかも仏教の教えの一巻かと思わせるほどである。古来、源氏物語が「仏教の深い教理を教え諭す物語である」と言われてきたのは、こんな場面を指しているのであろう。もっとも本居宣長は、
 『この物語のおおむね、昔より(いろいろな)説どもあれども、みな物語というものの心ばえを尋ねずして、ただ世の常の儒仏(儒教や仏教)などの書のおもむきをもて論ぜられたるは、作り主の本意にあらず』
と一蹴し、源氏物語の本旨は「もののあはれ」にありと、断言するのだが。まさに本居宣長が言う通りである。
 紫式部は、物語の中で、さまざまな花や植物を取り上げているが、実は彼女は、実際にはあまり花など見ていない「植物音痴」であるということは以前述べたことがある。
 と同様、出家やら修法やら法華経やら初瀬詣でやらと、源氏物語には仏教に関する事象が盛り沢山取り上げられているのだが、そのいずれも極めて浅薄で、実質が伴わないものばかりである。仏教の教義に至るような内容は皆無である。
 この場面も、仏教は、物語を盛り上げるための手段として使われているにすぎない。源氏は、神妙に無常を感得したと思いきや、彼の意識はすぐ「女」に飛んで行ってしまう。また「出家の大事」を口にした途端に「紫上ゆえに俺は出家できないのだ」と、女に責任を転嫁してしまう。もちろん彼の心の中に仏教的な思惟がなかったとは言わないが、それは極めて表層的なものである。

 「出家」するとはどういうことであろうか。出家の動機はさまざまであろうが、いずれにしても、まず出家するに際して重要なことの一つが、現世の「欲」を断つことである。ところが、源氏ほどさまざまな欲にまとわりつかれ、がんじがらめに縛られている人間はいない。
 彼は、桐壺帝の庇護のもとに圧倒的な権勢を保持していた。二十一歳にして「近衛大将」なのである。大将(従三位 )は、大納言や大臣が兼任することもある要職である。『賢木』の巻でこそ、やや不遇な立場に陥るけれども、明石から復帰した後の、彼の昇進の異常なほどの速さは呆れるほどである。二十八歳にして権大納言、二十九歳にして内大臣、三十三歳にして太政大臣である。こんな権威と権勢を捨てられるはずはない。明石姫君を東宮に入内させ、生まれた子をやがて次の東宮として立てたのも、彼の権勢欲ゆえである。
 この権勢にともなって、彼の財力は計り知れないものであった。四町(約六、七ヘクタール)にも及ぶ広壮な邸を一年余りで作り上げてしまう。
 また彼の名誉欲も熾烈であった。私は源氏物語を読むたびに、いつもなぜ次の二つのことを源氏は断わろうとしなかったのだろうかと、不審に思うのだ。一つは「准太上天皇」、一つは「女三宮降嫁」。いずれも断れば断れたのだ。
 特に後者、女三宮を娶ることは止めるべきであった。結局、このことが、紫上を悲嘆に陥らせ、女三宮を絶望の淵に追い込み、彼自身の不幸を招く結果となってしまった。彼は、准太上天皇に相応しい正妻としては、内親王しかないと拘泥しもので、彼の名誉欲そのものの表れに他ならない。  
 源氏の色欲に関しては、今更述べる必要もあるまいが、『賢木』の巻の段階で、彼が関係していた女性は、紫上、藤壺宮、朧月夜、朝顔、花散里、(末摘花)、その他女房多数。

 仏教には、人が犯してはならない五つの戒めがある。
 「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒、」
である。さらに「身をきらびやかに飾らない」「歌舞を鑑賞しない」「ゆったりとした大きなベットを使わない」「食べるべき時でない時にものを食べない」「金銀財宝を蓄えない」の五つを加えて、「十戒」という。
 これに照らして源氏をみてみよう。
 夕顔を廃院に無理に連れ込んで、結果的に死に至らしめている。紫上を盗んでいる。父の寵姫を犯し、兄の寵姫を犯し、息子の中宮に秋波を送っている。嘘と飲酒の罪は限りなく犯している。以下の五戒もすべてあてはまる男、それが光源氏なのである。
 こう見て来ると、光源氏ほど出家にそぐわない男はいない。いやそれだからこそ十八歳から「出家」「出家」と言い続けていたのだろう。
 彼のあの世は、想像するまでもなく、もう決まっている。
 でも、ひょっとすると、閻魔さまをあの巧言とあの財力でうまく丸め込んでいるかもしれない。あるいは、弥陀の誓願で、彼が一番に救われているかもしれない。


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