源氏物語

源氏物語たより231

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  主人が主人なら・・ 『空蝉』を読む その1 源氏物語たより231

 光源氏は、久しぶりに左大臣邸を訪れたが、昨夜までいた内裏からは方角が悪いということを口実に、急遽(きゅうきょ)方違えをすることにした。方違え先は、紀伊守の邸である。紀伊守は、最近、中河から水をせき入れて、庭をいかにも夏向きに涼しく修築したという。
 その旨を紀伊守に申し出ると、日頃、源氏や左大臣の庇護のもとに甘い汁を吸わせてもらっている関係から、急な申し出ではあるが、「否」とは言えない。内心では断りたいのだ。というのは、今日は父親である伊予介の妻が、彼のところに来ていて、邸が手狭で、源氏に失礼があってはならないと思ったからだ。
 紀伊守が邸に戻って、そんな本音を漏らすと、これが人づてに源氏の耳に入ってしまった。
 すると源氏はぬけぬけとこう言う。
 『その、人近からんなむ、嬉しかるべき。女遠き旅寝は、もの恐ろしき心地すべきを。ただその几帳の後ろに』
 もちろん冗談ではあろうが、女っ気がないのは空恐ろしいとは、言いも言ったりである。しかも「その伊予介の妻がいるという几帳のすぐ後ろがいい」というのだ。冗談も過ぎるというものであるが、色好みの源氏のこと、あるいは本心かもしれない。

 源氏の冗談を聞いた供人は、こう応じる。
 『げに、よろしき御座所(おましどころ)にも』
 供人たちは、源氏の御本性を知り抜いているから、
 「女のいる几帳のすぐ後ろとは、源氏様にとっては、まことに結構な御座所でございますな」
と言うのだ。源氏の言い草の厚かましさに輪をかけた供人の冗談だ。この冗談で、供人たちが「わ~」と哄笑したであろう声が聞こえてくるような気がする。
 源氏の周りは、いつもこんな雰囲気に包まれていたようで、左大臣の邸にいた時も、彼は女房たちに盛んに冗談ごとを言い掛けている。

 さて、源氏は、ごく睦まじい供人だけを連れて紀伊守の邸に赴く。なるほどその邸は水を引き入れて結構な造作である。
 『風涼しく、そこはかとなき虫の声々聞こえ、蛍しげく飛びまがひて、をかしき程』
である。源氏は、寝殿の女たちのいる近くに部屋をしつらえてもらうや、早速、彼女たちがたてる絹ずれの音や若やかな声に耳をそばだてる。
 一方、供人たちは、
 『渡殿より出でたる泉にのぞきゐて、酒飲む。あるじ(紀伊守)も、「肴求む」とこゆるぎの急ぎ歩く』
という状況である。「肴求む」とは、風俗歌からの引き歌で、紀伊守は、急なこととて、源氏や供人のために酒の肴を大騒ぎして整えているのだ。
 ここにどんな肴が出たかは描かれていないが、日頃、自分(守)の世話をしてくれ、若いのに「紀伊守」などに取り立ってくれた源氏さまとその供人である。粗相があってはならない。さぞ豪華な馳走が並んだことであろうし、また銘酒もたっぷり出たことであろう。酒の量がどれほどであったかもここには書かれていないが、「たっぷり」であったことに間違いはない。やがて彼らは、
 『酔ひ進みて、みな、人々簀子に臥しつつしづまりぬ』
という有様なのだから。彼らは、大酒を食らって、例の冗談ごとを言って、大笑いしながら、爆睡してしまったのだ。
 「簀子(すのこ)」とは、今で言えば「濡れ縁」みたいなもので、戸も御簾もない外気に直接触れる板敷である。通常簀子は寝場所ではないが、彼らはここにごろ寝したのだ。暑い夏のことであるし、泉からは滾々(こんこん)と清水が湧いていて、その水が溝を涼しく流れている。こんな有難い夏の夜はない。
 夜はまだまだ早いはずである。源氏は、女のことを考えてまだ寝られずにいるのだから。それなのに彼らは、蛍も虫の声のない、もう爆睡してしまった。

 実は、これこそ彼らの役得というものなのである。源氏様の後について行けば、悪いことはない。翌日は紀伊守から、抱えきれないほどの禄を賜ることであろう
 またちゃっかり者は、源氏様がしているのだからと、紀伊守の邸の女房とうまく夜を過ごす者もいるかもしれない。源氏の忠臣・惟光などは、夕顔の屋敷の調査を源氏に命じられた時に、命令以上のことをちゃんとしているのだ。
 『わたくしの懸想も、いとよくしおきて、案内も残る所なく見給へ置きながら』
という始末であった。「自分の色恋沙汰もちゃんとつけて、相手方に入り込み、敵状偵察もうまくやっておきました」と言うのだ。驚いた家臣である。
 若き日の源氏の周りには、いつも冗談があり笑いがあり無作法があった。

 しかし、単に冗談を言い交わす関係ではなかった。源氏という男は、そういう供人たちに対して、実にきめ細かい配慮をしているのだ。ずっと後のことだが、源氏が須磨に退去せざるを得なくなった時に、付き従った供人の、家族と遠く離れて暮らさなければならない哀しみを決して忘れることはなかったのだ。
 そんな源氏であるから、供人は彼に全幅の信頼を抱いていた。一見「主従ともども・・」と思う点もあるのだが、現代の我々にとっても、なんとも羨まし限りの関係に映るのである。

 ※「空蝉」という女性が登場するのは、実は『空蝉』の巻ではない。『帚木』の巻の例の有名な「雨夜の品定め」の後、突然「空蝉」の物語に移るのである。ここでの話は『帚木』の巻のものであるが、仮に「『空蝉』を読む」としておいた。


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