源氏物語

源氏物語たより238

 ←源氏物語たより237 →源氏物語たより239
   たった一字の助動詞で  源氏物語たより238

 光源氏は、内裏に行った時に、若宮(実は源氏と藤壺宮の子 後の冷泉帝)に会うことができた。しかしいくら自分の子であるからと言っても、どうすることができようか。彼はそういう定めに涙しながら、藤壺宮に歌を贈る。
 『よそへつつ見るに 心は慰まで 露けさ勝る撫子の花』
 「あなたにお会いするような気持ちで、若宮にお会いしたのですが、私の心は一向に慰められはしませんでした。それどころか会う前よりもかえって涙はとめどなく出てしまうのです」という意味である。「撫子」は子供の喩えで若宮を指す。
 そして、「いくらあなたとの間の子であっても、これを公にすることもできないのです。私とあなたとは、何と空しい関係でありましょうか」という言葉を手紙に添えた。
 これに対して、宮は、絶対返歌などすべき状況ではないのだが、「あはれ」を覚えて、こう応えるのである。
 『袖濡るる露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ大和撫子』
 上の句は、
 「あなたが(涙で)袖を濡らす原因だといわれる大和撫子(若宮のこと)のことを思うにつけても」
という意味である。

 ところが、この歌の下の句の意味が捉えにくく、解説書によって、全く正反対の意味に取ってしまっているのである。それは「ぬ」という助動詞に原因がある。
 この「ぬ」を「完了」の助動詞と取るか、「否定」の助動詞と取るかである。「完了」の「ぬ」とは、たとえば「夏は来ぬ」の「ぬ」であり、「否定」の「ぬ」は、「もう金輪際、酒は飲まぬ」の「ぬ」である。
 もしこの「ぬ」を「完了」と取れば、歌の意味は
 「大和撫子(若宮)が疎ましく思われてなりません」
という意味になる。『日本古典文学大系(岩波書店)』や『日本の古典(小学館)』は、この「完了」の助動詞と取っている。林望訳の『謹訳源氏物語』(祥伝社)も同じである。
 もし後者だとすれば、
 「大和撫子のことを厭わしいものとは思いません(いとおしく思います)」
ということになる。『源氏物語評釈(角川書房)』や谷崎潤一郎、瀬戸内寂聴などが、この後者を取っている。私も、「否定」の助動詞だと思う。
 前者の場合は、「大和撫子(若宮)が、あなた(源氏)の涙のゆかりだと思うと嫌でなりません」ということになってしまい、宮は、源氏のことを完全に拒否していることになるからだ。彼女は、そこまで源氏を厭い嫌い拒否しているだろうか。もしそうだとすれば、返歌などするはずはないのである。彼女は
 『ものいとあはれに思し知らるる程』
だからこそ返歌したのだ。「あはれ」とは「しみじみとした情」のことである。もちろん彼女は、源氏の消息に対してだけ「あはれ」を感じたのではない。「罪の子」ということもあり、もろもろのことが想起されたからである。しかし、主たるものは、源氏との関係についてであるはずだ。

 宮は、心の中では今も源氏を深く愛している。源氏が「青海波」を舞った時、その舞い姿を見た彼女の動揺からもそれは十分察することができることだ。
 その愛する人の子である。しかし、「この若宮を二人で愛しみ育てていくこと」は絶対にできないことである。「あはれ」を感じないでいられようか。
 それに、たとえ「罪の子」だとしても、自分の子であることに変わりはないのである。実の子を「うとむ」ことなどありえないことだ。「うとむ」とは、「親しみが持てないこと、嫌に思うこと」である。
 宮の手紙は
 『ほのかに書きさしたるやう』
であった。墨も薄く、途中で書くのを止めた気配もあるというのだ。それは宮の心のたゆたいであろう。こんな複雑な状況の中で、墨黒々と書けるはずはないし、誰はばかることなくしっかりとした手紙を源氏に出せるものではない。「出そうか出すまいか」と逡巡した結果が「書きさしたるやうな」筆跡になったのだ。

 しかし、歌の内容は意外にも大胆なものになってしまった。「あなたのゆかりだと思うにつけても、とても疎むなどということはできません。やはり心を込めて愛しみ育てていこうと思うのです」というのだ。そこには、この子を立派に育てていかなければという宮の強い意思が表れているし、源氏への愛もほのかに滲んでいるのである。
 「そんな大胆な消息をして危険ではないのか」という指摘もあるかもしれないが、元々彼女の歌の上の句だけでも十分に危険なのである。
 そして、この「ぬ」を「否定」の助動詞と取らなければならない決定的な理由が、この手紙を受け取った時の源氏の気持ちの高ぶりと行動にある。
 『胸うち騒ぎて、いみじく嬉しきにも涙落ちぬ』
なのである。宮から返事が来るなど予想もしなかったところに、意外や返事が来たもので、有頂天になったということもあるが、彼が、「いみじく(半端でなく)」喜んだのは、その内容である。宮はやはりまだ自分のことを思っていてくれたのだ、という喜びである。
 この後、源氏は西の対に行って紫上に会う。紫上は、
 『ありつる花の、露に濡れたる心地』
がするような少女であった。「ありつる花」とは、例の撫子の花、つまり若宮のことである。その「ありつる花」は、これから藤壺宮が愛しみ育てていく。それに対して、源氏は、目の前の露に濡れたような若々しい少女を愛しみ育てて行くことに心を決めたのだ。彼は早速、琴を取り寄せると、彼女に
 『弾かせたてまつり給ふ』
のである。もちろん彼が教えたのは琴だけではない。書も歌も絵も存分に教えたのである。それは、自ら育てることのできない若宮に代わるものであった。

 わずか一字の「ぬ」であるが、その解釈の仕方によって、これほど物語の読みの深さを変えてしまうのである。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより237】へ
  • 【源氏物語たより239】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより237】へ
  • 【源氏物語たより239】へ